日本で同性婚が許可になった日
 特殊任務捜査隊員

第一章 特別な任務

 ピッ、ピッ、ピッ、ピピピピ……

 枕元に手を伸ばして目覚ましを止める。普段は最初のピッで目が覚めて二つ目のピッで停止ボタンを押すのだが、今日はピピピピという連続音まで放置してしまった。眠い。昨夜遅くまで寝つけなかったからだ。それでも僕はサッと起き上がり、音を立てないようにトイレに行って便器に腰かける。

 同室の権田はまだ寝息を立てている。僕は朝起きると便器に座って排便まで済ませる習慣があり、権田は僕がトイレを出て顔を洗う水の音で目を覚まして身支度を開始する。男子隊員二人が一ヶ月間同室で寝起きした結果自然に成立した生活習慣だった。

「おはよう」

 僕は可能な限り明るい声で権田に朝の挨拶をする。まるで何事も起きなかったかのように……。

 権田は「オゥ」と小声で言っただけで、僕と視線を合わせないようにトイレのドアを開けた。普段の権田なら必ず「おはよう」と元気な声を返すし、トイレで小便の音を響かせながら朝勃ちに関する冗談のひとつも言うのに今日は様子が違う。

 昨日の訓練終了後のミーティングでの隊長からの発表が全てを根底から変えた。周囲の世界が、僕がここに存在する理由が、そして僕の人生の意義が、あの発表によってそれ以前とは全く異なるものになってしまった……。


 僕の名前は清野きよの克耶かつや。特殊任務捜査隊の幼年課程、略称「特幼」の訓練生だ。昨年、体育大学の在学中に警察庁の特別採用チームから声が掛かり、今年の四月一日の入庁と同時に特幼に配置されて訓練が始まった。

 警察庁から声が掛かったのは、スポーツ用品関係の企業への就活を開始し、予想以上に冷ややかな扱いを受けて落ち込んでいた頃だった。この業界の企業は全国レベルでの実績がないマイナーなスポーツの選手には非常に冷たい。まして僕のように体格的に見栄えがしない学生は三流の一般大学の就活生と同列の扱いになる。

 そんな時に学生課から連絡があって、警察庁の特別採用チームから僕に名指しで呼び出しがあったと言われた。半信半疑で霞が関に出頭するとその日のうちに内定が出た。なぜ僕が指名されたのかは謎だったが、まるで渋谷を歩いていてスカウトされた女優のような気持だった。いや、渋谷でスカウトされる女優ならあちこちでスカウトされた経験があるだろうが、僕の場合は後にも先にもそれっきりの青天の霹靂のようなスカウトだった。

 小平市の警察学校の一角にある特幼の訓練所に入所したのは男性ばかり十名だった。そのうち八名が大学の新卒で、残りの二名は交番勤務をしていた高卒三年目の警察官と自衛隊からの出向者だった。警察庁と防衛省で若手の人事交流があるとは知らなかったが、自衛隊からの出向者である徳川から聞いた話によると特殊任務捜査隊は警察庁だけでなく防衛省と外務省からの特殊任務も引き受けるという位置づけになっているそうだ。

 入隊当日に奇異に感じたのは、十名のうち四名が百八十センチ以上の長身でどんなサバイバルゲームでも勝ち抜きそうな勇壮な大男だが、残りの六名は百七十センチ未満の細身だということだった。毎朝身長順に整列して点呼があるが、権田、西郷、武蔵、徳川の長身の四名の次に呼ばれる白石は百六十七センチしかなく、それ以下は百六十六センチの大友から百六十三センチの僕までどんぐりの背比べだった。

 寮の部屋割りで僕は百九十三センチの権田と同室になり、部屋に入ると同じ人間でもここまで違うのかと圧倒された。この寮は長身の隊員も収容できるように設計されている。僕にとっては広々としたベッドだが、権田が寝ると足がやっと伸ばせる程度の窮屈なベッドに見えた。風呂に入る時も権田はダンゴムシの姿勢をとらないと肩まで浸かれないし、シャワーを壁に固定して頭から浴びるのは膝を曲げない限り困難だ。もし権田と西郷の大男どうしが同室になったら部屋の中ですれ違う時にもお互いにストレスを感じるのではないだろうか。逆身長順で大柄な隊員と小柄な隊員を同室にしたのは合理的な判断だと思った。

 しかし、大柄で勇猛な四人と比べて、小柄な六人が能力的に劣っているわけではない。実戦での格闘は四つ相撲とは違う。小柄で俊敏な僕たちは接近戦に持ち込まないすべを心得ており、仮に接近戦になっても絶妙な距離を保って相手を倒すことができる。圧倒的なリーチとパワーに俊敏さを兼ね備えた権田と三メートル四方の小部屋で戦えば、僕は十戦中八戦で敗退するだろうが、残りの二戦では権田を倒せるという自負がある。権田と同じ体格の一般男性を相手に僕が小部屋で戦えば、身長差三十センチの相手でも九十パーセント以上の確率で勝てると思っている。もし、小部屋ではなく百メートル四方の林の中での戦闘なら僕は権田と対等に渡り合えるし、一般男性が相手なら体格に関わらず九十九パーセントの確率で勝てる。

 この一ヶ月間、僕たちは戦闘能力を高めるための基礎的な訓練を受け、筋肉は強さとしなやかさを増し精神は研ぎ澄まされた。自分たちは戦闘の為に生まれ、国家と国民の正義の為に戦闘員としての一生を送るのだという覚悟と誇りを抱いていた。休みの日には十人の隊員たちが食堂の大画面テレビの前に座ってスポーツ番組を見るかネットフリックスで映画を見るのだが、最も再生回数が多い映画はランボーで、特にランボーがヘリコプターに石を投げてやっつけるシーンは何度見ても飽きなかった。僕たち十名は一ヶ月間の厳しい訓練によって洗脳され、理屈を超えた使命感に酔っていた。

 そんな僕たちを、昨日の訓練後のミーティングでの隊長の発表が酔いから醒ませた。

「訓練の導入部分を無事終了した諸君に、まずはおめでとうと言いたい。この一ヶ月間は諸君に基本的な素養を与えるための訓練を実施した。明日から実戦を想定した訓練を開始するが、今期の特幼には特別な任務が下された。前期までは予想もしなかった特殊かつゲンコクな任務だ」

 ゲンコクとは聞き慣れない単語であり、三月までなら裁判の原告か現代国語の現国を思い浮かべたはずだが、僕の頭には一瞬で「厳酷」という漢字が頭に浮かんだ。昨年までの特幼を遥かに凌駕する厳しい任務が与えられると聞いて武者震いした。

「諸君も承知している通り、昨年度に同性間の婚姻を認める法案が我国でも成立した。同性婚は欧米先進諸国の大半で合法化されており、同性の配偶者のカップルが国境を越えて行き交う世の中になっている。これまで日本人のカップルが例えばドイツで諜報活動、工作活動を実施する場合は男性と女性の夫婦である必要があった。しかし、今は男性と男性、女性と女性が合法的な家族として海外各国に移住できる。これにより諜報活動の幅が広がり、夫婦と見せかけて、実は二人とも身体能力の優れた男性だったということも可能になる。状況がどう違うか分かるか、西郷?」

 不意に質問を振られた西郷は言葉に詰まっていたが、二秒ほどして困惑気味に返答した。

「例えば大柄な男性と小柄な男性が偽装結婚をして夫婦のフリをして外国で諜報活動をするということでしょうか? しかし、自分なら小柄な男性よりも身体能力の高い女性と偽装結婚する方が勤務意欲が高まると思いますが」

「白石、どう思う?」

「自分は大柄な隊員とでも、あるいは自分より小柄な、例えば清野きよのと偽装結婚をして海外での諜報活動に臨む覚悟があります。しかし、自分が女装を命じられることには強い抵抗があります」

 白石が偽装結婚の相手として僕の名前を上げたのは不愉快だった。隊長はニヤリと笑ってから真面目な表情に戻って話を続けた。

「二人とも百点満点の三十点だ。男性どうしの同性婚と聞くと、一方が女装をして夫婦を装って諜報活動をすることを想定しがちだが、そうとは限らない。海外政府機関等の要人が同性愛者であるケースは諸君が考えているより遥かに多いんだ。男性どうしの合法的カップルなら、そのような要人に対してどちらの角度からでも切り込むことができる。必ずしも一方が女装することが有利とは限らないんだ。清野、分かるか?」

 質問されたのが三番目でラッキーだった。

「ほぼ理解できましたが、女装が当然ではないと知ってほっとしました。しかし、もし自分が外国の政府機関要人を籠絡ろうらくする任務を帯びて偽装同性婚カップルとして海外に派遣された場合、具体的にどんなアプローチをすればいいのでしょうか? 自分は外国語は得意ではありませんし、当該要人の懐に飛び込むのは相当に困難であります」

「諸君のうちの六名がどのように選別されたかを理解していないようだな。身体能力が優れている若い男性の中から、顔、体格、スタイルが美しく、ある種の同性愛の男性にとって魅力的であるという条件で数万人の候補者の中から選抜されたのが君たち六名だ。勿論、ターゲットとなる要人がマッチョな男性を好む同性愛者だとすると清野は論外であり、その場合は清野のパートナーとなる大柄な隊員が対応することになるだろう」

 話が具体的になってきて恐怖が湧き上がった。僕は権田、西郷、武蔵、徳川のいずれかと偽装同性婚の訓練をさせられるのだろうか? 思わず列の反対の端に立っている大柄な隊員たちを覗き込み、同室の権田と視線が合って顔が真っ赤になってしまった。隊長が僕を見て笑みを浮かべた。

「期待した通りだった。体格の異なる二つの母集団を同居させると、自然発生的に同性婚の素地が成立するようだ。それなら話が早い。ストレートに説明しよう。諸君に与えられた任務は偽装同性婚ではない。正真正銘の同性婚であり、共に支え合い一生を分かち合う配偶者どうしとなることである。この十名の中からできる限り多くのカップルが成立することを期待する。それが特幼を卒業して正隊員となるための必須条件だ。不幸にしてパートナーを見いだせなかった訓練生は、一般の警察学校を終了したものと同様に交番勤務からスタートすることになるだろう」

 ざわめきが起きて、全員が戸惑った様子でお互いの顔を覗き込んだ。訓練生が隊長を前にして隊列を乱したり私語を交わしたのは、それが初めてだった。

しずまれ!」
と号令がかかり、僕たちは不動の姿勢に戻った。

「明日からはB隊員四名とG隊員六名は別のカリキュラムとなる。B隊員とG隊員は向かい合って整列しろ」

 隊長の号令で、大柄な四名が隊長から見て右側に、小柄な六名が左側に立って向かい合った。BとGがボーイとガールの頭文字であることは容易に推測できた。自分が警察庁から名指しでスカウトされたのは女役としてだったのかと思うと溜息が出る。

 僕とその隣の川栄かわえいの前には誰も居ない。その時初めて、十名の中から四カップルしか成立しないことを実感した。僕たちG隊員はB隊員四名のいずれかを捕まえないと交番勤務にされてしまう。六名のうち二名も脱落するというのは相当な難関だ。同性婚という任務を受けることの是非よりも、特殊任務捜査隊員になれないことへの恐怖が僕を委縮させた。

「もしこの中で同性婚の任務を受けることを拒否したいものが居れば明日の朝までに申し出ること。その場合は本人の希望と適正に従ったキャリアについて相談に応じる。申し出がない場合は、容赦なく任務の遂行を求め、脱落者は厳しく処遇するからそのつもりで。いいな!」

「ハイッ」
と全員が声を合わせて答えた。拒否の申し出をする訓練生は一人も出ないだろうと思った。

「マッチングの問題に移ろう。現在はB隊員の身長順に権田ごんだ西郷さいごう武蔵むさし徳川とくがわの部屋に、G隊員の小さい順に清野きよの川栄かわえい新木あらき箭内やないが入り、残る大友おおとも白石しらいしが同室となっている。明日からの一週間は従来通りの部屋割りとし、翌週はローテーションをずらして白石が権田の部屋に入り、清野、川栄、新木が西郷、武蔵、徳川と同室になる。その後も一週間ごとに一人ずらし、六週間で各B隊員はG隊員全員を吟味できることになる。何か質問はあるか?」

 B隊員がG隊員を吟味するという表現には抵抗を感じた。僕は挙手して隊長に遠回しな質問をした。

「五室のうち一室はG隊員どうしになりますが、G隊員どうしの同性婚でも卒業資格として認められるのでしょうか?」

「理論的にはG隊員どうしでも卒業資格として認めざるを得ないだろうな」
と隊長から奥歯にものが挟まったような不明瞭な答えが返ってきたので、僕はもう一歩踏み込んで聞いた。

「四人のB隊員の部屋をG隊員が身長順に毎週ずれていくとなると、G隊員どうしは身長順のループで隣の人との同室の機会しか与えられません。一番小さい自分を例にとると二番目に小さい川栄か、一番背が高い白石とは同室になれますが新木、箭内、大友とは同室体験ができないことになります。自分はどうしても全員と体験したいというわけではありませんが、機会均等の観点で不十分ではないでしょうか?」

「そのような質問は想定していなかった……。発想の原点が違うからだろうな。言いにくいが考え方はこうだ。B隊員が生涯の伴侶を選ぶ。G隊員はB隊員から選んでもらえるように努力する。あぶれた二名のG隊員どうしが同性婚に進むことについては否定しない」

 僕には他のG隊員からの溜息が聞こえたような気がした。

 ミーティングが終わり、部屋に帰ると目のやり場に困った。ついさきほどまで権田と僕は冗談を言い合える仲間だった。元カノや好きな女優のことを話したり、女性教官の篠原の胸やヒップの形について批評したり、時には卑猥な冗談を言い合う対等の友達だった。今は対等ではない。権田は選ぶ立場、僕は権田達に選ばれるべくアピールする立場だ。それ以上に違うのは、権田と僕が異性になってしまったということだ。B隊員とG隊員という呼称が暗示するように、権田は今まで通り男だが、僕は女の側へと追いやられたようなものだ。

 もし権田と僕が結婚したらどんな夫婦になるだろうか? いや、男どうしだから夫婦ではなくカップルと言うべきだろうが、権田が主で僕が従の役割を担うことになるのは目に見えている。普段の仕事では男性隊員どうしとしてバディを組むにしても、特定の任務でどちらかが女装をするとしたら、当然それは僕の役目になる。

 いや、それは大した問題ではないかもしれない。普段の「夫婦生活」をどうするかの方が重大な問題だ。任務としての同性婚とはいえ、一生を共にする前提での結婚ということは肉体関係も含まれる可能性が高い。勿論、権田が……権田でなくても僕とカップルになるB隊員が肉体関係を結ぶことを望んだ場合の話だが、僕は相手のB隊員の性的欲求を満足させる役割を果たす覚悟をしなければならないのだろうか? 

 そんな疑問を抱くこと自体が幼稚なのかもしれない。もし僕がB隊員なら相手のG隊員が自分の性的欲求を満足させてくれるかどうかは、最も重要な選択基準のひとつになるだろう。権田のモノが視界に入ったことは何度かあるが、興味を持って観察したことはない。僕のモノとは比較にならないほど大きいのは間違いないが、それを僕が自分の身体のどの部分を使ってどのように対応すればいいのかについて想像したくもない。

 考えるだけで胸が締め付けられる気分になり、実家に逃げて帰りたいという衝動に駆られた。

「オイ、清野。晩飯に行こうぜ」

 権田に声を掛けられて僕は何も言わずに立ち上がった。すると、権田が僕の前に来て、僕の両肩をつかんだ。そんなことをされるのは初めてだった。目の前にある巨大な喉仏を見て足がすくんだ。

「俺の目を見てくれ」
と言われて、真上を見上げた。権田は僕にキスをするつもりではないだろうかと思って後ずさりしそうになったが、強く肩を掴まれていたので身動きできなかった。今更のように体力の差を感じる。

「清野、元気を出せ。思いがけない任務を押し付けられたが、俺と清野の関係は今まで通りだ。仲良くやろう」

 そう言われても今まで通りの関係はあり得ない……。

 しかし、僕は権田を見上げながら小さな声で
「うん、分かった。ありがとう」
と答えた。心細かった。

 部屋を出ると、ちょうど隣室の西郷と川栄が出て来たところだった。西郷から僕に対する視線がいつもと違う。川栄からもライバル視されているような気がしたが、それはきっと僕の思い過ごしだ。それにしても四人を六人で奪い合う状況になると、G隊員どうしはそのうちにとげとげしい関係になるかもしれない。いや、卒業したければ、あぶれたものどうしが結婚して一生の伴侶になればいいのだ。ということは僕たちG隊員どうしも相手を異性として意識するようになるのだろうか……。

 食堂でもお互いにぎこちなくて、食事が喉を通らなかった。B隊員どうしは不自然なほど賑やかで、下ネタで盛り上がっていた。あれはきっとカラ元気だ。B隊員たちも平静でいられるはずがない。彼らが好きなのは雑誌のとじ込みに出て来るような女だ。そんな女のオッパイを思い浮かべながらオナニーをしてきた彼らが、代わりにここにいるG隊員と結婚しろと言われのだから大変なショックを受けているはずだ。

 昨夜まで同じ雑誌を彼らと回し読みしてオナニーにふけっていたG隊員は土台が根底から覆され、雑誌を見てオナニーをする立場から、雑誌の中の女の立場になれと言われたようなものだから、ショックの度合はB隊員とは比較にならないほど大きい。

 B隊員たちの普段以上に卑猥な表現のひと言ひと言が僕の胸をズキズキと刺す。僕はそんな権田たちを無視して先に部屋に戻り、さっさと風呂に入ってベッドに横になった。権田が部屋に戻った時には寝息を立てているフリをした。二、三時間して権田のイビキが聞こえ始めたが、僕は夜中まで寝つけなかった。


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