引きこもり解決請負人:それぞれの性
産業廃棄物処理業者の江戸川クリンには引きこもりの子供に苦悩する親に代わって「処理」を請け負う裏業務があった。獰猛なDVモンスターと化した引きこもり人の部屋に乗り込む「交渉人」は23歳の桜山優愛。獰猛なモンスターを廃棄物のように処理するか、更生の道を歩ませるかは彼女の判断に委ねられていた。
序章
私の名前は桜山優愛。東京都江戸川区篠崎町に本社がある江戸川クリンという会社の従業員だ。男女雇用機会均等法の順守が社長方針となっており管理職の男女比率は同率で、社員全員が総合職だ。
私は能力を認められて大卒二年目としては破格の給料をもらっているが、友人には普通のOLと言ってあり、SNSなどのプロフィール欄にもOLと記載することにしている。
家族には営業部でアシスタントをしていると説明してある。帰宅時間が一定していないのでさすがに普通のOLと言っても辻褄が合わないし、危険な仕事をさせられているのではないかと心配させたくないからだ。
今でも私の家族は江戸川クリンがクリーニング・サービスと産業廃棄物処理の会社だと信じている。会社のウェブサイトはそんな印象を与える記述になっており具体的な業務内容は読み取りにくい。
私が日常的にリスクと隣り合わせの仕事に従事していると知ったら両親は卒倒するかもしれない。
第一章 獰猛なモンスター
シャーベットのように冷たい空気が塵ひとつなく澄んでいる一月中旬の朝、私は相棒を伴って板橋の閑静な住宅街へと赴いた。通りの一角の門扉に取り付けられたアイホンのボタンを押すとすぐに応答があった。
「江戸川クリンから参りました」
「お待ちしておりました。お入りください」
と女性の声がして扉がカチャリと解錠される音がした。
私はアシスタントを伴って門を入り数メートル先の玄関口まで歩いた。玄関ドアのノブを手前に引くと身なりのいい中年女性が私達を迎えた。
「江戸川クリンのシニア・ネゴシエイターの桜山優愛とアシスタントの大熊剛造です」
名刺を差し出すと、女性は当惑した目で私と大熊を交互に見た。
私は権威主義者でも見栄っ張りでもないが、職責を明確に示さない限り私が大熊のアシスタントだと誤解されるので、客先訪問時にはこんな風に自己紹介をすることにしている。
彼女は私たちをリビングルームのソファーへと誘導して紅茶を出した。私の前に先にティーカップを置く仕草にはまだ戸惑いが感じられる。
「薫り高いダージンリン・ティーですね。セカンドピックですか?」
気を利かせたつもりのお世辞への反応が鈍かったので、家具とカーテンの品の良さを褒める発言をしてから本題に入った。
「ご相談の内容について確認させていただきますと……」
私は当社の相談員がその女性とのビデオ・インタビューで聴取した事項について内容を一つ一つ確認した。
「もし私どもの了解に過不足があればご遠慮なくおっしゃってください」
「うちの息子は高校二年の夏までは普通のいい子だったんです。ちょっとした歯車の掛け違いが重なったのか段々あんな風になってしまって……。親としてできることがあるなら何でもしてやりたいんですが……」
「『親として出来ることがある』という気持ちを息子さんが感じ取り、それを踏み台にしてモンスターになってきたのです。その気持ちを断ち切らない限り悪循環が続きます。息子さんを見捨てる覚悟をすることで全てが始まります」
「おっしゃることは分かります。その通りだとは思いますが、母親としてはやはり……」
「ご依頼を撤回して地獄への道を歩まれますか? その場合はキャンセル料十万円を差し引いて代金を返金させていただきます」
「いえ、もう覚悟はできていますので、よろしくお願いします」
「分かりました。それでは始めさせてください」
母親が二階への階段を登り、私と大熊が続いた。
階段を上ったところに部屋の入り口があった。
「ここが息子の部屋です」
と彼女が声を潜めて言った。
私はドアをノックして「失礼します」と言いながらノブを回した。内側から鍵はかかっていなかった。萌葱色のカーテンのかかった薄暗い部屋の勉強机でパソコンに向かっている男が私の方に顔を向けた。
「入っていいとは言ってないだろう!」
侵入者と遭遇した番犬のような目が私を射抜く。その青白い顔の男は二十四歳という年齢より若く見える。眼差しが悪意に満ちているが怖さは感じなかった。
「江戸川クリンの桜山優愛です」
と言いながら部屋に入った。
「はぁ? 清掃業者? 勝手に入ってくるな!」
と言って男が椅子から立ち上がった。
アシスタントの大熊がさっと部屋に入って私の盾になった。
「な、なんだ、お前たち」
大熊の巨体に威圧されて男が尻込みした。
「私は大丈夫ですから、大熊さんはドアの外でお母さまと待機してください」
大熊が威嚇の視線を男に浴びせながら部屋を出て、ドアが閉まった。
「お前なんかに用はないから出ていけ」
「引きこもりに関するご両親からのご依頼による面談です。話が終わるまでは出て行きません」
「女と話すつもりはない」
「じゃあ先ほどの男性と交代しましょうか? 彼は私の部下で、元プロレスラーですけど」
私は口ごもった男を押しのけるようにしてベッドの縁に腰を下ろし、勉強机の前の椅子を手で示して彼に着席を促した。男は渋々と椅子に腰を下ろした。
「女のくせにオレのベッドに勝手に座るな」
言葉だけは強気だが、もう迫力は失われている。
「どうして?」
と私は軽い微笑を浮かべて男の目を見る。
「女は不潔だ」
私から視線を逸らして、吐き捨てるように言う。彼の言う「女」とはおそらく母親のことであり、母親に代表される女性全般を不潔なものとして排除する発言なのだろう。しかし、異性としての女性を全面的に毛嫌いして接触を拒否するような所作は見られない。
「仕事を始めましょう。協力してくれないといつまでも終わりませんよ」
男はチェッと舌打ちした。それは男が私との対話を受け入れるという意思表示だった。
「お名前は?」
「親から聞いてるだろう」
私は男をにらみつけてもう一度質問した。
「お名前は?」
「有田智久だ」
「智久さんの年齢は?」
「二十四歳」
「性別は?」
「ふざけるな!」
「智久さんの性別は?」
「男だよ、クソ」
「最後に外出したのはいつですか?」
「覚えてねえよ」
「高校二年の十月に不登校になり、高校三年の六月からは外出もしなくなった。ここ二年ほどは時々コンビニに行く以外は家から出ていないんですね」
「わかっているなら聞くな」
「二十歳になったあたりから暴力的傾向が強まり、最近は手が付けられなくなった。お母さんを殴るのは人間のクズですよ」
「テメエ、女だと思って大人しくしていたら!」
と智久が立ち上がった。
「座りなさい! 私に指一本でも触れたら、大熊を呼びますよ。キンタマを引きちぎるぐらいのことは平気でする男です。半殺しにされる覚悟があるなら私を殴ってみれば?」
「クソォ……」
と悔しそうに言って智久は腰を下ろした。
「親のクレジットカードを使ってゲームをプレイし、三十万円を使い込んだ。お父さんがそのクレジットカードを解約すると、お父さんに馬乗りになって首を絞め、別のクレジットカードを取り上げた。この一年間に三百四十万円をゲームにつぎ込んだ。お父さんは高給取りだから大丈夫でしたが、平均的なサラリーマン家庭ならとっくに破綻しているところです。そんな出費に耐えられるだけのお金があったから、却って長期間のさばらせてこんな最悪のモンスターを育てる結果になった」
「言わせておけばいい気になりやがって!」
智久は怒り狂って立ち上がったが、襲い掛かりはしなかった。
「座りなさい」
と怒鳴りつけると大人しく腰を下ろした。最悪のモンスターと言われて自暴自棄にならなかったのは、智久が精神的に脆弱でなく、ドアの外の元プロレスラーの存在と私への怒りを天秤にかけて冷静な判断ができるだけの知能があることを示唆している。
「自分がこの家の全能の支配者だと認識していて、母親には食事、入浴、洗濯を含むすべてのサービスの提供を当然のものとして要求し、父親には毎月数十万円のクレジットカードの支払いを押し付ける。少しでも意にそぐわないことがあれば殴る、蹴る、暴れる、物を投げる、壊す」
「お前には関係ないだろう。放っといてくれ」
「ご両親と智久さんとの間にまともなコミュニケーションは成立しなくなった。言わば支配者と奴隷の関係。ご両親はひたすらそれに耐えるしかない状況に追い込まれた。『こんな息子にしたのは自分たちの責任だ』という意識があるから今まで耐えて来た」
「その通りだ。オレがこうなったのはあいつらのせいだ」
「ご両親は自分たちさえ我慢すればいいと思っていたら、大きな不安材料が出て来た。夕食の際、三年前に起きたスクールバス児童殺傷事件のドキュメンタリーがテレビに流れた時に智久さんが『あいつら死ねばいい』と言った。『あいつら』の意味が犯人ではなく児童のことだと分かって、ご両親は大変なショックを受けた」
「親たちが犯人をオレと重ねて見ていることがミエミエだったからそう言ったまでさ」
「その翌朝、近所にある小学校の校庭から運動会のリハーサルの声が聞こえて来た。『あいつら、ぶっ殺してやる』とあなたが言うのを聞いて、ご両親は最早これまでと観念した」
「最早これまでとは、何がこれまでなんだ?! オレに直接言わずに他人に告げ口するとは許せん! 後で罰を与えてやる」
「ご両親は自分たちの息子が人様を傷つける前に親の手で幕引きをするしかないという苦渋の決断をされました。そこで私たちが起用されたのです」
「ま、幕引きってどういう意味なんだ」
智久の表情に動揺の色が露わになった。
「モンスターをこの世から抹殺するということです」
「まさか、お前たちは殺し屋なのか……」
「人聞きが悪い! 江戸川クリンは産業廃棄物処理業者です。『引きこもり大掃除請負人』と思ってください」
「お母さん、いきなりひどいじゃないか! ひとこと相談してくれよ!」
智久が部屋のドアの外にいるはずの母親に大声で呼びかけたが返事は無かった。
「お母さん、そこにいるんだろう? お母さん!」
智久の叫びは無駄だった。ドアの外からは何の音も聞こえず、母親と大熊が居るかどうかも分からなかった。
「お母さんから事前に『今すぐ心を入れ替えなければ殺し屋を呼ぶわよ』と声を掛けて欲しかったとでも言うんですか? もしお母さんがそんな素振りでも見せたら智久さんに半殺しにされて、家の中を滅茶滅茶にされていたでしょう」
「お母さん、お母さん! 聞こえてるんだろう? 反省するからこいつらに金を払って追い返してくれ!」
この男は母親に懇願している。命令し続けた相手に対して何年ぶりに懇願するのだろうか? この男が強者を演じ続けるために必要な心の支柱が折れたのだ。あと一押しでこの男を崩せる。
「引きこもりはやめるし、二度と乱暴はしないとご両親に誓うんですか?」
「そうだ。誓う。お母さん、オレはもう引きこもりはやめる。ゲームのアカウントは削除するし、二度と乱暴しないから、殺さないでくれ!!」
「引きこもりをやめる? どうやって? そんなに簡単に引きこもりが治のるなら日本の何十万人もの親が大喜びします。どうやったらやめられるのか教えてください」
「オレがやめると言ったらやめるんだよ」
「まあ二、三日ほどは以前のように外出して家の中でも乱暴を働かない状況が続くでしょうね。ひょっとしたら一週間ほど続くかもしれない。でも、必ず元に戻ります。部屋に閉じこもって、ゲームアカウントを復活して、再度お父さんからクレジットカードを取り上げて乱暴を働くようになることは私が保証します」
「頼むから殺さないでくれ。何でもするから、命だけは助けてくれ。金は出すから」
「金を出す? それ、ご両親のお金のことを言ってるんですよね? ご両親はそのお金を智久さんに渡すのではなく、大掃除に使うことを既に決断されたんです」
智久は交渉しても無駄だと理解したようだった。部屋のドアのノブを凝視してから部屋のガラス窓に目を遣った。今、この男は逃げる隙を窺っている。部屋のドアから出れば大熊が待っている。私を殴るか、蹴るか、あるいは首を絞めるかして、窓から地上に飛び降りようとでも考えているのだろう。靴も無く、大した金も持たず、頼れる友達が居るはずもなく、例え地上に飛び降りることができても、その先どうするつもりだろうか?
「大熊は射撃の名手ですから私に手をかけたら一発で眉間を撃ち抜きますよ。それから、窓から逃げようとしても無駄です。江戸川クリンは全国津々浦々を網羅するネットワークに加わっています。日本中どこに逃げても四十八時間以内に見つけ出します。そうなったら地獄を味わいながら死ぬことになりますよ」
「イヤだ、死にたくない……」
「ご両親から請け負ったのはモンスターを抹殺することです。最もシンプルな解決方法は殺害ですが、あなたの中に棲みついたモンスターを抹殺して社会復帰させるという選択肢もあります。いずれの方法を選ぶかの判断は私どもに委ねられており、殺害せずに解決した場合にはボーナスを申し受けるという契約になっています」
智久は子犬が主人を見るような目を私に向けた。
――落ちた! 勝負あり。これで智久は私の言いなりになる。
「更生させる道を選択した場合、万一途中で挫折したら私どもとしては骨折り損になるので、安易に更生の道に進ませることはできません。更生のためのプログラムを作成して実行の機会を与えることになりますが、苦しいこと、やりたくないことも多いですよ。万一少しでも非協力的になったり、逃げるようなことがあれば、私どもは躊躇なく見切って幕引きします。私の言葉の意味は分かりますね?」
「更生プログラムに従います。何でも協力します。約束します」
「棘の道になりますよ。智久さんにとってどんなに不本意なことでも協力する覚悟があるんですか?」
「協力します。本当です!」
「殺さずに済むことを祈ります」
「でも、お宅の会社も人を殺すのはまずいですよね? 嘱託殺人の罪に問われるんじゃないですか?」
「うちはその道のプロです。死体も血痕も出ない状況では立件のしようがありません。ご両親からは既に殺人を委託する旨の書面を受け取っていますから、捜索願いや被害届けも出ません。ご心配は無用です。もし智久さんが証拠を残そうとして変なそぶりを見せたら一発退場になります」
「更生プログラムとはどんなものなのか教えてください。難しそうなら相談に乗ってくれますよね? 一生懸命やってみますから、オレが少し躊躇したぐらいでダメだと判断しないようにお願いします」
「更生プログラムの内容は人によって違います。智久さんの性格、悩み、希望、その他色々なことを聴取しつつ、将来どんな道を歩むべきかを判断した上で有効な更生方法を決定することになります。私も経験者としてお手伝いします」
「えっ、経験者って、おねえさんも引きこもりだったんですか?」
「おねえさん? 私、二十三歳なんですけど。智久さんより年下ですよ」
「す、すみませんでした。桜山さんは見かけは若いけど、偉い人かと思ったんで……」
「偉くはありません。密室の中で暴発する危険性のある人物と間近に接する仕事なので肝が据わってきたというか……。ええ、私も引きこもりでした。どうしようもないクズだったので、親から匙を投げられました。私の場合は智久さんよりも若かったし、更に獰猛なモンスターでしたから、更生プログラムと言うよりは強硬な矯正から始まったんですが……」
「桜山さんが獰猛だったとは信じられません。凛とした態度をされていますけど、おしとやかでお美しい女性のようですから……」
「女を扱うのが上手なんですね、引きこもりのくせして。それに聞き上手。私がどのようにして一見普通の女になることができたのか、お話ししましょうか?」
「是非お願いします。オレにとって励みになるし、参考になると思います」
私はベッドの縁から立ち上がり部屋のドアを開けて、廊下で待っていた大熊に言った。
「大熊さん、お母さまと一緒に一階のソファーでお待ちいただけます? 私の身の上話はお母さまには聞かれたくないので」
「了解。イヤホンでモニターして、何かあったら駆けつける」
「心配無用です。既に私と智久さんの間には信頼関係が成立していますから」
私はドアを閉めてベッドの縁に座り、智久と向かい合った。
「じゃあ、少し長くなりますがお話ししましょう。今から申し上げることは誰にも話さないと約束していただけますね?」
「約束します。もししゃべったら殺されても結構です」
半時間前に獰猛なモンスターだった智久の穏やかな表情にほっとしながら私は話し始めた。
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