舞台女優の秘密

 まえがき

 この小説は以下の英語小説の日本語版です。


 原題 As You Like It
 原作者 Yu Sakurazawa


英語版の原題はシェイクスピア喜劇の最高傑作のひとつとして有名な"As You Like It"(日本語名「お気に召すまま」)と同じです。

「舞台女優の秘密」の主人公は劇団員です。所属する劇団がシェイクスピア劇「お気に召すまま」を上演することになり、タッチストーンという道化の役を獲得します。

 この小説を読む際にはシェイクスピアの「お気に召すまま」のあらすじを把握しておいた方が、よりよく楽しめます。そこで、シェイクスピアの「お気に召すまま」を読んだことがない方及び読んだのに忘れてしまった方のために、要点のみご説明します。


 舞台はフレデリック公爵の宮殿(及びその周辺)とアーデンの森で、ストーリーはオーランドーという若者と前公爵の娘ロザリンドの恋物語です。

 フレデリック公爵は兄を追放して地位を奪った権力者ですが、兄の娘ロザリンドを手元に置いて、自分の娘シーリアとともに育てています。

 公爵が主催するレスリング大会でオーランドーが期待に反して優勝し、ロザリンドに出会って、二人は一目ぼれし、恋に落ちます。

 ロザリンドは公爵から追放を言い渡され、シーリアと道化のタッチストーンを伴って、追放された父が暮らすアーデンの森へと向かいます。その際、ロザリンドは男性に変装してギャニミードと名乗ります。

 オーランドーも兄のオリバーから命を狙われ、忠臣アダムを伴ってアーデンの森へと逃げます。そしてロザリンドの父である前公爵に助けられます。

 男装したロザリンドはアーデンの森でオーランドーに出会い、ギャニミードと名乗りますが、オーランドーはその男がロザリンドだとは気づきません。オーランドーは自分の恋人(ロザリンド)に愛の告白をするため、ギャニミードに恋の告白の稽古相手になってもらいます。

 オーランドーと男装したロザリンドという一見男同士の掛け合いが、このシェイクスピア喜劇の見せ場となっています。

 シェイクスピアが活躍していた当時、女性の役は全て男性が演じていました。従って、観客はロザリンドを演じているのが美少年だと意識しているのですが、そのロザリンドがわざわざ男に化けてアーデンの森に行き、恋人のオーランドーはそれに気づかず男だと思って愛の告白の練習相手になってもらうという、二重の性倒錯状況になるわけです。

 喜劇ですのでオーランドーとロザリンドは最終的に結ばれてめでたしめでたしとなります。

第一章 心と魂を捧げる人

 私が最愛の女性と出会ったのは十六歳の時だった。彼女の名前はアイリス・ファーリーといって、裕福な事業家の一人娘だった。長すぎるほどの美脚を持つ女神のような少女で、髪はブロンドだった。彼女が転校してきた日、私は一目で恋に落ち、彼女も同時に私を好きになった。アイリスと私は一緒に学び、そして愛し合った。二人で授業をさぼり、本来高校生がしてはならないことに夢中になった。性の虜となったのはある意味で自然の摂理としか言いようがないと思う。

 アイリスが私を愛したのは外観が理由とは言えない。私は華奢な身体つきであり、ニキビ面の赤毛だった。アイリスは百七十三センチの長身で私より五センチほど背が高くしっかりとした体格の女性だった。

 経済的にも私が自慢できる要素は無かった。物心ついて間もなく両親を亡くし、叔母の手によって育てられた。叔母はユーモアを解する女性で町のレストランで料理人として働いていた。

 アイリスはシープ街の豪邸に住んでおり、私は同じ地区の掘立小屋と呼ばれても仕方がないほど小さな家に住んでいた。殆どの場合、アイリスと私が愛し合うのは私の家で、叔母が留守にしている時間帯を見計らって行為に及んだ。

 私はアイリスのことばかりを考えて心を躍らせていたが、それ以外の時は自分の魂の赴くところに没頭していた。それは劇場だった。私はヒストリオニックス劇団という小さな劇団に所属していた。元々、古典劇も現代劇も扱う劇団だったが、事実上シェイクスピア劇に特化していた。

 私が住むストラットフォード・アポン・エイヴォンはシェイクスピアの故郷として世界的に有名な町だ。私は生まれて以来、シェイクスピア劇を愛し、シェイクスピアを神とあがめてきた。自分がシェイクスピアと同じ町で生を受けたことが誇りであり、物心ついてからはシェイクスピア劇を学ぶことに没頭してきたと言っても過言ではない。シェイクスピアの作品の全てを何度も何度も読み、繰り返し出てくるテーマには精通しているつもりだ。

 テーマとは、権力の探求、突然かつ不合理な恋、気まぐれ、肉体と感情の対立、現実と非現実、秩序と無秩序、罪悪と罪業を取り巻く事象である。シェイクスピア劇は欺くことにより生じる良い結果と悪い結果を暴くことがモチーフになる場合がよくある。正しい欺きは社会的な平和をもたらし、悪い欺きは人を衝突と不信へと追いやる。様々な欺きが登場人物の性格や特徴により生じる。

 理論的には誰にも負けないつもりであり、シェイクスピア劇のどの登場人物のセリフでも即座に対応する能力があると自負していたが、実際にまともな役を貰ったことはない。やはり身長が一番のネックであり、百六十八センチでは主役は取れない。私の顔は青白い細面だが、配役担当のディレクターが私を見て主役はおろか、主役の従兄や友達の役を与えようと考えたことすら一度もない。結局、私は才能があるにもかかわらず、端役さえ貰えない場合もあり、照明や音響の手伝い、または雑用係の裏方を務めるしかなかった。

 ある日、総監督のアイザック・バーロー氏が、次の上演は「お気に召すまま」になると発表したのを聞いて、私は心を躍らせた。「お気に召すまま」はシェイクスピア喜劇の中でも追放、変装、裏切り、恋愛などの要素が満載されていて、私が最も好きな作品の一つだった。私にまともな役が回ってくる可能性はないだろうが、それでもウキウキした。

 主な男性の登場人物は、主役のオーランドー、その召使のアダム、良い侯爵と悪い侯爵、道化師のタッチストーン、老いた羊飼いと若い羊飼いの七人だ。ヒストリオニックス劇団には十分な人数の有能な俳優がいるので、これまでと同様、私に役が回ってくる可能性は無いはずだった。

 ところが、人生で最大の驚きが私を待っていた。バーロー監督が甘い響きの低い声で配役を発表した際、タッチストーン役として私の名前が告げられたのだ!

 タッチストーンは宮廷付きの道化師だが、ヒロインのロザリンドが叔父の公爵に城から追放されて、従妹のシーリアとともにアーデンの森に赴く際に二人に同伴する。ロザリンドは男装をしてギャニミードと名乗るのだが、タッチストーンは二人の同伴者として露出する時間が長く、随所に気の利いたセリフがある重要な役柄だ。

 私はまるで主役を取ったかのように狂喜した。長い間刻苦勉励してきた甲斐があった。私は初めてヒストリオニックス劇団で意味のある役を貰ったのだった。

 ヒロインのロザリンドはジャニス・ホワイトが演じることになった。ジャニスは劇団ではベテラン女優の部類であり、年齢は二十代後半だ。私の個人的な意見として、ジャニスはロザリンド役としては少し年が行き過ぎていると思ったが、バーロー監督はジャニスが最適と判断した。ジャニスは表情や身体の動きに関して賞賛に値する理解力があり、どんな配役担当ディレクターでもジャニスを選択するのは当然だった。

 ロザリンドの従妹のシーリアの役はゾーイ・チェスターが取った。ゾーイは褐色の髪をした妖精のような十九歳の女性で身長は百六十三センチしかない。一言でいえば小柄で優秀な女優だが、プロ意識の希薄さのせいで、これまでに何度か良い役を取り損ねたことがある。時間には遅れるしアルコール臭をプンプンさせながら姿を現すのだから、チャンスを逃すのは致し方ない。また、ゾーイには共演者と喧嘩する傾向があるのだが、バーロー監督は今回その点を忘れていたのかもしれない。「ゾーイにとってはラッキーだった。ゾーイは今回が最後のチャンスと思って頑張るべきだ」と私は思った。

 帰宅すると、私の部屋にはアイリスが待っていた。彼女はオフショルダーのトップスにネオン・ピンクのミニスカートをはいていて、私が我慢できないほどセクシーだった。彼女のハート形の顔が私を見るとパッと輝いた。アイリスは私に駆け寄っていつものハグをした。私は彼女を抱き返した。

 彼女は梨、クリーム、その他あらゆる好ましい香りを全身に漂わせていた。アイリスは一旦私から身体を離したが、しばらくして私の顔を覗き込んだ。

「今日はすっごく輝いて見えるわ! いったい何があったの?」

「ヒストリオニックス劇団の次回の公演が『お気に召すまま』に決まったんだけど、僕がどの役を貰ったと思う? 何と、タッチスト―ンを引き当てたんだよ!」

「嘘でしょう! おめでとう、マックス!」
と言って彼女は再び私をハグした。彼女の身体全体から喜びが溢れ出ていた。

 私の愛する人がこんなに喜んでくれている。私の身体はいつになく興奮して、コチコチになった。アイリスはそれに気づいて私をベッドへと引っ張って行った。アイリスはシーツの中でも言葉と身体で私に祝福を与え続けた。それは私にとって最高の形の祝福だった。半時間ほど元気に祝福してくれた後、アイリスは家に帰り、私は自分の宿題に取り掛かった。

第二章 セレンディピティ

 初めて自慢できる役を貰ったのだから完璧に演じられるように練習しなければならない。全てのセリフを暗記するのは勿論だが、内面まで演じることが大切だ。タッチストーンを演じる自分から湧き上がる感情を観衆の前で表現する必要がある。タッチストーンはユーモア溢れる道化師だから、私が特にウィットに富んでいる時の状態をイメージすることで、タッチストーンになりきることができるのではないかと思った。

 並行してシェイクスピアの原作を繰り返し読み、頭の中で何度も分析することによって登場人物のキャラクターをより深く把握し、劇の中での行動、その目的、決断の裏にある心理的な背景の理解に努めた。キャラクター分析の結果をメモにして、劇中での感情の推移の鍵となるセリフはどれなのかを探した。その結果、各登場人物の動きの背景にある動機は何だろうかと自問自答することになり、本当に役になりきって演じられるようになったと思う。

 何故タッチストーンは宮廷道化師の立場にありながら、城を去ってロザリンドとシーリアとともにアーデンの森に行くというリスクを冒したのか? 

 何故シーリアは安全で快適な城での暮らしを捨てて、従姉のロザリンドについて行くという冒険を選んだのか? 父親の公爵の怒りを買うことを恐れなかったのか? 

 ロザリンドは自分がオーランドーと恋に落ちたと気付いた時、どう考え、どう感じたのか? その点に関しては私も共感できる。私が初めてアイリスを見た時と同じだからだ。あの時に感じた胸の疼きは今も忘れない。背筋に熱いものが走り、彼女の青い瞳がしょっちゅう頭に浮かんで、他のことには神経を集中できなくなった。初めてアイリスから話しかけられた時には身体中がメロメロに溶けた。私はあれからずっとアイリスに夢中であり、ロザリンドのオーランドーに対する感情は、既に体験済みだと言える。

 学校から帰るとタッチストーンだけではなく、ロザリンドやシーリアを含む全登場人物のセリフを練習した。叔母が私の演技を見ていて、
「演技だとは思えないほど自然だったわ」
と褒めてくれた。

 ある日、劇団の練習が終わった後、第一幕第二場のロザリンド、シーリアが話をしている所にタッチストーンが迎えに来るシーンを私一人で練習した。私がロザリンドとシーリアを含めた三人分の一人芝居をしているのを、忘れ物を取りに帰って来たバーロー監督に見られてしまった。よりによって女性の役を演じている所を監督に見られた私は恥ずかしくて赤面したが、バーロー監督は暖かい目で私を見て言った。

「マックス、今まで気づかなかったが、君はどんな役でも演じられるんだな。生まれつきの才能だ。君のような役者はうちの劇団にとって貴重な財産だ」

 私は以前からバーロー監督を心から尊敬していたので、そのような賛辞を貰って天にも昇る気持ちだった。

 その日の夕方、叔母が帰宅する前に遊びに来たアイリスは私を一目見ていつもとは違うということに気付いたようだった。

「マックスはメソッド演技の天才だわ。ヒース・レジャー並みね」

 アイリスは私の褒め方を心得ている。メソッド演技とは俳優が自分の感情や経験を生かして役になりきる演技法のことであり、まさに私が目指しているものだ。ただ、ブロークバック・マウンテンにも主演した名優ヒース・レジャーに例えるのはどう考えても行きすぎだ。しかし、アイリスの言葉が私を有頂天にして、その日は普段に増して激しい愛の交換をしたのだった。

 

 よく晴れた、芸術日和の朝だった。公演まで後四日を残すのみとなり、赤毛に眼鏡をかけた総責任者のジョージ・テイラー氏がバーロー監督と共に来て、全員が衣装を着けての舞台リハーサルが実施された。

 宮廷道化師タッチストーンを演じる私の衣装はかなり手が込んだものだ。爪先から頭のてっぺんまでレースで覆われていると言っても過言ではない。クリーム色の上着をボタンで留めて、茶色の膝丈のズボンとレースの靴を履いている。そして、道化がかぶる小さなビロード性の帽子を頭に載せている。

 他の俳優や女優はエリザベス朝時代の重々しい衣装を身に着けて窮屈で着心地が悪いと感じているかもしれないが、私は違う。私は身も心も宮廷道化師タッチストーンに成りきっており、衣装はそんな私にピタリだった。

 リハーサルが開始されたが、バーロー監督と制作責任者のテイラー氏はイライラしているようだった。リハーサルを開始して三時間が経過し、もうすぐ正午になろうと言うのに、ロザリンド役のジャニスの到着が遅れていたからだ。ロザリンドが登場しないシーンを先行してリハーサルを進めたのだが、もう限界だった。

 テイラー氏がピリピリしながら腕時計を見た時、栗毛の若い女性が劇場に駆け込んで来た。どこかジャニスと似た所のある女性だった。彼女は長距離を走って来たかのように息を切らせていたが、私たちを見回して質問した。

「アイザック・バーローさんはいらっしゃいませんか?」

「私ですが」
とバーロー監督が歩み出た。

「私はジャニスの妹でイザベルと申します。姉がここに来る道で交通事故にあって、病院に運ばれました。命に別状はありませんが腕と足を骨折してしまいました。姉は大事な役を頂いたのに直前にこんなことになってしまったことを非常に悔やんでおります。電話で申し上げるのは忍びないとのことで、私が代わりにご報告に参りました」

「交通事故なら致し方ありません。ロザリンドの代役は何とかするので、お大事にとお伝えください」
 バーロー監督は頭を抱えながらも、常識人として言うべきことを言って、イザベルを帰らせた。

 テイラー氏の目はパニックになっている。バーロー監督はテイラー氏をなだめる視線を投げかけてから、困惑した表情で私たちを見回した。

「慌てることは無い。こんな時のために代役を決めてあるんだから。ケイト、ロザリンドのセリフは覚えて来たな? 君がロザリンドの役だ。チャンスを生かして頑張ってみろ」

「はい、やらせてください!」

 つなぎ姿で雑用をしていた長身の若い女性が目を輝かせて歩み出た。俳優たちの表情に戸惑いと不安の色が芽生えた。ジャニスに比べると顔立ちに難はあるが、メイクによってある程度カバーできるかもしれないと私は思った。それに、登場人物の中身をどこまで表現できるかという演技能力の方が、女優の外観よりも大切だ。

 時間を無駄にしないため、とりあえずケイトは衣装を着けないまま第一幕第二場のリハーサルを開始した。しかし、監督は第二場の半分でリハーサルを打ち切った。

 ケイトの演技は外観以上にひどいものだった。声はガチガチに緊張しているし、動きはセリフ以上にぎこちなかった。基本的に自意識過剰で、視線を自分の足元に向ける頻度が極端に多い。仮に小学生が見ても、ケイトがロザリンド固有の魅力やウィットや優雅さのほんの一部でさえも表現できていないのが明白だった。外観が劣るのは仕方がないにしても、ケイトが「お気に召すまま」というシェイクスピアの傑作の本質を理解できていないということを、その場にいた大半の人が実感したようだった。もしケイトにロザリンドを演じさせたら今回の公演は悲惨なものになるだろう。

 テイラー氏の表情は更に険しくなり、ただでさえ毛が薄い頭から毛を引き抜かんばかりの様子だった。

 バーロー監督も苦虫を噛み潰したような表情だったが、私に目を留めると何かをふと思いついたかのように表情をやわらげた。

「マックス、ちょっとロザリンドのパートをやってみてくれないか」

「えっ、僕がロザリンドのセリフを言うんですか?!」

 私は面食らった。先日、ロザリンドとシーリアのセリフを含めて一人芝居形式での練習をしている所を監督に見られたが、二十人もの人たちの前で女性のセリフを言うことには大きな抵抗があった。しかし、監督は伊達や酔狂でそんなことを言ってはいない。この雰囲気で監督の指示に従わないことはあり得なかった。

 私は舞台の中央に歩み出て大きく深呼吸した。目を閉じてロザリンドに感情転移し、ロザリンドとして考え、感じ、演技しようと全神経を集中した。一分もしないうちに私は自然にロザリンドの気持になって話し、感じ、表情を示すことができる状態になった。

 私はエピローグをって見せることにした。身体を動かさない語りだけの部分であり、衣装にかかわらず、役者がこの劇とロザリンドの本質を理解できているかどうか、見る人が見れば分かる一節だと思ったからだ。

「女にエピローグを言わせるのは流行りませんが、男がプロローグを言うのと比べれば少しはマシかもしれません。良いワインに飾りは不要ということなら、良い劇にエピローグは必要ありません。でも、良いワインは飾り立てるものですから、良い劇も良いエピローグの助けがあればより良くなるでしょう……
 もしも私が女でしたら、私ごのみのお髭の方、私ごのみのお顔の方、息が臭くない方の全員にキスをします。ですので、いいお髭、いいお顔、甘い息の皆様は、私がお別れのお辞儀をいたしましたら、この気持ちをお汲み取りいただき、拍手で送ってくださいますように」

 このセリフを言い終えた時、私は割れるような拍手を聞いて我に返った。周囲を見回すと、晴れ晴れとした多くの顔が感心した表情で私を見ていた。テイラー氏は宝くじでも引き当てたような顔をしていて、バーロー監督はまるでカナリアを飲み込んだばかりのネコのように満足げだった。

「素晴らしい! 実に驚くべき大発見だ!」
とテイラー氏がまだ拍手を続けながら言った。
「正直な所ジャニスよりも上だった。監督が君に目を付けたのはラッキーだったとしかいいようがない」

「実は以前彼がロザリンドとシーリアのパートも合わせて一人で練習しているのを見かけたことがあって、その時、彼ならロザリンド役を演じさせても及第点を付けられると思ったんですよ」
とバーロー監督が言った。

「『及第点が付く』ではマックスの才能を形容するには不十分だ。私にとってはまるで魔法のようだった。そうだ、まさに魔法だ!」

 テイラー氏の言葉を聞いて共演者たちが再び私に向かって拍手をした。私は紅潮を禁じえなかった。単に演技を褒められたのではなく、主演女優のパートを本人よりも完璧に演じたと言って褒められるとは……。そんな状況は想像したこともなかっただけに、恥ずかしい限りだった。

 その時、思いもしなかった発言がテイラー氏からあった。

「マックス、今回の『お気に召すまま』では君にロザリンドをやってもらうことにする」

「え、えーっ! 僕、男ですよ!」

「そんなことは分かっている」

 自分の耳が信じられなかった。テイラー氏は私に主演女優の代わりをやれと命じている。私はロザリンドのセリフを上手に言えたかもしれないが、チンチンの付いた身体で、ロザリンドという気品があって女らしい女性を演じろと言うのは無茶だ。しかも、公衆の面前で女装をするとは……。

「待ってください。タッチストーンはどうするんですか?」
と私は精一杯の反論をした。

 バーロー監督の頭の中には既にその答えが用意されていた。
「タッチストーンはオスカーにやってもらう」

 オスカー・ナッシュは二十九歳の俳優で、ヒストリオニックス劇団で何度か重要な役を演じた実績がある。オスカーは快活で恐ろしいほどユーモアがある、型に嵌まらない魅力を持った青年だ。舞台経験も豊富でどんな役でもこなせるタイプの役者だ。保険会社で働きながら劇団員を続けていると聞いたことがある。

 オスカーがタッチストーンを演じることについて私に異議があるはずがない。元々私ではなくオスカーが指名される方が自然な役だと思ったので、その旨を監督に告げた。

 しかし、自分が女性の役を演じなければならないという重圧から、まだ抜けきれなかった。バーロー監督が私の狼狽に気付いて言った。

「マックス、心配するな。よく考えてみろ。ロザリンドが女性の衣装で登場するのは第一幕以外は最終部分だけだ。大半は男性の衣服を着てギャニミードと名乗っているんだから、そんなに気にすることはないよ。女役を演じると思わずに、気軽にやればいいんだ」

「まあ、そう言われればそうかもしれませんけど……」

「さあ、もう半日が過ぎてしまった。公演まで三日半しかないんだぞ。公演前日はセッティングで大忙しだから、実質三日しかない。とにかく君は気持ちを切り替えて、ロザリンドの役を必死で練習してくれ。今回の公演がうまく行くかどうかは、ひとえにロザリンドの演技にかかっているということを忘れるな。いいな?」

「は、はい。僕、一生懸命頑張ってみます」

 本当に思いがけない展開だった。こういうことをセレンディピティと呼ぶのだろう。タッチストーンの役を貰って練習を重ねていたら、別の役が転がり込んできた。それが主演女優の代役だったというだけのことだ。


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