真逆の世界から来た僕と生き写しの女

第一章 僕とそっくりの女

 五月十一日、木曜日の大学からの帰り道、歩きスマホでメールをチェックした。今朝グーグルから警告メールが届いていたことに気づいた。

「お使いのアカウントがiPhoneでのログインに使用されました。このアクティビティに心当たりがありますか? 最近使用した端末を今すぐ確認してください。グーグルではセキュリティを非常に重視しています。このメールは、お使いのアカウントで行われた重要な操作に関する最新情報をお伝えするために送信しています」

 問題のログイン日時は今日の午前六時五十七分となっていた。

 僕のスマホはアンドロイドだ。誰かがiPhoneを使って僕のアカウントにログインしたということになる。Gメールのパスワードは他のサイトでもパスワードとして使用しているから、そこから漏れたのかもしれない……。

 アパートに帰って、ノートパソコンからGメールのパスワードを変更した。Gメールのパスワードはグーグル・ドライブとも共通だ。重要な個人情報は全てグーグル・ドライブに入れてあるから慎重を期さねばならない。それにしても異常なアクセスについて自動的に通知してくれるグーグルのサービスはありがたいものだ。ひとまずほっとして、それ以上、気には留めずにいた。

 火曜日の朝、大学へと向かう道で、誰かに見られているような気がした。何度か立ち止まって周囲を見回したが、特に異常なことは見当たらなかった。

 それは奇妙な感覚だった。突き刺すような視線ではないが、身体の中まで透視されるような視線を感じた。異性から横顔を見られるときの感覚に似ている。ストーカー? まさか、僕はストーカーに追い回されるほど男前ではない。丹念に周囲を見回したが、怪しい人影は皆無だった。

 二時限目が終わって、いつものように学食で清水康太、若林梨歩とおしゃべりした。康太と梨歩は入学して以来の仲間だ。

 梨歩が突然僕に思いもかけない質問をした。

柚葉ゆずはって変な趣味ある?」

「何だよ、いきなり」

「昨日の夕方、アタシが浅草橋駅の女子トイレで手を洗っているのをじっと見ていなかった?」

「バカな! 僕が女子トイレを外から覗き込んだりすると思う?」

「それならまだマシだけど、トイレの中から見ていたのよ。アタシの斜め後ろに立って、鏡の中のアタシの顔をじっと見ていたの」

「変な趣味どころか、その男がしたことは犯罪だよ」

「それが……女みたいだったのよ。アタシと視線が合ったらすぐ顔をそむけて、個室に入った。アタシ、急いでいたからそれっきりになったんだけど」

「要するに、トイレで僕そっくりの女性と会ったということだね。それならそうと言ってくれよ。他人が聞いたら、僕が変態だと疑うような言い方をしないで欲しいな」

「双子の姉妹は居ない?」

「三つ上の姉と二つ下の妹がいるけど、二人とも母似で僕だけは父似だから、ちっとも似ていないし、姉と妹の方がずっと背が高いんだ。並んでいても家族だとは分からないぐらいだ」

「本当に変なのよね。顔と身体つき、それに雰囲気が柚葉と生き写しなんだけど、その人には確かにお乳があった。一番不自然なのは服装が柚葉そっくりだったということよ。男物のカーキ色のコットンパンツにボーダー柄のポロシャツ。超ダサイ組み合わせでしょう?」

「ふん、悪かったね。つまり僕そっくりの女が、僕の超ダサイ服の組み合わせで、梨歩を女子トイレの中まで追いかけたってことか。もう少し現実性のある話じゃないと面白くないんだけど」

「作り話なんかじゃないわよ。本当にその女の人に会ったんだから」

「じゃあ、今度見かけたら、僕が会いたがっていたと伝えといて」

 午後の講義を受けている時も、梨歩の話が頭から消えなかった。梨歩は血液型がAで真面目なタイプだ。僕そっくりの女性と遭遇したという程度の作り話をする可能性はあるが、会った場所が女子トイレで、しかも僕の服装で梨歩がダサイと考えていた組み合わせの男装をしていたというのは、作り話としてはセンスがなさすぎる。梨歩は基本的に僕に対して好意を抱いてくれていると思うから、変なことを言うはずがない。いつも清水康太と三人で一緒に行動していなければ、梨歩と僕は将来の結婚を意識して付き合う関係になっていたと思う。

 大学からの帰り道、僕は何度も立ち止まり、カーキ色のコットンパンツにボーダー柄のポロシャツで男装した女性が居ないかと周囲を見回した。勿論、そんな人物に遭遇するはずはなく、スーパーで買い物をしてからアパートに帰った。

 その時、アパートの玄関の左横にある郵便受けの裏側から、僕に気づいたらしい怪しい人影が背を屈めるようにして僕の横をすり抜けて逃げて行った。一瞬なので顔は見えなかったが、それは梨歩が見た不審人物に間違いないと直感した。カーキ色のコットンパンツにボーダー柄のポロシャツを着ていたからだ。

「待てーっ!」

 僕は一瞬遅れて、その人物の後を追いかけた。後姿は中性的な細身で、僕より少し長い程度のショートヘアだったが、確かに女性だった。足がとても速く、スーパーの買い物袋を持っていた僕はあっという間に離されてしまった。

 追跡を諦めて、郵便受けから不動産のビラ二枚、封書二通とハガキを取ってエレベーターに乗った。あの女が僕の郵便受けの中をチェックしたのは間違いない。というのは、不動産のビラと郵便物がきれいに揃った状態で入っていたからだ。普段、郵便物が揃った状態で入っていることはあっても、ビラまで一緒に揃えられていることはない。

 部屋に入り、タンスの中にカーキ色のコットンパンツとボーダー柄のポロシャツが入っていることを確認した。あの女は少なくとも僕の服を盗んだのではなかった。

 僕そっくりの顔と身体つきの女性が、どんな目的で僕そっくりの服装をしているのか、それもどうしてよりによってダサイ服を選んだのか、全くの謎だった。シャレや冗談でやっているのなら、今日、逃げはしなかったはずだ。

 皆目見当がつかなかった。

 翌日、康太、梨歩と連絡を取り、一時限目の後に学食で会った。僕は昨日の怪事件について二人に話した。

「ほら、アタシがウソを言っていなかったことが分かったでしょう?」

「ごめん。顔はよく見えなかったけど、あの服装には度肝を抜かれたよ。若い女性があんな服を着るのは常識外れというか、不気味だった」

「若い男性が着ていても、結構不気味なのよね……」

「逃げていく後姿は、一見精悍そうに見えて、ヘナヘナした感じだったし、腰からお尻が中性的だった」

「今度柚葉の後姿を動画に撮って見せてあげるけど、それはまさに柚葉の後姿と同じよ」

「もう少し真剣に心配してほしいな」

「とにかくその女を捕まえましょうよ」

「そうだな、どこかで待ち伏せしよう。やっぱり柚葉のアパートの周辺で待つのがいいんじゃないかな」
と康太が提案して、三人で作戦を練った。

「分かっている事実をリストアップしよう。一昨日の朝、僕のグーグル・アカウントに不正アクセスがあった。一昨日の夕方には、梨歩が浅草橋の女子トイレでその女に後ろから見られた。昨日の朝、僕はずっと誰かにつけられている感じがあった。そして昨日の夕方、僕のアパートの郵便受けをその女が探り、僕を見ると逃げた」

「その女は柚葉と顔がそっくりで、身長、体格も酷似している。でも、双子の兄妹でDNAがそっくりなら、性別が違うからその女は小柄なはずよ。柚葉は男なのに百六十三センチしかないから、女だったら百五十二、三センチになるんじゃない?」

「なるほど、一理あるな。じゃあ、こう考えればどうだろう。柚葉の双子の弟が、背が伸びた後で性転換して女性になった」

「飛躍しすぎだよ。僕は双子じゃない」

「何か深いわけがあって、ご両親が双子の弟を里子に出したのかもしれないわよ」

「そんなことを言われると心配になるじゃないか。念のためにお母さんに電話で聞いてみようかな……」

「お母さんの声を聞きたいのなら電話すればいいけど、柚葉のお母さんが正直に答えるとは思えないわ。ところで、その女は郵便受けの中身を覗いただけで、郵便物を開封したり盗んだりはしていないということよね?」

「多分ね」

「柚葉のことを探っている女が、アタシをつけてトイレに来たということは、柚葉の交友関係を把握してるってことだわ。顔を見てアタシと認識できるほど、ちゃんと調べあげている。プロの探偵じゃないとそこまでは調べられないものよ。ということは、アタシの次は康太の後をつける可能性があるんじゃないかな?」

「その可能性はあるね。康太じゃなくて、もう一度僕の後をつける可能性も高い」

「じゃあ、その女をおびき寄せるためには、柚葉と康太が一緒に歩くのが一番じゃないかな。アタシが変装をして、周囲にあの女が隠れていないかどうかを確かめながら後をつける」

「さすが梨歩、頭いいな!」
 僕と康太は声を合わせて絶賛した。

「大学から柚葉のアパートに向かって歩くのが、女をおびき寄せられる可能性が高いと思うわ。その女はきっと柚葉の通学路を把握しているでしょうから」

「じゃあこうしよう。今夜、僕のアパートで一緒にすきやきをしよう。僕と康太はここで三時に集合して僕のアパートに向かう。途中のスーパーで肉と野菜を買って、女が後をつけやすいようにブラブラと帰ろう。梨歩は少し離れた所から僕たちの後をつけてくれ」

「その案には一点だけ難があるわ。アタシ、ダイエットしているから、すきやきじゃなくて、キムチ鍋にしてほしい」

「分かった、キムチ鍋で手を打とう」
と僕が宣言してひとまず散会した。

 僕は午後三時少し前に学食で康太と合流した。

「梨歩の姿が見えないけど、遅れているのかな?」

「俺たちが見ても分からないほどの変装をしてるんじゃないか?」

「そうそう、男装してたりして」

「あたりをキョロキョロ見回していると、その女が警戒して俺たちに近寄らないぞ」

「そうだな。梨歩は遅れて来たとしても僕たちが通る道は分っているから、気にせずに行こうよ」

 僕と康太は午後三時五分に学食を出た。

 太陽は天頂を過ぎて暖かい日差しが背中を心地よくする。午後の歩道を康太と並んで歩いた。

「何もかもが思い過ごしってわけじゃないだろうな? この世界には自分と似た人が三人いると言われる。たまたま柚葉と似た女性が梨歩と同じトイレに行ったり、柚葉のアパートの周辺を歩いていただけかもしれない」

「僕と同じ『超ダサイ』服装でか? それは確率的にあり得ない。単に僕と似た女性ならどこかにいるかもしれないけど」

「柚葉、後ろを振り向かずに聞け。俺が今柚葉を見た時、左斜め後ろの塀の陰にサングラスをかけた不審な女が見えた。真っ赤なミニスカートで野球帽をかぶっていた。きっとあいつがそうだ」

「真っ赤なミニスカートに野球帽、しかもサングラスか……。怪しすぎる」

「お互い、気付いていないふりをして歩こうぜ」

 緊張して鼓動が高まる。それでも、前を向いてつまらない冗談を言いながら歩く。

 角を左折して行きつけのスーパーへと向かった。曲がる際にさりげなく左後方に視線を走らせたが、人影は目に入らなかった。

「キムチ鍋ということは、白菜とキムチだな。大根、シイタケ、シメジ。ニンニクも買おう」
と僕は野菜類をバスケットに入れた。

「梨歩も一緒だからニンニクは控えようよ」
 そんな気遣いは康太らしくないと思った。

「別にいいじゃないか。キスさせてくれるわけじゃないんだから」

「にんにくを入れるよりは、キムチの大きいパックを買えば同じことだよ。小松菜が今日のセールで安いから小松菜も入れよう。量を増やしたいから、もやしを二パック買おう」

「康太って主婦みたいだな」

「豚肉のバラ肉でいいのかな? 安いから多めに買おうか?」
と言って、康太は豚バラ肉の大きいパックを二つ、ドサッとバスケットに入れた。

「見えたぞ! ふた筋向こうから野球帽でサングラスの女が僕たちを見ている。僕たちが気づいたことが分かったら逃げるだろうから、知らんふりをしよう」

「そうだな。スーパーを出たところで捕まえようか」

「捕まえるって? 手や肩を掴んで、痴漢だと言って騒がれたらどうするんだ? どこかに追い詰めて話を聞くしかない」

「やりにくいな……」

 僕たちはレジに並んだ。僕たちの番になってレジをしている時に、野球帽にサングラスの女が店の出口から外に出ていくのが見えた。

「今、外に出たぞ」

「ああ、俺も見たよ。とにかく気づかないフリを続けよう。柚葉のアパートの郵便受けエリアに誘い込んで挟み撃ちにしたら確保できるんだが」

「とにかく女の体を触らないように注意しよう。『キャーッ、痴漢!』と叫ばれたら僕たちの負けだ。男二人が知らない女性を挟み撃ちにするのは非常にまずいからな」

 買ったものを二つに分けてスーパーのビニール袋に入れた。僕のアパートまでは徒歩で二、三分の距離だ。

 数十メートル先の物陰からあの女が突然姿を現し、僕のアパートを目指して駆けて行った。

「見たか?」

「うん、見た。追いかけよう」
 僕たちはアパートに向かって走った。買い物袋を提げているので思うようには走れないが、必死で走った。

 僕のアパートの入り口が視界に入ったのは、ちょうど野球帽にサングラスの女がアパートの中へと駆け込んだ時だった。

 まもなく、康太と僕はアパートの入り口に着いた。中からあの女が出てきたら行く手を遮ることができるように横に並んで入っていった。

 その時、郵便受けのある奥まった場所から走り出て来たのは、カーキ色の綿パンにボーダー柄のポロシャツという男装をした女だった。

「捕まえて!」
 奥から梨歩の声がした。女は僕たちを見て後ずさった。

 野球帽にサングラスのミニスカートの女性がその女の後方から出てきて体当たりし、よろめいた女に駆け寄って右手にガチャリと手錠をかけた。

「確保!」
と叫んだ声で、サングラスの女が梨歩だったことが分かった。

「刑事か!」
と、僕と康太が同時に叫んだ。

 梨歩が手錠を持っているとは予想外だった。

「何をするんだ、お前ら!」
と、男装の女が男性のような口調で叫んだ。

 僕は冷静かつ慎重に彼女に言った。

「ご存知と思いますが、僕は里山柚葉です。あなたはどなたですか?」

 三十秒ほどの重い沈黙があった。梨歩は手錠が掛かっていない右手で野球帽を脱ぎ、サングラスを外して男装の女を睨みつけた。

「僕の名前も里山柚葉です」
と男装の女が僕を直視してはっきりとした口調で言った。もしちゃらちゃらとした口調でそんなことを言っていたら、三人で詰め寄って、それ以上の冗談は言わせなかっただろう。しかし、男装の女の表情と態度には、いい加減な対応を許さない何かがあった。

第二章 女の正体

 その女は僕たち三人の顔を見回して言った。
「その方は清水康太さん、そして僕に手錠をかけたのは若林梨歩さんですね」

 男装をしているからといって女性の口から出た僕という言葉には違和感を感じた。

「私たちの事をどうやって調べたんですか?」

と梨歩が詰め寄った。

「僕にも若林梨歩と清水康太という名前の友達がいます。顔も身長も体格もお二人にそっくりです。但し、僕の友達の若林梨歩は男性で、清水康太は女性ですが」

 突拍子もない話を聞いて僕たちは顔を見合わせた。でも、彼女の話を笑い飛ばすことは僕たちにはできなかった。現に僕そっくりで性別だけが違う人物が目の前にいるのだから。

 その時、僕のアパートの別の階の住人が入って来た。その気配で、梨歩は、手錠でつながった二人の手首をとっさに野球帽で隠した。

 その住人が乗ったエレベーターのドアが閉まってから、僕は彼女に提案した。

「ここではなんですから、僕の部屋で話しませんか? これからキムチ鍋を作るので、よかったら一緒に食べましょう」

 僕が言い終わらないうちに彼女のお腹からグーッと大きな音が聞えた。

「実は、今日は何も食べていないんです」
と、彼女は悪びれずに言った。

「肉を沢山買ったから、女性が一人増えてもへっちゃらですよ」
 康太が豚バラ肉のパックの入ったビニール袋を高々と持ち上げて言った。

 四人でエレベーターに乗った。四階でエレベーターを降りる時に、梨歩は手錠のかかった左手をポケットに突っ込もうとモソモソしていた。

「柚葉さん、アタシのスカートのポケットに手をつっこんで手錠のキーを取って下さい」

と梨歩に言われて鼻血が出そうになった。

「ええっ、僕が梨歩のスカートのポケットに手を入れてもいいの?」
 自分の頬が赤くなるのが分かった。

「エッチ! 女性の方の柚葉さんに言ったのよ」

 男装の女性は左手を梨歩のスカートのポケットに突っ込んで鍵を取り出し、手錠を外した。

「右手で手錠を持って左手に手錠をかけるんだから、左ポケットが使えなくなることぐらい予想できなかったの? 右のポケットにキーを入れておくべきだったんだ」

 僕はエッチ呼ばわりされたのを根に持って、梨歩をなじった。

「バッカじゃないの? これはプリーツスカートよ。右側にポケットのあるプリーツスカートなんて滅多にないってことを知らないの?」

「知らなかった……。スカートをはいたことは一度も無いから、ポケットの位置なんて分からなくて当然だよ」

「あら、そうかしら? お姉ちゃんのセーラー服をこっそり着たことがありますって、柚葉の顔に書いてあるけど」

 図星だったので動揺した。中学二年の冬休み、両親と姉妹が買い物に出かけて僕一人になった時に、姉の高校のセーラー服をこっそりと試着したことがあった。間の悪いことに、姉が財布を家に忘れて取りに帰ったので、意表を突かれた僕はセーラー服姿を姉に見られてしまったのだ。僕が必死で頼んだので姉は秘密を守ってくれているが、それ以来僕は姉に何を言われても従わざるを得なくなった。

「へえーっ、スカートは左ポケットが普通なんですか? 僕も知りませんでした」
と男装の女性が話に入ってくれたおかげで僕は窮地を脱することができたが、梨歩は女どうしとして彼女のコメントが癇に障ったようだった。

「あんた、女なのにスカートのことを知らないはずがないでしょう! あっそうか、柚葉さんは性同一性障害で、自分の中身は男性だと信じて生きてきたから、子供の時からスカートは拒否してきたってこと?」

「僕が住んでいた世界では、女がスカートをはくなんて、あり得ないことでした。スカートは男だけのための服ですから」

 男装の女性の言葉を聞いて僕たち三人は顔を見合わせた。黙って聞いていると彼女の途方もない話がどんどんエスカレートしてくる。

「柚葉さんは一体どこから来たの? そこでは男が女装して、女が男装するのが当たり前なの? もしかして、異性装の信者を集めている怪しい教団か何かなの?」

「僕から見れば、ここの皆さんを見ていると気持ち悪いんです。特に若林梨歩さん。女性なのに真っ赤なひらひらのスカートなんて、僕だったら恥ずかしくて舌を嚙み切って自殺します。僕の友達の梨歩は男性だから毎日ファッションやらコスメのことばかり話していますが」

と男装の女性に言われて僕たちはからかわれていると感じた。

「あんた、つまらない作り話をしてアタシたちをからかってるんでしょう」

 梨歩がイライラした口調で言った。男装の女も梨歩に苛立っている様子が伝わってきた。女どうしで対決ムードが高まると収拾がつかなくなるのではないかと心配になった。

 僕が玄関の鍵を開けると、男装の女はまるで自分の家のように慣れた感じで、僕がいつも座っている椅子に腰を掛けた。

「そう思われても仕方ないですね。でも、聞いてください。僕は本当のことだけを話しています。

 僕に異変が起きたのは一昨日の朝です。用があって早めにアパートを出たんですが、エレベーターを降りた時に郵便受けの裏側から変な音がしました。映画などでサンタクロースを乗せたソリをトナカイが引っぱるシーンで、シャンシャンシャンと鈴の音がするのを知っているでしょう? あんな感じの音が近づいてきました。

 郵便受けの裏側に回って、その音がどこから聞こえてくるのか探したところ、僕の郵便受けの中に音源があるようでした。そのボックスの扉を開けたら、キラキラとした星屑のようなものが溢れ出てきて、ボックスの中から大きな手が伸びてきたんです。僕は手首をつかまれて、ボックスの中に引きずり込まれました。

 小さな郵便受けの中にどうやって身体が入ったのかは分かりませんが、それから真っ暗なトンネルの中をスーッと下に落ちていきました。重力による自由落下って感じでした。最後に、狭い出口からムニューッと押し出されて、気がついたら元の郵便受けの裏側の床に転がっていました。

 何が起きたのか自分にも分かりませんでしたが、気を取り直して郵便受けの反対側に回ると、僕は唖然としました。エレベーターから出てきた女性がスカートをはいてるじゃないですか! おまけにお化粧をして、イヤリングにマニキュア、靴はハイヒールですよ! 朝っぱらからこのアパートでオカマに出会うとは、縁起がいいのか悪いのかと当惑しました。

 次に出てきたのは二十代の男性でした。百七十センチ近くありそうな長身の男性でしたが、男のくせに黒い背広を着ていたので驚きました。髭が濃いのに脱毛もしておらず、お化粧をしていないので、実際以上にブスに見えました。成人男性がすっぴんで人前に出るなんて、常識的にあり得ないことです。

 それ以上にショックだったのは、その男性がギョロッとした目で不審者を威嚇するような感じで僕を偉そうに見下ろしたということです。結婚前の若い男性なら、女性を見たら恥ずかしそうな視線で会釈をするのが普通じゃないですか。いや、僕は少し人間が古いのかもしれませんが、男性が女性に示すべき敬意というものが全く感じられなかった。

 朝っぱらから二人続けて変態みたいな人たちに出くわしてしまったので、すっきりしない気持ちでアパートを出ました。

 道に出ると『オーマイゴッド!』と思わず英語が出てしまいました。歩いている女性の殆どが、スカートをはいていたり、男みたいなちゃらちゃらした服装で、しかもお化粧をしていました。一方、男性は、背広ネクタイで化粧っ気ゼロ!

 ひょっとして、アパート周辺の人たち全員が僕を騙して、あとで『ドッキリだよーん』とでも言うんじゃないのかなとも思いましたが、それにしては手が込み過ぎています。

 そうだ、と思いついて、僕はスマホでアマゾンの女性ファッションのサイトを開いてみました。ショックで気が遠くなりそうでした。女性モデルがスカート、ワンピースなどを着た画像が並んでいたからです。

 念のためにアメリカのアマゾンのサイトを開いてみたところ、同じことでした。

 僕は、男女が逆の世界に迷い込んでしまったのです」

 男装の女性は大きなため息をついた。到底信じがたい話だったが、彼女がウソや冗談を言っているのではないことが、目を見て分かった。

 要するに彼女は僕たちの世界と男女が逆になったパラレルワールドから来たと主張しているようだ。そのパラレルワールドには僕の女版である彼女が居て、梨歩の男版、康太の女版が存在する。変なことに、男はスカートをはいてお化粧をしており、女は機能本位の地味なズボン姿で暮らしているようだ。ということは、パラレルワールドの梨歩(男性)は化粧・スカートで、康太(女性)はズボンというわけだ。それなら柚葉・梨歩・康太はあちらの世界でもこちらの世界でも同じような関係を保っているということになるのだろうか?

 簡単なようで複雑な話であり、考えれば考えるほど頭がおかしくなる。

 僕は身近なことから対話を試みようと思った。

「ひとつ質問があります。あなたのスマホで僕のグーグル・アカウントにアクセスされました? グーグルからセキュリティーの警告が届いたんですけど」

「ああ、グーグルのセキュリティー警告は見ましたよ。このiPhoneをポケットに入れた状態で倒錯の世界に迷い込んだわけですが、それで警告が出たということは倒錯世界の僕がiPhone意外のスマホを使っている可能性があるのかなと推測しました」

「倒錯と言われるのはちょっと……。僕はカメラ性能を重視するタイプなんでHuaweiを使っています。パラレルワールドといっても、個人の趣味趣向の細かい点は同じじゃないという点は興味深いですね」

「そりゃそうでしょう。男と女の違いがあるんですから」

と男装の女性は当然だという口調で言った。男を見下すようなトーンが感じられたので少し腹が立った。

「あなたがiPhoneで使っているGメールのIDとパスワードは、僕と同じだということですか? 偶然としては出来過ぎていますね……。この場で、そのパスワードを言えます?」

 彼女は僕の耳元で僕のGメールのパスワードをささやいた。たまたま先週パスワードを変更したところだったが、どこにもメモしておらず僕自身しか知らない情報だった。

「じゃあ、LINEとツイッターのIDとパスワードも分かります?」

 彼女が僕の耳にひそひそ声で言った情報は正確だった。彼女がパラレルワールドから来た可能性が極めて高くなった。

「親姉妹にも教えていないし、メモもしていない情報を知っているとは……。僕の寝言をレコーディングした可能性は完全には否定できませんけど、大文字、小文字と記号が混じったパスワードを寝言で正確に言えたとは思えません。やっぱり、倒錯の世界から来たというのは、本当みたいですね」

「倒錯の世界から来たとは失礼な!」
と彼女が声を張り上げたので驚いた。

「あなたの方が先に倒錯の世界と言ったんですよ」
と僕は抗議した。

「確かにそうですけど……。僕の頭の中には、若い男性はかくあるべきだという固定概念があるので、男の柚葉さんから失礼な事を言われて、ついイラッときてしまいました。男性に対して大声を出してしまって、お恥ずかしい限りです。じゃあ、倒錯という単語は撤回して、パラレルワールドと呼びましょう」

「アタシも質問があります。パラレルワールドの若林梨歩は男性で、顔と体格はアタシとそっくりなんでしょう? 髪型も同じなんですか?」

と梨歩が質問した。

「僕の男友達の梨歩は肩までの髪を普段はポニーテールにしてますよ。僕の親友の女性の清水康太のヘアスタイルは精悍なツーブロックですが、ここにいる康太さんはシンプルなショートヘアですから同じではありません、髪の長さやスタイルはお化粧や洋服と同じくファッションの一部ですから、必ずしも同じではないと考えればいいと思います」

「何となくイメージがつかめてきました。そちらの世界では、背が高くて強いのは女性、小柄で弱いのが男性、性別が反対の人たちが暮らしているけど、同じような行動をしているというわけですね」

「少し違います。女性は背が高いですが弱々しく華奢なことが美徳とされていますから筋肉はつかず弱いです。一方、男性は小柄で強いと言えます」

「なるほど、要するにこの世界のひとりひとりの生物学的性別が逆になった状態ですね」

「僕の男友達の梨歩を頭に浮かべながら梨歩さんを見ていると、恥じらいの気持ちのレベルが相当違うなという気がします。僕たちの世界では、男子中学生のセーラー服姿は可愛らしいものですが、高校に上がると毛深さが増して、身体もゴツゴツしてきます。男子高校生は毎日のように全身の毛を剃ったり、親が校則を無視してレーザー脱毛に連れて行ったりするようです。髭が濃い男子高生の場合は校則を破ってお化粧する子も多いので学校で問題にされがちです。成人すると、男性化がさらに進みます。男たちは自分の身体に強いコンプレックスを抱いていて、いかに化粧や服装で自分の醜さを隠すかということばかりに神経を使っているわけです。それに対してこちらの世界では、毛が薄くて身体が美しい女性が美しさを競うから、梨歩さんのように前向きで恥じらいの少ない感じになるんでしょうね」

 男装の女性の話を聞きながら、梨歩が随所でいら立っているう様子が見て取れた。

「要するに私は恥じらいが足りないと言いたいのね。まあ、今の説明を聞いて、柚葉さんが昭和初期のオジサンみたいな古い男性優位、そちらの世界で言うと女性優位の思想に凝り固まっている理由が何となく分かった気がするわ」

 このままだと女どうしでケンカになりそうなので、話題を変える努力をした。

「腹が減ってきたから、キムチ鍋を作りながら話を続けましょうよ」
 僕は最近買ったグリル鍋にスーパーで買って来た食材を入れ始めた。

「いいですねえ、ニンニクがたっぷり入ったキムチのニオイ!」
と男装の女性が「たまらない」という感じの表情で言った。

「それにしても変な気分ですね。僕たちの世界では男性はニンニクのニオイが残るのを気にして、僕たち女性の前ではニンニクを遠慮するのが普通なんですよ」

「ここでも、女性は男性よりもニンニクのニオイを気にする傾向はありますが、そちらさんほどじゃないかな……」

と康太が自分の見解を披露した。

 そこに梨歩が手を挙げて発言した。

「ちょっと、この会話、堅苦しくない? 柚葉さんはいわば柚葉の片割れみたいなものだし、私たちは友達なんだから、お互い、敬語はやめようよ」

「実は、僕もそう思っていたんだ」
と男装の女性が言って、僕と康太も賛成の意を表した。

「柚葉が二人いてヤヤコシイから、どちらかの呼び方をかえようよ」
と梨歩が言ったので、僕は、
「じゃあ、そちらの柚葉さんは女性だから柚子ゆずこと呼ぶことにしようよ」
と提案した。

「僕は自分の名前がいい。あんたが柚子、僕は柚葉と呼んで欲しい」

「あんたは女性だろ? ここでは『子』がつくのは女性の名前なんだから、それでいいじゃないか。郷に入っては郷に従えだよ」

と僕は反論した。

「二人とも知らないの? 果物の『ゆず』を漢字で書くと『柚子』なのよ。柚子と書くと『ゆず』と読む人の方が多いわ」

「知らなかった……」
 僕ともう一人の柚葉は同時につぶやいた。

 男装の女性の柚葉はかなり嫌がっていたが、僕たち三人に押し切られた格好で柚子と呼ばれることを渋々承諾した。

「一昨日の話の続きをしてちょうだい。柚子はこのアパートの郵便受けから出てきた後、大学に向かったのね?」

「そう、普段通り大学に歩いて行ったんだが、道路ですれ違う人からジロジロ見られて嫌な気分だったよ。大学で社会学の講義に行って、目立たないように一番後ろに座っていたら、鮫島亮太に『おはよう、里山』って声をかけられたんだ。女性のはずの鮫島が男になっていたからキモかったよ。鮫島は僕の横に座って胸の辺りをジロジロ見て『里山、胸がちょっと変だぞ』って言うから、『鮫島こそ胸がペシャンコで気持ち悪いよ』と言い返した。そうしたら鮫島は気分を害したみたいで、離れた席に移ったんだ」

「まずいよ、それは!」

 柚子は女性だが僕と同じ服を着ているから、僕だと認識されやすい。僕を知っている人が柚子を見ると、僕が胸を疑似オッパイか何かで膨らませたのかと誤解する可能性が高いのだ。

「鮫島以外には、友達と会わなかった?」

「ああ、女子トイレで水木加奈子に会ったよ。ジーンズ姿だったが、加奈子は僕の世界でもいつもジーンズをはいているから、女性なのに同一人物かと錯覚した。加奈子が僕に近づいてきて『里山君? んなわけないよね、女だし』と言うから、僕はマズイと思って『人違いです』と答えておいた。それでもしつっこくジロジロ見られたけど」

「ヤバイなあ、冷汗が出るよ……。他には誰かと会わなかった?」

「四、五人会ったけど、すれ違いざまに『オウッ、元気か?』と声をかけられたり、遠くから『ヨウッ』ってな感じで手で合図した程度かな。皆、僕の事を柚葉と勘違いしていたみたいだったよ。僕はあいつらの性別が変わっちゃってるから、とても気持ち悪かったけど、顔には出さないように努力した」

「柚葉の顔や体型が中性的だったのが幸いしたのね。失礼だけど柚子も胸が小さ目で中性的な体形の女性だから、ポロシャツ姿でも意外に目立たなかったんだわ。沢山の人が柚子を見たのに『この人は柚葉だ』と認識した瞬間、女性の身体になっていることに気付かなくなったんだから固定概念とは怖いものね」

「僕がこちらの世界に来て一番ショックを感じたのは梨歩なんだ。梨歩はとても男性的でおしとやかで、それでいてしっかりしていて、すらりと背が高いから、僕の憧れの男性だったんだぞ。その梨歩が女性になっていて、スカートをはいて男性みたいな言葉でしゃべるんだから、こうやって話をしていると恋心がズタズタになってしまう」

「ふん。どうせアタシから貧乳と言われて腹を立てたのね。柚子になんか恋して欲しくないわよ。ん? ちょっと待てよ……。柚子があちらの世界の男性の梨歩さんに恋してるということは、柚葉はアタシに恋してるってことにならない?」

 分かってくれていると思っていたのに、皆の前で冗談めかして言われたのがショックだった。

「ぼ、僕は梨歩を親友と思って付き合っているから……。背の高い女性は好きだけど」

と僕は曖昧なコメントにとどめた。

「続きを話すよ。一昨日は午後四時ごろまでキャンパスをブラブラしていたんだが、梨歩を見かけたから後を追ったんだ。梨歩が浅草橋駅で降りてトイレに行った時、僕もちょうどトイレに行きたくて入ったところ、鏡の中の梨歩と目が合ってしまった。梨歩が僕に気づいたことが分かったから、個室に逃げ込んだんだ」

「とにかく、僕と同じ服を着て外を歩き回るのはやめてくれ。特に女子トイレには絶対に行かないで欲しい」

「無茶言うなよ。僕が男子トイレに行けるはずがないだろう。痴漢と思われて警察に突き出されるよ」

「女性が男装して男子トイレに行っても変態女と思われるだけで、さほど厳しくは扱われないと思うよ」

「僕たちの世界なら一発でアウトだ。テレビで変態痴漢女として報道されて、世間に顔向けできなくなる」

「要するに柚子はパラレルワールドに帰るために、時々僕の郵便受けを覗きたいわけだろう?」

「そういうことだ。僕が郵便受けに吸い込まれてこの世界にワープしてきたのは午前六時四十二分だったから、毎日少なくともその時間には郵便受けをチェックしたいと思っている」

「じゃあ、この部屋に隠れていて、郵便受けを見に行けばいいよ」

「それはまずいんじゃない? 柚子は女性なのよ。柚葉と同じ部屋で寝泊まりしろっていうの?」

「大丈夫だよ。お互い、自分自身みたいなものだから、エッチな気持ちは全く感じないもの。それとも女どうしということで梨歩が泊めてくれる?」

「アタシはいいけど」

「いや、それはまずいよ。梨歩は憧れの男性だったんだよ。同じ部屋で二人っきりになったら、きっとドキドキしてレズの衝動を覚えるかもしれない」

「まあ、柚子も男女が逆の世界に来たばかりで戸惑ってるんだろう。この世界の男女の立場に慣れてきたら、違和感は無くなるんじゃないかな。それまでは僕のアパートで居ればいいさ」

「柚子がいつまで居ることを想定しているの? 一週間や二週間ならそれでいいけど、ひと月、ふた月になったら食費だってバカにならないわよ。柚葉がずっと柚子を食べさせていけるの? バイトぐらいした方がいいと思うけど」

「でも、柚子にこの格好で外を歩き回られるのは非常に困るよ」

「男装しているから紛らわしいのよ。女性なんだから女性らしい服を着ればいいんだわ。しっかりメイクをすれば顔も変わって、柚葉と誤認される問題はなくなるんじゃない?」

「この世界の女性の服を着ろと言うのか? 僕はオカマじゃないぞ!」

と柚子は顔を真っ赤にして叫んだ。

「女が女の服を着るのは当然でしょう。郷に入っては郷に従えという以前の問題だわ」

「そうだよ、柚子が僕と同じ服を着ているのが一番の元凶なんだ」

「柚葉を女装させたら女で通ると思っていたけど、柚子が梨歩みたいな服を着るのは何の問題もないし、可愛いと思うよ」

と康太もアドバイスした。

「嫌だよ、絶対にイヤ! 二度とスカートなんてはくものか!」

と柚子は泣きそうだった。

「『二度と』と言ったわよね。ということは一度はスカートをはいたことがあるのね?」

「中二の時に三つ年上の兄のセーラー服をこっそり着たんだけど、兄に見つかって……」
 まずい! 背筋に寒気を覚えた。柚子の告白は、僕がひた隠しにしている過去と同じだった。

「やっぱり、柚葉にも柚子にもスカートをはいてみたいという気持ちがあったんじゃないの。丁度いい機会だから、この世界にいる間は女性の服を着ることにしなさいよ。バイトして自分で買えるようになるまでは、アタシの服を貸してあげるから」

「……」

「ねえ、柚葉。ジャージーの上下を貸してくれない?」

と梨歩に言われて、僕はタンスの中からブルーのジャージーの上下を出した。梨歩は浴室の方に歩いて行ったが、二、三分でジャージーに着替えて戻ってきた。

「はい、アタシが着ていた服を貸してあげるから、すぐに着替えなさい」

「僕の世界で女性がスカートをはくということは、ここの世界で男性がスカートをはくのと同じで、死ぬほど恥ずかしいことなんだよ。それに、よりによってこんな真っ赤なミニスカートを……。絶対にイヤだ!」

「あっそう。ヨソの世界の常識にこだわって、アタシたちの言うことを聞いてくれないんだったら、キムチ鍋は食べさせてあげないから」

「そんな殺生な……。百円玉が四つポケットに入っていたから一昨日と昨日の朝まではコンビニでお握りを買って食いつないだんだけど、一万円札が使えないことが分かってからは大学の水道で水を飲んだだけなんだ。ほら、この一万円札を見てくれ。パン屋で使おうとしたら笑われたよ」

 柚子の一万円札に描かれている福沢諭吉は明らかに女性の顔をしていた。オモチャの一万円札としては出来過ぎている。柚子が別世界から来たことの物証と見なしてもいいだろう。

「どうなの? スカートでキムチ鍋を食べるか、それともそのダサイ服のままでアタシ達が食べるのを見ているか。二つに一つよ」

「柚子、往生際が悪いぞ。早く着替えろよ」

と康太が言った。

「そうだよ。柚子が着替えたら、二対二の合コンみたいで楽しいじゃないか」

 柚子はしばらく歯を食いしばっていたが、僕が豚肉とキムチを美味しそうに口に入れるのを見て観念したようだった。

「分かったよ。着替えればいいんだろう」

 柚子は梨歩の服を引っつかんで浴室に行き、ほどなく赤いミニスカート姿で戻ってきた。

「ヒューッ、イケてるねえ!」

と康太が本気で褒めていた。

「二人の美人と一緒にキムチ鍋をつつけるとは思ってもみなかったよ。ラッキー!」
と僕は心の底から言った。

「お汁をスカートに落とさないように、タオルか何かを膝に置いて食べてよね」
と梨歩が少し不満気な表情で言った。

 柚子は見ていて気の毒なほど恥ずかしがっていた。さっきまでは自分そっくりの「よく見たら女と分かる」中性的な、ややこしい存在として話していたが、ちゃんと女性の服を着ると、相当なレベルの女の子になった。この人がパラレルワールドの僕自身だと思うと、ドキドキしてしまう。

 柚子は豚肉と白菜を取って、フーフーと息を吹きかけてから口に入れた。
「美味い! 僕の大好きな味付けになっている!」

「そりゃあ、僕の好みの味付けだからさ。やっぱり、柚子と僕は味覚も同じなんだね」

「何だか、親近感を感じるなあ」
と言いながら柚子はキムチ鍋に箸をのばした。

「柚子、スカートの中が丸見えよ」
と梨歩が冷ややかな口調で注意した。柚子は僕と同じようにあぐらをかいて座っていた。康太が柚子のお腹の方を横目でチラチラと見ていた理由が分かった。僕からは机の向こう側なので見えないのが残念だった。

「畳の上に座ることが分かっているのに、こんな短いスカートをはいてくるのがいけないんじゃないか」

「女性はこんな風に座るのよ、ほら」

「そんなの、オカマみたいだよ……」
と言いながらも、柚子は梨歩を真似て座り直した。慣れない分、妙になまめかしかった。


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