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行方不明
囚われて女にされて

【内容紹介】コロラド生まれのルーベンは東京の大学に留学中に一人でインド旅行に行くが、デリーの汚さに嫌気がさし、コロラドと共通点のある天空の王国ネパール行きのバスに乗る。30時間かけてカトマンズに到着したルーベンはネパール人が自分を見る目が何となくおかしいことに気付く。監禁され強制女性化させられるホラーTS小説。

第一章 ヒマラヤの王国へのバス旅行

 三十時間のバス旅行がやっと終わろうとしている。

 初めてのインド旅行に「デリー滞在二週間」という格安ツアーを選んだのは失敗だった。東京からの往復航空券と朝食付きのホテル十二泊というフリー・プランだったが、僕は二日間でデリーに飽きてしまった。人力車でオールドデリーの隘路を巡り異国情緒を味わってからデリー市内の観光名所を回ったが、もうこれで十分だという気持ちになった。

 コロラドで生まれ育ち日本に留学して東京の大学に進んだ僕にとって、デリーは確かにエキゾチックな街だった。でも、時間が過ぎるにつれ、ここは自分の肌には合わない場所だという気持ちが強くなった。

 土色と原色が交錯する色彩感覚、破られることが前提の規則、親切そうな笑顔に混じる意味のない卑屈さ、そして不潔な埃が漂う雑踏……。

 何が悪いというのではない。渋谷の雑踏と比べて、デリーの混雑が酷いかと聞かれれば、むしろ逆だ。結局僕が耐えられなかったのは不潔さだった。鼻腔や口から肺へと入って来る空気に無数の埃と雑菌が含まれている気がして、ここではもう呼吸したくないという強迫観念に憑りつかれた。

 そこで、僕は残りの十日余りをデリーの外で過ごそうと決意した。夕食を済ませた後、ホテルの部屋に戻って、どこに行こうかと考えた。真っ先に頭に浮かんだのがネパールだった。ロッキー山脈の麓で生まれ育った僕にとって、ヒマラヤの王国ネパールは最も親しみやすい場所だった。初めから「デリー滞在二週間」ではなく「カトマンズ滞在二週間」という格安ツアーを探せばよかったと思ったが、今となっては後の祭りだ。

 デリーからカトマンズに行く方法をスマホで調べた。最も簡単なのは飛行機での往復だが、カトマンズでのホテル代を含めると、懐に余裕がなくなってしまう。

 最も安いのはデリーからゴラクプールまで列車で行ってそこからバスに乗り換えて国境の街スナウリに行き、徒歩で国境を越えてからカトマンズ行きのバスに乗るというルートのようだ。しかし、間違えたり騙されたりせずに何度も乗り換えられるかどうか不安だった。

 それよりは少し高価だが、デリー発カトマンズ行きの直行バスサービスがあることが判明した。エアコン付きで車内映画も見られる豪華高速バスと書かれていた。僕は翌日の午前七時にデリーのマンジュカティラ駅を出るカトマンズ行きのバスの切符をネットで購入した。

 デリーのホテルの宿泊代はツアー料金に含まれておりキャンセルはできないので、荷物の大半は部屋に残し、軽いリュックサックに三日分の着替え、パスポート、スマホと財布だけを入れてカトマンズに行くことにした。

 翌朝、僕は市内観光に行くかのような軽装でホテルを出た。フロントで鍵を渡す時に、カトマンズで七、八泊するが、僕の部屋はそのままキープしておくようにと念のために言っておくつもりだったが、フロントには人相の悪い男性従業員が一人立っていただけだったので、何も言わずに鍵をドロップしてホテルを出た。

 リクシャでマンジュカティラのバス乗り場に着いたところまでは順調だったが、カトマンズ到着は次の日の午前八時になると知って驚いた。何と二十五時間もバスで揺られることになる。おまけに、高速バスといっても日本のようなちゃんとしたバスではなく、薄汚れた粗末なバスだった。

 よく調べずに直行バスを選択した自分がバカだったと反省したが覆水は盆に返らない。直行バスと言っても眠っているところを国境で起こされ、一旦バスを降りてインド出国とネパール入国の手続きをしなければならなかった。ビザ代として二十五ドルかかったのも誤算だった。

 ネパールに入国して心なしか空気が清潔になった気がしてほっとしたが、カトマンズの中心部にさしかかるとバスの外の景色はデリーの雑踏をさらに一回り混とんとさせて、デリーの空気を二回り不潔にしたように思えたので僕はげっそりした。結局二十五時間のはずが三十時間以上かかってカトマンズに着いた時には疲労困憊で足がふらついていた。

 それでも奮起して、ハエのようにたかってくる客引きを避けてタクシーに乗りこみ、ドアを閉めた。

「タメルのホテル・シヴァまで」
とドライバーに行先を告げた。

 デリーのホテルの部屋からエキスペディア経由で予約を入れたのはカトマンズ観光の中心地区であるタメルにある安ホテルだった。ドライバーは小太りの中年男性だったが、ホテル・シヴァを知っているようだったので安心した。

 カトマンズの市内の混雑はバスの中から見るよりもひどかった。こんな道を自動車が通れるのかと思うような場所を、タクシーが人混みをかき分けて進むのにはハラハラして罪悪感を禁じえなかった。ドライバーは好意的な口調でしゃべるのだが、運転席と助手席の間のバックミラーを見るといつも運転手と視線が合った。

「ここはごった返していますが、カトマンズから何キロか出れば美しい自然が見られますよ」
と片言の英語で言われて少しは慰めを感じた。

 ホテルに着くまでの約三十分間、ドライバーからずっと観察されている感じがしていた。僕がいつバックミラーを見てもドライバーと視線が合うということは、ドライバーが僕の顔が映る方向にバックミラーを向けて常に見ているということであり、気味が悪かった。

 東京の同じ大学の女友達が、タクシーに乗ると運転手にバックミラーでチラチラ見られるのが嫌だと言っていた。男性の運転手が若くて美しい女性客をついチラチラ見てしまうというのは分からないでもないが、ネパールの中年ドライバーが十八歳のアメリカ人男性をこんな風に盗み見するというのは、ゲイでない限りあり得ない。アメリカで同じような目に遭ったら、そのドライバーは高い確率でホモだと考えていい。

 いや、途上国の素朴な労働者をゲイだと決めつけるのは早計かもしれない。外国人を乗せるのは珍しいことだから、運転手はウキウキした気持ちでついチラチラと視線を走らせるのではないだろうか。僕は自分が高慢だったことを反省した。

 僕が彼らを見てエキゾチックだと考えるのと同じように彼らも僕を見てエキゾチックと思っているのだ。僕のルーツはフランス人で、日本の血が八分の一混じっている。肌は真っ白で眼は褐色、髪はいわゆる銅色のブロンドだ。日本の血が入っているせいか肌のきめが細やかで、細身でしなやかな体型だ。アメリカ人の女友達から「ルーベンは小顔で体毛が薄くて、まるで日本女性のようなデリケートな肌だから羨ましい」と言われたことがある。

 タクシーは路地のような狭い道へと右折すると、オレンジ色の大きな建物の前で停車した。玄関にチベットの龍が描かれた建物だったが、立派な外観にかかわらず何か胡散臭い感じと悪い予感がした。玄関の周辺に煙草を吸いながらうろついている人が大勢いたからかもしれない。タクシーの運転手に頼んで他のホテルに連れて行ってもらおうかとも思ったが、そんなことをしたらキャンセル料を取られるので思いとどまった。

 僕はリュックサックを肩にかけてホテルに入った。フロントに立っていた無表情な若い男が予約を確認した。チェックインをしている間、周囲の人からジロジロと見られている気がした。気味が悪くなって振り返ると、僕をここまで乗せてきたドライバーが玄関のところに立って僕を見ていた。ドライバーの左右にも数人の男が立って僕を見ている。ロビーから奥のレストランにかけて、ホテルのスタッフとも外部の人ともつかない多くのネパール人が、僕にじっと視線を凝らしていた。

 這うような不気味な視線だった。背筋がぞくっとして、顔から髪の毛の付け根まで赤くなるのを感じた。

――僕の顔に何かついているのだろうか?

 チェックインを済ませて鍵を受け取り、周囲の視線を無視して階段へと向かった。軽装で来たのは正解だった。部屋は一階(受付ロビーがあるグラウンドフロアーのひとつ上の階)だが、エレベーターに乗るのは怖い気がした。

 階段を半分上ったところで、
「ミスター・ルーベン・ヤング!」
とフロントの男性から大声で呼び止められた。

 まだ受付の手続きが残っていたのだろうかと思いながら渋々階段を下りてフロントへと歩いて行った。

 僕に声をかけたのはストライプのシャツに黒いズボンの男性だった。

「ディナー?」
とブロークン・イングリッシュで僕に聞いている。

 彼の手ぶりから推測すると、これからホテルのレストランで食事をするつもりかどうかと質問しているようだ。

 そんな質問のために呼び戻されたと分かって腹が立った。僕は猛烈にお腹が空いていたが「ノー」と答えた。大勢の異様な視線に晒されて食事をする気にはなれなかったからだ。

 とにかく一人になりたくて階段を駆け上り、部屋に入ると内側から鍵をかけた。カーテンを閉め、シャワーを浴びると何もせずにベッドに転がってスマホのスイッチを入れた。

 デリーのホテルのフロントに何も言わずに出てきたことが気になっていた。メイドがベッドメイキングに来て、僕が何日も部屋に戻っていないと気づいたら荷物を勝手に片づけて部屋を他の客に貸すのではないかと心配だったので、ホテルに電話かメールを入れておこうと思った。

 ところがスマホは電話もデータ通信もつながらなかった。東京で「アジア九ヶ国八日間使い放題」というSIMを買ってスマホに挿し込んで来たのだが、バスがデリーを出発した直後からインターネットにつながらなくなっていた。SIMが届いた日にスマホに挿し込んでAPNの設定をした後SIMを抜いたのだが、その日から八日目経過したために期限が切れてしまったのだろうと思い当たった。

 フロントに電話して「WIFIのESSIDとパスワードを教えて欲しい」と質問したところ「WIFIはありません」というシンプルな答えが返って来た。

第二章 新しい友人

 翌朝目を覚ますとジーンズと青いTシャツに着替えてレストランに朝食を食べに行った。トーストにジャム、目玉焼き、カレー味のジャガイモとチャイだけの朝食だったが、とても美味しくて満足した。

 市内観光のためにタクシーを手配したいと思ってフロントに行った。丁度若い男性がシフトを終えて立ち去ろうとしていた。

「おはようございます、タクシーを手配したいんですが……」

「すみません、今シフトが終わったところです。ティカバイに頼んでください」

 デリー滞在中に名前の後に「バイ」を付けて尊敬を表すと聞いていたので、ティカバイとは偉い人なのだろうと思った。

「ティカバイとは誰ですか?」

「このホテルの支配人です。あっ、今来ました」

 フロントの若い男性が示した方向から、身なりの良い五十絡みの小柄な男性が歩いて来た。平たい顔に眼鏡をかけている。

「おはようございます。支配人のティカ・チェトリです。昨日チェックインされたお客さまですね? その際にフロントに居合わせず大変失礼いたしました」
と支配人は淀みなく一気に語った。全く真心がこもっていないお決まりの言葉だと感じた。僕にとって、シフトを終えた若い男性は口数が少なすぎ、支配人は口数が多すぎた。この人は信用できないと直感した。

「観光のために車を手配したいのですが、可能でしょうか?」

「勿論ですとも。どこの観光をご希望ですか?」

「まずカトマンズ市内を見たいですね。その後でナガルコットまで足を延ばせればいいのですが」

「何時ごろのお帰りをお考えでしょうか?」

「そうですね……。まあ、七時ぐらいに帰って来られればいいと思っています」

「分かりました。お値段は六千ルピーになります。初日ですので、受付担当のヴィカスという男を案内のために同行させましょう」

 ネパール・ルピーは日本円とほぼ同じだから、丸一日で六千円ということになる。まあ、そんなものだろう。

「いえ、ガイドは不要です。一人の方が気楽ですから」

「追加料金はかかりませんよ。ヴィカスは非常に良い男で、愛想もいいんです。カトマンズ市内を回るには現地人のガイドが是非必要です。明日からはお一人で回ればよろしいかと」

 僕は考えあぐねていたが、若い従業員が出社してきた。百七十三センチの僕よりも十センチほど背が高く、ネパール人としては非常に長身だった。頑丈かつ堅牢な体躯で肌は浅黒い。素朴で子供のような笑顔に好感が持てる二十歳そこそこの男性だった。

「これが今お話ししていた男です。ヴィカス・タマングという名前です」

 僕はひと目でヴィカスを気に入り、是非観光案内をして欲しいと思った。ネパールに来てから初めて出会った好ましい人間だった。

「ルーベン・ヤングです。コロラド出身で、東京に留学中です。よろしく」

「お目にかかれて光栄です」
とヴィカスが笑顔で言った。

 丁寧過ぎる言葉だったが、支配人のような虚言ではなく、そこはかとなく誠意が感じられた。

「お荷物をお持ちします」
とヴィカスが言って僕のリュックに手を掛けた。

「大丈夫です。殆ど空っぽですから自分で持てます」

「お客様は非常に華奢なお身体ですから荷物はヴィカスに運ばせます」
と支配人が口を挟んだ。不適切なタイミングでの不愉快なコメントだったが、ヴィカスに悪い印象を与えたくなかったので黙ってリュックを渡した。

 手配してくれたのはホテルが保有する自動車らしく、ヴィカスについて行くと運転手がドアを開けてくれた。ヴィカスは助手席に乗り、僕は後部座席に一人で座った。

「カトマンズ観光で最も重要なのはダルバール広場です。マッラ王朝時代の中心地であり、美しい寺院が立ち並んでいます」

 広場の入り口には入場料が「千五百ルピー」と書かれていた。随分高いなと思ったが、二人分として三千ルピーをヴィカスに渡した。ヴィカスは笑いながら「ネパール人は無料なんです」と言って千五百ルピーを僕に返した。ネパールでは少しでも隙を見せたらお金をぶったくられると聞いていた。黙って三千ルピーを受け取っても僕には分からないのに正直な人だなと思った。

 立札の説明を読みながら見学した。建物の装飾の美しさは格別だった。オールドデリー観光をした時には案内人に聞きもしないことをベラベラ説明されて辟易したが、ヴィカスは僕が自分のペースで見学するのを黙って観察しながら、聞きたいことがあれば丁寧に教えてくれた。ダルバール広場を出て、次の見どころである夢の庭園に着く頃には気の合う友達のように思えてきた。

 アメリカにはブロマンス"bromance"という言葉がある。ブラザーとロマンスをつなぎ合わせた言葉だが、性的な関係が無い男どうしの、恋人のように親密な関係のことだ。僕はヴィカスとならブロマンスを共有できそうな気がした。僕は女性と出会って一瞬にして恋愛感情を抱いたことは何度かあったが、男性に対してブロマンスの感情を持ったのは初めてだった。ヴィカスも僕に対して同じような気持を抱いていることが感じ取れた。正直なところ「真の友情」とブロマンスが異なるものだとは今日まで知らなかった。生まれた国も育った背景も全く異なる二人の男性が短時間でこれほどの親近感を共有できるのはすばらしいことだと思った。

 夢の庭園、ガーデン・オブ・ドリームズは十九世紀から二十世紀の半ばまでネパールを支配していたラナ家の庭園とのことだった。二人で庭園の入り口に向かって歩いていた時「ちょっと待って、動かないでください」とヴィカスが言った。

 ヴィカスは僕の足元にさっと屈み、僕のズボンの裾の折り返しに挟まっていた草をつまんで取り除いてくれた。屈強な身体の矢のように速い動作がとても美しかった。ヴィカスがズボンの裾の折り返しを反対にしてクズを取り除いた時、ヴィカスの指が僕の足首にかすかに触れた。細くて白い足をヴィカスの目に晒したことが訳もなく恥ずかしかった。

 まるで中世の騎士が貴婦人の足元に屈んでスカートの裾に付着した雑草を取り除くような礼儀正しさに接して僕は戸惑った。人からそんな扱いを受けるのは生まれて初めてだった。こんなロマンチックと言ってもいいような扱いを受けることが何を意味するのかと考えて、顔が赤くなった。

 いや、ヴィカスは単なる親切心でしたのだろう。きっとこの国の人にとって外人客のズボンの裾をはらうのは、何も特別な意味を持たないことなのだ……。

 ガーデン・オブ・ドリームズを出てナガルコットに向かう車中で、僕は先ほど感じた騎士と貴婦人のようなムードを打ち消したいと思って、ヴィカスと運転手に対して男っぽい話をすることに努めた。運転手は子供が二人いて腹の出ているディーパックという名前の中年男だが、ヴィカスや僕と話しが合った。僕が冗談を言うと大声で笑って反応してくれるのが嬉しかった。ヴィカスも僕に男どうしでしか言えない種類の冗談を言った。

 僕は心からほっとした。ネパールに着いてからずっと居心地が悪かった。ネパール人の男性からまるで女性を見るような卑猥な視線を浴びているという気がして、僕自身が女になったかのような妙な気分だった。ヴィカスとディーパックと三人で下ネタの冗談を言い合って大声で笑ったお陰で、男としてのプライドを取り戻せた気がした。

 ナガルコットは地図で見るとカトマンズ中心部からの直線距離は十七キロしかないが、途中からくねくねした細い道になり、二時間ほどかかってやっと到着した。標高二千メートルを超す高地にある町で、ヒマラヤ山脈が手に取るように見える。天気の良い日の早朝や夕方にはエベレストが見えるそうだ。

 時間の関係でナガルコットを早めに発ってカトマンズへと折り返した。

 帰路にバクタプルという観光名所の近くを通った。中世の街並みを残した古都とのことだったのでどうしても寄り道したくなったのだ。元々今日の予定には入っていなかったし時間的な余裕もないので、僕一人が駆け足で見学してくることになった。赤レンガ造りの町並みを小走りで見て回ると中世の世界にタイムスリップしたような不思議な気分になった。ヴィカスとディーパックが待つ車に戻ると、運転手のヴィカスが悪戯っぽく歯を見せて笑いながら僕に言った。

「寄り道した事をティカバイに知られたら超過料金を取られますよ」

「じゃあティカバイには内緒にしてください」

「いいですよ。但し、ティカバイに内緒にする交換条件として、ホテルに帰るまで何でも言う通りにすると約束してください」

 ディーパックの言葉には裏がありそうだったが、僕は冒険したい気持ちになっていた。

「アハハハ、いいですよ。言う通りにしましょう。どこに連れて行ってくれるんですか?」

「楽しみにしていてください。お客さんがバクタプル観光をしている間にヴィカスと相談して特別なプランを練ったんです。ネパールに来た思い出として一生忘れないような冒険になるかもしれませんよ」
とディーパックが言ってウィンクした。

 ヴィカスと相談したのなら大丈夫だろうと思ったが、一体何が待っているのだろうかとドキドキした。二人のお陰で僕のネパール旅行は期待していたよりも冒険に満ちたものになりそうだった。

第三章 勇気と欺瞞

 車はカトマンズ市街に差し掛かり、ホテル・シヴァに近づいた。しかし、ディーパックはホテル・シヴァを迂回して、タンカの宗教画を売っている店の前に停まった。その店のすぐ横にはネパール人の半裸の女性が誘惑の視線を投げかける写真が掛かっていて「ダンス・バー」と書いてあった。写真の下に矢印が貼ってあり、暗くて薄汚い階段を指していた。

「なるほど、このダンス・バーに冒険に行くんですね!」

 ディーパックはニヤリと笑って答えた。
「その通り。でも何でも言う通りにするという約束を忘れないでください。女の子が躍っているのを見るだけじゃないですよ」

「勿論です。僕は約束を守る男ですから」

 ネパールについて初めて、体内からアドレナリンが湧き出てくるのを感じた。ディーパックの思わせぶりな様子から考えると、あっと驚くほどきれいでセクシーな女の子がいるのかもしれない。そんな女の子に足を絡ませてダンスをする自分を想像するとゾクゾクしてきた。カトマンズが男性にとっての天国だとは知らなかった。

 ディーパックはいやらしい想像をしているような目つきで笑っていた。ヴィカスは僕と同じように、怖さ半分、期待半分という表情だった。

 僕はヴィカスに聞いてみた。

「この種のバーにはよく来るんですか?」

「いえ、今日が初めてです」
 ヴィカスの浅黒い顔が髪の付け根まで赤くなった。

 ヴィカスは僕より二、三歳年上のようだが、ひょっとしたらまだ童貞かもしれないと思った。僕は何人かの女性と経験したことがある。ネパール人は結婚するまでは性交渉を避けるのかもしれない。勿論、それは人によって異なるだろうが、ヴィカスは真面目でオクテなのだろうと思った。

 今朝会ったばかりの年下の僕に正直に答えてくれたことで、ヴィカスに対する尊敬の気持ちがさらに強くなった。僕は気心の知れた友人どうしとしてヴィカスの手を取り、ディーパックの後を追って薄汚い階段を上った。

 階段を上がって薄暗いホールに出た。身体の線が露わなけばけばしい衣装を着た女たちがヒンズー語と思しき歌に合わせて小さなステージの上で踊っている。ディスコ風の派手なライティングで、頭上からのレーザービームがダンサーたちの身体を隅々まで浮かび上がらせる。

 ステージの向こう側に観客の男たちが座っているテーブルがある。ディーパックが慣れた様子で席を確保し、ウィスキーをボトルで注文した。ディーパックがその場で現金を払い「今日は私がホストとしてあなたたちを接待します」と宣言したので驚いた。今日車を雇った料金から考えると運転手の収入はたかがしれている。本当にご馳走になっていいのだろうか?

 インド旅行の計画段階から、水はミネラルウォーターのボトルを自分で封を切らない限り飲まないことに決めており、氷は更に信用できないと思っていたので、僕はウィスキーをストレートで飲んだ。エキゾチックな音楽に合わせて女たちが身体をくねらせるのを見ているとついお酒が進んでしまった。

 安物のウィスキーのせいか酔いが早く回った。ふらふらしてきたので「もうそろそろホテルに連れて帰って下さい」とディーパックに頼んだ。

「まだまだ。夜は始まったばかりですよ」
とディーパックが僕の腕をつかんで引き留めた。

「こんなところで酔いつぶれて変なことになるのは嫌ですから」

「何を言ってるんですか! 今夜は何でも言う通りにすると約束したのを忘れたんですか?」

「確かに約束しましたけど……」

 もうしばらく飲まざるを得ないと覚悟した。

 ディーパックは店の女性を手招きして呼び寄せた。店員やダンサーに指示を出しているマネージャーと思われる女性だった。ディーパックは彼女にお金を渡した。

「この人を中に連れて行って衣装を着せてくれ」
とディーパックが言うと、彼女は僕の手を引いてステージの裏の小さな部屋に連れて行った。何をしに行くのか不明だったが酔いが回っていた僕はフラフラとついて行った。

 気がついたら服を脱がされてパンツだけになっていた。彼女は僕にダンサーが着ていたような真っ赤なロングスカートと小さなシャツを着せた。おへその上下の部分が大きく露出されている女性の服を着せられてドキドキした。もし酔っていなかったら絶対に拒否していたはずだが、僕は半分夢を見ているような気持ちだった。

 僕の髪はラフなメンズ・ボブスタイルだが、彼女は僕の髪が完全に真っすぐになるまで何百回もブラシをかけ、僕の髪はストレートヘアの女性のようになってしまった。首には重いネックレスを、頭にもゴテゴテした髪飾りをつけられた。あっけにとられているうちに化粧までされてしまって、鏡の前に立たされた。

 真っ赤な口紅と黒く縁どられた大きな目が印象的なすらりとした女性が映っていた。それが自分だとは信じられなかった。

「さあ、できあがったわ」
 女性の後を追って部屋を出た。ドアの外に立っていたヴィカスと鉢合わせになった。

「ディディ」
とヴィカスが僕に声をかけた。ディディとはネパール人が女性を呼ぶときの言葉だ。

「この中に僕の友達が入って行ったんですけど、見かけませんでした? 細身のアメリカ人男性なんですが」

 ヴィカスは僕が誰だか気づいていなかった。無理もない。鏡を見て僕自身が自分だとは思わなかったのだから。

「ヴィカス、よく見て!」

「オー・マイ・ゴッド! ディーパックがここまでやるとは……」
とヴィカスは首を横に振って困惑を露わにした。

 丁度そこにディーパックがやってきた。

「これはこれは! これほど可愛い女になるとは、期待していた以上だぜ! こっちに来いよ、ディディ」

 こんな恰好をしていても、運転手と外人客の関係としては馴れ馴れし過ぎる言い方をされて不愉快だった。ディーパックが僕の腰に手を回したのにもゾッとした。でも、酔っぱらってフラフラしていた僕は何も言えないままステージの上へと押し出された。前のステージが終わってステージにダンサーは居らず、照明も落ちていた。ディーパックは僕がステージに立ったのを見届けるとどこかに姿を消した。

 その時、照明のスイッチが入りレーザービームが僕の顔から全身に注がれた。眩しくて、レーザービームを遮ろうと手をかざしたが、何もできずに立ち尽くした。夜道で突然自動車のヘッドランプを浴びた鹿はこんな気持ちなのだろうと思った。

 観客席の男たち全員の視線が僕に注がれていることを痛いほど感じた。僕がダンスをするのを催促する視線だった。

 店の誰かがオーディオのスイッチを入れて大音量の音楽が流れ始めた。僕はステージの上で凍り付いたまま立っていた。男たちがネパール語で口々に短い言葉を僕にかけ始めた。言葉は分からなかったが、早く踊れと言われているのだと感じた。男たちの声が段々苛立ってきたことが分かる。このままだと乱暴されるかもしれないと思った。僕はディーパックとヴィカスに助けを求めようと見回したが、二人の姿はどこにも見当たらなかった。

 仕方なく、僕は腰をゆっくりと左右に振った。とにかく踊っているふりをする必要があった。しかし、客席の男たちからのヤジと掛け声は高まるばかりだった。僕はさっき踊っていた女たちの動きを思い出して同じような動きをし始めた。客席からのヤジが歓声へと変わり、掛け声に乗せられて僕は激しく身体を動かした。

 自分がこんな時間にこんな国のこんな場所でこんなことをしていることが現実とは思えなかった。あまりにも突拍子で、恥ずかしい、あり得ない体験だった。ただ、大勢の人に見られている姿は、僕がさっき鏡の中に見た、ネパール人ダンサーの衣装を着た女性の姿であり、僕とは似ても似つかない人物だという安心感のようなものが心の中にあった。

 踊っている時にステージの裏から男がカクテル・グラスを片手に近寄って来た。レーザービームが眩しくて顔はよく見えなかったがディーパックかなと思った。客席からも囃したてられて男から渡されたカクテルを一気に飲んで踊り続けた。

 しばらくして急に酔いが回り、僕は立っていられなくなってその場にしゃがみこんだ。

 僕はそのまま意識を失ってしまったようだった。

 目が覚めたのはホテルの部屋のベッドの上だった。胸が悪くて頭が重かった。昨夜のダンス・バーでの出来事はおぼろげながら覚えていたが、どうやってホテルに帰ったのかは全く記憶がなかった。そうだ、ステージの上で音楽に合わせて踊っていて、途中でカクテルを飲んだのがたたって、急に酔いが回ったのだった。

 ベッドの上に重い身体を起こして目を擦った。何と、昨夜ステージ出来ていた衣装のままだった。どうしよう! 気を失った僕をホテルまで連れ帰ったのはディーパックとヴィカスだろうか? ヴィカスは途中から姿を見ていないし、ディーパックは僕よりも沢山ウィスキーを飲んで相当酔っていたはずだが、誰が僕をホテルに運んだにせよ、服を着替えさせてからにしてほしかった。女装して酔っぱらった姿でホテルの玄関から運び込まれたのなら、少なくとも従業員には見られているはずだ。

 部屋の入り口のドアを見ると、閉ってはいたが鍵がかかっていないことがノブの方向で分かった。ひどい話だ。気を失った客を部屋に運んで鍵もかけずに出て行くとは、泥棒にどうぞお越しくださいというようなものだ。僕は荷物も少ないがパスポートとスマホと財布という貴重品がある。

 ひとこと文句を言ってやろうと思ってフロントに電話を入れ、ティカ支配人に部屋に来るように言ってくれと頼んだ。

 間もなく支配人がやってきたが、一人ではなかった。一緒に来たディーパックの顔を見て気まずい思いがした。

 ティカ支配人は勝ち誇ったような満足気な顔を僕に向けた。ディーパックが昨日とは違う変な目つきで僕を見たので、いやな感じがした。

「昨夜誰が僕をここまで運んだんですか?」

 僕は客として威厳ある態度を示そうと上から目線で支配人に質問したが、自分の真っ赤なスカートが目に入って声が萎んだ。

 支配人はディーパックを指さした。さっきから僕を変な目つきで見ていたディーパックは「全くいい女だ」とだけ言った。

「失礼じゃないですか! 口を慎んでください。それで、ヴィカスはどこに行ったんですか? あなたが一人で僕を部屋に連れて来たんですか?」

 僕の質問に答えたのは支配人だった。「お客さんがステージで気を失った後、ディーパックが私に電話で報告しました。話を聞いて、ヴィカスはすぐに家に帰して、代わりに私がダンス・バーに行ってディーパックと二人であなたをホテルまで運んだんですよ」

 支配人の慇懃無礼な態度が気に食わなかった。

「その姿を人に見られたのではないかとご心配なのですね? 大丈夫、毛布でくるんで運びました。ミスター・ルーベン・ヤングが女装をしてダンス・バーで踊っていたことは誰も知りません」

 支配人は邪悪な笑みを浮かべてこう付け加えた。

「但し、私がその気になれば、その事実を世界中に公表することが出来ます」

「ど、どういう意味ですか?」

 動揺する僕を横目に、ディーパックが待ってましたとばかりスマホをティカに渡した。ティカはスマホを操作して動画を表示した。そこには僕がステージで踊っている姿が映っていた。客席の男たちを誘惑するような目つきで腰を蛇のように動かしていた。

 恥ずかしい動画を見せられて僕は赤面した。気づかないうちにディーパックに撮影されていたのだ。ディーパックに対する強い怒りが湧いてきて僕の顔はますます赤くなった。

「いったいどんなつもりで! 今すぐ動画を削除してください。}

「残念ながら動画は削除できません。画面をよく見てください。これはユーチューブの画面です。既にユーチューブにアップロード済みですが、タイトルに『ダンサー』と書いてあるだけなので、誰がどこで踊っているのかは分かりません。あなたの家族や友達が見ても、あなたが女装した姿だとは気づかないでしょう。しかし、もしタイトルを変更したら状況は急変します。例えば『十八歳で女として目覚めたルーベン・ヤングの妖艶な踊り』とか」

「冗談ですよね? もしそんなことをされたら僕の評判はガタ落ちです。大学でも笑いものになるのは確実です」

「大丈夫、落ち着いて。私の言う通りにすれば、そんなことはしませんよ」

――脅すのか……。脅してお金を巻き上げようとしているのだ!

「いくら欲しいんですか?」

「誤解しないでください。私がそんな無節操な悪人に見えますか?」

「お金でないとすると、何が欲しいんですか?」

「何でもない事です。その服を着たまま今日一日ご自分で市内観光に行ってください。その服は明日ダンス・バーに返却します。この美しい姿を一晩だけで終わらせるのはあまりにも惜しい。それが私の望みなのです」

「ほ、本当にそれだけでいいんですか?」

「私を信じてください。ご自分でもお分かりの通り、あなたがその格好をしていたら誰もミスター・ルーベン・ヤングだとは分かりません。あなたはいかにも西洋人ですという顔ではありません。ネパール人にも色白な人はいるから目立ちませんよ。胸を張って、気兼ねなしにネパールで異性になった体験ツアーをすればいいのです」

 支配人とディーパックは外人客を無理やり女装させてネパールで女性としてのツアーを体験させることに喜びを覚える変態なのだろうか? とにかく、今の僕にとっては変態的要求に従う以外の選択肢は無さそうだ。衣装は明日ダンス・バーに返却すると言っているから、今日一日だけ我慢すればいいのだ。


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