フェイク女子高生
【内容紹介】男子が女子高生の制服を着させられるTS小説。高校生の修平はSNSにフェイク動画を流されてクラスから総スカンを食らう。ホームルームで潔白を訴えてその場は収まったが、悪意の偽ツイートによって親が学校に呼び出される事態に。修平は転校を余儀なくされる。第一章 クッキーが招いた厄災
僕は大企業に勤める父と専業主婦の母との間に生まれ、何不自由なく育った。小学校では秀才と呼ばれ、中学に上がってからも成績は中の上だった。男子中学だったが仲の良い友達も何人か居て、毎日学校に行くのが楽しかったという記憶がある。
親が期待したトップクラスの高校には届かず、その下のクラスの私立高校に合格した。
同じ高校に進学した友人は学年全体で五人しかいなかったが、僕は世渡りが下手な方ではなく、いじめを避けるコツも分かっていたので、適当に友達を作ってそこそこ快適な高校生活を送っていた。
高校二年の夏休み明けの火曜日、同じクラスの男子二人からディズニーランドに行こうと誘われた。山上と北浦は二年から同じクラスになり、一学期は時々話をする程度の仲だった。山上は何となく粗暴なイメージが付きまとう苦手なタイプだったが、誘われて断るのはまずいという気がしたので、誘いに乗ることにした。日曜日の午前七時に駅に集合することになった。
大事なことを忘れていたことに気付いたのは翌日の水曜日だった。一年から同じクラスだった水原早希から「日曜日は十二時に来てね」と言われて、日曜日が早希の誕生日だったことを思い出した。早希は親友というほどではないがずっと仲良くしていて、早希の自宅での誕生会に出席することを夏休み前に約束していたのだ。
山上にディズニーランド行きを断るのにちょうどいい理由ができたと思った。
「山上君、非常に申し訳ないんだけど、日曜日に先約があったのを忘れていたんだ。だからディズニーランドには行けなくなった」
「昨日は気乗りしなさそうな様子だったから、一瞬本当に来るのかなと不安を感じたのが、その通りになった。嫌ならその場で断るべきだろう」
「誤解だ。嫌なんかじゃないよ。実は夏休み前に水原早希の誕生日に行く約束をしていたのに、この日曜日が誕生日だと言うことを忘れていたんだ」
「中条と男どうしの約束をしたのが間違っていた。どうせ中条の中身は女子だから、女子との友達付き合いの方が大事なんだろう」
「そんなんじゃないって。きっとこの埋め合わせはするから勘弁してくれよ」
当時の僕はごく普通の男子であり、将来自分がスカートをはいて生活する日が来るとは夢にも思っていなかった。
「ふんっ」と言って山上は私に背を向けた。後味が悪かったが、一応それで片付いたと思っていた。
日曜日に早希の家に行った時に、山上とのダブルブッキングの失敗談をして『どうせ中条の中身は女子だから』とイヤミを言われたという話をした。
僕以外に加里奈、沙也加と奈菜の三人が誕生会に来ていたが、早希と顔を見合わせて心配そうな表情で口々に「大丈夫かなあ」と言ったので僕は不安になった。
「それって本当に軽いイヤミなの? 男子の感覚はよく分からないけど、もし私が女子から『どうせあんたの中身は男よ』と言われたら、軽いイヤミだとはとても思えないわよ」
と早希が言った。
「山上君は腕力も強そうだし、にらまれたらまずいんじゃない? 改めて謝罪をするとか、何か手を打っておいた方がいいわよ」
と加里奈。
「あっ、そうだ。このクッキーを持って行けばいいわ。ママが沢山焼いてくれたから、包んであげる。これをお土産に差し出して謝れば山上君も気を許すんじゃないかな」
早希は棚に置いてあったピンク色の缶を持ってきて、中のキャンディーをお皿に出し、その可愛い缶にクッキーを詰め、赤いリボンを結んでくれた。
「本当に良いの? この缶、僕が自分で取っておきたいほど可愛いんだけど」
「ちゃんと山上君にあげなきゃダメよ。言っとくけど、私からもらったクッキーを中条君が山上君にあげるのであって、絶対に私から山上君へのプレゼントだと誤解されないように気を付けてね」
「それはさすがにまずいよね!」
と僕が言うと四人の女子は声を合わせて笑った。山上は自分が女にモテるタイプだと思い込んでいるが、少なくともこの四人に好かれていないのは確かだ。僕は密かな優越感を覚えた。
***
月曜日の昼休みに山上と北浦が廊下を歩いているのを見つけて追いついた。
「昨日は山上君たちに迷惑をかけて本当に悪かった。これ、早希の家でもらってきたクッキーなんだけど、お詫びに受け取ってくれる?」
僕は山上にキャンディーの缶を差し出した。北浦が不愉快そうな顔になったので自分が軽視されたと感じたのではないだろうかと心配になった。北浦はスマホをポケットから取り出して何故か僕に向けてシャッターを切った。
山上は僕からクッキーの缶を受け取り、赤いリボンを解きながら低い声で独り言のようにつぶやいた。。
「そうか。水原さんの家に来ていた女子たちに、俺から何と言われたかをしゃべったんだな」
山上が何を言っているのか理解できないまま、山上がクッキーを食べるのをぽかんと口を開けて待っていた。山上はクッキーを一枚口に入れてから、二枚のクッキーを右手の中で握りつぶした。
「えっ? そんなに力を入れたら粉々になっちゃうよ」
僕が言い終わらないうちに、山上は右手を僕の頭の上に持って来て粉々に割れたクッキーを髪の毛に振りかけた。
「どうして……」
「このクッキー、うまいな。中条からのプレゼントとしてもらっておくよ」
と山上が言って二人は立ち去った。
僕はショックで呆然となったが、廊下の端に先生の姿が目に入ったので、トイレに駆けて行った。トイレの手洗い場で髪の毛からクッキーの粉を払い落として教室に戻った。
***
五時限目の後の休み時間にトイレの手前で早希と加里奈に出会った。
「中条君、山上君にクッキーを渡した?」
「うん、昼休みに渡したよ。その場で食べて、美味しいと言ってた」
クッキーの粉を頭に振りかけられたことは言わなかった。誰に聞かれるか分からないし、早希に無用な心配をかけたくなかったからだ。
「許してもらえてよかったわね」
「うん、ありがとう。早希のお陰だよ」
山上と北浦が心から許してくれたとは思えなかったが、一応この件は片がついたつもりだった。
***
異変に気付いたのは水曜日の昼休みだった。僕は普段、笹岡、水谷、永井と四人で弁当を食べているのだが、僕がいつもの席に座ろうとすると笹岡に言われた。
「あ、その席、ふさがってるから」
「えっ? 誰かここに来るの?」
「まあな。他の場所で食べてくれ」
僕は水谷と永井に救いを求める視線を送ったが、無視された。何が起きたのか分からなかった。笹岡に嫌われるようなことをした記憶はなかった。いや、もし気づかないうちに笹岡を怒らせたとしても、水谷と永井が同調して僕を排斥するとは思えない。
合点がいかないまま自分の席に戻って一人で弁当を食べた。一人で弁当を食べるのは久しぶりだった。周囲を見渡すとガリ勉で有名な西岡が教科書を読みながら弁当を食べているのと、友達が居なさそうな女子が二人自分の席で弁当を隠すようにうつむいているのが見えた。
食べ終えてトイレに行くときに笹岡たちが見えたが、僕のいつもの席は空席のままだった。やはり僕は仲間外れにされたようだ。
その日、六時限目が終わって下校する時に、クラスの他の男子が僕を見る目がよそよそしいことに気付いた。視線が合うと逸らされるし、話しかけようとして近づくと逃げられた。
笹岡たちから排斥されたのと同じ理由なのかもしれないが、全く心当たりはないし、何が起きたのか全く分からなかった。これはイジメなのだろうか? 僕自身がイジメにあったことは一度も無いので、本当にイジメなのかどうか判断できなかった。
敵意を招いたとしたら山上と北浦だけしか考えられない。クッキーを渡して謝っただけでは許してもらえなかったのだろうか。しかし、山上と北浦が他の男子に働きかけて僕をイジメるように仕向けたとは思えない。僕は愛想がよくて誰にでも柔らかな態度で接しているつもりだし、少なくとも山上や北浦よりは人気も信用もあるはずなのに……。
それが一過性の現象であることを祈りながら帰宅した。
***
木曜日の朝、教室に入ると、全員から露骨な嫌悪の視線を浴びた。昨日は僕が視線を向けると目を背けられたが、今日は露骨な嫌悪の目を向けられて僕が視線を逸らすしかなくなった。僕に対する本格的なイジメが始まったことを否応なく認識させられた。
イジメを受ける側がどれほど無力なのかを思い知った。一時限目の後でトイレで水谷と永井に遭遇した時、二人は汚いものを見るような目で僕を見て接触を避けようとした。
「水谷君、永井君、教えてくれない? 僕が何か気に入らないことをしたかな?」
二人は「キモッ」と言って僕から視線を逸らして小走りにトイレから出て行った。
昼休みになると、僕の居場所はなくなった。昨日までは嫌悪の視線は男子に限られていたが、今日は女子も僕の方を見て小声で悪口を言っているように感じられた。一人で弁当を食べてから、早希と加里奈が他の二人の女子と一緒に弁当を食べているところに行って、早希に
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
と声をかけた。
早希は周囲の女子の視線を気にしながらバツが悪そうな表情で言った。
「今は忙しいからまた後で」
早希の表情に、僕に対する嫌悪感は感じられなかった。他の女子の手前、今は言えないが、イジメの理由は早希から聞き出せそうだ。
授業が終わると、早希はちらちらと僕の方を見ながら教室を出て行った。僕は少し遅れて学校を出て、早希を追いかけた。校門を出てしばらく歩いたところで早希を追い越し、次の角を曲がった奥まった木陰に入った。
予想通り早希が僕の後を追って木陰に来た。
「来てくれてありがとう。何があったのか教えてくれない?」
早希はスマホを操作して僕に渡した。
「これよ、見て」
それはSNSにアップロードされた動画で、僕がクッキーが入ったピンクの缶を笹岡に差し出すところが映っていた。笹岡が赤いリボンを解いて缶のふたを開け、クッキーを一枚取り出して口に入れる。更に二枚を取り出して右手で握りつぶしている。僕はポカンと口を開けて笹岡を見上げ「えっ? 力を入れたら粉々になっちゃうよ」と力のない声で言う。山上が右手を僕の頭の上に持って行ってクッキーの粉を髪の上に落とす。「どうして?」悲しそうな表情で僕が言うと山上が「このクッキー、うまいな。中条からのプレゼントとしてもらっておくよ」と言ったところで動画は終わっていた。あの時、北浦が撮った動画だ。
「中条君、山上君に何と言ってクッキーを渡したの?」
「迷惑をかけて悪かったと謝って、早希の家でもらってきたクッキーをお詫びに受け取ってほしいと言って渡したよ。日曜日に言われた通り、早希さんから山上君へのプレゼントだと誤解されないように注意したつもりだったんだけど……」
「動画のメッセージ欄にはそんな風には書いてないわよ。読んで」
「A君が廊下を歩いていると、突然N君が現れてリボンを付けたピンクの缶を差し出した。
『A君、スキです。僕と付き合ってください!』
A君は返事代わりにクッキーを握りつぶしてF君の頭に振りかけた。
ああ、美しい青春!」
「バカバカしいパロディーだ。まさか、早希まで本気にしてるんじゃないよね?!」
「私と加里奈、沙也加、奈菜はクッキーの事情を知ってるから、こんなの嘘だと思いたいわよ。でも、この動画を見ると、中条君が山上君に告ったように見えるのよね……。勿論、私は本気にしてないわよ」
「他の女子三人も同じだろう? あのクッキーは僕が山上君たちに謝るために持たせてくれたってことを四人が皆に言ってくれたら、誤解が解けるのに!」
「実は沙也加と奈菜が動画を見た時に近くに北浦君が居たから、クッキーはディズニーに行けなかったお詫びとして中条君が私の家から持ち帰ったものだから告白に使うはずがないと言ったのよ。そうしたら北浦君から『いい加減なことを言いふらしたら、お前たちのどちらかが中条に頼んで山上に渡したことになるかもしれないぞ』みたいなことを言われて脅されたの。だから二人ともビビってる」
「じゃあ加里奈は?」
「加里奈は中条君が以前から山上君を好きだったかもしれないと思ってるみたい。中条君は身体も性格も女子っぽいから山上君みたいな男子に憧れていたんだろうなって」
「そんなバカな……早希、助けて!」
「私は明日から機会があるたびに『中条君が山上君たちにディズニーの約束をすっぽかしたお詫びを言う時に渡すプレゼントとして誕生会のクッキーを缶に入れて持って帰らせた』とクラスの人に言ってあげる。北浦君は怖いけど、それは約束する。でもね、私がそう言えば中条君がクッキーをどこから手に入れたかは証明できるけど、中条君が山上君に告らなかったという証拠にはならないわよ。その点は中条君が山上君や北浦君と話をつけるしかないと思う」
「僕は男だよ。それに、どうしてよりによって山上君に告らなきゃならないって言うんだよ……。でも、早希を責めても仕方ないよね。分かった。僕、あの二人ときっちり対決する。決闘をして死んでも仕方ない。ホモだと思われてシカトされる生活を送るぐらいなら死んだ方がマシだから」
「頑張って……」
「悪いけど、その動画のリンクを送ってくれる?」
「それはできない。中条君にリンクを送りそうなのは私ぐらいだと思われているから。自分で探して。じゃあ私、帰る」
早希は小走りで立ち去った。
僕と一緒にいたことを知られると早希に迷惑がかかるかもしれないと思って、わざと遠回りして家に帰った。
頭の中で明日山上や北浦に詰め寄るシーンを思い浮かべた。彼らは明らかな悪意を持って攻撃を仕掛けて来たのだから、今までのように低姿勢で接しても埒は空かない。毅然として二人に挑まねば、と思った。
家に帰るとスマホで北浦が投稿した動画を探した。北浦という投稿者名、山上、中条、告る、などのキーワードで検索したが動画は見つからなかった。SNSに如何に多くの動画が投稿されているかを実感して気が遠くなる思いだった。早希は誰かから動画のリンクを受け取るか、特別なハッシュタグを教わるかしてあの動画を開くことができたのだ。一人でやみくもに探しても到達できるはずがない。しかし、あの動画の内容は僕の頭の中にきっちりと収められている。
夕食は好物の豚カツだったが、胸につかえて喉を通らなかった。母は僕がお代わりを欲しがることを見越して準備してくれていたようだったが、僕は何とか自分のものを食べ終えるのに必死だった。
両親に胸の内をぶちまけて相談したいという衝動に駆られたが思いとどまった。ホモなどという不名誉な言いがかりをつけられたことを家族に知られたくなかったし、もし話し始めたら家族の前で大泣きしてしまうことが目に見えていたからだ。明日、山上たちと対決して自分で決着をつけようと心に決めた。
第二章 対決
金曜日の朝、早めに登校して待っていたら山上が来た。既に十人ほどが教室に居たが、僕は人の目も構わずに山上に詰め寄った。
「山上君、汚いじゃないか!」
「えっ、何のこと?」
「あんな動画を流しておいて、しらばっくれるつもりか?」
「動画? ああ、中条が俺に告る動画のことか。まったく、あの動画には迷惑してるよ。普段から俺が男から告られるようなそぶりを見せているのかと疑われかねないからな」
「山上君は動画に関与していないと言い張るのか?」
「自分が出ている動画にどうやって関与できるんだ?」
「そりゃあ、北浦君と申し合わせて、僕に仕返しをしたんだろう」
「ディズニーランドに一緒に行くと言う約束をした後で、女子と別の約束があったからと言ってキャンセルされただけで、俺が手の込んだ仕返しをするはずがないよ。男子にそういう発想が湧くこと自体が信じられない」
「あくまでしらを切るつもりなんだな」
「しつこいな。俺も被害者なんだから」
「山上君と話をしても埒が明かない。北浦君に抗議するしかない」
「中条、人に疑いをかけておいて謝罪もしないのか? お前それでも男か?」
居直られて僕は怯んだ。
「で、でも……あの動画のお陰で僕は皆からシカトされてるんだぞ。誰が投稿したかは別にして、僕が山上君に告ったなんてことはちゃんと否定してくれないと、山上君も同罪じゃないか!」
「お前みたいな最低のヤツを助けるために、告られたんじゃないと口裏合わせはしたくないよ」
「口裏合わせ? 僕が山上君に告ったとでもいいたいのか?!」
「もういいよ。俺は全部忘れたから。中条とこれ以上議論するつもりはない」
僕は頭に血が上って真っ赤になったが、それ以上何も言えなかった。その時には既にクラスの半数が教室に居て、全員が僕たちの会話を聞いていた。せせら笑うような表情が目に入って僕は俯いた。山上の方が何枚も上手だった。僕たちの会話を聞いた人は、山上の方が被害者だと思ったかもしれない。僕が山上に告ったかのような印象を残して逃げられてしまった……。
敗北感に打ちのめされて座っていた。授業を受けていても全く耳に入らなかった。
***
四時限目の授業が終わると僕はまっすぐに北浦の席まで歩いて行った。
「北浦君、動画の件で話がある。どういうつもりなのか、はっきりさせてくれ!」
「ああ、山上から聞いたよ。俺たちが中条を陥れようとしていると言いがかりをつけられたと言っていた」
「とにかくあの動画をすぐに削除してくれ」
「あの動画って、どの動画? 俺は友達のスマホでちらっと見ただけだから、詳しくは覚えていないんだけど」
「あの時に撮った動画を自分で投稿しておきながら何を言うんだ?!」
「妙な言いがかりはやめてくれ。俺がいつ動画を撮ったんだ?」
「僕が山上君にクッキーの缶を渡した時に、僕にスマホを向けていたじゃないか」
「あの時、LINEの着信があったからスマホを開いたけど、ビデオを映したりはしてないよ。誰か他の人が陰から映したんじゃないの?」
「そ、そんなはずがないよ。あの角度で撮影できたのは北浦君だけだ」
「勝手に犯人だと決めつけるのはやめてくれ。その動画を見せて見ろ」
「いや、僕も人のスマホで見たから……」
「えーっ! ちらっと動画を見ただけで俺を犯人だと決めつけるのか?」
「いや、でも……」
「失礼にもほどがあるぞ。謝れ!」
僕は周囲の人たちに
「皆、見たよね!? スマホを開いてあの動画を見せてくれ、頼むから」
と訴えたが、視線を逸らされて、全員から無視された。
「けど、あれは確かに北浦君が……。北浦君が投稿したのではないということなら、頼むから皆の前で証言してくれ。あの時僕がディズニーに行けなかったことのお詫びのしるしとしてクッキーを渡したということを」
「作り話はいい加減にしろ。山上にクッキーを差し出して告ったくせに」
「この、嘘つき!」
「クラスの皆に聞いてみろ。嘘つきは中条の方だと全員が分かってるよ、アハハハ」
汚い! 北浦にもはぐらかされてしまった。周囲に居た友達も動画を見ているはずなのに誰も協力してくれなかった。四面楚歌とはこんな状況のことを言うのだと思い知った。山上の時もそうだったが、僕の発言は何もかも裏目に出てしまった気がした。
どうすれば解決できるのか分からない。このままじっと耐えていればそのうちに誰か別の人がイジメのターゲットになり、僕への風当たりも段々弱まってくるかもしれない。でもいつまで我慢すればいいのだろうか? 一週間や二週間で済むとは思えない。最悪、一年半後の卒業まで続くかもしれない。
***
先生に相談に行こうかとも思ったが、それよりもクラス全員の良識に訴える方がいいのではないかという気がした。今日は金曜日だからホームルームがある。HRで「僕はイジメにあっています」と訴えれば、きっと一部始終を釈明する機会が与えられるだろう。僕の話を聞いたうえであの動画を見れば、山上と北浦の共謀だということは先生にも、クラスの友達にも分かってもらえるはずだ。
そのためにはあの動画のリンクが必要だ。HRで僕が「全員が動画を見ているはずです」と言っても、山上、北浦のグループから敵視されることを恐れて、全員が知らないフリをする可能性は十分にある。もしそうなったら僕の発言は根拠が無くなり、先生からも信用を失って、二度と取り合ってもらえなくなるかもしれない。
僕はHRの前の休み時間に廊下で早希をつかまえた。
「今日のHRでシカトされていることを訴えるから早希にも協力して欲しい」
「協力と言われても……。先生から質問されたら、私はありのままを答えるけど……」
「それで十分だ。ありがとう。もうひとつ頼みがある。あの動画を先生にも見せないと説得力がないから、リンクかハッシュタグを教えて欲しい。いや、教えてくれなくても、僕のスマホに表示してくれないか」
僕のスマホを開いて差し出したが、早希は受け取らなかった。
「それが、もう見られなくなってるの。昼休みにお弁当を食べ始めた時には見られたんだけど、お弁当を食べ終わった後で見ようとしたら、表示されなくなっていた。加里奈と沙也加と奈菜のスマホでも見られなかった。昼休みのうちに削除されちゃったみたい」
あの動画が削除されてよかったと一瞬ほっとしたが、クラス全員の記憶から削除されたわけではない。むしろ、不鮮明な形で、僕が山上に告ったという印象だけが皆の頭の中に残る結果になるだろう。それよりも深刻なのは僕が誰に訴えるにしても根拠となる証拠がなくなってしまったということだった。
HRで訴えれば先生はまずその動画を見せろと要求する。僕は「ある人のスマホで見たが既に削除されたようだ」としか言えない。先生が「他に見た人は?」と聞いて、何人が名乗り出るだろうか? 早希が手を挙げてくれるかどうかも確信がない。HRで訴えても僕はピエロにしかなれない可能性が高い。
それでもHRの後で先生に再度食い下がって助けを求めたら、先生は山上や北浦を職員室に呼んで問いただしてくれるかもしれない。山上や北浦は「たしかにそんな動画は見たが内容はよく覚えていないし自分たちは動画の投稿に関与していない」としらばっくれるに違いない……。
僕は泣き寝入りするしかないのだろうか?
そしてHRが始まった。僕は悶々として俯いていたが、ふと顔を上げて教室の入り口に近い席に座っている北浦を見た所、北浦が僕をあざけり笑う表情が目に入った。僕は頭に血が上って立ち上がった。
「先生、僕はイジメにあっています。助けてください!」
教室全体がざわついて、北浦の表情から笑みが消えた。
「どういうことだ? 話してみろ」
「先週の火曜日に山上君と北浦君から『日曜日にディズニーランドに行こう』と誘われてOKしました。水曜日になって、日曜日は水原さんの誕生会に行く約束をしていたことを思い出したので、山上君にディズニーランドには行けなくなったと断りました。その時、きついイヤミを言われました。日曜日に水原さんの家でそのことを話したら、山上君たちにはもう一度ちゃんと謝罪すべきだと言われて、お母さんが焼いたクッキーを小さな缶に入れて持たせてくれました。月曜日に廊下で山上君にもう一度謝って、お詫びのしるしだと言ってクッキーの缶を渡しました。山上君は一口食べて、別のクッキーを握りつぶして僕の髪の毛に振りかけました。その時、北浦君が僕にスマホを向けていました」
「クッキーを頭からかけられたことがイジメだというわけだな」
「いえ、違うんです。イジメが始まったのは水曜日からです。クラスの皆が僕を遠ざけようとするので、変だなと思って仲のいい友達に相談したら、僕が山上君にクッキーの缶を差し出して、山上君が粉を僕の頭に振りかける動画がSNSで流れていました。その動画にはコメントがついていて、僕が山上君に好きです、付き合ってくださいと告白して、山上君が返事代わりにクッキーを頭に振りかけたと書いてあったんです」
「フェイク動画か。というか、動画は本物でも、別の解説を加えると別の意味の動画になったというわけだな」
「ええ、そういうのをまさにフェイク動画と言うんじゃないでしょうか。とにかく、僕が男を好きだと思わせる動画になっていました。その動画はクラス全員が見たようで、僕は全員からシカトされるようになってしまいました」
「おい、北浦。お前がフェイク動画を流したのか?」
「中条が山上にお辞儀しながらクッキーを差し出すところをビデオに撮ってその場でSNSに流したのは事実です。まるで告って断られたようなシーンだったので笑えると思って投稿しただけです。その動画を誰かがコメントをつけていたずらで流したんじゃないですか? 俺はそのコメント付きの動画というのは見たことがないので中条が何を怒っているのかよく分かりませんけど」
「お前が流した動画を見せてみろ」
「翌日に誰かが動画のことを話しているのが耳に入ったので、紛らわしい動画を流したままにするのは良くないと思って投稿を削除しました。元の動画自体もスマホから削除したので、もう見られません」
北浦は言い逃れの天才だ。犯罪者としての将来が約束されているような人間だと思った。
「そうか、消したのか。中条、コメント付きのフェイク動画を見せてくれ」
「いえ、僕は友達のスマホで見せてもらっただけで、僕のスマホには映らないんです」
「その友達とは誰なんだ?」
「それは言いたくありません。僕に協力したら、その人もイジメの対象になるかもしれないので」
「じゃあ、誰でもいいからそのフェイク動画を見せてくれ」
と生徒たちを見回したが誰も反応しなかった。
「実は、そのフェイク動画も今日の昼休みのうちに削除されちゃったみたいなんです」
と僕が解説を加えた。
「皆に聞く。フェイク動画を見た人は手を挙げてくれ」
手を挙げたのは早希を含む四、五人だけだった。僕は早希の勇気に感謝した。
先生が早希の方を向いて質問した。
「水原さん、どんな内容の動画だったか、覚えている範囲で教えてくれ」
「中条君と北浦君が言ったとおりの内容でした。中条君が山上君に好きですと告白してクッキーの缶を渡して、山上君が返事代わりにクッキーの粉を頭に振りかけたという動画でした」
「水原さんもその動画を見て中条が山上に告白して断られたと受け取ったのか?」
「いいえ。私は中条君が山上君に謝るためにクッキーを渡すはずだったと知っていましたから作り話だと思いましたが、もしそのことを知らない人が見たら告白して断られたと思ったはずです」
「分かった。じゃあ中条に聞く。中条は山上に恋心を抱いていて付き合って欲しいのか?」
先生の言葉にクラス全体がどっと沸いた。緊張を解くための冗談とは分かっていたが、僕はデリカシーを欠く冗談に腹が立った。
「とんでもない! 山上なんて大嫌いです」
「告って断られたから嫌いになったんじゃないんだろうな?」
再び笑いが起きた。
「僕は男です。僕が好きなのは女子だけです」
「それなら問題ないじゃないか。皆の中に中条が好きなのは本当は男子だと思っている人は居るか?」
先生が見回した。
「はいっ」
と山中瑞穂が手を挙げたので僕の顔が引きつった。
「この状況で中条君に聞いても、実は自分が好きなのは男子ですとは答えられないはずです。というより、私は中条君が男子を好きでもいいと思います。中条君が自分を男と認識するか女と認識するか、男が好きか、女が好きかということは、中条君の自由であって、他人がとやかく言うべきではないのではないでしょうか」
今そんなことはどうでもいい、と怒鳴りたい気持ちだった。僕はイジメの被害を訴えているのであって、山上や北浦が話をはぐらかす助けになることは言わないで欲しかった。
「セクシュアルマイノリティーの保護ということか、山中さんの言う通りだ。とにかく、中条の問題は片付いたと考えてよさそうだな。北浦の動画にいたずらのコメントをつけて拡散したのがこのクラスの人間ではないことを祈るが、仮に今申し出ても、中条は笑って許すんじゃないかな。どうだ、中条?」
「は、はい……」
「よし。それでは一件落着だ」
HRは紛糾することなく終わった。いや、山上と北浦の悪意はほぼ完全に否定されて、アノニマスな第三者が軽いいたずらとしてコメント付きでリツイートしたものと片付けられた。クラス全員が僕をシカトして、早希までが僕を避けざるを得ない状況に追いやられたというイジメの本質には一切踏み込まずに一件落着にされてしまったのだった。
ただ、僕がホモでないということは全員の共通認識になったし、山上と北浦が表立って僕に危害を及ぼしにくい状況になったのも確かだ。だから僕が排斥される理由はなくなったと考えてよいのではないだろうか。
来週の月曜日には何事も無かったかのように皆と仲良くできればいいのだが……。心の中にもやもやは残っていたが、僕はHRで立ち上がることができた自分を褒めたい気分で下校した。
第三章 高度な偽装
月曜日の朝、僕は笑顔を作って教室に入り、大きな声で「おはよう!」と皆に呼び掛けた。
誰からも返事が無かった。僕と目が合うと逸らす人も居るし、バカにした視線で睨み返す人も居た。こんなはずではなかった……。金曜日のHRで問題は解決したはずだったのに、僕以外の人はそう思わなかったのだろうか?
呆然として席に着いた。僕よりも後に入って来た友達に「おはよう」と声を掛けるが、露骨にイヤな顔をされた。思い余って僕は早希の席まで歩いて行った。
「おはよう、早希。金曜日のHRで一件落着したよね? それなのに金曜日より酷くなった感じがするんだ。金曜日にはシカトだったのが、今日は露骨な敵意が感じられる」
「気安く下の名前で呼ばないで。あっちに行ってよ、キモイんだから!」
「えっ、どういうこと?! 早希がHRで勇気を出して発言してくれたから皆の誤解が解けたんじゃないか」
「私が大事にしていたピンクの缶をあげたのに、それをホモの告白に使った上に、私まで猿芝居に巻き込むなんて見下げ果てたやつだわ。ニューハーフだかオカマだか知らないけど、二度と私に近づかないで!」
「誤解だよ! どうしてそんな話になっちゃうの?」
訳が分からず、うろたえるばかりだった。一番信頼していた早希から無視されたのがショックだった。クッキーを「ホモの告白に使った」と言われたということは、一転してあの動画がフェイクでは無いと考えているということだ。早希は週末に山上と北浦に呼び出されて言いくるめられたのだろうか? しかし、山上と北浦が週末のうちにクラス全員の洗脳工作をするのは時間的に不可能なはずだ。
一時限目が終わると、僕は北浦の席に詰めかけた。
「北浦君、何をしたんだ? HRで片付いたはずだったのに、どうして蒸し返したりするんだよ?!」
「俺が何をしたっていうの? 中条が自分で墓穴を掘ったんじゃないか」
「墓穴を掘るって、なんのこと?」
「さあ、知らねえよ」
「頼むから教えてくれよ」
「触るな! キモイんだよ」
北浦は何かを知っている。でも、北浦から何も聞き出せないことは分かっていた。僕は北浦の周囲の男子に片っ端から
「どうして僕を避けるの?」
と聞いて回ったが、返ってきたのは
「キモイ、あっちに行け」
という反応だけだった。
こうなったら担任の先生に事情の変化を報告して助けを求めるしか方法は無いと思った。
二時限目が始まったが、何も頭に入らなかった。
――そうだ、山中瑞穂なら教えてくれるかもしれない。
僕は山中の席まで歩いて行った。
「山中さん、金曜日のHRでセクシュアルマイノリティーを擁護する発言をしていたよね。実は僕、今朝みんなからキモイと言われたり、ホモみたいなことも言われたんだけど、全く心当たりが無いんだ。山中さんは僕について何か新たな情報を聞いたりした?」
「私は中条君のセクシュアリティーについてとやかく言いたくないし、カミングアウトするならサポートしてもいいけど、犯罪者の味方はできないわ。十六歳で売春するのは犯罪よ」
「ば、ば、ば、ば、売春?! 僕が売春したと言うの? そんな嘘を誰が言ったんだよ!」
「しらばっくれても無駄よ」
と言って山中瑞穂はスマホでツイッターを開いてキーワードをいくつか入力し、僕にスマホを差し出した。
それはユメポンというアカウントで、僕の顔写真が載っていた。よく見ると写真の僕は化粧をしていた。写真の下のプロフィール欄には驚くべきことが書いてあった。
「制服やメイド服等の可愛い服を着て男の人に尽くすのが大好きな男の娘です。リアルな出会いをお待ちしてまぁーす!」
ツイートを上から見ていって僕は背筋が凍るのを感じた。僕の鮮明な画像が何十枚も投稿されていたが、うちの高校の女子の制服を着ている写真が沢山あり、フリルだらけのドレスを着て大人の男と腕を組んでいる写真や、髭面の男とキスをしている写真もあった。次の写真を見て僕は卒倒しそうになった。それは僕が男の股の間のものを口にくわえている写真だった。モザイクがかかっているが、明らかに僕だと分かった。
「よくできてる。僕の顔を切り抜いて女の子の写真に貼りつけたフェイク画像だ」
「これだけの証拠を突き付けられてまだしらばっくれるなんて男らしくないわ。てか、男じゃないけど。とにかく、一枚一枚を拡大して見たけどカットアンドペーストした形跡は無かったわよ」
「これは高度な画像加工技術だ。プロの仕業としか言いようがない……」
「とにかく、売春なんてしていると学校に居られなくなるわよ」
僕はプロフィール欄のIDを読んで自分のスマホにそのページを表示させた。これで告白動画のように無かったことにされる心配はない。いや、きっと山上と北浦はクラス全員が見たのを確認してからこのアカウントを削除するつもりに違いない。三時限目が始まると僕は先生に分からないようにユメポンのページのスクリーンショットを撮った。上から順にスクロールしながら何十枚ものスクショを撮った。これでもう無かったことにはできない。
しかし、スクロールしながら怖くなった。僕が見ても自分自身が女装しているように見えるのだから、クラスの皆もここに写っているのが僕だと思っているに違いない。早希は僕が山上に告ったと思い込んでいる。クラス全員が僕の本性が男が好きで女装をして売春をする人間だと信じている。僕が口でどんなに否定しても、覆すのは困難だ。偽アカウントを作り、フェイク画像を投稿した犯人が捕まらない限り、僕の名誉は復活できない。そして、山上と北浦は捕まらないための手を打つことができるタイプの悪人だ。
僕はもうクラスの友達の目を見る勇気は無かった。気が付くと僕は立ち上がっていた。
「先生、気分が悪いので保健室に行ってもいいですか?」
多分、誰が見ても保健室に行くのが当然だと思うような顔色をしていたはずだ。
「一人で行けますか?」
教科書をしまって、バッグを持って教室を出た。保健室で十分ほど横になってから気分が悪いので家に帰りたいと言うと、先生が母に電話をしてから下校を許された。
精も根も尽き果てた。
家に帰ると母が心配して待っていたが、痛くも苦しくも無いがとにかく一人になりたいと言うと何も言わずに部屋に行かせてくれた。しばらくして、母はケーキと牛乳を乗せたお盆を持ってきて机の上に置いて出て行った。少なくとも母だけは僕の味方でいてくれる。そう思うと涙が出て来た。
山上と北浦が憎い。二人が共謀をしているという確信があった。でも、彼らに対する憎しみよりも、クラス全員から売春女装子とレッテルを貼られたことから来る絶望感の方がはるかに強かった。今頃は他のクラスの友達にも知られているだろう。いや、他の学年の生徒にも中条修平イコール売春女装子という確かな記憶があの画像とともに植え付けられたに違いない。もしツイッターのリンクが中学の友達にも流れたら……。インパクトがある話題だから流れないことを期待する方が無理というものだ。僕はもう外を出歩くことはできない。一生家に居るか、それとも名前を変えて札幌とか福岡に転校でもするしかない……。
夕食の時、父は普段より優しかった。父も母も僕の早引けのことは話題に出さなかった。二人の思いやりがありがたかった。でも、両親は僕が一晩寝たら元気を取り戻して学校に行くと思っている。それが無理だということを説明するだけの勇気と気力は今の僕には残っていない。
続きを読みたい方はこちらをクリック!