未来が見える少女
親友の兄貴は女子高生?
【内容紹介】本人ではなく親友の兄弟が女性化する小説。女子高生の深沢芽依は学校からの帰り道、落ちてくるドングリをキャッチしようと試行錯誤しているうちに、自分が数秒後の未来を予見する超能力を持っていることに気付く。そんな超能力が思わぬところで役に立つが、お陰で芽衣はとんでもない事件に巻き込まれる。
第一章 落ちるドングリ
部活が終わっての帰り道、公園の遊歩道を歩いていたら何かが頭に落ちて来た。
痛くは無かった。
コツン、ではなく、ポトンという感じで頭に当たった。
何だったのだろう?
その時、風が吹いて何かがパラパラと落ちて来た。ひとつではなく、二つ、三つ。
足元に転がったのはドングリだった。
二、三日前から急に冷え込んだからだろうか、風が吹いて熟したドングリが木から落ちて来たのだ。
足元を注意してみると沢山のドングリが散らばっている。遊歩道の舗装された部分には少なくて道路の端っこの、土との境の部分に沢山のドングリが転がっていた。雨水が道路わきへと流れるように、ドングリも高い所から低い所に転がったのだろう。
よく見ると、木製の高級家具のような光沢のあるドングリは少数派で、土ほこりで汚れたり、割れ目が入って腐りかけのドングリが多い。
「ドングリって美味しいのよ」
田舎の叔母が言っていたのを思い出した。
「シイの実ならそのまま食べられるし、それ以外のドングリはアクを抜いて食べるの」
そう思って見回すと美味しそうなドングリが沢山あった。
でも、きたない!
例え何回も洗ったとしても、犬がオシッコをする道端に落ちているものを食べることは私にはできない。
そうだ! ドングリが地面に落ちる前に手で受け止めればいいんだ!
それは突拍子もない発想かもしれない。ポケットを落ちて来るドングリで一杯にするには何時間もかかるのではないだろうか?
いや、そんな後ろ向きな姿勢からは何も生まれない。とにかくやってみよう。
さっき風が吹いた時にパラパラと落ちる音がした辺りに行って歩行者の通行の邪魔にならない場所に立った。木の枝を見上げて、落ちてきたら受け止めようと精神集中した。
一、二、三、四、五、六……
十一まで数えた時に小さな黒いものがスーッと落ちて来てポトリと地面に落ちた。
速い! 思ったよりはるかに速いスピードで落下した。
イチローのような動体視力があればドングリが止まって見えるかもしれないし、サッと手を動かしてつかみ取るのも不可能ではないだろうが、私には無理かもしれない……。
数秒後にもう一つ、更に十数秒後にまとめて数個落ちて来た。
さすがに速いが、だんだん「球筋」が見えるようになってきた。
数分間見ていると、一瞬だが目の数十センチ前にドングリが止まって見えた。よし、これなら捕れるかもしれない。私の動体視力はイチロー並みなのだろうか?!
次に落ちて来たドングリをさっと手でつかもうとしたが、間に合わなかった。脳が視覚からの情報を受けて手に「動け」いう指令を出し、実際に手が動くまでにはタイムラグがあるのだ。そして手を動かすスピードの問題もある。
やはり一介の女子高生がイチローに敵うはずがない。
でも私はあきらめずに次のドングリを待った。
手の動きが俊敏になってきた。しかし、私の手はドングリが落ちた直後に虚しく空を切り続けた。
やっぱり、私には無理なんだ……。
そう思うと、ふぅーっと力が抜けた。自分が持っている動体視力と瞬発力を最大限に絞り出そうと極度に張りつめていた緊張状態が解けた。
気が付くと、何気なく動かした右手が落下してきたドングリをキャッチしていた。
なんだ、できるじゃない!
次に落ちて来たドングリは左手で捕った。簡単だった。
それまでは落ちて来るドングリをできるだけ高い所で見つけようとして必死で上の方を見ていたのだが、先ほどから目の前に止まった状態のドングリが、実際に落ちて来る前に見えるようになっていた。それを手で横からはたくようにして掴めばいい。
手の中のドングリを制服のスカートのポケットに入れた。
それから後は簡単だった。手の届く範囲に落ちて来るドングリは全て難なくキャッチできた。いや、「全て」というのは言い過ぎだった。ほぼ同時に落ちて来るドングリの数が二個なら右手と左手で一個ずつ捕れるが、三つ以上だと無理だった。
半時間ほどでスカートのポケットがドングリで一杯になった。
気が付くと陽が落ちかけて、辺りが暗くなっていた。
いけない、早く帰ろう。
公園で木から落ちて来るドングリを空中で採取していた女子高生が痴漢に遭う。それではシャレにならない。友達から一生「ドングリの芽依」と呼ばれることになる。私はポケットからドングリが飛び出さないように手で押さえながら、家まで走って帰った。
***
「遅かったわね。またどこかで道草を食っていたの?」
母がニンジンの皮をむく手を止めて私を迎えた。
「私は犬のオシッコがかかった道端の草なんて食べないわよ」
「今のは座布団一枚あげてもいいわ。あらっ、ポケットが膨らんでいるわね。制服のスカートのポケットにむやみに物を入れちゃダメよ。プリーツの形が崩れるから」
「そうよね。制服のスカートの左右にポケットがあればバランスがとれるんだけど……。今日は大事なものが入ってるの。ママにも見せてあげる」
私はシンクの上の棚から手鍋を取って、ポケットの中のドングリを全部入れた。
「まあ、汚い! 女の子が土の上に落ちていたものを洗わずにお鍋の中に入れるなんて信じられない」
「おあいにくさま。この中に落ちていたドングリはひとつもないわ。落ちてくるところを空中で掴んで取ったものばかりよ」
「芽依ったら、よくそんな作り話を思いつくわね」
「本当だってば! 嘘と思うのなら、明日一緒に公園に行って実演してあげる」
「動いている物をさっとつかみ取るなんて、宮本武蔵じゃあるまいし」
「誰、それ? 野球選手? イチローよりもすごいの?」
「宮本武蔵を知らないの? 巌流島で佐々木小次郎と決闘した、江戸時代の剣豪よ。ご飯を食べているときにハエがうるさく飛び回っていたのを、空中でお箸で挟んだのよ。そして何事も無かったかのように食べ続けた」
「サイテー! 超フケツな人ね。私ならそんなお箸は洗剤でゴシゴシ洗っても二度と使えないわ」
「江戸時代の話よ。男の人だから仕方ないわ」
「いくら有名な剣士でもそんな男にキスされたら耐えられない」
「話を逸らさないで。やってみれば分かるけど、飛んでいるハエを空中でお箸で掴むというのは誰にでもできることじゃないわよ」
「ふーん、確かにそうかも。ハエってすごく速いスピードで飛ぶものね。動体視力の問題というより、いくら速くお箸を動かしても追っつかないわ。多分その宮本武蔵とかいう不潔な男には、次の瞬間に空中でハエが静止している姿が見えたのよ」
「宮本武蔵には未来を予知する能力があったというわけ? 芽依らしい仮説ね」
「ちょっと違うのよね。未来を予知するというほどのものじゃなくて、動いている物の次の瞬間の姿が止まって見えるの。だからそこにお箸を持っていくと簡単に掴める。私もそうやってドングリを捕ったのよ」
「芽依に悪気があってウソを言ってるんじゃないことをママは分っているけど、ヨソの人にそんなことを言うと虚言癖があると思われるわよ」
「ハァ? 信じないの? 見てよ、このドングリ。全然ホコリがついていなくて、ツヤがあるでしょう? もし落ちているのを拾ったのなら、実とハカマの間に土やホコリがついていると思わない? 落ちていたドングリを水で洗ったとしたら濡れているはず」
「ホントだ! 芽依の言う通りだわ。お鍋の中のドングリは全部が同じように新しくて、木から手で摘み取ったみたいだわ」
「ほら、私が本当のことを言っていたことが分かったでしょう?」
「早く着替えてらっしゃい。ベランダでポケットを裏返しにして、木くずとかが残っていないようにきれいにするのよ」
母が認めたのはドングリが粒ぞろいで汚れていないということだけだった。次の瞬間が見える能力を私が持っていると信じたわけではないのだ。
大人ってどうしてこんなに頭が固いのだろう? 私も自分の隠れた能力に気づいたのは偶然だった。ふと緊張が緩んだ時に、それまで息を潜めていた能力が出てきたのだ。もしあの時に「見えるはずはない」と思って見過ごしていたら、私は一生自分の能力に気づかなかっただろう。
私のDNAの半分は母から来ているのだから、母にも同じ能力があるかもしれないのに……。
宮本武蔵という男性は、剣の道を究める修行の中で、きっと偶然ある瞬間に自分の能力に気づいたのだと思う。対戦相手の次の瞬間の剣先が見えれば、相手を倒すのは簡単だ。だから勝ち続けて生き残り、剣豪と呼ばれるまでになったのではないだろうか。
イチローには残念ながらその能力は無さそうだ。動体視力と卓越した身体能力、それに経験値を重ねてあれほどの実績を残しているのだ。
多分、偉大な王貞治さんを含む野球選手には、宮本武蔵や私と同じ能力は無かったはずだ。もしあれば、バッティングはティーの上に乗せたボールを叩くのと同じぐらい簡単だから、打率が三割や四割で収まるはずがない。いや待てよ、ボールを楽に打てても打球が内野手の守備範囲内に飛んだり、外野まで飛球が行っても外野手が捕ればアウトだから、五割、六割もの打率は難しいんだろうか……。
私は自分の部屋に行って、スチーマーのスイッチを入れてから制服のスカートをハンガーに吊るし、ウェストがゴムのロングスカートに履き替えた。
スチーマーを手に持ってプリーツがシワになっている部分に集中的にスチームを浴びせる。毎日二、三分の作業だが、母がそのためにスチーマーを買ってくれて、スイッチを入れれば一分後には使えるように置いてある。私が毎日シワの無いスカートで学校に通えるのはこのスチーマーのおかげだ。
明日も公園でドングリを集めようかな。能力を研ぎ澄ます訓練のためにはそれもいいかもしれないが、王貞治さんやイチロー選手さえ授からなかったほどの超能力を、ドングリ集めにしか使わないというのは宝の持ち腐れだ。他に使い道は無いだろうか?
野球選手になるというのはどうだろう?
高校野球連盟は石器時代のような脳ミソで凝り固まっていて、女子が選手になることを認めていないが、プロ野球は女性にも門戸を開いていると聞いたことがある。確か、クラスの男子が読んでいたマンガに女性のピッチャーが出ていた。
私が実際に野球をしたのは体育の授業だけで、それもソフトボールだが、中学時代に父と一緒にテレビで野球を見るのが好きだったので、野球にはうるさい。止まっているボールなら私でも打てるようになるはずだ。
しかし、私の目には止まっているボールでも、実際には時速百数十キロで動いているのだから、私の力で打っても前に飛ばないかもしれない。振る度にバットに当たっても、ボールがチョロチョロと転がるだけなら、観客から失笑を買うだけだ。
それにデッドボールが問題だ。次の瞬間に胸を直撃するボールが見えたとしても、俊敏に身体を動かしてボールをよけることが出来るだろうか? バットを胸の前にサッと持ってきてバントをすることぐらいならできるかもしれないが……。
強いボールを投げる力が無いのも私の弱点だ。ということは守備は無理だ。パリーグには指名打者制度があるが、普通、指名打者はホームランバッターだ。弱いゴロしか打てない私は指名打者としては使ってもらえないだろう。
野球の始球式で女優が投げるのをテレビで何度か見た。ノーバウンドでキャッチャーに届いたらアナウンサーが大げさに褒める。長身女優の菜々緒が始球式でノーバウンド投球をする動画をユーチューブで見て、女性としてはカッコいいと思ったけれど、プロの野球選手と比べるとまるで子供の投球だった。
私は小さい時から体育は得意で足も速いし、身長も女子の平均より高いが、残念なことにパワーが無い。やはりスポーツ選手になることは、選択肢から外した方がいいだろう。
ベッドに寝転がって超能力を活かす方法について脳ミソを絞ったが、グッドアイデアは浮かんでこなかった。
「あっ、ドングリの事を忘れていた」
スマホでドングリの調理方法について調べた。シイの実以外のドングリは皮をむいて数日間天日干しした後、ミキサーで粉砕したものを水に漬けてアクを抜くという、面倒な処理をする必要があることが分かった。
「ドングリなんて食べなくても百均でミックスナッツかムキ栗を買う方が賢いかも」
ひとり言を言いながら台所に行った。
「ママ、私のドングリはどこ?」
「玄関に置いたわ。見てきてごらん」
玄関に行くと、クリスタルグラスにドングリを盛り付けて棚の上に置いてあった。秋の訪れを感じさせる、さりげないオブジェだった。
「ママの超能力の方がずっと素敵だわ」
私は自分の負けを認めた。
第二章 母の超能力
夕食の後、父がソファーに座ってケーブルテレビで野球中継を見ていた。父はいつも私が相手にしてあげると喜ぶので、父の横に座って話しかけた。
「もうセ・リーグもパ・リーグも順位は決まったんじゃなかったの?」
「今日は大谷翔平が四番でピッチャーなんだ」
「大谷選手は私の友達が結婚したいスポーツ選手ランキングで錦織圭と並んでトップよ。私は体操の白井選手みたいなきれいな人も好きだけど。パパが好きな女子スポーツ選手は誰なの?」
「芽依、悪いけど頼むから今日は邪魔しないで見させてくれ。大谷のメジャーリーグへの移籍が決まったのは知ってるだろう? 日本でプレイするのは今日が最後かもしれないんだ」
そうだ。ドングリと同じように、大谷が投球する前にボールが見えるかもしれない。テレビを通した画像では私の超能力は働かないだろうか?
神経を集中させると、大谷が投球動作を開始する前に、外角高めにストレートが入るのが見えた。
「次は外角高めのストレートよ」
「分かってないなあ、次は低めに入る変化球だ」
私が予言した通りのボールがキャッチャーのミットに収まった。
「まぐれ当たりか。まあ、外角高めのストレートという言葉を知っているだけでも女子高生としては褒めてやろう」
「次は内角のストレートが低めギリギリに入るわよ」
「何言ってんだ。今度こそは間違いなく変化球だ」
大谷の投球は内角低めにズバリと決まった。父はバツが悪そうな表情でつぶやいた。
「まぐれ当たりが二回続くとはな……」
「もう一球続けて当たったら、私が欲しいものを買ってくれる?」
「三回続けて当たる確率は、えーと……」
「買ってくれるの? 買ってくれないの?」
「買ってやるよ」
「フォークボールが外角にストンと落ちてボールになる」
「まさか……」
大谷は私が言った通りのフォークボールを投げて、バッターは空振りした。
「ちょっと高いんだけど、私が欲しかったワンピースは約束通りに買ってくれるわよね?」
「芽依、どうして分かったんだ? 球種と球筋の組み合わせが三球続けて当たる確率は千分の一以下になるはずだ」
「ま、野球センスの問題かな」
「ママ、聞いてくれ! 大谷の投球の球種と球筋を芽依が三回続けてピタリと当てたんだ!」
父がソファーを立ち、台所で洗い物をしている母のところまでわざわざ行って、興奮気味に訴えた。
「聞こえてたわよ、あなたが芽依にワンピースを買う約束をしたのは。当然あなたのお小遣いから払うのよね?」
父は外角のボール、外角のストライク、中央、内角のストライク、内角のボールの各々について高めのボール、高めのストライク、中央、低めのストライク、低めのボールと、合計二十五種類のゾーンがあるということと、球種は専門的に言うともっと多いが、仮に四つしかないとしても、ゾーンと球種の組み合わせを言い当てられる確率は百分の一であり、それを三回連続で当てる確率は百の三乗だから、百万分の一だという理屈を母相手に熱弁した。
「ああ、それはすごかったわね」
全く興味がなさそうな口調で母が言った。
「芽依は天才かもしれないぞ」
「もし天才だったら、テストでもう少しマシな点を取ってくると思うけど。あなたが野球などという女の子にとってどうでもいいことに芽依を引っ張り込んだから、その分勉強がおろそかになったんじゃないの?」
父は可哀そうなほどしょげて戻ってきて力なくソファーに腰を下ろした。今のは母が悪い。夫が目を輝かせることを全否定するのは妻として間違っている。クラスの男子もそうだが、こちらが全く興味がないことを煩わしいタイミングで話しかけてくることはよくある。嫌いな相手は別にして「へえ、そうなんだ」とか「すっごーい」という程度の反応をしてあげないと、そのうちに私が男子の興味の対象から外れることになる。
「パパ、種を明かすけど、絶対に誰にも言わないと約束してくれる?」
父を元気にしてあげようと思って仏心を出した。
「教えてくれ、秘密にするから」
「実は、ボールを投げる前に、投げた後の様子が目の前に見えるのよ。今日学校の帰りにドングリが落ちてくるのを見ていて気づいたの」
「芽依には未来予知能力があるというのか!?」
「それほど大げさなものじゃないの。一秒後か五秒後か十秒後か分からないけど、ドングリやボールが動き始める前に、動いた後の画像が静止して見えるんだ。未来が見えるというより、ものが動いた様子が、動き出す前に見えるのよ」
「もう一度テレビを見て言い当ててくれ」
試合は攻守が変わって、オリックスのピッチャーが投げていた。
「次は真ん中低めに外れるボールよ」
その通りになり、父は「本当だ!」と呟いた。
「次は内角高めのストレートが、胸スレスレに入る」
バッターがのけぞる速い球が高めに入った。
「これは偶然ではあり得ない。芽依の言うことを信じるよ」
と父は大きくうなずいた。
「じゃあ、これはどうだ?」
と言って、父はスマホを取り出し、青いアイコンをクリックした。画面に棒グラフが表示されて、一番右の棒の上端が上下に動いている。
「これはFXといって、米ドルが今何円かという相場が表示されている。ここをごらん、今の相場は112.400だ。もしこの右端の棒が上に白く伸びれば円安になって、下に黒く伸びて行けば円高になる。次にどうなるかを芽依に見える通りに教えてくれ」
「白い棒がここまで伸びたわよ。ほら、この目盛で言うと112.600の辺り」
「本当か! じゃあ買いを入れるぞ」
父はスマホを起用に操作した。
「大分上がってしまったが112.514で買えた。その後、どうなってる?」
「この線の辺りで止まってるけど」
「112.660になるということだな。よし、112.650で指値売りしよう」
父は興奮している。棒が上に伸びると「オオッ!」とか「ヨシッ」と叫んだ。
「ヨッシャー、112.650で売れたぞ」
「売るとか買うとか言ってたけど、ゲームなんでしょう?」
「バカ、ゲームじゃない。リアルマネーを使った真剣勝負だ」
「一体いくら賭けたの?」
「一万ドルだ。1,125,140円で買って、1,126,500円で売ったから、1,360円の儲けだ」
「百万円も賭けたの! ママに言いつけるわよ!」
「もし百万ドル買っていたら136,000円儲かっていた」
「百万ドルというと一億円以上でしょう? うちにそんなお金があるの?」
「証拠金取引といって百万円あれば一億円までの売買ができるんだ」
「悪いけど私、パパが博打にのめりこんでいることをママに言いに行かなきゃならないわ。パパが一億円の博打をして大きく外れたらママと私が路頭に迷うわ。借金のかたに売春をさせられるとか、絶対にイヤだから」
「頼むからママには言わないでくれ。パパは一万ドル単位しか売買したことが無いし、今後もしないことを約束する。損しても儲かってもせいぜい数万円だ。パパの小遣いの範囲内でやるだけで、家計には絶対に迷惑はかけない。それに、FXをやることで外国為替相場に関する知識とカンが養えるんだ。それが仕事で役立つんだよ」
「本当でしょうね?」
「神に誓って本当だ」
「じゃあ、今度だけは見逃してあげる」
「芽依はだんだんママに似てくるな」
それが褒め言葉でないことは分かっていた。
「でも、もう一回だけ教えてくれないか?」
父はスマホの棒グラフを私の目の前に突き付けた。
「教えない。パパを博打に走らせたくないから」
「千円の儲けを毎日六回出せば、一年で二十万円になる。やり方のコツが分かれば売買単位を大きくして、一年で二千万円稼ぐことも夢じゃないんだ!」
「パパ、もし今後一度でもその棒グラフを私に見せたら、私、パパと離婚するようにママに勧めるわよ」
「分かったよ、もう頼まないよ。あーあ、芽依の超能力を使えば楽に金持ちになれて、ワンピースなんか毎日でも新しいのを買ってやれるのに……」
「そんなの買ってほしくないわ。雑誌やネットで探して色々考えた上で欲しいものをバイト代で買ったり、パパやママに買ってもらうのが楽しいのよ。私、今のままがいい」
父はがっくりと肩を落としていた。
台所に行くと母が私の頭を撫でてくれた。
「変な空想ばかりしている女の子だと思っていたけど、芽依がパパと話をしているのを聞いていて心強かったわ。芽依は結婚したらきっといい家庭を築くことができる。男に分不相応なお金を持たせたら、女遊びに走ったり、まじめに働かなくなったりするから、ろくな結果にならないもの」
「そうよね。この間ママから『男をどう操って自分の幸せを築いていけるかが女の能力だ』と聞いた時には、ママって古いなと思ったけど、やっと意味が分かった気がする」
私は母のDNAを濃く受け継いでいることを実感して嬉しかった。だから私は父の事が好きなのだろうなと思った。
第三章 片腕のライラ
翌朝、公園を通って登校したがドングリは落ちてこなかった。私は自分の超能力を使いたくてうずうずしていたが、その機会は見当たらなかった。学校に着くまでに役立ったのは、公園の側道を反対側から走ってきた自転車が、落ちていた木の枝を避けようとして急に私の方向にハンドルを切った時だけだった。私はその様子が二、三秒前に見えていたので進路を側道の左端に変えていた。もし予見できなくても衝突はせずに自転車が私の身体スレスレを通過していたと思うが、とにかく超能力のおかげで危険を回避することができた。
学校に着いて、廊下を反対側から歩いて来る生徒とスムーズにすれ違うために、私の予見能力は役立った。特に友達と一緒に歩いている男子は急に横跳びしたり、走り出したり、予想がつかない行動をすることがあるが、予めその姿が見えるので、ぶつかって不愉快な思いをするのが避けられる。
授業中にも先生の次の動きを予見することが出来たが、特にメリットは感じなかった。例えば、寝不足で居眠りをしそうな日に、先生が私の席の方に歩いて来るのを予見できれば役に立つかもしれないが、眠りかけの状態で予見できてもそのまま居眠りしてしまうのがオチだ。
動くものの先を読むには、対象物に神経を集中させたうえで「引き金を引く」必要がある。神経を集中させるというと、脳を緊張状態にして注意を一点に集中することだと考えがちだがそうではない。神経が集中した状態とは頭の中が空っぽになって全身がふわっと弛緩した状態であり、その状態で「動いた後の姿を見たいと考える」ことで引き金が引かれる。
私が自分の予見能力に気づいたのは、そのコツを偶然会得したからだった。特に余計な神経を使うわけではなく、そんな神経集中状態を維持して、適宜引き金を引くだけだから、予見能力を使い続けても疲れるということはなかった。
二、三日すると私は自分の超能力に飽きてきた。父を博打の道に誘い出すぐらいしか使い道が無さそうな超能力なら、失くしてしまった方がいいと思った。
***
翌週の水曜日は短縮授業で、午後二時半に学校が終わることになっていた。私は親友の橋詰真凛と「片腕のライラ」を見に津田沼シネマに行く約束があった。「片腕のライラ」はトルコで制作された映画で、イラクの少女ライラがイスラム過激派組織に拉致され奴隷として売られるが、自力で逃亡しトルコに辿り着くまでの二年間を描いた問題作だ。
日本での上映が決まった時に、「片腕のライラを見るものに死を!」という動画がユーチューブで流れたことで注目を集めた。「映画を見たものは主人公のライラと同じ目に遭うことになるだろう」という日本語字幕が入っているらしい。つまり、イスラム過激派にとって見られたくない内容の映画だということだ。私のように好奇心が旺盛な人間としては、そんな風に脅されると却って見たくなる。真凛も私と同じタイプで、「絶対に行こうね」ということで意見が一致した。
もし日本のヤクザにそんなことを言われたら、真凛も私も決して見に行かなかっただろう。千葉では中東系の人を見かけることは滅多にないから、イスラム国戦士なんてヤクザの何分の一の怖さしか感じない。
二時半に真凛と一緒に高校を出て津田沼シネマに向かった。上映開始は三時半だからまだ十分に時間はある。電車を津田沼駅で降りると津田沼シネマのあるビルまでは徒歩五分だ。
エレベーターを八階で降りた。
「あっ、居た。やっぱり来たのね」
映画館の入り口の手前に私たちと同じ制服の女子高生が立っているのが見えた。あごが隠れるぐらいのボブで、前髪を眉の位置でパッツンして、サイドは頬が半分隠れるように垂らしている。一目で広瀬すずのフォロワーと分かるヘアスタイルだが、結構似合っていた。
「誰? うちの高校にあんな子が居たっけ?」
と私は小声で真凛に聞いた。
「私のきょうだいよ。紹介するわ」
その女子高生がスカートを左右に揺らしながら私たちに近づいて来た。
「やっぱり来たのね、樹凛!」
と真凛が言うと、樹凛と呼ばれた女子は恥ずかしそうにうなずいた。
「芽依、私のきょうだいの樹凛よ。樹凛、この子が私の親友の芽依」
真凛に紹介されて、
「樹凛ちゃん、よろしくね。一年生か二年生なの?」
樹凛は伏し目がちにうなずいた。さっきからまだ樹凛の声は聞けていない。普通なら上級生から質問されたら「二年生です」とか返事をするところなのに。これはかなり内気な妹だ……。
窓口に並び、ポケットから財布を出して、学生証を三人同時にカウンターに置いた。津田沼シネマはチェックが厳しくて、私たちのように誰の目にも一見して高校生と分かる人でも、学生証を出さないと高校生料金の千円は適用されず、千八百円の大人料金になってしまう。
希望通りE列の中央の三席が取れた。前に椅子が無くて足を投げ出せる席だ。映画の公開日の上映開始十分前に来たのに特等席が取れるということは、客の入りが悪いに違いない。やはり、イスラム国の脅しを気にする人が多いのだろう。
入場口を通って、廊下を奥の突き当りのドアへと進んだ。入ると、最前列中央に二名、他はまばらに七、八人が座っているだけだった。私たちを含めて十人強の超閑散状態と言える。真凛が中央に、私が真凛の左に、樹凛は真凛の右に座った。
「樹凛ちゃんは二年何組なの? 真凛に妹さんがいるとは全然知らなかったわ」
樹凛は私の方を向かずにじっとしている。うつむき加減にしているので表情は髪に隠れてよく見えない。
「シャイな妹さんね」
と私は真凛に言った。
その時、樹凛は真凛の耳に手を当てて何かを話した。
「うふふ、分かったわ。気をつけてね」
と真凛が答えて、樹凛は席を立って出口へと向かった。
真凛は私の耳元で小声で言った。
「家を出る時にトイレに行ったのに、緊張したみたいで、またオシッコがしたくなったんだって」
「トイレに行くならヒソヒソ声で言わなくていいのに。妹さんは恥ずかしがりなのね」
「樹凛は妹じゃなくて、私の上のきょうだいなのよ」
「高校二年じゃなかったの?」
「ひとつ違いで、大学一年よ」
「でも、うちの高校の学生証を出してたじゃない」
「しーっ、あれは、ギゾウ」
「え、えーっ! マズイよ、それは」
「聞かなかったことにしといて。そうじゃないと芽依も共犯になるから」
「ひとつ違いのお姉ちゃんが居たのか……。キリンという名前なのに身長は私と同じぐらいしかないというのが皮肉ね」
「四年上のアネキの華凛と私が百七十センチ以上なのに、アニキの樹凛だけが百六十三しかないというのは確かに皮肉よね」
「アニキじゃなくてアネキでしょ」
「しーっ! 樹凛はアニキなの。男子高校生の学生証を偽造して一人で映画館に来るとバレる確率が高いから、私が芽依と来る機会に女子高生の恰好で紛れ込ませたのよ。樹凛が本当に言われた通りにするとは思わなかったけど……」
「その話、本当なの?!」
樹凛がトイレから戻って来るのと同時に開演のブザーが鳴った。
「後でまた詳しく話すわ」
と真凛が言って、私たち三人はスクリーンを向いて椅子の背にもたれた。
真凛の隣に座っている可愛い子が大学一年の男子だと知って鼓動が高まった。いや、決して異性として興味があるわけではない。何故だか、妙に気持ちがソワソワするのだ。よりによって、私たち三人の中で一番弱々しくて女々しそうな子が男だとは……。おまけに男子に受けやすい恥ずかしがりブリッコのタイプだ。但し、可愛く見えるのはヘアスタイルと、うっすらメイクのせいが大きいかもしれない。
他の映画の予告PVが終わって「片腕のライラ」が始まった。
舞台はイラク北部の町に祖父母、両親と三人の子供が住む小さな家。ライラは三姉妹の真ん中の十六歳の明るい子だ。ある日、イスラム国の数十名の戦士が来る。町の男たちは殆ど抵抗する術も無く、町は占領される。ライラの家にも銃を持ったイスラム国の戦士たちが入って来て、祖父と父は引っ張って行かれる。戦士は女たちに「家の中から動くな」と命令して出て行く。
町の男たちは広場に集められて機関銃で一人残らず殺される。女たちは家の中で機関銃の音を不安気に聞いている。銃声が鳴り止んだ後の数分間の静けさ。しばらくして戦士たちが戻って来て、ライラたち三姉妹は家から引っ張り出される。戦士は祖父母と母に「家から一歩でも出たら殺す」と言い残す。
ライラたちは引っ張って行かれながら広場の光景を見て何が起きたのかを悟り泣き叫ぶが、銃床で小突かれて進むしかない。
――男は大変だ。こんな場合には有無を言わさず殺される。女は生かされる……一応。レイプされてから殺されるか、戦士の「女」にされるか……。どちらも地獄だが、私はひとまず生かされる方がいい気がする。
あちこちから少女たちが連行されて大きな建物へと連れて行かれる。ほどなく、集められた少女の数は百人ほどになる。十代の半ばから二十代前半まで。中には七、八歳の少女もいる。
「服を脱げ。全部だ。裸になるんだ」
少女たちの口から当惑の声が洩れる。首領格の男が天井に向けて銃を放つ。少女たちは震えあがる。
「すぐに脱ぐんだ。十、九、八、七、六、五……」
少女たちは真っ青な表情で全裸になる。片方の腕で乳房を隠し、もう一方の手を大事な部分に当てる。
「両手を組んで頭の上に乗せろ」
品評会が始まる。
「最も美しい女たちは我々のために」
ライラの姉を含む十数名が選ばれて服を着ることを許され、別の部屋に連れて行かれる。残った少女たちも服を着ることを許され、数人から十人ごとにトラックに押し込められる。
ライラの独白が入る。
「私たちは性奴隷として売られて行くのだ。イスラム国に村を占領されたら何が起こるか、噂では聞いていた。その場で何人もの戦士に凌辱され、殴られ、蹴られ、煙草の火を陰部に押し付けられる。売られる前に乱暴されないというのは、とてつもなく「幸運」なのかもしれない……」
トラックが走り出す。
その時、私の前に閃光が走り、大爆音がして、私と真凛の顔の間を数センチ角の物体がヒュンという音を立てて通り過ぎた。
――これは映画の中での爆発ではない。この劇場の爆発だ。これから起きようとしている光景が私の目に見えたのだ!
私はその場で立ち上がって叫んだ。
「逃げるのよ。もうすぐこの劇場で爆発が起きる!」
席の前に障害物が無いE列に座っていたのは幸いだった。私は真凛の手を引いて出口へと走った。樹凛もついて来ている。最前列の座席の二人の客が出口に向かって駆けだすのが見えた。
廊下に出ると、全速力で映画館の出口を目指した。私、真凛、樹凛の三人が出口を通過した時、ドーンという爆発音が響いた。
「よかった、間に合って!」
「あのまま座って映画を見ていたら、今頃死んでるわよ! 芽依のおかげだわ」
三人で手を取り合って無事を喜び合った。
「他のお客さんも逃げられたかしら?」
「芽依が大声で叫んだから、皆が後を追ってきたと思うけど、一番後ろの席に座っていたオジサンが座ったまま私たちを見て『うっせーな』と迷惑そうに言っていたわ」
「そのオジサンは死んじゃったかも……」
「芽依の警告を無視したんだから、仕方ないわ」
「でも、爆発が起きることがどうして分かったの?」
女子高生としては低い声で樹凛が質問した。
「まさか、芽依さんは犯人と関係してるんじゃないよね?」
「実は、未来が見えるのよ。というのは大げさで、最近、これから起きることが目の前に見えるようになったの。例えば、ピッチャーが次に投げるボールが、内角低めのストレートだとか。元々ドングリが地面に落ちて土で汚れる前にキャッチしようとしていて私にそんな能力があることが分かったんだけど、ドングリ以外には使い道が見つからなかった。今日初めて役に立ったわ」
「そうなんだ、すごいね。『これから起きること』って、どのぐらい先の未来まで見えるの? 例えば株価が明日どうなるとか?」
「数秒後とか、せいぜい数分後とかまでかな。今日の爆発は一、二分ってとこでしょう? 言っとくけど、相場とか賭け事には興味ないから」
「為替や株のトレーダーになるのが一番だと思うけど」
「パパと一緒。男ってそんなことばかり考えるんだ。もっと世の中のために役立つ使い道が無いかな?」
「今度会う時までに考えておくよ」
「私からも質問させて。どうしてわざわざ女子高生に化けて映画を見に来たの?」
「大学生料金は千五百円だもの」
「普通、五百円節約するためにそこまでする? 本当は、女装するための口実なんでしょう?」
「違うよ。先週末、両親が泊りがけで出かけた時に、華凛ねえさんと真凛に無理やり女子高生の恰好をさせられたんだ。三人で女子高生姿を撮った写真をインスタに流されて、今後は言うことを聞かないと、真ん中の女子高生が僕だとばらすと脅された」
「ひどい姉妹ね!」
「水曜日に真凛が友達と映画に行く時にこの恰好で来るように命令されたから、仕方なく学生証をスキャンして写真と名前を入れ替えたものを作ったんだ」
「それってカツラよね?」
私はさっきから気になっていたことを質問した。
「アネキがコスプレ用に買った安物のウィッグよ。樹凛につけさせてみたら可愛いから驚いたわ。アネキにはもうひとつだったんだけど」
と真凛が答えた。
映画館の入り口には何人もの警官が来ていて、大勢のやじ馬がスマホで写真を撮っている。怪我人や死人が運び出される様子はなかった。多分、大事には至らなかったということだろう。
「職務質問とかされると面倒だから、早くここを離れようよ」
樹凛がそわそわし始めた。五百円ごまかすために女子高生に化けて映画館に来たことが露見するとまずいからだろう。
華凛と私は樹凛の後を追ってエレベーターに乗った。
津田沼駅の手前のマクドナルドに行き、真凛と私はマックシェイク・バニラを、樹凛はホットコーヒーを買って二階の席に座った。
「映画の続きが気になるわ。ライラはどこに売られて行くのかな?」
「売春婦にされるのかしら? 可哀そう!」
「売春婦ならまだましだよ。奴隷にされた女性は身体に爆弾を巻きつけられて自爆テロをさせられることもあるらしいよ。言う通りにしなければ家族を殺すと脅されるそうだ」
と樹凛。
「ひどい!」
「しばらく気をつけた方がいいよ。芽依さんが予知能力を使って彼らの今日の犯行を阻止したから、仕返しに来るかもしれない。拉致されて、売り飛ばされるかも」
「そうよね! 今日の事件に関わったことは内緒にしておかないと、私たちの身に危険が及ぶ可能性があるわね」
「『私たち』じゃなくて『私』だろう?」
と樹凛が憎らしいことを言う。
「奴らから見れば樹凛も『共犯』みたいなものよ」
「初対面で年上の大学生を呼び捨てかよ!」
「あんた、女子高生じゃなかったの?」
わざと周囲に聞こえる声で言うと、樹凛は顔を赤くしてうつむいた。
「もし樹凛が今その格好でイスラム国に拉致されたら非常に困った状況になるわよ。裸にされて品評会にかけられるんだから」
「もう、私の方が年上なんだから、いじめないでよ。とにかく今日の話は私たち三人だけの秘密にしようね」
と樹凛が女言葉で言った。
「真凛が樹凛を妹みたいに扱ってるから、つい私も調子を合わせて呼び捨てにしちゃった」
「私が中学に上がるまでは普通にお兄ちゃんと妹の関係だったの。中一の秋に身長が逆転したんだけど、中二でケンカした時に私が勝って樹凛が泣いたのをきっかけに、呼び捨てにするようになったのよ」
「真凛は背が高いだけじゃなくて筋力もあるから、そんな妹を持った樹凛が不運だったとしか言いようがないわね。話は変わるけど、千円払ったんだから最後まで見たいわよね。入場券を再発行してくれるのかな?」
「いや、映画館としてはテロが怖いから、片腕のライラの上映は中止するんじゃないかな」
「じゃあ、窓口で払い戻ししてもらおうよ」
「今はダメ。二、三日様子を見てからにした方がいいよ。今日の半券はちゃんと持ってるよね? 上映が中止されていなければ片腕のライラを見ればいいし、中止された場合は他の映画の入場券と換えてもらえばいい」
「じゃあ、土曜日はどう? 今週の土曜日はお昼まで課外学習があるから、午後ならOKよ」
「賛成。樹凛も大丈夫よね?」
「大丈夫だけど、また女子高生の恰好で来いって言うの?」
「当たり前でしょう。切符の払い戻しを受けるんだから」
「あ、そうだった」
樹凛がスマホで津田沼シネマの上映予定を検索し、午後二時開始の片腕のライラの上映が中止になっていた場合は、同じ二時から始まる「未来をかける少女」を見るということで三人の意見が一致した。
三人でマクドナルドを出たのは午後五時半だった。
真凛たちと別れ、後姿を見送った。長身の真凛に身体を寄せて歩く樹凛は妹のようで微笑ましかった。
夕食の時、今日の事件のことを父母に話したくてうずうずしたが我慢した。秘密にしようと私から言い出して真凛、樹凛と約束したのだから私が破るわけにはいかない。樹凛が華凛と真凛に命令されて女子高生の恰好で来て五百円ごまかしたことをしゃべったら、真凛も評判を落とすことになるかもしれないから、やはり秘密にしておく必要がある。
幸い、今日は真凛と会うから少し遅くなると言って出かけたので、私が映画館に行ったことは母も知らなかった。
七時のニュースで「イスラム過激派が犯行を予告! 日本でもテロ開始か?」というタイトルが表示され、津田沼シネマでの爆発騒ぎについて報道していた。私たちが映画館の入り口のところに居た時にはまだテレビ局のカメラマンは来ていなかった。あと数分余計にとどまっていたらテレビに映っていたかもしれない。
「幸い男性一名が軽傷を負っただけでした。これは、爆発の直前に観客席に座っていた若い女の三人組が『もうすぐ爆発が起きる』と叫び、負傷した男性以外の全員が避難したためで、警察は三人組の女の行方について調べているとのことです」
アナウンサーの言葉を聞いて冷や汗が出た。テロ組織も間違いなく「若い女の三人組」を探しているはずだ。私がそのうちの一人だったということは父や母にも感づかれないようにしなければ……。
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