ジュリエットになったロミオ
元祖対本家
【内容紹介】深川の本家飯野屋と元祖飯野屋は一家こぞって犬猿の仲のライバル老舗だが、本家の跡取り息子の主人公は元祖の娘と恋仲で、主人公の姉も元祖の跡取り息子と恋仲にある。業績不振のため主力銀行から元祖飯野屋との経営統合を突きつけられて両家は大騒動になる。BL系のTSロマンスコメディー小説。
序章
ステンドグラスを背にして立つ大柄な西洋人の神父さんの慈しみに満ちた低い声が厳かに響いた。
汝は、この女を妻とし、
良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、
病める時も健やかなる時も、
共に歩み、他の者に依らず、
死が二人を分かつまで、愛を誓い、
妻を想い、妻のみに添うことを、
神聖なる婚姻の契約のもとに、
誓いますか?
人生に至高の時間と呼べるものがあるとすれば、今がまさにその時と言えるのだろう。現実世界の波の中を漂い、彷徨ってきた魂が安住の地を与えられようとしている。
本当にそうなのだろうか……。
僕には神父さんの質問を迷いなく肯定する言葉を、心の底から自分の幸せとして受け入れられるという確信が無い。きっとこれでいいのだろうとは思うし、他に選択肢があるとは思えない。でも、何かが違うのではないかという迷いが心のどこかにくすぶっている……。
人生にはピークがあると思う。
「我が世の春」とは言い得て妙な言葉だ。葉を落として冬を越した草木が新芽を出し、太陽に向かって青々と身体を伸ばし、花を開き始める。それが春。自分の周囲の全てのものが明るく、夏と秋に向かってキラキラと輝いて見えるはずだ。
今の僕はそうではない。
結婚式場はきらびやかで、僕たち二人は大勢の人たちに祝福されて夫婦になろうとしているが、僕はバラ色の人生が花を開こうとしているという実感がない。まだ高校生なのに将来の全ての可能性を捨て去って、型にはまった役割を押し付けられることへの抵抗が拭い去れない。正気の沙汰ではないという気もする。
でも、これが僕の運命なのだ。多分、そうなのだ。僕が幸せを装えば家族も喜ぶだろうし、そのうちに慣れてくればそこそこ幸せを感じられるようになるかもしれない……。
「誓いますか?」
と神父さんに答えを催促されて、はっと我に返った。
いけない、大切な宣誓の時に呆然としていては。
僕は神父さんを見上げて、できるだけ明るい声で
「はい、誓います」
と答えた。
第一章 人生のピーク
僕の人生のピークは小学校五、六年の頃だったと思う。あの頃「我が世の春」という言葉は僕の語彙には存在しなかったが、何もかもが順風満帆で、僕はスターだった。
僕の名前は飯野樹里。深川の煎餅屋老舗、飯野屋の六代目飯野荷風の長男として生まれた。二才上に姉がいて、僕は末っ子かつ本家飯野屋の跡取り息子として、家族や従業員からの寵愛と「七代目」としての敬意を欲しいままにして育った。
従業員たちからは「坊ちゃん」あるいは「若」と呼ばれ、近所の悪ガキや不良っぽいグループも僕は全然怖くなかった。どんな不良少年でも一目見て震え上がりそうな若い衆が家に居て、僕が困ったらいつでも馳せ参じてくれるからだ。
そして僕には自慢の姉が居た。従業員たちから「姫」と呼ばれる、飯野百合絵だ。僕が小五になったときに深川女子大付属中学に進学した百合絵は、深川小町と評判の高い美少女だった。悪ガキや不良少年でも美しい女性への敬意と憧れは僕たちと変わらないらしく、わざわざ飯野百合絵の弟が嫌がることをしかけてくる男子はいない。
小五の年の隅田川花火大会の夕方、忘れられない思い出がある。家から徒歩数分の川べりを歩いていると、大人のような身体の中学生に「おい、飯野」と呼び止められて、路地に引き込まれた。ある意味で、人生最大の窮地に立たされた気がして、生命の危険を感じた。
「俺は飯野が好きだ!」
僕の呼吸が止まった。どうしよう。僕は男なのに、デカくて怖い男に今にもキスされそうだった。
「飯野百合絵を愛している。お前の姉さんにそう伝えてくれ!」
「わ、わ、分かりました」
僕が答えると、その中学生は僕を路地に残して駆け去った。
僕は安堵のため息をついた。告白されたのは始めてだった。「俺は飯野が好きだ」と言われた時にはどうなるかと思ったが「飯野百合絵を愛している」と聞いてほっとした。
家に帰って姉に報告すると、姉から
「その子の名前は?」
と聞かれた。僕はその時、告白者が自分の名前を名乗らなかったことに気づいた。
「こんなに背が高くて怖い顔をしている中学生だった」
と僕は背伸びして右手でその中学生の身長を示した。
「それだけじゃあ分からないわ。そのくらいの身長の男の子は沢山いるもの」
姉はそれ以上、その男子が誰かを特定するための質問をしなかった。姉は告白されることに慣れていて、その中学生が誰であろうとどうでもいいし、直接自分に告白せずに夜道で弟に伝言を依頼するような弱虫には興味が無いのだ。
後から知ったことだが親戚の飯野呂美男もそのころから百合絵のファンの一人だったらしい。呂美男は姉と同い年で、小学校の校区は違うが、深川女子大付属中学に進学して姉と同級生になった。父は呂美男のことをせせら笑った。
「紋太の息子は男のくせして女子大の付属中学に入りやがった。女々しい野郎だ」
そして父は僕の方を向いて言った。
「樹里は女子大付中なんかに行くことはないぞ」
きっと父は、二年後の僕の成績が女子大付中に届かないと予測した上で、元祖飯野屋への対抗策として発言したのだと思う。
呂美男とは親戚なのに、ほとんど話をしたことが無かった。呂美男の父親の飯野紋太は「元祖飯野屋」の当主であり、本家飯野屋の六代目である僕の父とは犬猿の仲だった。父から聞いた話によると、飯野紋太は父の叔母が子宝に恵まれず、どこの馬の骨か分からない貧しい子供を養子にしたので、父の従弟だが血のつながりは無いとのことだった。飯野屋で丁稚奉公していた紋太は僕の祖父である五代目が亡くなったときに、誰の許可も得ずに「元祖飯野屋」を深川で開業したという。
皮肉なことに元祖飯野屋は商売繁盛して本家を凌ぐほどの規模になってきたので、父はライバルの紋太が益々嫌いになったというわけだ。
僕が小学校六年になった頃、本家飯野屋と元祖飯野屋は勢力が拮抗していたようだった。縁日の思い出だが、僕が若い衆を従えて歩いていると、呂美男が元祖飯野屋のハッピを着た若い衆に囲まれて歩いて来るのと鉢合せになった。若い衆たちが仁王立ちして睨み合い、僕はその真ん中で腕組みをして、できるだけ怖い顔で呂美男と向き合った。
僕より二才年上の呂美男は中学二年生で、大人並みの身長になっていたので、若い衆に囲まれた姿が様になっていた。呂美男は腕組みもせず涼しい顔で僕を見ていたが、しばらくすると威勢のいい若人の声で爽やかに言った。
「行くよ!」
その声で元祖飯野屋の若い衆の緊張が解けて、
「へいっ!」
と言う声とともに歩き始め、元祖と本家の集団は何事もなくすれ違った。
負けた。本家飯野屋の完敗だった。うちの若い衆たちもそう感じたに違いない。僕はクラスで小さい方から四番目で、華奢な体格だった。顔が姉と似ていることが自慢だったが、泣くたびに若い衆から「妹姫」と言われて揶揄されるのが常だった。「坊ちゃん」として愛されるためには可愛い男の子というだけで良かったが、もう元祖飯野屋の二代目は「坊ちゃん」の域を卒業して颯爽とした若旦那になっていた。
「二、三年も経ったら坊ちゃんもあんな風になりまさあ」
と若い衆に慰めの言葉をかけられ、僕は七代目としての責任を痛感した。
そのあたりから、僕の人生は下り坂に差し掛かったような気がする。
父が推測した通り、僕は女子大付中には合格しなかった。呂美男の妹で僕と同学年の美香は女子大付中に進学し、呂美男、美香と僕の姉の百合絵の三人が女子大付中、僕だけが近所の中学に進んだ。本家飯野屋の七代目が、元祖飯野屋の若旦那に敵わないのではないかという疑いを、若い衆が抱き始めても仕方が無いと思うと悲しかった。
父の推測が当たったわけだが、若い衆たちの「二、三年経ったら」という推測は当たらなかった。僕は中学二、三年になっても声変わりせず、父より背が低いままで、中二で向き合ったときの呂美男のような颯爽とした「若旦那」にはならなかった。
呂美男の父は百八十センチの巨漢だが、僕の父は百五十八センチしかなく、それだけでも本家飯野屋の若い衆は元祖飯野屋の若い衆に対して分が悪かった。将来代替わりして、呂美男と僕が元祖と本家を継いでも、状況に変化は無さそうだった。
僕は父のようなチビの大人になるのだろうか……。僕の人生はまっしぐらに下降するのだろうかと思うと生きていくのがいやになった。小学校の時はクラスの人気者だったが、中学に入ると段々モテなくなった。チビだし、大人しい僕は友達の間でも目立たなかった。
家業が振るわないことも、家のムードに微妙な影を落としていた。僕が小さい時には、元祖飯野屋は亜流であり、深川の人たちにとっては父の飯野屋こそが本流だった。僕が中学に入ったころには元祖と本家の勢いは逆転していた。
今も忘れない悔しい思い出がある。中三の四月のある日、同じクラスになった山崎という男子から昼休みに言われた。
「お前の家は元祖飯野屋のパチモンを作っているらしいな」
僕はそう言われて頭に血が上った。
「バカヤロウ、パチモンはあっちの方だ! 飯野屋の先代が亡くなった時に従業員が許可なしに店を出したのが元祖飯野屋だ。僕のお父さんが六代目として飯野屋を継いだんだ」
「そんなに怒ることないじゃないか。元祖だか本家だか知らないけど、元祖と書いてある方が美味しいと親戚のおばさんが言っていたから、元祖が本物で、元祖がついていない方がパチモンだと思っただけだよ」
山崎に悪気が無いことが分かったので、僕は山崎を許してやった。
その時の悔しさがバネになって、僕はナニクソと勉強し始めた。家業が元祖飯野屋に押され気味だということは僕もそれとなく感じていた。大人になったらいずれは僕が跡を継ぐことになる。このままだと、低能でチビの七代目が飯野屋を継ぐことになり、家族も従業員もますますパチモン呼ばわりされて、悲しい思いをすることになるだろう。見かけは貧弱でも勉強は呂美男に負けないように頑張ろう!
それまで嫌いだった勉強が苦にならなくなり、試験の成績が上がり始めた。秋になって全国模試で上位に入った時には、父がその結果を従業員にも見せびらかした。
その勢いのまま、僕は深川女子大付属高校の入試に奇跡的に合格し、呂美男、百合絵、美香と同じ高校に行くことになった。
不思議なことに、勉強を頑張っているうちに背も伸びていて、高校入学時の身体測定では姉の百合絵と同じ百六十二センチになっていた。父は息子と娘に身長を追い越されて悔しいだろうと思っていたが、それどころか、会う人ごとに「息子と娘が自分より大きくなった」と自慢しているのを聞いて、親とはおかしなものだと思った。
第二章 手芸部の仲間
四月七日の朝、入学式の後で一年二組の教室に行って席に着き、担任の先生が名簿を見ながら一人一人の名前を呼んだ。阿部、阿川という名字の生徒に次いで、三番目に僕の名前が呼ばれた。
「飯野樹里」
「はい」
「君は三年の飯野百合絵さんの弟か?」
「はい、そうです!」
「そっくりだからすぐに分かったよ」
中学に入った時にも先生から同じことを言われたことがある。どんな時でも姉のことを言われると僕は誇らしくてたまらない。
次に名前が呼ばれたのは飯野美香だった。僕は呂美男の妹と同じクラスになったのだった。僕と同じ列の後ろの方から声がしたので、その時はどの女子か分からなかった。小六の時に呂美男と一緒に歩いているのを見かけたことがある。顔はよく覚えていないが、ボテッとした大柄でブサイクな女子という印象だった。
どの女子が美香なのかが分かったのは、その日の昼休みに弁当を食べ終えて、トイレに行こうとして廊下に出た時だった。
「樹里君」
と背後から女子に声をかけられた。
振り返ると背の高い女子が立っていた。クラスで一番背の高い女子で、いわゆる美人系ではないがきりっとした顔立ちの、カッコいい女子がいるなあ、と思っていた人だった。
「あ、元祖飯野屋の妹さんなの?」
「学校では親の商売は関係ないわ。飯野美香よ」
「でも、前に会った時と全然違うみたいだけど……」
「子供の時は太っていたから。中学に入ってから急に縦方向に成長しちゃって……。そろそろ止まってくれないとアニキみたいにデカくなったらヤバイわ」
「うらやましい」
「前に会ったのは小学校六年の時だったわよね。ということは四年ぶりだけど、お姉さんとそっくりだからすぐに分かったわ」
「姉とは知り合いなの?」
「付属中から上がってきた人で百合絵さんのことを知らない人は居ないわよ。アニキと同じクラスだし、百合絵さんとアニキと私の三人で、もんじゃ焼きを食べたこともあるわ」
「ええっ、姉さんが元祖飯野屋の息子や娘と食事に行ったの!」
「あんた、親の商売のことを気にしすぎじゃない?」
「もし父さんに知られたら大変なことになるから秘密にしておかなくちゃ。今日僕が元祖飯野屋の娘と話をしたと知ったら怒るだろうな……」
「まあ、うちの父も本家飯野屋のことは目の敵にしているから樹里君と友達になったことは隠しておいた方がいいかも。お互い大変ね」
美香から「友達になった」と言われてドキドキした。美香は特別な意味ではなく、単にクラスメートという意味で言ったのだと分かっていたが、カッコいい女子から友達と呼ばれて理屈抜きに嬉しかった。
翌日の水曜日、美香から
「一緒にお弁当を食べない?」
と誘われて、手芸部の部室に連れて行かれ、水原結菜という同じクラスの女子と三人で弁当を食べた。美香と結菜は深川女子大付属中学の一年からずっと同じクラスの親友で、家も近所とのことだった。
手芸部の部室には弁当を食べるのに使える机が四つあり、他の三つの机も女子のグループが占拠していた。女の城のような密室に男子一人が紛れ込んでいる状態は居心地が悪く、後ろめたくもあった。
「この部屋で男子がお弁当を食べてもいいのかなあ……」
「当然よ。手芸部は女子限定じゃないもの。実際には男子部員はいないけど。四人が座れるテーブルを結菜と私の二人だけで使うのは気まずいから、樹里が一緒に食べてくれると助かるの」
美香に「樹里」と呼び捨てにされて嬉しかった。
「なあんだ、そういうことか。でも、僕なんかが居ると水原さんが話しづらくない?」
「まさか。元々、樹里を呼びたいと言いだしたのは結菜なのよ。結菜は樹里に興味を持っているから」
これは代理告白なのか……。
「私、中一の時から飯野百合絵さんに憧れていたから、お姉さんそっくりの樹里を見て、友達になりたいと思ったの。姉弟が顔も体格も似ているというのは珍しいわね。百合絵さんは私と同じぐらいの身長だから女子では背が高い方なのに、樹里は男子としては小柄だもの。樹里も私と同じ百六十三センチぐらいでしょう?」
「一センチほど足りないけど……。母が大柄で父は小さいんだ。お姉ちゃんは母に似て、僕は父に似ちゃったみたい」
「こうやって樹里と話をしていると、百合絵さんと話しているみたいな錯覚に陥って、ドキドキするわ」
「僕だと思うとドキドキしないってわけ?」
「そりゃあ、しないわよ」
「もう、正直すぎるんだから!」
弁当を食べ終えてからも三人でおしゃべりしていると赤いフレームの眼鏡をかけた上級生が歩いてきて、僕の横の空席に座った。
「百合絵の弟さんじゃないの?」
「はい、そうですけど」
「手芸部に入部してくれるのね。歓迎するわ」
「ち、違うんです。お弁当を食べに来ただけで……」
「手芸部の部室でお弁当を食べたということは、もう手芸部に入部したのと同じよ」
「そんな無茶な。僕、手芸なんてやったことないし……」
「生まれつき手芸が出来る人はいないわ。当初は誰でも初心者よ。友達と一緒に楽しみながら覚えればいいのよ。ねえ、飯野さん、水原さん」
「はい、部長」
美香と結菜がボソッとした声で同時に答えた。
「じゃあ、昼休みが終わる前にこの入部届けを出しなさい」
と言ってその上級生は立ち去った。
「ヤダよ、僕。手芸部に入ったりしたら、父さんが『女の真似をするのか』と言って激怒するのは間違いない」
「形だけ入部しなさいよ。そうすれば明日から気兼ねなくここでお弁当を食べられるじゃないの」
と結菜が気休めを言う。
「これからの男性は手芸ぐらいできた方がいいわよ。お父さんには隠しておけばいいのよ」
と美香。
「あの部長がお姉ちゃんにしゃべって、お姉ちゃんが家でお父さんに言うかもしれない……」
「百合絵さんには私から口止めしておくから。さあ、入部届けに名前を書いて」
美香に半ば強制的に記入させられて、部長の所に持って行かされた。
「皆、手芸部始まって以来の男子部員の獲得に成功したわよ!」
と部長が入部届けを高々と示して叫ぶと、キャー、ウワァーと声が上がって僕は約十名の女子に囲まれた。
「この子、飯野百合絵さんの弟なのよ」
「ウッソー!」
「すごい、そっくり!」
「かわいい」
と口々に歓迎された。この分だと僕が手芸部に入部したことが姉の耳に入るのは時間の問題だ。
美香が姉に口止めすると言っていたが、もし父にバレると死活問題なので、僕は午後の最初の授業が終わるとすぐに三年三組の部屋まで走って行って、ドアの所から姉を手招きした。姉は迷惑そうな顔をして廊下に出てきた。
僕は手芸部に入部させられた経緯を話して、親には秘密にしてくれるように頼んだ。
「お父さんが聞いたらどんな顔をするか、すごく興味があるわ」
「お願いだから内緒にして!」
「可愛い弟のことを、告げ口したりしないわよ。樹里には色々頼みたいこともあるし。でも、手芸部の部長の坂口さんはおしゃべりだから、坂口さんから話を聞いた生徒が親にしゃべって、回り回ってお母さんの耳に入る可能性があるわね」
「どうしよう……」
「私そっくりの可愛い男子が入学して、女子みたいに手芸部に入ったという話は結構話題性があるから、お母さんにはバレると想定した方がいいんじゃない? 折を見て樹里の方からお母さんに告白する方が安全よ。お母さんは別に怒ったりしないわよ」
「お母さんがお父さんにバラしたりしないかな?」
「まさか。お母さんが可愛い樹里をわざわざ窮地に追い込むはずがないじゃない」
姉に口止めをしてひとまず安心した。姉に弱みを握られたが、小さい時から姉には弱みを握られっぱなしだから、秘密が一つ増えても、どうってことはない。
美香に弁当に誘われて超ラッキーと思ってついて行ったが、高いものについてしまった。
ホームルームが終わって帰ろうとしていたら、坂口部長が教室に入って来て、部室に来るように言われた。手芸部の新しい担当になった先生から招集がかかったので必ず出席するようにと念を押された。僕は仕方なく美香、結菜と一緒に手芸部の部室に行った。
「部室で弁当を食べる資格を確保するために形だけ入部すればいいんじゃなかったの?」
と僕は結菜に文句を言った。
「まあいいじゃない。手芸も楽しいわよ」
三人で雑談をしながら担当の教師を待った。
しばらくすると、チャコールグレーのタイトなスカートスーツを着た、明らかに母よりは年上のおばさんが部屋に入って来た。きっとこの人が手芸部の担当の先生なのだろう。
部員たちが会話を中断して教師の方を向いた。
「この度、深川女子大付属高校で教鞭をとることになった瀬島咲子です。部活については校長から手芸部の担当を仰せつかりました」
手芸部担当の先生がわざわざ「校長の命令」と言うところにうさん臭さが感じられる。
「皆さんもご存じの通り、深川淑女学園高が深川女子大に経営統合されて深川女子大付属高校となり、翌年に男女共学となり、その後、都内で有数の進学校となりました。この手芸部は深川淑女学園高校の洋裁部に手芸倶楽部が統合されて『洋裁・手芸部』となり、男女共学になった際に『手芸部』に名称変更されました。私は深川淑女学園高校在学中に伝統ある洋裁部の部長をして、深川女子大に進学しました」
部員から「へぇー」と、そこそこの感嘆の声が上がった。瀬島先生がこの部の指導教員となるために十分な資格を持っているのは確かだった。
「三十年も前の話になりますが、深川淑女学園高校の洋裁部員は、自分が着る服は自分で縫うことをモットーにしていました。今の女子高生にそこまで要求するのは無理でしょうが、全員がそのような心がけをすることで、自然に全体のレベルが上がって来るはずです」
数人から「ひぇーっ」と、小さな悲鳴が聞こえた。
面倒な要求をされないだろうかと心配になり、僕は勇気を出して手を上げた。
「あのう、僕はどうすればいいんでしょうか? 小学校の家庭科で雑巾を縫った事しかないんですけど」
「校長から手芸部は女子だけの部だと聞いていたけど、どうして男子が紛れ込んでいるのかな。あなたは誰なの?」
「一年二組の飯野樹里です。今日昼休みにお弁当を食べに来たつもりが、入部届けを出させられて……」
「よほど頑張らないと飯野君が紳士服を作るのは難しいわね。女のきょうだいはいないの?」
「二才年上の姉がいますけど」
「じゃあ、お姉さんのワンピースを縫うことを当面の課題にしなさい」
「ええっ、ワンピースを僕が縫うんですか? 手芸部と聞いたから、ぬいぐるみとかを作ればいいんだろうと思っていたんですけど……」
「しっかりと洋裁の基礎が出来た上で小物を作るのが正しい道です」
と一蹴されて、僕は次の言葉が出なかった。
「飯野君には洋裁の楽しさが早く理解できるように、特別に指導してあげるわ。さぼらないで毎日来なさい」
「ひぇー、マジですか……」
「それに、正しい言葉づかいができるように鍛えるのも指導教員の役目だわ」
続いて、瀬島先生が昨年度の活動状況について質問すると、坂口部長が詳しく説明した。その説明を聞いて、僕は初めて手芸部が何をするところかを理解した。手芸部という名前は実態を反映しておらず、これは洋裁部なのだと分かった。僕は自分にとって最も不向きな部に入部してしまったのだ。
十数名の部員は、服のデザインをするのが好きで毎日デザイン画を描いている人、服を作るのが好きで毎日型紙を作ったり布を切ったり縫ったりしている人、何となく皆と一緒に部活動をしている人の三種類に分類できるようだった。
手芸部では秋の学園祭でファッションショーを開催して部員が作った作品を発表しているが、それ以外にも不定期でミニ発表会を開催することがあるとのことだった。
瀬島先生が思いがけない提案をした。
「深川女子大が毎年六月にキャンパスを一般市民に開放するコミュニティー・オープン・デイで、洋裁学科の出し物としてファッションショーをやっているのを知っているわね? 今年は六月十七日の土曜日に開催されるんだけど、付属高校の手芸部にも作品発表の機会を提供したいという話をもらったのよ。それに参加しない?」
「女子大の人たちだけじゃなく一般の方にも見てもらえる機会とは貴重ですね。是非参加したいです」
と坂口部長が賛成すると、二、三年生の数人が口々に「やりましょう」と言った。
話し合いの結果、二、三年生は希望者が単独か友達とグループを組んで制作し、一年生六名は三名ずつのグループを組んで共同制作することになり、美香、結菜と僕の三人グループで共同作品を作ることになった。
部会が終わり、僕たち三人は昼食を食べたのと同じテーブルに陣取って、共同制作をどのように進めるかを相談した。
「僕が出来ることって殆どなさそうだから、美香と結菜が頼りだよ。よろしくね」
「あっそう。制作を手伝わないなら、モデルを引き受けてもらうことになるわよ。樹里を採寸してドレスを作って、発表会ではドレス姿を全校生徒に披露することになるけど、それでいいのね」
「と、とんでもない。何でも手伝うから、それだけは勘弁してよ。普通、ファッションモデルは背が高いから美香がモデルになるべきだ」
「それはやめといた方が良いわ。私の服だと、膨大な布が必要よ」
「一応私の身体に合わせてドレスを作れば良いわ。私は喜んでモデルを引き受けるけど、もし樹里がちゃんと制作に参加しなかったら、発表会では樹里にモデルをさせることにしようよ」
「それはグッドアイデアね。そうしておけば樹里も必死で協力するでしょうから」
と美香が賛成した。
「じゃあ、樹里もそれでいいわね?」
「いや、ちょっとそれは……」
「樹里が賛成しないなら、モデルを誰にするかは三人の多数決で決めることになるわよ」
と美香が結菜の方を向いて言って、二人でニヤリと笑みを交わした。
その笑みの意味が分かったので、僕は
「分かったよ、それでいいよ」
と賛成した。
美香の提案で、三人がドレスのデザイン画を各々五枚以上書き、月曜日に持ち寄ってその中から一つを選ぼうということになった。僕は絵は下手だし、そんな才能は無いと抵抗したが、それならモデルをやらせると言われたので、賛成せざるを得なかった。
「アマゾンか楽天でレディース・ファッションを見まくって、スカートやワンピースを着たきれいな女性の画像を五つ選んでスクリーンショットを撮って、それを書き写したらいいわよ」
「画用紙じゃなくても、薄めの紙でもいいかな?」
「いいわよ。でも、どうして?」
「薄い紙をスマホの画面にセロテープで貼り付けて、上からなぞるぐらいだったら僕にもできそうだから」
「しょうがないわね。でも、多少のオリジナリティーは必要だから、色は自分で考えて仕上げるのよ」
美香と結菜の許可を得たので、僕は帰宅するとスマホで婦人服を検索しまくった。僕はそれまで男はズボン、女はスカートか女物のズボンをはくものだという程度の認識だった。スカートについては、単なるスカートとワンピースの二種類があるだけだと思っていたが、そんな単純なものではないということを初めて知った。
スカートと言っても長さや幅だけでなく、ウェストの位置、プリーツ、広がり方を含めて、無数のバリエーションがあると知って驚いた。
ワンピースも単なる上下一体型で頭から被れば着られる服だという自分の認識が、いかに粗野で原始的だったかを思い知らされた。
僕は今まで全く知らなかった世界が目の前に開けたことに驚き、ワンピースやスカートの商品ページを一つ一つ見ていくことに熱中した。
その週末はレディースファッションの物色に費やし、モデル写真のスクリーンショットを厳選した結果ワンピース二着、スカート二着とワイドパンツ一着が残った。何を基準に選んだのかと聞かれたら、答えるのは困難だ。スカート自体を選んだというよりは、それを身に着けたモデルの姿が僕にとって魅力的に見えたトップ5を選んだいうのが実態に近いと思う。
モデルの全身像がスマホの画面全体に収まるようにスクリーンショットをトリミングしてスマホ画面に表示し、薄手のコピー用紙をセロテープでスマホ画面に巻き付けて鉛筆でなぞった。僕にとっては最も難しい模写の大枠がこれで出来上がり、紙をスマホから外して鉛筆でメリハリをつけるとデッサンらしくなった。
立体感を出すために鉛筆で軽く陰影を加え、色鉛筆で色付けした。最後に消しゴムを使って余分な線を消したり不自然な部分を修正し、色鉛筆でタッチを加えて仕上がった。
自分にデザイン画が描けるとは思っていなかったが、結構それらしいものが日曜日の夕方に完成した。これで明日美香と結菜に面目が立つ。紙のシワを伸ばすために五枚の用紙をクリアフォルダーに入れて、その上に教科書や参考書を積み上げた。
夕食の後、僕が先に風呂に入り、そのままパジャマを着て居間でテレビを見ていた。午後九時に自分の部屋に行くと、母が勉強机の前に座って、僕が描いたデザイン画を見ていた。
「お母さん、勝手に部屋に入らないでよ」
「洗濯物をタンスに入れに来たら机の上に本が乱雑に積みあがっていたから整理してあげていたのよ。この絵は樹里が描いたのね。とても上手に描けているわ」
「いや、それは僕が描いたんじゃなくて……」
僕はウソを言おうとして口ごもった。
「お昼に部屋を覗いた時に樹里が机に向かって一心不乱に何かしていたから気になっていたのよ。樹里が女の子の洋服に興味を持っていたとは、お母さん、今まで知らなかったわ。お姉ちゃんが可愛い服を着ているのを見ていて、羨ましかったのね。気づいてあげられなくてごめんなさい」
「ち、違うんだ。そんなんじゃないよ。これは無理やりやらされたことなんだ」
僕は手芸部に入部した経緯と、明日デザイン画を持って行かないと発表会でモデルをやらされるという事情について母に説明した。
母は僕が元祖飯野屋の娘と友達になったことを知って驚いていた。
「お願い、お父さんには言わないで!」
「言うわけないでしょ。その代わり、今後は困ったことがあったら必ずお母さんに相談してね。それに、手芸部の活動には部費もかかるし、布や材料を持っていく必要があるでしょう? お母さんの協力なしでは困るわよ」
「どうもありがとう」
「私、深川淑女学園高校時代は洋裁部に入っていたのよ。樹里は知らないでしょうけど、洋裁部が手芸倶楽部と一緒になって、その後、部の名前が手芸部になったのよ。百合絵は洋裁には全く興味が無かったから残念だったけど、樹里が伝統ある深川淑女学園高校洋裁部の後輩になって、お母さんはとてもうれしいわ」
「深川淑女学園高校の洋裁部じゃなくて深川女子大学付属高校の手芸部なんだけど」
「名前が変わっただけよ。お母さんが結婚して柳本恭子から飯野恭子に変わったのと同じこと。樹里とは今まで母と子の関係だったけど、今後は洋裁部の先輩後輩でもあるわけね。深川淑女学園高校洋裁部の先輩後輩の関係は厳しいわよ。これからはビシバシ躾けるからそのつもりでね」
「分かったよ……」
「姿勢を正して『ハイ、恭子先輩』でしょ」
母は五枚のデザイン画の中から一枚を選んで
「私はこれが好きだわ」
としばらく眺めていたが
「ちょっとだけ手を入れてもいいかしら」
と言って、色鉛筆で修正を加え始めた。
それは茶系統のチェックのトップスにベージュの膝丈のフレアースカートを組み合わせたドッキングワンピースで、ハイティーンのモデルが右手でスカートの裾を持ってポーズしているデザイン画だった。
母が少しタッチを加えただけなのに、絵に躍動感が出て、スカートの陰影がとてもリアルな感じになった。僕はスマホのスクリーンショットを表示して元の画像と見比べたが、モデルが写真よりもずっと可愛くて、ワンピースも魅力的に見えた。
「すっごい! お母さんってこんな才能があったんだなあ。服飾デザイナーにでもなれたのに!」
「これは才能というよりも熟練による部分が大きいから樹里も練習すれば上手になるわ。先輩として教えてあげるからね。それに、樹里のデッサンは模写としてはよくできていたけど、魂が入っていなかった。ワンピースを着た経験が無いから、生身のモデルがイメージできないのね。お母さんは樹里がこのワンピースを着た姿を心の中にしっかりイメージして、色鉛筆で樹里の魂を注ぎ込んだのよ」
次元の異なるコメントを聞いて、母のすごさを感じた。同時に、この絵のモデルに僕の魂を注ぎ込んだと聞いて、胸がえぐられたような衝撃を感じた。母が部屋から出て行った後、ベッドに座ってしばらくその絵に見入っていた。
その翌日の四月十三日の月曜日、放課後に部室で美香と結菜と三人でデザイン画を見せ合った。僕は母が手を加えたデザイン画を一番下にして美香に手渡し、結菜が描いてきたデザインをゆっくりと一枚ずつ見ていった。マンガ雑誌から飛び出したようなモデルがパステルカラーを基調とした可愛い服を着ている。結菜はこんな女の子になりたいと思っているのだ。
結菜の作品を見終えて美香に回して、美香は僕の作品を結菜に手渡し、僕は結菜から美香の作品を受け取った。美香の作品は五つとも細長いシルエットの女性がウェストリボンのワイドパンツをはいた絵が描かれていた。太い黒線のシンプルなタッチが基調で、人物の賢さとカッコよさが伝わってくる。まさに美香自身が描かれていた。
「二人とも上手だね。結菜や美香が頭の中に持っているファッションのイメージが僕にも伝わってきた。ファッション画って自分自身を描くものなんだということを実感した」
「十五枚の中でどのデザインを選ぶべきかは一目瞭然だった。多分、結菜も同じ意見だと思うけど」
と言って美香は結菜に視線を向けた。
「そうね。樹里のドッキングワンピで決まりね」
「えっ、僕のこのデザイン画を選ぶの?」
「私もこんなワンピースを着てみたい」
「私には似合わないけど、樹里や結菜に着せたらとても素敵だと思う。でも、ここに描かれているモデルは樹里よね? 百合絵さんが持っているワンピースを樹里が着て、それを写真にとって模写したんじゃないの?」
「変な言いがかりをつけないでよ。原画はこれだよ」
僕はスマホのスクリーンショットを美香たちに見せた。
「疑ってゴメン。元になったスクリーンショットのワンピースよりずっと可愛いし、モデルも魅力的に描かれている。樹里の気持ちが伝わってくる作品だわ。樹里はこんな女の子になりたかったのね」
「もう、美香ったら変なことばかり言わないでよ。僕がスマホの上に紙を乗せてこの写真をなぞったんだ。微妙に線がずれたのが、たまたまいい結果になったんじゃないかな。実は僕が描いた絵がお母さんに見つかって、手芸部に入ったことがバレちゃった。お母さんが深川淑女学園高校の洋裁部の大先輩だと分かったんだけど、お母さんもこの絵が一番気に入って、手を入れてくれたんだ」
「なあんだ。だから樹里の五作品の中でこの絵が際立って見えたのか。お母さんの樹里に対する愛情がこの絵に籠っているのが感じられる。だから私は樹里が百合絵さんのワンピースを着ていると思ったんだわ」
「じゃあ、共同作品はこのドッキングワンピに決まりね。それを樹里が着て発表会に出ることも決まり!」
「絶対にイヤだからね。僕、自殺するかもしれないよ」
「いいデザイン画を描いてきたご褒美としてモデルは免除してあげようよ。結菜がモデルを引き受けてあげれば?」
「こんな素敵な服を着られるのは嬉しいから、発表会でのモデルは私が引き受けるわ。でも、完成までに樹里が協力をしなかったり手抜きをしたら、罰としてモデルをさせるということにしようよ」
「賛成、じゃあ、満場一致ね」
僕の意見を聞かずに美香が満場一致宣言をした。
デザインは決まったが、それからが大変だった。瀬島先生によるとデザイン画から正確な型紙を起こすのはCADが発達した現代でも簡単なことではなく、プロのパタンナーが活躍する領域だとのことだった。僕たち素人にとって現実的な方法としては似たようなデザインのワンピースの型紙を買ってきて変更を加えることだが、深川淑女学園高校洋裁部の伝統を受け継ぐわが校の手芸部の部員は、面倒でも基礎を学ぶのが重要であると言われた。
翌日の放課後、一年生の部員六名は、瀬島先生に婦人服の文化式原型というものについて実地指導を受けた。結菜と小柄な女子が選ばれ、三人グループごとに原型に必要な採寸を行った。僕と美香は結菜のバスト、ウェスト、ヒップ、手首回り、頭回り、背肩幅、胸幅、背幅、身長、背丈、腰丈、股上丈、袖丈を測定した。
採寸結果を基にして製図台で原型を製図した。文化式という言葉が時々出てきたが、文化服装学院というファッションの専門学校の方式が文化式と呼ばれているらしい。文化式原型は各個人の身体に合う服を作るための基本設計図であり、一度原型を作っておけば、体形が変わらない限りその原型をハトロン紙という薄手の用紙に写し取ることによりデザインに合わせた型紙を簡単に作ることができるとのことだった。
製図は文化式のマニュアル通りに直線を引く作業が大半で、面倒だが比較的簡単だった。衿ぐりや袖ぐりの曲線は、Dカーブルーラーという曲線定規を使って引いた。
製図の際の計算式で頻繁にバスト寸法を使うし「バストライン」という言葉が多用された。普通、クラスの女子は人前で自分のバストサイズを口にしたりしないが、僕は結菜のバストについて当然のように口に出したり計算している。最初のうちは何か悪いことをしているような気持だったが、段々慣れてきた。
二時間ほどで文化式原型の実地指導が終わった。デザイン画を基にして、どのように原型を使って実際の型紙を起こすかについては、手芸部の本棚に参考書が何冊かあり、後日実地指導を行うまでに各自先輩に聞いたり参考書や雑誌を読んで勉強しておくようにと瀬島先生に言われた。
部室を出て廊下を歩いている時に結菜がボソッと不満を漏らした。
「私の身体の詳しいサイズを美香と樹里に知られたのに、美香と樹里のサイズを私が知らないというのは不公平だわ」
「私のサイズなんてデカすぎて人には言えないわ。樹里はバストが無いからサイズを聞いても参考にならないし」
「それでは気持ちが収まらないわ。発表会用の作品は私のサイズで作るにしても、文化式の原型は美香と樹里の分も作ろうよ。そうすればお互いの身体のサイズについて隠し立てが無くなって公平よ」
「まあ、親友として隠し立てをしないのは当然かもね。樹里も手芸部で三年間活動するためには婦人服の原型を自分用に作っておいた方が都合がいいと思うし」
と美香が提案した。
「うふふ、そうね」
と結菜が邪悪な笑みを浮かべた。
「冗談じゃないよ。ワンピースの共同制作には加わるし、将来個人ごとに作品を作らなきゃならない場合はお姉ちゃんのサイズで作るということまではOKしたけど、僕に合わせた婦人服を作るなんて、とんでもない!」
「次は私の原型を作るということでいいわ。樹里の原型をいつ作るかは、そのうちに三人の都合の良い日を選んで決めましょう」
と美香に救われた。
「そうね。当面は発表会の作品を作ることに精力を注ぐべきね。今日教わった文化式原型を自分たちだけでもう一度やってみるという意味で美香の原型を作りましょう」
僕の婦人服原型を作るのが先延ばしにされることになって、ひとまず胸をなでおろした。それにしても美香、結菜と僕は初めて部室で弁当を食べた日に一気に親しくなり、日を重ねるに従ってどんどん緊密度を増していく。このまま行くとどこまで親しくなるのか、怖い気がする。僕が何をするのかを決める時には美香と結菜の意向が働くが、僕の意見は三分の一しか反映されず、美香と結菜が合意すれば僕が反対してもその場で決まってしまう感じになってきた。
これまで友達とこれほど親密な関係になったことはない。男どうしだと、本人がNOと言えば、周囲が何を言っても基本的にNOだ。勿論、虐めとか、力関係で不本意な行動を強いられる場合はあるが、それはあくまで悪質なケースだ。美香、結菜と僕の関係はそれとはまったく異質であり、お互いの事を自分の事のように親身に考える中で、押しの弱い僕がつい流されてしまうという状況なのだと思う。多分これは女子どうしの友達関係に特有なものであり、だから僕にとって新鮮に感じられるのではないだろうか。
僕は美香に対して異性としての憧れを感じているし、結菜も男子としてはそう簡単には仲良くしてもらえないほどレベルの高い女子だ。中学時代からの親友の美香と結菜は僕を姉と似ているという理由で誘って、段々僕を好ましい人間だと認めてくれて親友の輪に加えてくれつつある。だから女どうしのような友達関係になってきたのだろう。
美香と結菜が僕を異性として意識していないのは分かっていた。でもそれでいい。というより、僕は二人の彼氏になれると思うほど自信家ではない。美香や結菜と一緒にいる時に、クラスの男子からの羨望の視線を感じたのは一度や二度ではない。僕はそのたびに誇らしさを感じ、美香から弁当に誘われてラッキーだったと感じる。
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