阿波の踊り子(新入社員編):男子総合職はOL?(TS小説の表紙画像)

阿波の踊り子
 新入社員編
男子総合職はOL?

【内容紹介】男性サラリーマンが一般職OLとして仕事をさせられる女性上位なTS小説。入社式に臨んだ鈴之助は微妙な違和感を覚える。就職した会社がユートピアでは無いと気づくが、新しい環境に慣れその魅力に気づく。それまでの価値観が根底から揺さぶられ、恋に翻弄される主人公を襲う疾風怒濤。

第一章 社会人になる日

 あっという間に卒業式の日が来た。真凛が僕の姿を見て近寄ってきた。

「色々あったけど、板東君と離れ離れになるのは寂しいわ。お互い、社会人になったら頑張ろうね」

「うん、頑張ろうね。深津さんだったらどんな会社に行ってもきっと成功するよ。僕も、小さい会社だけど能力を発揮できるように頑張るつもりだから」

「社名を教えてくれないの?」

「次に会った時には教えるよ」

「じゃあ私もそうする」

 最後に握手をして別れた。真凛にちゃんと別れの挨拶が出来たことで、心の隅にくすぶっていたもやもやが晴れた気がした。

 アパートを引き払って一旦鳴門の実家に帰り、三月三十一日の午後の飛行機で東京に飛んだ。羽田空港からモノレールと山手線を乗り継ぎ、秋葉原で総武線に乗り換えた。錦糸町駅で下車し、かつ丼を食べてからスマホの地図を頼りに独身寮まで歩いた。

 管理人さんに「新入社員の板東鈴之助と申します」と言うと二階の部屋まで案内してくれた。六畳よりは小さい、細長い部屋だがベッド、勉強机と冷蔵庫が設置されていた。

 ジャージーに着替えてから明日着て行く背広とカッターシャツをハンガーにかけた。カバンの中から入寮案内書を取り出し、風呂の位置を確認して一階の奥にある風呂に行った。

 先輩と思われる人が風呂に浸かっていたので
「新入社員の板東鈴之助です。よろしくおねがいします」
と挨拶をしたところ。
「鈴ちゃんか。僕は純だよ。よろしくね」
と堅苦しさが皆無の挨拶が返ってきた。

 

 四月一日の朝、黒のスーツ、白のカッターシャツ、紺の斜め縞のネクタイに黒のロングノーズの革靴というビジネスマンスタイルで独身寮を出た。社会人としての前途洋々たる未来を祝福してくれているかのような気持ちの良い朝だった。桜の花びらが舞う亀戸天神の横を通って天神川沿いの道を南下し、橋を越えて次の信号を左折すると錦糸公園の一角が見えてくる。公園の手前の道路を右折して数十メートル歩いたところにある大きな建物に僕の新しい職場がある。

 玄関の自動ドアを入ると受付があり、黒いスーツにネクタイの若い男性が座っていた。

「おはようございます。今日入社する板東と申します」
とその男性に会釈をして言った。

 その男性は立ち上がりさわやかな微笑を浮かべて
「いらっしゃいませ」
と会釈をしてくれた。すらりとして、ジャニーズ系の顔をした見るからにイケメンの男性だった。

 新入社員にいらっしゃいませと挨拶をする会社なんて聞いたことがない。受付を派遣でまかなう場合は当然女性を起用するはずだ。株式会社IWは全員が総合職だからこの男性は先輩社員ということになる。

「入社式はこの上の階の会議室ですので、エレベーターをご利用ください」

「承知しました。あのう、先輩の方ですよね。よろしくお願いいたします」
ともう一度会釈すると、優しそうな笑顔で「こちらこそ」と答えてくれた。

 なんていい会社なんだろう、と感動しながらエレベーターに乗り、一つ上の階で降りると「株式会社IW入社式会場」と書いて右方向の矢印を記した標識があった。矢印の方向に廊下を進むと、一番奥の右側の部屋に「株式会社IW入社式会場」と表示されていた。

 ドアを開けて中に入ると、そこはがらんとした部屋で、右奥にある演台に向かってパイプ椅子が二十基ほど並んでいた。演台から見て左側に長テーブルが置かれており、女性が一人座って受付をしていた。

 受付で「おはよう、板東さん」と声を掛けられた。就活の時にメールでお世話になった人事部の杉村瑞穂さんに違いないとピンときた。

「これが板東さんのバッジとIDカードよ。バッジは社内では常に胸に着用。IDカードが無いと部屋に入れないし社食も利用できないわよ」

「杉村さんはバッジをつけてらっしゃらないんですね」

「入社三ヶ月以上の総合職社員はバッジはつけなくてもいいのよ。その代りIDカードは名前が書かれた面を前にして首から吊るすというのが建前だけど」
と杉村は裏返しになっていたIDカードを反転して僕に見せた。

「ええと、男の子の席は一番手前の列よ。あそこに座って待っていなさい」

 僕は背広の胸ポケットにバッジをつけ、IDカードを首から吊るして、杉村に示された席に座った。長テーブルに近い列に既に男性が二名座っており、僕は最後尾に座った。一列三人の椅子が五列あるから新入社員は全部で十五名のようだ。そのうち男性がたった三名とはまるでハーレムのような環境だ。S重工を蹴ってIWにしたのは正解だった。

 僕が座ったのは八時四十五分で、空席はあと五席ほどだった。僕の後に二人の女性が受付を済ませて、残り三席になったが、次に受付をしていた背の高い女性が杉村に「深津真凛です」という声が聞こえた。

 まさか……。

 バッジを胸に留めながら僕の左横の席に座った女性は紛れもなく真凛だった。

「深津さん、どうしてここに?!」

「えーーっ!!」
 真凛は僕に指をさして素っ頓狂な声を上げた。

「板東君こそどうしてここに居るの? S重工を蹴って東京の会社にしたと聞いたけど、IWだったの? まさか、私を追いかけて……」

「そんなわけねえだろう」

「じゃあ、偶然同じ会社に入ったってこと? それも男子総合職として……。でも、どうして選りによってIWに入ったのよ? 心境の変化ってこと? いくらなんでも極端すぎない?」

「放っといてくれよ。僕は僕の考えがあってIWに決めたんだ」

「分かってると思うけど、ここは女性が能力を存分に発揮するための会社なのよ。あ、わかった。亜美に捨てられて私が慰めた時に女性の職場環境について私に暴言を吐いたことを反省して、罪滅ぼしにIWの男子総合職を選んだのね」

「あの時の僕は振られてボロボロになっていたんだから、いつまでも根に持たないでくれよ」

「まあ、反省してるみたいだから許してあげてもいいけど」

「でも、あの時に深津さんから慰められたという記憶は全くないんだけどなあ……」

 その時「皆さん静粛に」という杉村の声が聞こえた。真凛との話に夢中になっていたので気づかなかったが、壇上には社長が立っていた。

「新入社員の皆さん、株式会社IWへようこそ! 今日から皆さんは共通の目的に向かって進む仲間です。私が今日改めて胸を張って言えることは皆さんに実力を発揮できる環境を提供するということです。私は二十年前に大学を出て大企業に総合職として入社しましたが、当時は女性の役割や行動について今では考えられないような偏見がまかり通っており、日常的にセクハラを受け、悔しい思いをしました。当時、女性が力を発揮するためには様々な苦労を乗り越える必要があったのです。皆さんは女性であることで一切の不利益を受けない環境で働くことができます。裏を返せば、皆さんは言い訳ができない立場にあるということです」

 ここまで一気にしゃべると社長はペットボトルのふたを開けて水を飲んだ。熱気を帯びた口調で身が引き締まる思いはしたが、新入社員十五人のうち三人が男性であることを無視しているようなスピーチだった。左隣の真凛の横顔を見ると、真剣そのものだった。

「三日間の入社前研修で語り尽くしたことでもあり、これ以上は申し上げませんが、各々配属された職場で思う存分に力を発揮してくれるよう心から期待します」

 三日間の入社前研修とは初耳だったので冷や汗が出た。杉村からそんな連絡は届かなかった。メールが迷惑フォルダーに振り分けられたのではないだろうか? 無届けで入社前研修をすっぽかしたら採用を取り消されても文句は言えない。でも、それならさっき杉村から何か言われたはずだが……。

「今から辞令を手渡します。名前を呼ばれたら前に出てください。まず大島由美子」

「はいっ」
と奥の列の女性が立ち上がり、社長の前に進み出た。

「総合職、大島由美子、経営企画部勤務を命ず」

 大島は両手で辞令を受け取り、一礼をして席に戻った。

 真凛は十人目に呼ばれた。

「総合職、深津真凛、開発部第三課勤務を命ず」

「ありがとうございます」
と言って辞令を受け取り、意気揚々とした面持ちで席に戻った。真凛の満足げな様子から推察すると開発部第三課は真凛にとって意中の部署だったのだろう。

 十二番目に「開発部第二課、佐野佳代子」と呼ばれた。この女性が真凛と同じ部に配属されるのだなと思って観察したが、眼鏡をかけた四角い顔の女性だった。それにしても辞令を渡す順番まで完全にレディーファーストというのは少しこだわりすぎで、男子としてはないがしろにされた気分だ。

「次は男子総合職に辞令を渡します。男子三名はそこに整列してください」

 男子だけは三人まとめて扱われるのか! 少し気分を害したが、前の二人の後について演台の前まで歩いて行った。

 僕が最初に名前を呼ばれた。
「男子総合職、板東鈴之助さんは開発部第三課ね」

 女性を呼ぶ時とは打って変わった穏やかな口調で社長が言って、優しく微笑みながら辞令を手渡してくれた。真凛と同じ開発部第三課に配属された喜びもあって、僕は笑顔を禁じえなかった。

「男子総合職、有吉友也さんも開発部だけど第一課よ」

「最後になってごめんね。男子総合職、三好健吾さんは人事部ね」

 有吉も三好も身長は百七十二、三センチで、今朝受付で見た男性と同じくジャニーズ系のスリムなイケメン男子だった。

 僕は優しく扱われて居心地がよかったが、女性のための職場環境を何度も標ぼうしておきながら、男子三名だけを猫なで声で特別扱いするのは一貫性に欠けるのではないかという気もした。そう言えば男子三名に辞令を渡すときに「男子総合職」とわざわざ言ったのも不自然に感じた。

 入社式は早々と解散になり、僕は真凛と並んでエレベーターへと歩いた。グレーのパンツスーツにハイヒール姿の真凛はハッとするほど恰好良かった。ただ、身長差が強調されるようで並んで歩きたくない気もした。

「その服、すごく似合っててカッコいいよ」
 僕が真凛にわざわざお世辞を言ったのは、これから同じ課で働くにあたって機嫌を取っておきたかったからだ。

「板東君もとても可愛いわ。ただ、ロングノーズの靴をはいてるとチビが強調されるわよ」

「放っといてくれよ」

 チビと言われて気分を害したが、真凛の言う通りロングノーズの靴は流行らなくなったし、元々背の高い人向きのデザインだからできるだけ早く買い替えようと思った。

「そうそう、社長が三日間の入社前研修と言ってたけど、いつあったの?」

「先週よ。会社の歴史、業務内容、過去三期の決算詳細、組織構造、現在および将来の問題点に到るまで叩き込まれて、鬼のような研修だったわ」

「僕、連絡がこなかったから研修を受けていないんだ。会社について何も知らずに今日から働かなきゃならない……」

「入社前研修は総合職だけが対象だったから心配しなくていいわよ」

「えっ、僕も総合職だけど」

「総合職と男子総合職は職種が違うわ」

「そんなこと聞いてないけど」

「ホームページを見て応募したんでしょう? 男子総合職の募集は別枠だし、募集要項も総合職とは全然違うわよ」

「そういえば、総合職の募集は終了しましたと書いてあったのに、男子だけは若干名の枠が残っているみたいだったから、ラッキーと思って応募したんだった」

「ほらごらんなさい。でも、今まで気づかないなんて板東君らしいわね。面白すぎるわ。アハハハ」

「総合職の新入社員は十二人全員女子だけど、ウェブサイトに女子限定の募集とは書いてなかったよ」

「表向きには性別による差別はできないわよ。実際は過去五年に採用した総合職は全員女性よ」

「じゃあ、男子総合職は全員が男性ってこと?」

「それ、バカな質問だと思わない?」

「あ、ほんとだ……」

「創業当初の経理部長は男性だったけど、今から五年前にその経理部長がセクハラで退職したそうよ」

「どうしてわざわざ男子総合職なんて別の名前を付けるんだろうか? 男女平等を売り物にしている会社なのに区分を設けること自体が会社の基本精神と矛盾してるよね。研修の時に総合職と男子総合職の違いについて何か聞かなかった?」

「さあね」

「深津さんも知らないの?」

「勿論知ってるわよ。今更そんなことを私に聞くこと自体が間違ってるわ」

「ふん、ケチなんだから!」

「会社の基本精神ってどこで聞いたの? 別の会社のホームページか何かで見たのを板東君が勝手に思い込んだんだわ」

「女性が働きやすいことを売り物にしていた会社は僕が調べた中ではここだけだったと思うけどなあ……」

「この会社の社名は株式会社IWなのよ。板東君の英語は小学生レベルなの?」

「ひどいことを言うなあ! 社長が綿貫伊織だから頭文字でIWという社名にしたということぐらい知ってるよ」

「バーカ!」

 どうして深津がバカにしたような言い方をするのだろうかと考えているうちに開発部と書かれたドアの前に来た。同じ開発部に配属になった佐野佳代子と有吉友也が僕たちを待っていた。

「まず四人揃って部長に挨拶に行くべきよね」
と佐野が言って、真凛と友也と僕は佐野について行った。

第二章 入社して分かったこと

 大部屋には向かい合ったデスクが三列並んでいる。総勢二十人ほどが机に向かっていて、そのうちの何人かが僕たちの方に視線を向ける。大半が女性で、男性は三人しかいないようだ。友也と僕を加えると男性は五人ということになるが、それでも合コンに例えれば三対一の超モテモテ状態になりそうだ。

 部屋の最奥に窓をバックにした大きなデスクがある。どう見ても部長の席のはずだが、座っているのが若い女性に見えたので、部の女の子が冗談で座っているのかと思った。席に近づくと彼女が思ったほど若くはなくて、多分三十代後半から四十代前半のようだと分かった。

「入社式が終わったのね」
と言いながら彼女は立ち上がって手を打ち鳴らした。

「皆さーん、注目してください」

 部員たちが立ち上がって部長の方を向いた。二十代から三十代前半の人が大半だった。

「今日から開発部のメンバーになる新入社員を紹介します」

 部長はまず真凛を右手で示した。
「深津真凛さん、十五秒で自己紹介して」

「はい、深津真凛と申します。京都市で生まれ育ち京都大学工学部を卒業しました。よろしくお願いします」

「次は佐野佳代子さん」

「はい、東京大学理学部卒、佐野佳代子、富山県出身です」

「深津君と佐野君とは先週の入社前研修で一緒に飲む機会があったけど、君たちの考えには新鮮さを感じたわ。またゆっくり話を聞かせてください」

「はい、部長」
と真凛と佐野が胸を張って声を合わせた。

「男の子は板東鈴之助すずのすけさんと有吉友也さんの二人です」

 まず僕が手で示されたので、咳払いをしてから張り切って自己紹介した。

「板東鈴之助と申します。よろしくお願いします。僕の出身は……」
と言いかけると部長に手で制止された。

「男の子は名前だけでいいのよ。すずちゃんは百六十三センチぐらいかな」

 板東君ではなく鈴ちゃんと女の子のように呼ばれた上に、初対面の女性たちの前で身長をズバリと言い当てられたので、耳の付け根まで真っ赤になった。

「えっ、どうして……」

「小柄だけどバランスのいい七・五頭身という前評判だったけど、大正解だったわ」

 部員たちからのニヤニヤした視線に晒されて、僕はどう反応していいのかわからなかった。

「はい、次は友ちゃん」

「有吉友也と申します。よろしくお願いいたします」
と友也は言ってお辞儀をした。

「友ちゃんも写真で見た以上のルックスだわ。皆さん、今年入社した男子総合職三人のうち二名も開発部に来たんだから頑張ってね。早い者勝ちよ。以上!」

 部長が席に座り、部員たちも机に向かって仕事に戻った。

 何が起きたのか自分でもよくわからなかった。出身大学さえ言わせてもらえなかったどころか、「鈴ちゃん」と紹介されたことがショックだった。女性が大切にされていることは入社式で聞いて分かっていたが、僕たち二人はまるで売り物のように「早い者勝ち」とまで言われた。部長は真凛と佐野を敬意が感じられる言葉で扱っていたのに、格差がひどすぎる。

 僕は誰よりも真凛に対して恥ずかしかった。同じ大学を出て同時に入社したのに一段下の人間のように扱われたことが辛かった。「総合職」の前に「男子」という二文字が付くだけで、これほど扱いが違うとは……。僕は劣等感に打ちのめされた。

 ナニクソ、仕事で見返してやろう! ふんどしを締め直す気持ちで奮い立った。

 深津が部長席から見て右手にある壁際の島へと歩いて行ったので僕もついていった。

「殿村課長、今日からお世話になります」

「深津君の席はここよ。意気込みは研修会でたっぷり聞かせてもらったから、元気に頑張って。当分は松岡君の下でのOJTになるけど、仕事の詳細はこれから課内会議で説明する」

 課長が左手で示した松岡は、真凛が「よろしくお願いします」とお辞儀すると「ああ、よろしく」とぶっきらぼうに答えた。厳しそうな感じの人だ。

「鈴ちゃん、独身寮の具合はどう?」

「あ、はい。狭いですけど便利で快適です」

「新ちゃんに教わって、早く仕事に慣れてね」
と言って殿村課長は椅子に座ったまま励ますように僕の腕をポンポンと優しく叩いた。

「はい、頑張ります」
と元気に返事をして、課長から一番遠い席に座っている男性の方に歩いて行った。新ちゃんと呼ぶからには男性だろうと思ったからだ。男性の前の席は空席だったので、そこに座った。真凛の席の右隣りだ。

「板東鈴之助です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、小島新哉です」
と微笑んでくれた。僕の指導員が感じのよさそうな人だったのでほっとした。真凛は厳しそうな指導員の下につくことになって運が悪いなと思った。

「何をさせていただければよろしいでしょうか?」

「鈴ちゃん、敬語が二重になってるよ。男子総合職どうしは年上でもタメ口でいいんだよ」

「えーっ、まさか。ずっと上の方にタメ口だなんて……」

「ずっと上とはひどい言い方だな。五歳しか違わないんだけど。まあ、五歳の差は大きいけどね……」

「えーと、小島さんと呼んだ方がいいですよね?」

「総合職じゃないのに苗字で呼ばれたら気持ち悪いよ」

「じゃあ新哉さん」

「やめてくれよ。みんなから新ちゃんと呼ばれてるから鈴ちゃんもそうして」

「いいんですか? じゃあそうしますけど……」

 その時、課長から「新ちゃん」と声がかかり、新哉は課長の席まで歩いて行った。課長に「これ、課内会議の追加資料だから六セットコピーして」と言われて新哉がコピー機の方に歩いて行ったので僕も立ち上がって新哉の後を追った。

「コピー機の使い方は知ってる?」

「ええ、コンビニで時々コピーすることがありますし、入っていた合唱団で楽譜をコピーすることもありましたから」

「十ページぐらいの資料を六セットコピーするから、まず資料をめくって表裏と向きが正しいかを一枚一枚チェックしてからここに下を向けて差し込むんだ。そしてこのソート・ボタンを押して、さらにこのボタンでホッチキスを選択してから、赤いボタンを押す」

「うわぁ、すごいスピードですね! コンビニだと一枚一枚を六部ずつコピーしてから手でそろえなきゃならないのに、これだとラクチンですね」

「先月新しいコピー機に替えたばかりだからね。そのうち古くなると紙詰まりが起きたりして四苦八苦することもあるから、その時はここに書いてある電話番号に連絡すればコピー機の会社のサービスの人が来て直してくれるよ」

 見ている間にホッチキスで綴じられた資料が六セット出来上がった。新哉はそれを持って課長に渡しに行き、僕も新哉の二歩後ろに続いた。

 課長は「ありがとう」と資料を受け取り、課の全員を見渡して
「課内会議を始めるわよ」
と言って立ち上がった。

 課員は立ち上がり、第三課のキャビネットの裏側にある会議室に向かった。僕は深津の後に続いて会議室に入り、深津の横の席に座った。新哉がまだ来ていなかったのでトイレにでも寄ったのだろうかと思ってキョロキョロしていたところ、
「板東君は来なくてもいいんじゃないかな」
と真凛に言われた。

「え、どういうこと?」
と聞くと真凛はバツが悪そうに頭をかいた。その時向かいの席の松尾が僕に言った。

「課内会議は総合職の会議だから鈴ちゃんは特に呼ばれない限り出なくていいのよ」

「え、そうなんですか……」

 第三課の課内会議なのに真凛は出られて僕は出られないと分かってショックだった。僕は泣きたい気持ちで立ち上がり、会議室を出た。

 席に戻ると新哉がニヤニヤとした表情で僕を迎えた。

「まさか、課内会議に出ようとしたんじゃないよね?」

「総合職だけだと言われました……」

「アハハハ、泣きべそかいてる。男子総合職は上司との面談以外は会議に出ることはまずないよ。ええと、今日の課内会議は九十分の予定だから、会議開始三十分後にお茶を出すのを忘れないで」

「え、僕たちがお茶を持っていくんですか?」

「そりゃそうさ。それが男子総合職の仕事だもの」

「えーっ、マジですか?! さっきコピーも頼まれましたよね。コピーとお茶以外にも雑用をさせられるんですか?」

「コピーやお茶出しは雑用じゃないよ。総合職の人たちが気持ちよく仕事に取り組めるように身の回りのお世話をするのが僕たちの仕事だから」

「そんなこと、募集要項にも書いてなかったし、採用面談でも言われませんでしたよ。それでは男子総合職じゃなくて一般職じゃないですか!」

「普通の企業の一般職は総合職に近い内勤業務まで幅広く担当している場合が多いみたいだね。うちの男子総合職は難しいことはさせられないから他社の一般職よりずっと暇だし楽なんだ」

「存在価値が殆どないみたいに聞こえますけど」

「とんでもない。総合職の人たちに細かい気配りをして少しでも気持ちよく仕事をしてもらうことによって会社に貢献するんだよ。最初は戸惑うかもしれないけど、段々わかってくるよ」

「こんなはずじゃなかった」と大声で叫びたかった。

 僕は人事部の杉村のところに行って詰め寄ろうかと思った。僕が人より優れているのは頭脳だ。小さい時からずっとそうだった。賢いし、勉強が良くできるから、常に褒められて育った。京大に進んで、僕と同じように賢い人たちと一緒に学び、議論をして、見識を高めた。卒業したら世界をよりよくするために、人類に貢献できる仕事をしたいと思っていた。それなのに、入社してみたら、コピーとお茶出しと気配りが仕事だと言われるとは……。

 しかし、僕が男子総合職という職種に応募して採用されたのは厳然たる事実のようであり、現時点で苦情を申し立てても相手にしてもらえるとは思えない。転職する以外に解決策がないのは明らかだ。今日辞めることが転職先を探す上で来月辞めるより有利になるとは思えない。第一、会社を辞めたら独身寮に居られなくなって、鳴門に帰るしかなくなる。東京で働きながら転職のチャンスを探す方が賢明だという結論に達した。

「さあ、お茶を出しに行こうか」
と新哉に言われてついて行った。

「この棚の左半分が第三課のスペースだよ。この黒いキャッツのマグカップが殿村課長、右の花柄のが松岡さん、紺とブルーのツートンカラーのが古屋さん、これが川田さん、渡辺さんのだ。性格と合ってるから覚えやすいよ」

「子ネコのデザインの小さいコップが新ちゃんのですね?」

「うん、そうだけど、男子総合職が自分用にお茶を入れることは滅多に無いよ。鈴ちゃんは自分のを買ってきてもいいけど、もしよかったら今週は我慢して来週から僕のを使ってくれたらうれしいな」

「新ちゃんは新しいのを持ってくるんですか?」

「僕は今週いっぱいで退職だよ。鈴ちゃんに引継ぎをするために退職を一週間遅らせたんだ。知らなかった?」

「えーっ、ショック! たった一週間で新ちゃんの仕事を全部覚えるなんて無理ですよ」

「へっちゃらだよ。他の部の男子総合職は伝票のインプットを覚えるのに時間がかかるんだけど、開発部には男子総合職が処理できる伝票は殆ど無いから、覚えることは少ないよ。難しいのは郵便物や書類を相手先ごとにどの総合職の人に配るかということだ。留守の人の席に他の総合職の人の分を置いたりしたら、帰ってくるまで処理が遅れるだろう。表にまとめてあるから、最初のうちはいちいち確認した方がいいよ」

「そのぐらいならすぐに引き継げると思いますけど……」

「後は、社内でのお使いが多いから、上司の一人一人がどの部の何という人とやり取りをしているかを、普段からメモを取って覚えておくことだね。その点も僕のメモを引き継げばいいから大丈夫。新任の深津さんがやり取りする相手は当初は松岡さんと重複するだろうけど、そうとは限らない。新任の上司の行動範囲は注意して見ておくんだよ」

「深津さんは僕と同じ新入社員なのに、そこまでやるんですか?」

「そりゃそうだよ。深津さんは上司だもの」

 薄々気づいてはいたが、真凛のことをはっきりと「上司」と言われてがっくりときた。

 新哉はお茶の入れ方を僕に教え、お茶を入れたマグカップをトレイに乗せて僕に渡した。

「会議室の前まで一緒に行ってあげるから、お茶出しは自分でやってみるといいよ。最初に課長の前に置くこと。松岡課長代理は殿村課長から見て左側に座ることが多いから右回りでお茶出しをすればいいけど、もし松岡さんが反対側だったら左回りで出すとか、その場の状況によって機敏に判断するんだよ。それから、今日は深津さんだけは紙コップになるから『紙コップで失礼いたします』と謝りながら出せば好感度が上がる。適宜小声で『失礼します』とか言うと、いい子だなと思われるよ」

「そこまで下から目線にしなくてもいいのに……」

「常に総合職の人たちに敬意をもって接しているから自然とそうなるのさ。鈴ちゃんも最初のうちだけ気を付ければ大丈夫だって」

 イヤだなと思いながらトレイを両手に会議室に入り、新哉から言われた通り殿村課長、松岡課長代理、古屋、川田、渡辺のマグカップを置き、最後に真凛の前にお茶の入った紙コップを置いて小声で『紙コップで失礼します』と言った。

 きっと真凛は僕からお茶を出されたら申し訳ない気持ちになって少なくとも「ありがとう」と言うだろうと思っていた。

 ところが真凛は一言のお礼も言わないどころか「私だけ紙コップなの?」とでも言いたげな視線を一瞬僕に向けた。僕は「紙コップが嫌ならマイカップを買ってくればいいんだけど」と怒りを顔と声に出さないように注意しながら精一杯のイヤミを言った。

「深津、自分のマグカップを持ってきて男の子に預けておけば、社内の会議はマイカップでお茶を出してもらえるのよ」
と松岡が真凛に解説した。松岡は僕が傷ついたことを感づいたようだった。

「鈴ちゃん、どのカップが誰のかよく分かったわね」
と松岡からねぎらいの言葉をかけられたことでそれが分かった。

「はい、性格に合ったデザインのマグカップだと新ちゃんから教わりましたのですぐに覚えられました」
と答えると皆が声を合わせて笑った。真凛も笑っていたのでほっとした。

「私の性格だとどんなデザインが似合うかな」
と真凛に聞かれた。

 ゴリラと言いたかったが
「背が高いからキリンとか」
と無難な答えにしておいた。

「じゃあ鈴ちゃんは小さくて可愛いから子ウサギとか?」

 皆が僕を見ながらクスクスと笑ったので赤面した。背が高いからキリンと言ったら小さいから子ウサギと言い返されたのはある意味で当然の報いかもしれないが、皆の前で真凛から鈴ちゃんと呼ばれたのがショックだった。他の社員から鈴ちゃんと呼ばれるのは仕方ないが、真凛にだけは言われたくなかった。ムカムカと腹が立ったが、皆の前で怒った顔は見せられないので「お邪魔いたしました」とお辞儀をして会議室を出た。

 席に戻ると新哉から引継ぎノートを渡されて開発部と関係のある社内外の相手先について説明を受けた。担当者別の関係先リストの最後のページに「深津さん」と書いて真凛の関係先を書くスペースを作った。今後、真凛にかかってくる電話の相手をメモしたり、真凛から書類をどこそこに持っていけとか命令されてはここに記入しなければならないと思うと気が重い。

 十一時半ごろ総合職六人が戻ってきたのを見て新哉が「会議室を片付けに行くよ」と言った。

 課内会議が終わったばかりの部屋に行って会議テーブルに散らばっているマグカップをトレイに乗せ、テーブルを布巾で拭き、椅子をそろえた。

 新哉が指を立てて「点検よし!」と言ったので、笑いながら会議室を出た。

 席に戻ると僕の左隣の席に座っている真凛が僕をニヤニヤしながら見て
「どんなマグカップを買おうかな」
とからかうような口調で言った。お陰で、僕はお茶出しした時に腹が立ったことを思い出した。

「皆の前で『チビだから子ウサギ』はないよね」

「小さくて可愛いから子ウサギと褒めたつもりだったんだけど。もし悪意があったら『チビだからハツカネズミ』とでも言うところよ」

「あ、今チビだからハツカネズミと言った!」

「鈴ちゃん、何をカリカリしてるの?」

「深津さんから『ちゃん』呼ばわりされたくないんだけど」

「男子総合職は『ちゃん』で呼ぶのがルールだから仕方ないわよ。鈴ちゃんは自分を何と呼んでほしいの?」

「今まで通りの方が……」

「分かってないわね。男の子を苗字で呼んだら、それこそイヤミに聞こえるわよ」

「どうして深津さんまで男子を差別するようなことを言うんだよ」

「呆れた。うちの社名が何の略だかまだ分かっていないのね。IWは社長のイニシャルであるのと同時にインディペンデント・ウーマンの略よ。総合職の募集要項にちゃんと書いてあったのに読まなかったの? ここは女性が自分の力で人生を切り拓くための会社なのよ」

「総合職の募集は締め切られていたから、僕は男子総合職の募集要項しか読まなかったんだ。そんな大事なことなら男子総合職の募集要項にも書くべきだよ」

「人事部のミスだと思うのなら抗議にでも行きなさいよ。よく調べずに早合点したのは鈴ちゃん自身じゃないの?」
と怒ったように言って真凛はパソコンに向かった。

 僕は反論の言葉を思いつくことができず、やりきれない気持ちで黙りこんだ。

 

「新ちゃん、経営企画部の吉田さんにこの書類を届けてきて」
と古屋が新哉に声をかけた。

「はい、承知しました。でも、今日から届け物のご指示は鈴ちゃんにお願いします。今週中は責任をもって見届けますけど、来週からは鈴ちゃんしかいなくなりますので」

「そうだったね。寂しいな。じゃあ鈴ちゃん、頼んだわよ」

「はい、承知いたしました」
と僕は答えて、新哉と一緒に経営企画部に書類を届けに行った。

 経営企画部から戻ると、真凛から
「鈴ちゃん、これ二部コピーしてきて」
と言われた。僕は怒りがこみあげてくるのをぐっと我慢した。

「さっき自分でコピーしようとしたら松岡さんに『コピーは男子総合職にまかせろ』と叱られたのよ。また埋め合わせをするから、悪いけどお願い!」

「分かったよ。男子総合職はお茶出しとコピー取りが主な仕事なんだから」
とイヤミを言ってコピーをしに行った。

 そうこうしているうちに昼休みのチャイムが鳴り、僕は新哉に誘われて二階にあるレストランに食事に行った。

 向かい合って席に座ると、開口一番、新哉から注意を受けた。

「鈴ちゃん、深津さんに対する態度がなってないよ。深津さんは同期入社でも総合職なんだから、ちゃんと敬語で話さなきゃダメだよ」

「そりゃそうですけど、大学では同じ合唱団で四年間一緒だったのに、いきなり上から目線で『ちゃん』付けで呼ぶんですよ……」

「まさか、鈴ちゃんは深津さんと同じ大学を出たってこと?」

「ええ、京都大学工学部です」

「しーっ!」

「えっ、大学名を言っちゃダメなんですか?」

「男子総合職は大卒じゃない人もいるし、大卒でも無名の大学が殆どだから、学歴は公表しないというのが無言のルールなんだ。僕の二年下に慶応大学を出た男の子が入社したんだけど、会社の飲み会で早慶戦の話になった時に、自分が慶応卒であることをポロっと漏らしてしまった。そいつは普段からいかにも賢そうな感じで、男子総合職としては異色の存在という雰囲気があったから、男子総合職の先輩や同僚から『あの子は男子総合職のくせに学歴を鼻にかけている』と言われて、疎まれるようになったんだ。総合職の人たちも男子総合職にインテリジェンスは期待していないし、超一流じゃない大学を出た総合職の人たちの中にはそいつを快く思わない人も出てきたみたい。結局、孤立して落ち込んでいる所を経理部の部長さんから声をかけられて、入社半年で結婚退職した。結果的に災い転じて福となしたとも言えるけど、飛びぬけてイケメンの子だったから、二十歳以上も年上の部長さんの奥さんになることが本人にとって良かったのかどうか……」

「そんなことがあったんですか! 僕も注意しないと母親みたいな人と結婚する羽目になりかねませんね。それにしても結婚退職して女性部長の奥さんになるとは!」

「その子の場合は元々『俺は慶大卒のイケメンなのにこの会社に来てやった』的なオーラが出ていたから爪はじきにされたんだと思うよ。鈴ちゃんは僕が一目見て服飾専門学校あたりかなと思ったぐらいだから、一流大卒だとバレてもそんなに嫌われることは無いと思うけど、東大・京大以外の総合職の人が快く思わないかもしれない。とにかく、京大卒だと知られたら、いいことは一つもないから絶対に言わない方がいい」

「じゃあ、服飾専門学校を出たっぽいフリをするように努力します。どんな服飾専門学校があるのかとか、ファッション全般についてネットで勉強しといた方がいいですね」

「そうだね。ついでに縫い物とか勉強したらいいかも。縫い物が出来れば好感度アップにつながるから」

「そうなんですか?」

「そりゃそうさ。男の子はいわゆる家庭科的な知識がない人が殆どだから、料理、裁縫、お花とかができることを社内の飲み会でさりげなくアピールすればプラスになるのは確実だ」

「総合職の女性が、家事ができる男子総合職を好むってことですか? 本当にそんなことがあるでしょうか」

「ナニ寝ぼけたことを言ってんの? 家事が出来る方がいいに決まってるじゃないか。うちの総合職は高学歴高収入で自分の人生を自分で切り開く女性の集団だから、会社が奥さん候補としてイケメンで従順な人を選りすぐったのが男子総合職だよ。鈴ちゃんはチビだから典型的なイケメンとはいえないかもしれないけど、会社が奥さん候補として魅力があると判断したから大勢のライバルを蹴落として入社できたんだよ」

「うそでしょう! 僕は学歴の裏付けがある能力と輝きが評価されたと思っていたのに……」

「鈴ちゃんって変な子だね。でも、この会社に向いてるみたいな気もする。とにかく学歴のことは記憶から消し去ることと、深津さんに対しては上司として敬意をもって接することに注意すべきだよ。上司というだけじゃなくて、深津さんは鈴ちゃんのことを理解してくれているわけだから、未来のご主人の候補として最右翼かもしれないよ。男子総合職の方から声をかけることはできないから、深津さんに可愛いと思ってもらえるように毎日一生懸命に仕事をしていれば好きになってもらえるかもしれない。頑張れよ」

「僕、病気になりそう……」

「ただ、うちの会社の背の高い女性がチビの男子総合職を奥さんにしたがるかどうか僕には分からない。まあ、一生懸命に尽くせば気持ちが通じるかもしれないよ」

「チビ、チビと言わないでくださいよ。気にしてるんですから。それに、僕はまだうちの総合職の奥さんになりたいとは思っていませんから」

「しーっ、冗談でもそんな不遜な発言をしちゃだめだよ」

 今、新哉から聞いたことで全てがつながった。僕はネットでIWのウェブサイトを見て男女平等主義の会社だと勘違いし、まだ枠が残っていた男子総合職に応募してしまったのだ。その極めて特異な選考基準にたまたま僕がすっぽりと適合して採用された。入社して分かったのは、男女平等主義どころか女性至上主義の会社で、イケメンで従順かつ自立を望まない男性を日本中からかき集めて奥さん候補のプールとして提供しているということだ。だから男子総合職は常に微笑みを浮かべてお茶、コピー、使い走りを嬉々として引き受け、いつか総合職女性からリーチがかかる日を心待ちにしている……。

 ろくに調べもせずにそんな会社のそんな職種に応募した僕がバカだったことは厳然たる事実だ。たまたま真凛と同じ会社に就職し同じ部署で上司と部下の関係になったのは運命のいたずらとしか言いようがない。今の世の中では昔の友達どうしが上司と部下の関係になるのはよくあることだが、女性至上主義の会社でこれから活躍しようとする真凛に対して、奥さんに貰ってくれるようにと願いながら声をかけてくれるのを待ち望む立場になるとは悲惨の一言では表現できないほどの状況だ。

 それにしても卒業式の日に真凛と話した際に就職先の社名を言えばよかった。真凛はIWでの男子総合職の位置づけを知っていたようだから、僕の意図とは違う会社だと教えてくれたはずだ。一、二週間で他の就職先を見つけられたとは思わないが、実態が分かっていれば入社を見合わせただろう。

 これからどんな状況になっていくかは分からないが、真凛に反発しても何の役にも立たないことは明らかだ。真凛の言動から察して、真凛はこんな状況に陥った僕が気の毒だと思ってくれている。ただ、調べもせずにわざわざ志願して自らドツボにはまった僕を見て、笑いたいけれど笑うわけにもいかず、真凛らしい口ぶりで茶化しているというのが実態なのだ。

 僕がちゃんと覚悟を決めて、男子総合職にふさわしい態度で真凛に接すれば、真凛も僕を優しく扱ってくれるだろう。それにしても、僕が真凛を含む総合職女性の奥さんになりたいと願って声をかけられるのを待ち望んでいると誤解されたら……そう思うと悔しくて涙が出そうだ。


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