座礁クルーズ船:パンデミックの彼方へ

第一章 私が見つけた宝物

 人生はチョコレートの詰め合わせのようなものだ。口に入れてみないと中身に何が入っているのかは分からない。サン・デッキにある混浴露天風呂に浸かって、若く美しい妻を見ながらそんな陳腐な言い回しが頭に浮かんだ。
 私が菅原ユリアに出会ったのは会社の同僚の結婚披露宴の席だった。ユリアは女子大を卒業して一年目で、新婦の同級生として披露宴に招待されていた。新郎の友人と新婦の友人のテーブルが隣り合わせになっており、私はユリアを一目見て魅かれた。華奢な骨格で美しい髪の女性だった。しかし、私が魅かれた一番の理由は外見的な美しさではなく、彼女の大人しそうで控えめながらしっかりとした自分を持っている感じと、何か憂いを湛えているような目だった。
 私は米国企業の東京にある子会社に駐在している三十二歳のアメリカ人で、ユリアとは九歳も離れている。歳の差にもかかわらず私は本気で彼女に夢中になり、わずか二週間後に私はユリアと結婚した。大安の一月十八日の土曜日に二人だけで教会に行って永遠の愛を誓った。
 私は四年前から東京に駐在しており、大安の意味が分かるほど日本の文化に馴染んでいる。ガイジンとしては日本語が流暢なので、日本人の女性と結婚することに戸惑いはなかった。しかし、生粋の日本人女性であるユリアにとってアメリカから来たガイジンの妻になることには、それなりの勇気が必要だったかもしれない。
 ちょうど休みを取りやすい時期だったので、三週間の結婚休暇を取ることができた。私はかねてから豪華客船に乗ってみたいと思っており、ユリアも賛成したので、新婚旅行は二人でゆったりとした船旅を楽しむことにした。知り合ってから二週間しか経っておらず、船旅ならゆっくり話ができてお互いのことを深く知るためにいい機会になると思った。旅行会社の窓口で相談したところ、一月二十日に横浜港を出発して十五日間の予定で香港、ベトナム、台湾、沖縄に寄港するルナー・ヘイローという豪華クルーズ船が見つかった。プレミアム・ジュニア・スイートという高めのクラスの船室が空いており、安い船室に比べると三倍もの価格だったが思い切って予約した。
 ルナー・ヘイローは何と十四階建てで二千七百人もの乗客を収容し、乗員クルーだけでも約千人も乗っている豪華客船だ。各種レストラン、映画館、劇場、ダンスホール、スポーツジム、SPAなど、考えられる限りの施設がある、言わば海に浮かぶ豪華リゾートホテルのようなものだ。特に気に入ったのはサン・デッキに混浴露天風呂があるという点だった。私は会社では温泉好きなガイジンとして知られており、水上みなかみの宝川温泉の混浴露天風呂には何度か行ったことがある。残念ながらルナー・ヘイローの混浴露天風呂は水着着用が義務付けられているが、それでもユリアと一緒に温泉に入れるというのは大きな魅力だった。
 私たちの船室は九階の中央部分にあるD420号室で、海に面したバルコニー付きの部屋だった。
 私がユリアという人生の宝に出会えたのは、合コンとか婚活とか、女性を求めて探しに行ったのではなく、ある日ふと目の前に彼女が現れたという感じだった。単なる幸運ではなく、そうなる定めにあった気がする。
 ユリアも私を愛してくれている。彼女が私を見る時の目と表情にそれが感じられる。今、私たちは身を寄せ合って露天風呂に浸かり、一緒に居られる幸せに浸っている。
 私は生まれ故郷のことをユリアに知ってもらいたかった。私が生まれ育ったのはベツレヘムという町だ。
 仕事で自己紹介する時に「私はベツレヘムの出身です」と言うと高い確率で「中近東ですか?」という質問が返ってくる。時には「えっ、パレスチナで生まれたんですか!?」と聞かれて嬉しくなる。日本人はキリスト教徒でなくてもベツレヘムがイエス・キリストの生誕の地であることを知っている人が結構多いのだ。
「アメリカのベツレヘムです」と種明かしをすると「なあんだ」という顔をされるが、「ベツレヘム・スチールは、かつてUSスチールに次ぐ鉄鋼会社でした」と説明すると、四十代以上の管理職なら「確かにベツレヘム・スチールという名前は聞いたことがあります」と言う人が多い。日本で仕事をするガイジンにとってのネタとしては誠に都合がいい。
 初めてユリアと会った時、「実家はベツレヘムにある」と言ったところ、「ロマンチックな名前ね」と夢見るように言った。ロマンチックとは本来空想的で情熱的な事を意味する言葉だが、日本人がキリストの生誕の地についてロマンチックと形容するのは私にとって好都合だった。
「クリスマス・シーズンになるとベツレヘムの通りは美しいデコレーションで埋め尽くされるんだよ。ユリアに見せたいな」
「是非見たいわ! 連れて行って!」
 出身地名がナンパに役立つのは非常に便利だ。
 日本の会社とアメリカの会社の職場環境の違いについてもユリアに知って欲しかった。私はSYNERMIXシナミックスという米国企業の日本現地法人に勤務しており、当面転勤の予定は無いが、将来転勤を命じられたらアレンタウンの本社勤務になる可能性がある。その時にはユリアについて来てもらわなければならない。
「アレンタウンってペンシルベニア州なの?」
「ベツレヘムの隣町だよ。父は元々ベツレヘム・スチールという鉄鋼会社に勤めていたんだけど、僕が中学生の時にアレンタウンのエアープロダクツという国際的な優良企業に転職したんだ。シンシアもエアープロダクツに勤めていた。あ、シンシアというのは僕の前の奥さんの名前だ。僕は大学時代に同級生のシンシアと知り合って十年ほど付き合ってから結婚したんだけど、四年しか続かなかった。離婚で気持ちがすさんでいた時に、会社で東京駐在員の交代要員の話が出たから、それに志願したんだ。あの頃は二度と結婚なんてするものかと思っていたのに、ユリアと出会って一目で恋に落ちた。人間の心って分からないよね」
 そう言うとユリアの頬が赤く染まった。私が手を強く握りしめると、ユリアは目を上げて私をじっと見た。彼女の茶色の目には言葉に表せないほどの優しさと献身の気持ちが感じられた。
「女性をこんなに好きになったのはユリアが初めてだ」
 私はユリアの頬にキスをした。
「僕の人生の中に君が入って来てくれたことを心から感謝している」
 ユリアは何も言わなかったが、彼女の呼吸が早くなっているのが見て取れた。
 ユリアは感情を表に出さないタイプだが、豊かな感情を持った女性だということを私はよく知っている。それにしても、私は強く言いすぎたかもしれない。アメリカ人の女性が相手だとこの程度のことを言わないと満足してもらえないのだが、日本人の女性は、こんな風に告白されるのには慣れていないのだ。
「君の事も話してよ、お嬢さん」
と冗談っぽく言って気分を変えようと試みた。
「僕と会う前にはどんなことをしていたの?」
 ユリアはしばらく口をつぐんだ後で、
「前に話した通りよ」
と答えた。
「二度でも、三度でも、四度でも聞きたい!」
「モーリスったら、子供みたい」
とユリアが笑いながら言った。
「お願いだから、僕に話を合わせて」
「分かったわよ、話すわ。私は聖メアリー女子大で日本史を専攻していたんだけど、キャリア・カウンセリングの仕事に興味があったから、自分でオンラインのコースを受講して勉強したのよ。ちょうど母校で就活カウンセリングの担当者を募集していたから応募して採用されたの。そして大学の同級生の結婚披露宴でモーリスと出会った。それだけよ」
と言ってユリアは私を見上げ、微笑んだ。
 私は思わず溜息をついた。まだユリアは私に心を開いてくれない……。しかし、彼女が過去について語りたがらないことは、ある程度は仕方がないと思っていた。
 ユリアの過去は決して生易しいものではなかった。ユリアは福島県の北相馬の出身だが、本人の言葉少ない説明や共通の友人から聞いた話を総合するとユリアが住んでいた町は二〇一一年に東日本大震災に見舞われ、彼女は両親と弟を津波で失って東京の親戚の家に引き取られたそうだ。
 肉親を一挙に失った悲しみと苦しみが並大抵のものであるはずはなく、一人で苦しまずに、私にも彼女の苦悩を分かち合ってほしい。できることなら私が時空を超えて震災の日にタイムスリップして、彼女の家族が津波から逃げられるように誘導したいという気持ちだった。
 勿論、そんなことは不可能だ。やはり、異なる人生を歩んできた人間同士が本当の関係を築くのには時間と忍耐が必要なのだ。ユリアが何もかもさらけ出せるほど心を許してくれる日が一日も早く来ることを願うしかない。私には、失った家族を生き返らせることはできないが、悲しみを共有することによって彼女の気持ちを少しでも軽くしてあげたかった。
 
 それからの十二日間は飛ぶように過ぎた。
 最初の寄港地の鹿児島では薩摩藩の島津家が十七世紀に建造した庭園を手をつないで散策した。静寂に包まれた池、小川、寺社や竹林を最愛の女性と歩いていると、亡くなった両親の事や、シンシアと離婚した頃の苦い思い出がふと頭に浮かんだが、ユリアの笑顔を見ていると、遠い昔の記憶として冷静に思い出すことができた。
 香港ではまずトラムに乗ってビクトリアピークに行き、香港市街を見下ろした。アバディーンの水上マーケットをブラブラしたのも楽しい思い出だ。元々私はこまごまとした買い物をするのは億劫なタイプだが、ユリアと一緒にいると、フェイクであるのが確実な腕時計とか、安物の衣類や雑貨などのショッピングをするのが楽しくて仕方がなかった。
 香港へは仕事で何度か行ったことがあるが、ユリアと一緒に行く香港は全くの別世界に見えた。最愛の女性と一緒にいると、何かにつけて視点が異なるし、一人なら気にも留めない細々としたものが輝いて見えるのが不思議だった。
 ユリアも香港では特に目を輝かせていた。彼女は香港が気に入ったようで、次回は香港・マカオの一週間のツアーに連れてくることを約束させられた。

 ベトナムのチャン・メイ港もエキゾチックで楽しかった。グエン朝の王宮は壮大で一見の価値がある。また、数々の庭園も日本や他のアジア各国の庭園とは違った趣があって楽しめた。
 台北に寄港した際にはオプションの半日観光に加わった。台北101からの景色は見もので、台北全体が見渡せるという点では東京でスカイツリーに上るよりも価値があると思った。龍山寺と蒋介石メモリアルも印象的だったが、それまでは留意していなかった日本と台湾の歴史的な関りについて知識を深めることができた。

 寄港地での観光を含め、クルーズ船に乗ったことで知り合った友達も私たちの幸せに花を添えた。特に仲良くなったのはオーストラリア人の乗客で、中には実際に自分でワニを捕獲したことがあるという猛者も居た。他にもインド人の六人家族、それにスカーレットとテオ・グラントというイギリス人の夫婦と友達になった。折角の豪華客船での船旅でもあり、クルーズ船内の施設や催し物を彼らと一緒に楽しんだ。

 ダンス・クラブにインド人の友達と行った時にインド人がダンスの才能を生まれ持っていることを実感した。また、彼らと一緒に劇場に行った時にはオペラ座の怪人のミュージカルをやっていたが、インド人の友達は私たちが思いつかないような陽気なコメントをした。それまでインド人は自己主張が強くて苦手な人種だと思っていたが、友達として付き合うのに非常に面白い民族だと分かった。

 ルナー・ヘイローは二月一日に沖縄の那覇港に寄港した。すでに船旅は終盤に差し掛かっており、二月四日早朝の横浜到着までには丸三日間しかない。そう思うと多少の焦りを感じた。

 当日の朝、那覇港への到着は午後一時になるとのアナウンスがあった。

 その日の昼食は英国人のグラント夫妻と一緒に寿司を食べる約束をしており、寿司屋の前で落ち合った。寿司屋に入ると、オーストラリア人の友達三人が先客で来ていて、私たちの姿を見て手を振ったので、私たちも手を振り返した。

 豪華客船の寿司屋だから釣ったばかりの魚の刺身が食べられるかというと、そうでもなさそうだ。そもそも、船員が甲板から釣り糸を垂れているのは見たことがなく、横浜または途中で寄港した港で仕入れた魚が冷凍庫に入っているのだ。ユリアが一番好きな寿司はアボカド・ロールだと言ったのでアリシア、テオと私は「それでも日本人か!」とユリアをからかった。
 二時半までに寿司屋を出て、那覇の町に繰り出すつもりだった。私たちはプレミアム・クラスの乗客なので、寄港地での下船では優先レーンに並ぶことができる。午後三時までに下船すれば、午後十時の出港に余裕を持って間に合うように船に帰って来ることができる。
 午後二時には満腹になっていて、そろそろ寿司屋を出てコーヒーバーに行こうかと話していた時に、制服姿の男たちが寿司屋に入って来た。那覇港の検疫官が乗り込んできたようだ。私たちは四人とも那覇港で下船するために必要な書類とパスポートを持っていたので検疫官に手渡した。
「体調は大丈夫ですか?」
と検疫官から英語で聞かれたので、四人ともイエスと答えた。
「これまでの寄港地ではわざわざ体調が大丈夫かなんて質問されなかったよね」
とテオ・グラントが言った。
「念のために質問してるのだと思うわ」
とユリアが答えた。
「全員にそんなことを質問する? 何かあったのかな?」
とテオ。
「私たち日本人は清潔好きだから、東南アジアの寄港地で病気に感染した人が下船しないようにチェックしてるんだわ」
とユリアが冗談っぽく言って四人で笑った。
 オーストラリア人の友達にも私たちの会話が聞こえたようで、ユリアを見てクスクス笑っていた。
 検疫官たちは笑っている私たちにジロリと視線を向けたが、特に咎めるわけでもなく、事務的にかつ礼儀正しく仕事を続けた。
 非接触型の体温計で額の温度を測定されたが、四人とも三十六度前後だった。
 検疫官が私たちの検疫書類にハンコを押した。これで私たちはいつでも下船できる。
 その際、検疫官から一枚のメモを手渡された。
「中国で新型コロナ肺炎のウィルスの感染が広がっています」
とそのメモに記されていた。
 中国の武漢で新型コロナ肺炎が発生し、COVID19という名前まで与えられたことは米国のニュースメディアで読んで知っていた。私がまだ中学生だった頃、武漢海鮮市場で取引されたハクビシンとやらを食べた人が新型感染症を発症したというニュースが世界を震撼させたことがあるというのに、また同じ過ちを繰り返すのかと苦々しく思っていたところだった。しかし、その際は日本には殆ど影響がなかったと記憶している。
 今回、新型コロナ肺炎が日本に入ってくるのを阻止するために検疫に力を入れるという気持ちは理解できるが、ルナー・ヘイローは横浜発のクルーズ船であり、そこまで神経質になることもないのにと思った。
 ユリアと私が下船したのは午後四時だった。後で那覇の国際通りで出くわした顔見知りの乗客から聞いた話だと、彼らが検疫手続きを終えて下船できたのは午後五時だったとのことだった。

 那覇の市内観光は非常に楽しかった。日本に駐在に来てからの四年間、沖縄に行ってみたいと思っていたが一度も訪れる機会が無かった。沖縄には米軍兵士と日本人女性のカップルが山ほどいる。大半は駐留期間が終わると奥さんを連れてアメリカに帰るが、日本に住み着いた人も多い。私の東京駐在期間は特に定められておらず、将来アレンタウンの本社に戻る可能性も大きいし、シンガポールの子会社の要職に異動することになるかもしれないが、その際にユリアが何も言わずに私について来てくれるかどうかについて、まだ話題に出したことはない。ユリアはキャリアコンサルティングの仕事を頑張っているので私からは言い出しにくかったのだ。しかし、日本人女性は自分のキャリアにこだわるよりは夫の転勤に合わせる人が多いし、それまでにはきっと子供が出来ていて、ユリアは子育て中心のライフスタイルを選択するのではないかという気がしていた。

 ユリアはひめゆりの塔に行くのを楽しみにしていた。入場は五時二十五分までだったので急いでタクシーを飛ばし、駆け足で見学した。首里城を訪れるのは時間的に無理だと判断し、国際通りに行ってぶらぶらと観光をすることにした。
 あっと言う間に時間が過ぎて時計を見ると午後七時半になっていた。ルナー・ヘイローの出港は午後十時であり、九時までには船に帰るつもりだった。私たちは国際通りのそば屋に入って、ソーキそばと豚足のセットを食べた。
 タクシーに乗る前にユリアは土産物屋でライオンと犬を混血にしたような動物の像に見惚れていた。何かのパンフレットで見たことがある動物だった。
「カワイイ!」
とユリアが言った。
「それ、可愛くないでしょ。変な顔だけどこわいよ」
と私は日本語でコメントした。
「これはシーサーという守り神よ。悪霊や災いを追い払ってくれるだけじゃなく、家に福を連れて来てくれるのよ。私たちの新しい家にうってつけだわ!」
とユリアは目を輝かせながら言った。一点の曇りもない瞳と、底抜けに明るい笑顔だった。ユリアが私と新しい家庭を築くことを心から楽しみにしてくれていると感じて、胸が熱くなった。
 
 ルナー・ヘイローに乗船し、九階の船室へと向かった。エレベーター・ホールでオーストラリア人のリーと出くわした。寿司屋で近くの席に座っていたオーストラリア人の一人だ。
「どう、沖縄は楽しめた?」
とリーは口が裂けそうなほど大きく開けて私たちに聞いた。
「楽しかったよ。何とかひめゆりの塔に閉館前に辿り着いて、その後は国際通りをぶらぶらした」
と私は答えた。
「見て、シーサーを買ったのよ。悪霊を追い払ってくれるの!」
 ユリアはわざわざビニール袋からシーサーを取り出して、興奮した面持ちで自分の目の前に掲げた。ユリアはシーサーを買ったことがそれほど嬉しかったのだ。どちらかと言えば普段は大人っぽい表情をしているが、彼女の中身はまるで十代前半の少女のように純真なのだなと改めて思った。
 リーはシーサーを手に取って眺めてから、
「ワォ! クールなライオン・ドッグだね」
と言ってユリアの手に返した。
「我々は早めに検疫を受けることができたけど、五時までかかった人も居たらしいよ。不必要な質問をしたり一人一人の体温測定までするからあんなに時間を食ったんだ」
とリーは目をクルクル回す仕草をしながら言った。
 エレベーターでリーと別れて船室に戻り、シャワーを浴びた後でお互いの身体をじっくりと確かめ合った。
 
 翌朝は二人とも早く目が覚めて、朝のコーヒーを飲みにコーヒーバーへと向かった。私は淹れたてのコーヒーを飲まないと朝が始まらないタイプだが、ユリアもそうだった。アメリカの女性ならとにかく、日本で私と同じ習慣を持った女性と出会えたのはラッキーだった。
 ユリアはコーヒーをすすりながらスマホを開いた。彼女の表情が急に硬くなった。
「どうしたの?」
と私は心配して声を掛けた。
 ユリアは何も言わずにスマホを差し出した。それは日本語のニュースサイトだったが、グーグル翻訳で英語に翻訳された記事が表示されていた。
「一月二十日に横浜港を出港した豪華客船ルナー・ヘイローから一月二十五日に香港で家族とともに下船した八十歳の中国人がインフルエンザ様の肺炎を発症し入院したが、検査の結果新型コロナ肺炎に感染していることが二月一日に確認された」
という内容の記事だった。
 私はスマホをユリアに返した。ユリアの表情はますますこわばっている。
「モーリス、怖いわ! その中国人は二十五日に下船するまでに船内で大勢の人に接触したはずよ」
「心配しなくても大丈夫だよ。新型コロナ肺炎にはSARSほどの感染力は無いし、致死率もずっと低いと書いてあったよ。その中国人のお年寄りは気の毒だけど、僕たち若者は免疫力も強いし、仮に感染してもどうってことないさ。豪華客船の旅もあとわずかだから、残る時間を目いっぱい楽しもうよ」
 私の言葉を聞いてユリアの表情は和らいだ。
「そうよね。じゃあ朝ごはんをいっぱい食べて元気を付けましょう」
 二人でメイン・レストランに行った。メイン・レストランでの飲み食いは特別なドリンクを注文しない限りタダだ。すなわち乗船代金に含まれている。私はトーストにたっぷりとマーマレードを塗り、ベーコンとチーズを乗せて食べた。六枚目のトーストにジャムを塗っていると、ユリアにたしなめられた。
「あなた、そんなに食べても免疫力は上がらないわよ。私のセクシーな旦那様がポッコリお腹になっちゃうのはイヤ」
「いくら食べても体重は増えない性質だから心配しなくていいよ」
と私が答えて、二人で笑った。

 一旦部屋に戻ってからカジノに向かった。ユリアはカジノに行くことに気乗り薄だったが私が引っ張って行った。
「一緒にギャンブルをする夫婦は長続きするそうだよ」
と私はウィンクをしながら言った。
「長続きはしても貧乏な夫婦になるわよ。IR法案は成立してしまったけど、日本にカジノなんてできてほしくないわ」
と彼女は私の肘を腕に抱いて頭を私の肩に預けながら甘えるような声で言った。
「黙ってついて来い。二人ともお金持ちにしてやる」
「自信たっぷりなあなたは大好きよ。でも、限度を決めて、それ以上は賭けないでね」

 私はアレンタウンで勤め始めてからアトランティックシティーのカジノに行ったことがあるし、仕事関係のコンベンションでラスベガスにも二度行ったので、カジノ自体は特に珍しくはない。ルナー・ヘイローのカジノにはブラックジャックなどの伝統的なカードゲームのテーブルが並んでいたが、私は迷わずルーレットのコーナーへと進んだ。

 知り合いのカナダ人女性のジョージ―とアリスがルーレットに興じていた。彼女たちは自分の誕生日や年齢にちなんだ特定の数字のマスに一枚ずつチップを置いていたが、ツキには恵まれていないようだった。私は四つの数字のマスの角に十ドルのチップを置くことにした。ユリアは「私は見ているだけで十分胸が苦しくなるから」と言って、自分では賭けようとしなかった。
 最初から五回目まではカスリもしなかった。
「もうカジノはイヤ、デッキに行きましょうよ」
とユリアが私の手を引っ張った。
「わかったよ。じゃあ残りのチップを一度に賭けて、負けたら外に出よう」
 私は十七、十八、二十、二十一の角に残りの五枚のチップを積んだ。
 するとルーレットの玉が十七の穴に入った。
「すっごーい!」
とユリアが身を乗り出した。五十ドルが九倍になって戻って来た。私はユリアがチップを換金してカジノを出ようと言い出すだろうと予想していたが、意外なことにユリアは「もう一度運試ししましょう」と言い出した。ディーラーがルーレットを回し、ボールを投入した後で、ユリアは全部のチップを偶数の枠の中に置いた。するとボールは二十四の穴に収まり、チップが倍になった。
 ユリアは私を見上げると「次も私に任せてね」と真面目な表情で言った。
「どうぞ、お好きに」
 ユリアは再びディーラーがボールを投入した後で全部のチップを偶数に賭けた。
 結果は偶数だった! 
 ジョージ―とアリスが仰天した顔で拍手をしたが、ユリアは軽く微笑んだだけだった。
 私たちの手元には千八百ドル相当のチップがあるはずだ。
 ユリアはまだルーレットを続けるつもりのようだった。
 次は、ディーラーが「ノー・モア・ベット」を宣言する直前に、偶数の枠ではなくその隣の黒の枠に全部のチップを置いた。その瞬間、ディーラーの眉間にかすかに皺が寄ったように見えた。ボールは十一の穴に収まった。十一は黒の数字だ。
 私はユリアの冷静さと運の強さが怖くなった。ユリアはディーラーがボールを投入するまではチップを置かないし、三回続けて偶数の枠に張るとディーラーに思わせて赤・黒の黒の枠に賭けた。ユリアはディーラーとサシで勝負をしているのだ。百ドルがあっという間に三千六百ドルになった。
 ユリアはどこまで突き進むつもりだろうか? 
 その時、ユリアが大きなため息をついてから笑顔になった。
「ああ、面白かった! もう十分楽しんだわ」
 私はほっと胸をなでおろし、ジョージ―とアリスに
「カクテルをご馳走しますがいかがですか?」
と声を掛けて、四人でバーに行った。

「あれっ、変なことが書いてあるわ」
とアリスがスマホを開いて言った。
「ルナー・ヘイローの乗客は横浜港で改めて全員の体温測定をして検疫をやり直すんだって」
「それは理屈に合わないな。沖縄は日本の一部だから、那覇港で日本入国時の検疫は完了したはずだよ」
と私は苛立ちを露わにした。

 三人の女性がほぼ同時に肩をすくめる仕草をした。私たちはバーに入ってドリンクを注文した。
 

 翌日は朝からある種の焦燥感が胸に付きまとっていた。ルナー・ヘイローは明朝午前六時半に横浜港に到着する予定だ。事実上、今日が豪華クルーズ船での最後の一日になる。

 夕食は早めにメイン・レストランで食べた。最後の夜はデッキで満天の星を見たいと思っていた。ところが、翌朝八時に横浜港に到着予定だったルナー・ヘイローは船足を速めて本州の沿岸を北上していた。午後七時ごろになって船内放送があり、横浜港に着岸したら横浜の検疫官が乗船して船内で検疫を実施すると知らされた。私たちはもう旅の終わりが迫っていることを肌に感じて、一抹の寂しさを覚えた。

 サン・デッキに行くとオーストラリア人、イギリス人、インド人などの馴染みの友達も最後の夜を楽しむために来ていた。左舷に流れる日本の海岸線には工場やビル群が見えて、船が既に人口密集地に差し掛かっていることを嫌が応にも実感させる。

「もうすぐ横浜に入港ですね」
と鈴木伸一氏から話しかけられた。鈴木氏は奥さんの奈緒美さんを連れて定年退職祝いの旅行に来た六十代の紳士で、ベトナムでの半日観光の際に親しくなった。
「えっ、もう伊豆半島は過ぎましたか?」
と私は日本語で聞いた。私はそんな日常会話に支障ないほどの日本語と常識を身に着けたガイジンだ。
「伊豆半島どころか、三浦半島も通り過ぎましたよ。横浜到着は明日の朝の予定だったのを、検疫にかかる時間を見越して船を高速運航させたようですね」
「へえ、それほどスピードアップできるとは優秀な船ですね。さすがメイド・イン・ジャパン!」
と私がお世辞を言うと、
「三菱重工の長崎造船所で造った船だそうです」
と鈴木氏が自慢げに答えた。

 ルナー・ヘイローは午後八時に横浜港に着岸した。気の早い船客たちは荷物をまとめようと各々の船室へと散って行った。

 早めに船内で検疫をやってくれれば明日は予想より早い時間に下船できるかもしれない。最後の夜は甲板でゆっくりしようと思った。

 鈴木氏の奥さんの奈緒美さんはスマホをチェックしていたが、固い表情になって鈴木氏と一緒に手すりの方へと歩いて行った。しばらくして鈴木夫妻が私たちの所に戻って来た。
「地方版のニュースによると、この船には新型コロナ肺炎に感染した乗客が何人か居るとのことです。私たちも感染しないように船室で過ごした方がいいかもしれません」
「香港で下船したお年寄りからウィルスをうつされた人が発症したんでしょうか……」
とユリアが不安そうに言った。
「そうかもしれませんが、他にも感染者が乗っていた可能性もあります。那覇港で熱や咳の症状が出ていた人の喉や鼻から検体を取って、その検体に新型コロナ肺炎のウィルスが確認されたということでしょうね」
「感染した人が船内を歩き回っていないでしょうか?」
とユリアらしくない神経質な表情で聞いたのが印象的だった。
「ルナー・ヘイローの船内には立派なメディカルセンターがあるし、感染が判明した人には隔離措置が取られるはずです。まあ、過度に心配する必要は無いでしょう」
 鈴木氏が言い終わらないうちに、船内放送の女性の声が甲板に流れた。明日予定されていた下船は当面見合わせるとのことで、乗客は直ちに自分の部屋に戻るようにとの指示があった。検疫官が各船室を回って検疫手続きを行うので、私たちは検疫官が来るまで部屋に待機することになる。

「下船を当面見合わせるとはどういうことなんでしょうか?」
と鈴木奈緒美が不安を口にした。
「英語では『テンポラリリー・サスペンディッド・アンティル・ファーザー・ノーティス』と言っていましたから、検疫の結果が出るまでは何とも言えませんね」
と私は解説した。
 鈴木夫妻は船室へと立ち去り、私たちも数分後には部屋に戻った。

 私は鈴木夫妻が見た地方版のニュースとやらの信ぴょう性には懐疑的だった。
 船室に帰ると下船の準備を開始し、二時間ほどかけて衣類や身の回りの物をスーツケースに収納した。
 ドアがノックされた。出てみると検疫官だった。
 彼らはまず赤外線体温計を私たちの額に向けて体温を測った。二人とも約三十六度の平熱だった。過去の病歴、服薬状況、咳や鼻水などの症状の有無などを網羅した質問票に記入し、スタンプを押してもらった。これで私たちの検疫は完了であり、「下船の見合わせ」が解除され次第、船を降りて私のアパートでの新婚生活を開始することができる。

 しかし、いつまで経っても追加の船内放送は無かった。
「こんなのイヤだね。丸一日待てば下船できると分かっていればそれまでの時間を二人で楽しめるけど、いつまで待てばいいのかが分からないというのが一番困る」
と私が不満を述べるとユリアは何も言わずに頷いた。

 そんな彼女を見ていて、大震災で肉親を失った時にはどんな気持ちだったのだろうと思って彼女を抱きしめたくなった。下船の見通しがつかないという程度のことで苛立っている自分が恥ずかしくなった。

 しかし、私は元々イライラしやすい性格であり、鷹揚になろうと思っていても態度に出てしまう。ユリアも私の気持ちを分かっていて、私の為にルナー・ヘイローに関する最新情報を入手しようと、スマホで検索し始めた。船内放送よりもインターネットのニュースサイトの方がルナー・ヘイローに関する最新情報が得られるというのは皮肉なことだが、それが実情だった。中国での感染状況や世界各国で新型コロナ肺炎がどのように受け止められているかについては英語の方が情報が豊富だが、ルナー・ヘイローの現状については英語の情報は殆ど得られなかった。
 私は日本語でかなりのレベルの会話能力がある一方、日本語を読み書きする能力は小学生並みなので、ユリアが日本語で集める情報が頼りだった。やはりネックは漢字だった。漢字は「へん」や「つくり」などの部品でできており、象形文字よりは覚えやすいが、大人になってから何百も何千もの漢字を覚えろと言われても思い通りにはいかない。

「あなた、こんな記事が見つかったわ」
と言って、ユリアはスマホの画面を私に見せた。
「ルナー・ヘイローの乗客全員が船内で十四日間待機させられることになったんだって」
 それを聞いて私は頭に血が上った。
「ナンセンスだ! フェイクニュースじゃないのか?!」
「そうよね。あまり聞いたことがないニュースサイトだから、ちょっと疑わしいわ」
「もういい。今日はもう寝よう」
 私たちは熱いシャワーを浴びてベッドに入った。

 翌朝起きても新たな船内放送は無く、「当面下船は見合わせ」という状況に変化はなかった。
 しかし、船内の雰囲気には微妙な変化が生じていた。私たちはメイン・レストランに朝食を食べに行ったが、周囲の船客が下船のめどが立たないことに苛立っているのが見て取れた。
 ユリアと私は早々にメイン・レストランを出てミュージック・ホールに行き、クラシックのピアノリサイタルのライブ(といっても録音されたものだが)を楽しんだ。
 
 二月五日の朝、ユリアとメイン・レストランで朝食のビュッフェを食べている時に船内放送があった。その女性の声が船内を揺るがせた。
「おはようございます。横浜検疫所からの要請に基づき、全てのお客様はご自分のお部屋に留まっていただきますようお願いいたします。現在パブリック・スペースにいらっしゃるお客様はお部屋にお戻りください。お食事はサンドイッチとお飲み物をお部屋にお届けします」

 船内放送は穏やかで優しい女性の声だったが毅然とした口調だった。ユリアと私は部屋に戻った。しばらくして朝食が届き、私たちはゆったりとサンドイッチとコーヒーを楽しんだ。

 時間はゆっくりと過ぎ、午後一時過ぎには昼食が届いた。その後、私たちはベッドに入って長いシエスタを楽しんだ。

 午後六時過ぎに船内放送で目が覚めた。朝食の時と同じ女性の声だった。
「検査の結果、十人の乗客の方が陽性と判明し、病院へと搬送されました。引き続き検疫を実施いたしますのでご協力のほどをお願いいたします」
「バッド・ニュースだわ……十四日間も検疫期間が続くなんて」
とユリアが不満を露わにした。

「僕は全然平気だよ」
と言ってユリアにキスした。
「というより大歓迎さ。新婚旅行が十四日間も延長になったと考えればいいよ。どこであれ、君の居る所が僕にとってのパラダイスだ」
「まあ、あなたったら!」
と言ってユリアは私に熱いキスを返した。
「あなたの言う通りだわ。どうして私はそのことに気付かなかったのかしら」
 その夜、ユリアは今までで一番情熱的で、私にとっても過去にどの女性と過ごしたよりも情熱的な夜だった。初めてユリアと出会ってからまだ一ヶ月余りしか経っていない。そのせいか、ユリアはまだ自分の身体を私に見せることに抵抗が残っていて、服を着たまま事が始まるか、電気を消して欲しいと言うのが常だった。しかしその夜、ユリアは美しい身体のすべてを私に曝け出してくれた。
 一時間余り激しく交わった後の私は息切れするほどだった。ユリアが心の中まで私に見せてくれるのも時間の問題だと思った。
 

 その時点では、船室に留まれというのは「要請」であり、確固とした規則ではなかった。感染を恐れて完全に船室に閉じこもっている人も多かったが、従来通り船内を歩き回ることは可能だったし、エンターテインメント施設も開いていた。次の日の朝食後、ユリアと私は映画館に行って、ジム・キャリーとケイト・ウィンスレット主演のエターナル・サンシャインという映画を鑑賞した。それは記憶除去手術を受けた男女を主人公として、記憶と恋愛を扱ったアメリカ映画だ。映画館には私たち二人だけしかおらず、貸し切り状態だった。私たちはまるで寒い冬の日にもつれ合う二匹の猿のようにお互いの身体をまさぐりながら映画鑑賞に没頭した。

 鈴木夫妻と七階のレストランで昼食を共にした後、長いシエスタを取って心身をリフレッシュし、午後六時に起き出してダンス・ホールに行った。カナダ人のアリスとジョージ―が私たちを見て近寄って来た。二人は私たちの頬にチュッとキスをしてダンス・ホールの真ん中に引っ張って行った。ユリアがキスをされて戸惑っている様子が見て取れたのが面白かった。ユリアは女どうしで頬にキスし合うことに抵抗があるのではなく、伝染病のために船内に隔離されている状況でキスすることを躊躇しているのだということが私には分かっていた。私たちが挨拶としてキスやハグをするのはごく当たり前であり、ビジネスの相手と握手をしないのは失礼にあたる。日本人は性交や格闘技を別にして身体を触れ合う習慣が無いので、どうしても躊躇とまどいがちになるのだ。しかし、伝染病の拡大を防止するという観点では日本人の方が有利かもしれないと思って、一人で苦笑した。

 アリスとジョージ―は私たちにベリー・ダンスの動きを教えた。ベリー・ダンスはとても簡単で、ほどなく私とユリアは優雅に腰を振れるようになった。私たちの様子を見て他の船客もベリー・ダンスに加わった。

 新型コロナ肺炎のリスクが認識されて世の中が騒いでいるのは動かしがたい現実だが、こんな状況が長く続くはずがなく、まもなく元通りの日常が戻るだろう。私たちは孤独ではない。「団結すれば栄え、分裂すれば倒れる」という諺の通りだなと実感して心を強くした。

 私の考えはその翌日には揺らぎ始めた。二月六日にオーストラリア人のリーから聞いた話によると、船が着岸している埠頭には何台もの救急車が集まり、自衛隊の車両も来て、まるでパンデミックものの映画のように完全防備した人たちが動き回っており、物々しい雰囲気になっているとのことだった。私たちの部屋は埠頭とは反対側の海に面しているのでそれまで切迫感は伝わってこなかったのだが、リーの話を聞いて背筋が凍る気持ちになった。その時初めて、自分たちがとんでもないウィルスと向き合っているということを思い知らされた。

「心配しなくても大丈夫だよ」
と私は口に出したが、それは本心ではなかった。つい数日前に私はユリアに「新型コロナ肺炎にはSARSほどの感染力は無いし致死率もずっと低い」と言ったばかりだったが間違いだった。大間違いだったと言うべきか……。私は自分の味方が甘かったことを反省した。

 船長がムードを暗くしないように気遣っていることは私も感じていた。しかし、その試みは日ごとに失敗の色を濃くしていった。次第に重苦しい空気がルナー・ヘイローに広がり、乗客と乗員の心を支配し始めた。それはまるで太陽が月に隠れて、昼間なのに闇が訪れたかのようだった。私はその時初めてルナー・ヘイローという名前の不吉さに気付いて愕然となった。ルナー・ヘイローとは傘をかぶった月の傘の部分だから、あえて日本語に直すとすれば「月影」という感じのしゃれた響きの船名だなと思っていたのだが、今思えばルナーは月で、太陽ならソーラーだ。ソーラー・ヘイローと言えばコロナそのものではないか……。私はその新発見のことは誰にも言わないでおこうと心に決めた。

 船客同士がお互いをペストのように避け始めたのはその頃だった。露骨に嫌な表情を見せるわけではなく、従来なら少なくとも握手をしていたところを、二、三メートル離れた場所から手を振るようになった。そのうちに部屋から出ること自体を本気で避け、一日中部屋で過ごすのが当たり前になった。食事は部屋に届けられるので、生きていくのに問題は無い。また、運動を欠かすと身体によくないので、一日二回、与えられた時間割に従って甲板を歩行することができた。

「団結すれば栄え、分裂すれば倒れる」という言葉に自己満足を覚えたのはつい二、三日前だった。今はそれが逆になった。「分裂すれば栄え、団結すれば倒れる」それが現状を如実に表す新しい諺になってしまった。

 つい先日までルナー・ヘイローに立ち込めていた笑い声や陽気に騒ぐ声は、恐怖に怯える不吉な沈黙に置き換わっていた。

 他の乗客と会って言葉を交わす機会は無くなったが、LINEやワッツアップを通じた暗いつぶやきが花盛りだった。LINEが東日本大震災をきっかけに誕生したことはよく知られている。電話が通じず通信手段が限られている時でも家族、恋人、親友や仲間など、親しい人同士のコミュニケーションの手段として普及したSNSだ。今私たちが置かれている状況は災害そのものであり、LINEは船外に居る家族や友人だけでなく、乗船後に知り合って友達登録し合った友人の間での便利この上ないアプリだ。しかし、便利すぎるというか、ニュースで見たり、誰かから耳にした情報を含め、信頼度の高い情報から根も葉もない噂に至るまで、あらゆる情報を気軽に流し、それを受け取った人が結果を考えもせずに拡散する。

 暇を持て余している三千人近くの抑圧された乗客が、事実、未確認情報、噂、冗談、冗談から生まれたフェイクニュースに至るまで気軽に流し合う状況が、健康的な成果を生むはずはなかった。

 例えば「感染した人の髪の毛に触るとうつるそうだ」とか「新聞紙に触れることで感染が広がる」とか「サンドイッチの包装紙が最も危険だ」と誰かが言い出すと、真偽や程度問題には無関係に、その情報がまことしやかに広がってその日のうちに「常識」になる。頻繁に手を洗い、ドアノブを消毒し、サンドイッチの包装や食器にはウィルスが付着しているものとして気をつけ、そのうちにサンドイッチの表面にもウィルスが付いていることを恐れるようになると、食事もできなくなる。当初は咳やクシャミをしている人が近くに居なければ大丈夫だと思っていたのが、あらゆる経路で感染するとなるとどうしようもない。

 ユリアと私もノイローゼ気味になってきた。室内のものにしか触れていないのにしょっちゅう石鹸で手を洗い、ユリアはLINEに、私は主にワッツアップにくぎ付けになった。

 噂はますます奇怪になり、新型コロナウィルスが靴の中で五年間は生存するという説やら、咳によって八メートル先まで飛散するという説も広がった。

 二月九日現在で救急車が二十台、自衛隊の車両が五台、その他のトラックが四台タラップの下で待機しているというニュースがSNSで流れたが、テレビにもその映像が流れていたので、それは事実だった。そんな物々しさによって私とユリアはますます不安になった。その夜、ユリアが頻繁に手を洗いに行くのが気になっていたが、十回目に洗面所に行った時に、私はつい声を荒立てた。
「やめろよ! そんなに手を洗ったら皮脂が無くなって肌がボロボロになるぞ」

「だって、奈緒美さんから今日聞いたんだけどこのウィルスは……」
とユリアが言い始めた。
「忌々しい! 奈緒美さんも、誰もかも、くそくらえだ!」
と私は一喝した。
「頭が変になったやつらが、他にすることが無くて、一日中くだらない話を流しまくる。そいつらがパニックを拡散しているんだ!」
 頭に血が上った私はユリアの手からスマホを取り上げ、LINEとワッツアップをアンインストールした。自分のスマホからもLINEとワッツアップを削除した。後でインストールし直してもLINEのトーク履歴は復元できないと知っていたが、どうでもいいと思うほど頭に来ていた。
「どうだ、これでもう大丈夫だ!」
 私は勝利に酔った。

 ユリアは真っ青な顔になり、何も言わずに洗面所の鏡の前に行って俯いた。
 ユリアの顔が次第に悲しみに打ちひしがれた表情に変化するのを見て、私は自分がしたことを後悔した。
 私は彼女のところに行って後ろから抱きしめた。ユリアは私を振り払おうと身体を動かしたが、今腕を離すと彼女が遠くに行ってしまいそうな気がして私はますます強く抱きしめた。すると、ユリアがしくしくと泣き始めた。私の仕打ちが彼女を深く傷つけたのは確かだった。

「僕の大事な奥さん、どうか許して」
と私は彼女を抱きしめたまま心から謝った。
「どうかしていたようだ。僕はとんでもないバカだ」
 ユリアの身体から急に力が抜けたので、私も背後から抱きしめる力を弱めた。
 ユリアはゆっくりと身体を回して私を見上げた。彼女は泣きながら微笑んでいた。
「いいのよ、あなたの言う通りだわ。私はLINE中毒になっていた。コロナウィルスよりも感染力が強いみたい」
 彼女は腕を私の首に回し、私は彼女のデリケートな身体を正面から抱きしめた。そのまま長い間私たちは何も言わずに抱き合っていた。私がどれほどこの女性を愛しているか、とても言葉に表すことはできない。

第三章 時空をよぎる

 さあ、ついにタイムトラベルが始まります!

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