性別という名のセレンディピティ(TS小説の表紙画像)

性別という名のセレンディピティ(天空の楽園)
今日から女の子になりなさい

【内容紹介】男子が女子高生の制服を着させられる迫力あるTS小説。主人公の水上真央は両親の離婚を機に全寮制の栗山セレンディピティ国際学校に入学し、予想もつかない出来事に次から次へと遭遇する。奥鬼怒山系の美しい大自然の中で性別とは何かを模索する高校生活が始まる。

登場人物・舞台設定

 水上真央:主人公

 水上潤子:主人公の母

 栗山美咲:栗山セレンディピティ国際学校創始者

 教師:杉岡、平松、柳沢(パイロット)

 主人公の妹:鈴木啓子

 育ての父:鈴木豪

 生みの父:ジュヌヴィエーヴ

 男子生徒(入学時点、部屋別、数字は身長)

 201:森崎賢太180、桜木翔太178

 203:葉山紫苑177、山元瑠璃174

 208:水嶋順子163、須藤美紀158

 女子生徒(入学時点、部屋別、数字は身長)

 2B:水上真央159、佐宗里奈160、加藤沙也加163、山元夏美163

 2C:坂口楓158

 2E:加藤明日香168、芹沢杏奈163、清水源次郎157、柿崎優香163

 2A:真鍋英子153、小暮美玲150、吉本美恵156

 KISSドーミトリー

 一階:食堂、男女別洗濯場、男女別源泉かけ流し温泉

 二階:一期生。男子二人部屋が十室。女子四人部屋が五室

 三階:二期生。未整備

 四階:三期生。未整備

第一章 新しい旅立ち

 僕の人生が大きく動き始めたのは中学三年の卒業式の夜だった。

 それまでの僕は周囲から見るとごく普通の中学生だった。「周囲から見ると」と但し書きをしたのは、両親が一年ほど前から離婚協議を進めていたからだ。母は国際的なピアニストで家にいないことが多く、家事は商社マンの父に押し付けられていた。父も多忙で、平日の夕食は宅配弁当になることが多かった。

 父と母が家の中で怒鳴り合うのを聞くのは辛かったが、怒鳴り合いもしなくなると却って不安が募った。中三の秋ごろから両親が殆ど会話をしなくなり、たまに聞く会話の中に「弁護士」とか「家裁」という単語が出てくるようになった。本当に離婚するのだろうか? もし離婚したら、僕と妹は父と母のどちらと一緒に暮らすのだろうかと心配だった。

 父は妹の啓子をネコかわいがりしているが、多分、僕の事は嫌いだ。父に嫌われていると感じていたから、僕も父が嫌いだった。母のことは大好きだが、母は日本にいないことが多い。もし離婚したら、今まで時々帰ってきた母が二度と帰って来なくなるだけで、それ以外の点においては現在と同じような毎日が続くのかもしれない……。

 卒業式の日、久しぶりに母が料理を作って家族四人そろって夕食を食べた。母の得意料理で僕の大好物のエビフライだった。父母が普通の大人どうしのように笑顔で会話するのを見て僕は昔の家族に戻った気がした。よかった。僕の卒業祝いの夕食をきっかけに、父母がやっと仲直りしてくれるのだろうか。

 夕食を食べ終わった時、父が真顔で話し始めた。.

「真央、啓子、話があるんだ。今日、お父さんとお母さんは離婚した。明日から、真央はお母さんと、啓子はお父さんと暮らすことになる」

「イヤよ、離婚なんて! 私はお父さんとお母さんの両方と一緒に暮らしたいわ」

 啓子が泣きながら言った。

 僕は黙ってうつむいた。来るべき時が来た。僕と啓子が泣きわめいても父母が離婚を思いとどまることはないだろう。

「もう離婚届けは提出済みだ。ここにいる水上潤子さんと水上真央君とは、もう家族じゃない」

 やはり父は僕が嫌いだったのだ。僕は、母と一緒に厄介払いされたのだ。

「真央、カバンに荷物を詰めて私の車のトランクに入れなさい。今夜、家を出るから」

 母は僕の手を引っ張って二階にある僕の部屋に連れて行った。

「今夜家を出るなんて、急に言われても無理だよ。明日は山下たちとディズニーランドに行く約束があるんだから」

「わがままを言わないで。真央は高校生になるんだから、大人の仲間入りよ。真央と私は、今日からこの家に居る権利がなくなったの」

 僕はリュックサックとスポーツバッグにタンスの中の衣類を詰め、母のレクサスのトランクに入れた。

「デスクトップパソコンもコードを外して車に乗せるの? オモチャやコミックを入れる段ボール箱はないかな?」

「身の回りのものだけを持っていくのよ。パソコンはまた新しいのを買ってあげる。高校に行ったらオモチャやコミックどころではなくなるから、そんなものは置いて行きなさい」

 今日持ち出せなかったものは、後で取りに来ることもできるだろうと考えて、毎日使うものだけをバッグに入れた。

 最後に玄関を出るとき、生まれ育ったこの家が自分の家で無くなると思うと、寂しさで一杯になった。本当にこれで良いのだろうか?
 イヤだ!

 でも大人が決めたことだから僕にはどうすることもできない。

 啓子が玄関に来て母と長い間抱き合っていた。父は無表情に廊下に立っていた。玄関のドアが締まったらすぐ鍵をかけようと待っているかのように……。

 僕は啓子だけに「また会う日まで」と言って母と一緒に玄関を出た。


 レクサスはのっそりと車庫から出て夜道を走った。母と僕は黙ってそれぞれの思いに耽っている。しばらくして車が高速道路の入り口を通過するのに気づいた。

「どこまで行くの? 新しい家はどこなの?」

「しばらく走ってから、ホテルに泊まるのよ。車の中で寝てもいいけど、お風呂で汗を流したいから」

「あまり遠いところだと、高校に通うのに時間がかかるよね。家はどの駅の近くなの?」

「ごめんね、真央。せっかく合格した高校に行けなくなって」

「そんな! 同じ高校に行く友達と色々計画を立てているのに」

「お母さんが海外を飛び回っている間、真央を一人で家に残すことはできないでしょう? だから全寮制の学校を探したのよ。やっと見つかって入学手続きが終わったから、鈴木の家を出る日を決めることができたの」

「僕が行く高校を勝手に決めるなんてひどいよ。まともな私立の入試はずっと前に終わっているから、ロクな高校に入れないはずだ」

「全寮制の高校は限られているんだから仕方ないでしょう」

「高校を出るまでお父さんの家に下宿するという選択肢もあったんじゃないの?」

 母はしばらく僕の質問を無視して運転を続けていたが、東北道に入ってすぐ、大きなため息をついて僕に言った。

「そうよね、真央に隠しておくわけにはいかないわよね……。可哀そうだけど、本当のことを話すわ。真央は鈴木さんの子じゃないの」

「水上真央になったからお父さんの子供じゃなくなったってこと?」

「鈴木さんからプロポーズされた時に、真央は既に私のお腹の中にいたの。彼は年下で陽炎かげろうのようにはかないピアノ弾きだった。私は彼を捨てて大手商社マンの鈴木さんを選んでしまったの」

「知った上で産ませるとは、お父さんはそれほどお母さんのことを愛していたんだね。でも、啓子が生まれると自分の子供じゃない僕を同じようには愛せなかったということだったのか……」

「それは違うわ。真央が別の男性の子だということは、ずっと隠していたのよ。私はAOのA型で、鈴木さんはBOのB型だから、どの血液型の子供ができても鈴木さんには分からないと思っていたのよ。でも去年、鈴木さんがDNA検査関係のベンチャー企業を買収する仕事を担当した時に、真央と啓子の髪の毛を持って行っちゃった。私の浮気を疑っていたんじゃなくて、ベンチャー企業の検査能力を確かめたいと思って家族四人の毛髪を持って行っただけだったんだけど、そのおかげで真央が自分の子ではないことが分かっちゃったの」

「それで喧嘩するようになったのか……」

「鈴木さんが真央を啓子ほど可愛がらなかったのは、単に真央がなつかなかったからよ。真央は赤ちゃんの時から男の人にはなつかなかった。パパに抱かれるとギャーギャー泣いて、ママママとわめき続けた。啓子はママよりパパになつく赤ん坊だった。それだけのことよ」

「そうだったんだ……」

「分かったでしょう? 鈴木さんは私と真央をセットで厄介払いしたのよ。もう二度と顔を合わせることはないと思うわ」

「僕の本当のお父さんは今どこにいるの? これからその人の家に行こうとしてるの?」

「その人は生きてるかどうかも不明なの。才能はあるけど根性と運が無い人だった。定収入はなくてフラフラしていた。私が鈴木のプロポーズを受けたことを知って、私の前から姿を消した。風の便りで、麻薬に手を出したとかヤクザに追われているとか聞いたことがあるけど、その後どうなったのかは分からない。彼は私が妊娠していたことは知らなかったから、悪いけど、他人と思った方がいいわ」

「どんな人だったの?」

「性格も外観も真央にそっくりだったわ。真央の身体にはあの人のDNAがそっくりそのまま入ってる。だから真央が大人になったらどんな男性になるのか、私には見えるのよ」

「音楽の才能があったんだよね? 音楽以外の勉強は? イケメンだった? 背はどのくらい? 女にもてるタイプだった?」

「教えない。だって、分かってしまったら楽しみがなくなるでしょう?」

「そんなことを言わずに、ちょっとだけでも教えてよ。歌手か俳優とかで似ている人は居ないの?」

「じゃあ、一番大事な部分だけを教えてあげる。ピアノはあまり上手じゃなかったけど、魂を揺さぶる音色だった。彼はとても美しい人で、私は彼の横顔を見ている時が一番幸せだったわ」

「その人と結婚していたら良かったのにね」

「鈴木さんと結婚したことは後悔していない。別に、経済面だけを理由に彼を選んだわけじゃないのよ。鈴木さんはリーダーシップのある立派な人で、いつも家族を守ってくれた。結婚相手としてはどう見ても鈴木さんの方が数段上だったわ。それに鈴木さんと結婚しなければ啓子は生まれなかったもの。もし結婚前に真央が別の男性の子だと打ち明けていても、鈴木さんは結婚してくれたと思う。私みたいに家を空けまくる妻に我慢できる男性はいないものよ。よく十五年も持ったわ」

 きっと母は離婚が僕のせいではないと言い聞かせようとしているのだ。

「お母さんを責めないの? 真央を自分の子だと思わせるように鈴木さんをだまして、結局は放り出されたのよ」

「世界一大好きなお母さんが良いと思ってしたことだもの。僕が責めたりするわけないよ」

 母が泣きじゃくり始めたので、交通事故を起こさないか心配になった。

「ホテルに着くまで、会話はストップだよ。運転に集中して!」

「真央はしっかりしていて嬉しいわ。あのピアノ弾きの子だとは思えない」

 母は僕の本当の父のことをあまり高く評価していないようだ。ピアノ弾きなのに上手ではなく、美しく、結婚相手としては父より数段下、麻薬に手を出してヤクザに追われたとか……。母の情報を総合すると「美しい」以外には喜べる点が見当たらない。そんな男性に生き写しだと言われると、自分の将来に不安を覚える。


 母が運転するレクサスは宇都宮インターを出てしばらく国道を走り、側道に下ると、派手なホテルへと入って行った。これは大人がエッチなことをするための場所だ! 

「お母さん、これ、ラブホテルじゃないの?」

「真央と私は世界一愛し合ってるのに、ラブホテルに行って何が悪いの?」

 母とこんなところに入るのを見られるのは恥ずかしい。母はまだ三十六歳のすらりとした美人だ。友達から「お姉さんかと思った」と言われて誇らしい気持ちになったことは二度や三度ではない。それだけに二人でラブホテルに入るのは躊躇してしまう。友達に見られても言い訳はできるが、知らない人が僕たちを見たらどんな関係だと思うだろうか?

 チェックインをして二人で部屋に入った。シャンデリアの下に、見たことがないほど大きいベッドがあるきらびやかな部屋だった。

 母はドアを閉めると僕に向かい合って立ち、僕の肩の上に両手を置いた。

「まるであの時に戻ったみたい」

 母は元彼と僕を重ねている……。突然抱きしめられて、僕はなすすべを知らなかった。僕は目を閉じ、抱かれるままに立っていた。母の息が耳にかかり、腰から足にかけてジーンとしてくる。頚動脈がドク、ドクと音を立てている。改めて僕は母が世界一大好きだと実感する。でも、こんなことをして良いのだろうか……。

 母は僕を抱いていた腕を緩めて、右手で頭の髪を撫でてくれた。顔中に鳥肌が立つ。

「お母さん、大好き」

 僕は唇を丸くして目を閉じた。

「ぷっ」

 母が吹きだし、僕の顔に唾がかかった。

「私も真央が大好きだけど、キスはしないわよ。真央、もしかして、変なことを考えていたんじゃないわよね?」

「な、なんだよ。口笛を吹こうとしていただけさ。僕、先にお風呂に入るから」

 服をベッドの上に脱ぎ捨てて、パンツだけの格好で風呂のドアを開けた。

「一緒に入ってあげようか?」

 母の言葉を聞いて顔が真っ赤になった。僕は母の質問を無視して、母に顔を見せないようにして浴室に入り、ドアをロックした。

 僕がシャワーを終えると入れ違いに母が浴室に入り、僕は備え付けの白いガウンを着て大きなベッドの左端に寝た。しばらくすると母が胸にタオルを巻いた姿で出てきた。僕は母と反対の方向に横向きになって、母を見ないようにしていた。母がドライヤーを使った後でベッドに来てシーツにもぐりこんだ時、僕の胸は心臓が飛び出すのではないかと思うぐらいドキドキしていた。

「こんなに広いベッドなんだから、もっと真ん中に来なさい」

 母は僕の肩に手をかけて母の方を向かせた。

「私と真央の愛は一生変わらないわ」

 母は僕の唇にそっとキスをしてから、僕を抱きしめた。もうどうなっても良いと思った。母となら地獄に落ちても構わない……。僕のアソコは多分生まれてから一番大きく硬くなって、母の下腹部に圧迫されている。

 次に起きることを待ちながら僕は母の手足の冷たさに震えた。何があっても一生この人を守っていくぞ、と思った。

 でも、何も起きなかった。母と抱き合った僕は幸せの絶頂の中で眠りに落ちたのだった。

第二章 新天地

 翌朝、ルームサービスの目玉焼きトーストセットが届き、母が受け取った。僕はドアからは見えない位置に隠れていた。

「ボーイさんが真央を見たら、私の事をロリコンのオバサンと思うでしょうね」

「お母さんを見てオバサンと思う人なんて居ないよ。でもロリコンのロリータは女の子の名前だろう? 年下の男の子を好きな女性のことはロリコンとは言わないよ」

「真央のお父さんと結ばれたのもラブホだったの。私は二十歳だった。その時の彼と今の真央が生き写しで、真央を見ているとまるでタイムスリップしたみたいな気持ちになるわ」

 僕はピアノ弾きのお父さんの役を演じて、母のタイムスリップの夢に付き合ってもいいと思った。

「お父さんが今の僕と生き写しだったということは、お父さんは高校生の時に二十歳のお母さんとラブホに行ったってこと?」

「私より一歳年下よ。年齢より若く見える人だったの。身長は真央より少し小さかったかな。顔も体格も子供みたいだった。ラブホテルにチェックインする時には不審がられて困ったわ」

 僕は二人が抱き合うところを想像した。大人がいやらしいことをするというイメージは感じられず、とても爽やかな気がした。僕より少しだけ上の年齢の二人が愛し合った結果、僕という子供が生まれたのだ。母が身近に感じられた。

「ねえ、お母さん。僕たちはこれからどうなるの? これから僕たちが住む家に行くんだろう? 家は宇都宮にあるの? アパート? 一戸建て? 全寮制の学校ってどこにあるの?」

「そんなにまとめて聞かれても答えられないわよ。確かにまだ何も話していなかったわね、ごめんね。私もいっぱいいっぱいだったから……」

 離婚して家を追い出された母の精神状態が普通でないのは僕も分かっていた。だから昨夜は質問を避けたのだ。

「これからホテルを出たら真央は学校の寮に行くのよ。日光市の川俣というところに集合場所があって、そこから寮までの移動は学校が手配するそうだから、私とはそこでお別れよ。私は東京に引き返して明日のフライトでパリに飛ぶの。レクサスは長期用の駐車場に預ける。帰国は多分二ヶ月後ぐらいになると思うから、その時にアパートを探すつもりよ。学費、寮費や諸経費は供託金口座から引き落とされるから真央は心配しなくていい。お小遣いは毎月ゆうちょ銀行に振り込むけど、ゆうちょのキャッシュカードは持ってるわよね?」

「うん、財布に入ってる。お母さんとは、今日別れなきゃならないんだね。僕、寂しい」

「どこにいても真央と私はハートとハートでつながっているから」

「うん」

「ねえ、お母さん、僕たちって貧乏じゃないよね?」

「貧乏だったら全寮制の学校に子供を預けたり、レクサスを有料駐車場に置いて海外に行ったりはしないわよ」

「よかった。だって、テレビドラマだと両親が離婚するとお母さんと一緒に暮らすことになる子供はすごく貧乏なのが普通だから」

「あら、留守がちで高収入の母親と息子が出演するドラマもよくあるわよ。そんな場合、息子は甘やかされてグレるパターンが多いけど」

「もうひとつ教えて。僕が入る学校は共学だよね? 偏差値はどのくらい?」

「共学よ。偏差値は非公開だから私も知らないわ。栗山セレンディピティ国際スクールという、新しくできた高校なの。英語名が Kuriyama International School of Serendipity、頭文字のKISSを略称として使っているんだって。しゃれてるわよね」

「国際スクールということは外人の生徒もいるんだろうね。英会話ができるようになるといいな」

「外人がどのくらいいるかは知らないわ」

「セレンディピティってどんな意味? キリスト教と関係あるのかな?」

「セレンディピティというのは、何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力を意味する言葉よ。真央が私のお腹の中にいるときに、鈴木さんと二人で見に行ったアメリカ映画の題名なの。私にとって真央は探し求めていたものそのものだったからセレンディピティじゃないけど」

「勉学のために入学するけど、勉学以外の素晴らしいものと思いがけずに出会える、そんな学校という意味かな?」

「高校には勉学、運動、恋愛、友情、その他諸々の素晴らしいものを求めて入学するけど、それ以上のあっと驚くほどの素晴らしい価値があるものを見つける機会を提供するのがKISSだと、パンフレットに書いてあったわ」

「うわあ、何だかドキドキしてきた。金髪の美少女と恋に陥るとか、すっごいことになりそうな気がする!」

「金髪の美少女はいいけど、子供は作らないようにしてよね。まだ子供なんだから」


 ホテルを出ると車は日光を目指して走った。途中で日光と鬼怒川温泉の分岐を鬼怒川方面に進んだ。

「日光に行くんじゃないの?」

「日光と言っても広いのよ。目的地はカーナビにインプットしてあるから心配しないで。あと一時間半ぐらいで着くわ」

 ここは僕が生まれ育った千葉県とは何かが違う。どちらの方向を見ても山があって、空気に透明感がある。千葉県の千葉市以西は概してゴミゴミしているし、房総に行くと空気がモワーッと湿っている気がする。高い山のある景色って、僕は好きだ。山のある田舎の寮で生活するのも悪くはないなと思った。

 更に十五分ほど走った分岐を日光ではなく南会津方面に進んだので少し不安を感じた。

「お母さん、日光から外れちゃったよ。本当に大丈夫なの?」

「アハハハ。お母さんが真央を福島の山奥に売り飛ばすとでも思った?」

 そんな冗談を言われると「もしや」と思って、却って不安になる。

「目的地の住所は日光市川俣というところよ。奥日光の栗山村という広大な地域が十年ほど前に日光市の一部になったの。川治温泉、湯西川温泉、川俣温泉、今はやってないみたいだけど女渕沢温泉、その奥に奥鬼怒温泉郷などの秘湯がある、山深くてそれはそれは美しい所よ。真央の学校の寮にも温泉があると書いてあった」

「へえ、温泉があるんだ! 高校というよりは老人ホームに適していそうだけど」

「KISSは川俣かわまた温泉の奥にある平家平へいけだいら温泉から手白沢てしろざわ温泉の方向に入って行った山中にあるんだって」

「どうしてそんな不便な山奥に学校を作ったのかな?」

「そりゃあ、土地が安いからでしょう。広大な用地を安く買い叩いたんじゃないかな。私は『犯罪者が近づかない安全な場所で大事なお子様を預かります』という宣伝文句に魅力を感じたんだけど」


 車は県道23号という標識のある舗装道路を山中へと進んだ。三月の下旬だというのに山肌には雪が残っていた。川俣温泉という標示のある開けた地域に差しかかったのは午前十時を過ぎたころだった。カーナビの指示通りに到着した場所は広い駐車場のある道の駅のような場所で、右奥にグリーンの地に白抜きでKISSと書かれた旗が立っていたが、その旗の周囲には誰もいなかった。

「集合時刻は正午だから、まだ誰も来ていないみたいね」

 僕たちは建物の中にあるレストランに入った。僕は山の幸やまのさち天ぷらそば、母はおろしそばを注文した。

「啓子はどうしてるかな。お母さんがいなくなって落ち込んでるだろうな」

「LINEを見る限りケロッとしていたわよ。苗字は変わっても母と娘という関係は一生変わらないし、私はいつでも啓子に面会する権利を確保してる。その点が最後まで離婚調停の重要な争点だった。親権は無くても啓子と私の関係は今までと殆ど変わらない。それに啓子は私似でしっかりしているから心配していないわ」

「それって、僕は頼りない元カレ似でしっかりしていないから心配ということ?」

「うふふ、その通りよ」

 啓子は二歳年下の中一だが身長は去年の秋のデータでは僕と同じだった。比べられるのがイヤだから、それ以来啓子のそばに立たないようにしていたが、先週啓子の背後に立った時にそっと比べたら啓子の方がずっと背が高いことが分かった。その時、啓子が振り向きそうになったので僕はさっとその場にしゃがんで何かを探しているふりをしたが、冷や汗ものだった。

 いつ会えるかは分からないが、今度会う時にはきっと母似のスラリとした美人になっていることだろう。妹が自分より背が高くなることは嫌ではない。むしろ誇りに感じる。でも、やはり妹から見下ろされるのはシャクだ。

 鈴木の父が僕と面談する権利を確保しているかどうか、僕は質問しなかった。父が僕に会いたがる可能性はゼロに近い。僕も鈴木の父に会いたいという気持ちは無いし、今後は僕とは無関係な人だ。

 レストランの窓からKISSの旗が見える。数人が、旗の横に立っていて、その前にハイエースが停まっている。送迎バスと呼ぶには小さいが、あのハイエースで寮まで連れて行ってくれるのだろう。

 母との別れの時間が近づき、お互いの言葉が少なくなった。何か言おうとすると泣きじゃくりそうになる。母の優しい微笑が僕の涙を引き出す。

「十五分前ね、そろそろ行こうか」

 母が立ち上がり、僕は泣くのをこらえながら後を追う。

 レクサスのトランクからスポーツバッグとリュックサックを取り出し、KISSの旗へと歩いて行く。母は初老の男性職員に書類を渡して何やら話をしている。

「今度帰国したら寮を見学したいんですが、学校のウェブサイトを見ても正確な所在地がよくわからないのです。グーグルマップで湯沢の噴泉塔と表示されている場所の近くだと聞いていますが」

「侵入者をよせつけないため、正確な所在地は本当に必要な方だけに開示する方針になっています。湯沢の噴泉塔の手前の崖を右方向に登るんですが、噴泉塔の位置自体がグーグルマップでも不正確なので、こちらの登山地図を頼りに来ていただくことになります。遭難する登山者も多い場所ですから十分な装備でお越しください。登山地図は三千円ですが購入されますか?」

「ちょっと高いですが、地図を見ながら息子のことを思い浮かべるために買わせていただきます。でも、子供たちは重い荷物を抱えて登山道を登ることになるんですか? 車では行けない場所なんでしょうか?」

「ハイエースで湖の横のヘリポートまで行って、そこからヘリコプターでピストン輸送します。登山道自体は大したことはないのですが、滅多に人が踏み入れない道で、万一はぐれたら命の保証ができないので、生徒たちの移動はヘリコプターに限定しています」

「それほどの辺境にあるとは知りませんでした」

「栃木県でありながら、福島県、新潟県、群馬県のいずれからも近いという、非常に便利な場所なんですけどね」

「近いとか便利とかいうのは、ヘリコプターで飛んだ場合だけに関して言えることですよね?」

「ベテランの登山家も同様に感じるはずです」

「真央、お別れよ。車に乗りなさい」

「お母さん、お母さん」

 僕は涙をボロボロと流しながら母に抱き着いた。母も泣いていた。母に背中を押されてハイエースに乗り込んだ。僕以外に三人の生徒が乗っていた。

 職員が運転席に乗り込んだ。

 僕は自分の席の横の窓を開けて顔を出した。

「お母さん、大好き、お母さん、お母さん!」

 ハイエースは無惨にも発車して、泣きながら手を振る母の姿が小さくなっていった。


 ヘリポートには数分で到着した。生徒は男女二人ずつで、二名の女子が先にヘリコプターに乗り込んだ。僕はもう一人の男子と一緒にハイエースの中でヘリコプターが戻るのを待った。

「森崎賢太っていうんだ。よろしく」

 僕は鼻水をすすりながら「鈴木、じゃなくて水上真央です」と答えた。

「水上君は純粋なんだな。泣きながらお母さんと別れるなんて、俺には真似できない。本気でお母さんが好きなのか?」

「うん、大好き。世界一好き」

「まいったな、マザコンかよ」

「そう言われても構わないと思うぐらい好きだよ。森崎君はお母さんが嫌いなの?」

「好きか嫌いの二択というのは無理があるんじゃない? 父も母もそれなりにリスペクトしているし、母親は子供に特別な感情を抱くものだから、僕も嫌いじゃないよ。でも親は僕に立ち入り過ぎるから重いと感じる。これから三年間は離れて暮らせるから正直なところほっとしている。親もそう思ってるんじゃないかな」

「森崎君は大人だね。クールだし」

「水上君が子供なんじゃない? それに女性的だから人前でも平気で泣けるんだろうな」

「広島の黒田投手だって引退試合の時に泣いていたぞ。黒田投手は男の中の男だ!」

 僕はムカついて森崎に食って掛かったが、森崎は身体がデカいので喧嘩しても勝ち目はないと思った。丁度ヘリコプターが戻って来て、僕たちは荷物を持って乗り込んだ。ヘリコプターに乗るのは生まれて初めてだった。

第三章 栗山セレンディピティ―国際スクール

 ヘリコプターは湖の方向にスーッと上昇し、山を越える高さになると、水平移動に入った。山の間を飛ぶというよりは森林を見下ろしながら谷川に沿って飛ぶという感じだ。ヘリコプターはあっけないほど早く山の中腹に開けた運動場のような平地に着陸した。えんじ色のジャージー姿の、母と同年代の女性が一人立っていた。

「Welcome to KISS!」

 アメリカ人のような発音の英語で言われて、僕はドキドキしながら英語で答えた。

「Thank you. My name is Mao Minakami. Nice to meet you.」

「俺、森崎賢太っす」
となぜか森崎は日本語で挨拶をした。

「真央君はどうして英語で挨拶してくれたの? 私が外人に見えた?」

 なんだ、日本人だったのか。

「だって、先生が英語だったからつい……。それに、国際スクールという名前だから……」

「学校の名前に『国際』を入れたのは略称をKISSにするためにInternationalの頭文字が欲しかったからよ」

「マジですか! じゃあ、金髪美少女とかはいないんですか?」

「真央君には申し訳ないけど、金髪の女の子もハーフの美人もいないわ」

「ガックリ……。ところで、先生は体育の先生ですよね?」

「私がジャージーを着ているからそう思ったのね。私は栗山美咲。KISSの理事長よ」

「り、理事長? こんなに若くておきれいな方が?」

「お世辞を言っても何も出ないわよ」

 上機嫌になった理事長は僕たちを「KISSドーミトリー」と表示された四階建てのビルに連れて行った。ドーミトリーとは英語で寮という意味だから、ここが僕たちの寮なのだ。

「二階の201から210が男子部屋よ。207まで入っているから、あなたたち二人はとりあえず208に入りなさい。最終的な部屋割りは筆記試験と身体測定の結果によって来週決定するから、それまでの短期間の部屋割りよ。その他連絡事項はプリントを各部屋のデスクに置いてあるから読んでおいて」


 森崎と僕は階段を二階に上がった。廊下の右側に201から210までの部屋が並んでおり、左側はゆったりとした間隔で2Aから2Eまで五つの部屋が並んでいる。左側の部屋から女子の声が聞こえた。男女二十人ずつのはずだから、女子は四人部屋なのだろうか?

 僕たちは奥から三室目の208号室まで廊下を歩いた。

「俺たち、男で良かったな。四人部屋だと落ち着かないよな」

「そうだね。女子はおしゃべりが好きだから四人部屋にしたのかな?」

「女子は身体が小さいから狭い部屋に押し込んでも大丈夫なんじゃないか」

「僕は小柄なのに二人部屋に入れてラッキーだ。男に生まれて良かったよ」

 208号室のドアを開けると縦長の部屋で突き当りが窓になっており、その左右に勉強机と一体になった二段ベッドがある。

「よかった、ベッドが大き目で。百八十センチの俺でも窮屈じゃない」

「ホント、ベッドの上でゴロゴロ転がって遊べるぐらい大きいね。女子のベッドはずっと小さいんだろうか?」

「百七十以上の女子もいるから、ベッドは少し小さいだけじゃないか? でも、水上君が女子のベッドのサイズを心配する必要はないだろう。あっそうか、来週の部屋割りで女子の部屋に入りたいと期待してるんだな」

「バカ言うな。でも、僕が女子の部屋に入ったら、あぶれた女子が男子部屋に入ることになるよ」

「チビの男をもう一人女子の部屋に入れて、余った女子二人を210号室に入れればいい」

 森崎は明るい性格だが、身体の大きさに関する冗談を言う点には腹が立つ。言っている本人は単なるシャレのつもりなのだろうが、いじめとはそんな心無い冗談の延長線上で起きるものだ。

 勉強机の上に連絡事項が印刷された紙が置いてあった。夕食は午後六時から、風呂は午後十時までだ。十一時の消灯で、朝は七時起床、七時半から朝食となっている。

 僕は荷物を二段ベッドの下のタンスにしまった。来週部屋割りが変わるというのは落ち着かないが、当面森崎と仲良くしている限り、この部屋なら快適な生活が送れそうだと思った。


 スマホで部屋の写真を撮り、LINEで母に送ろうとしたが通じなかった。スマホのアンテナマークが立っていないので、この部屋は電波が届かないようだった。このビルの別の場所だったら電波が通じるのではないかと思い、廊下を端から端まで歩いたがダメだった。

 ヘリコプターが着陸する音が聞こえ、しばらくして理事長が男子三人と女子一人を連れて入って来た。

 男子のうち二人は209、一人は205に行くように言われ、女子は2D号室が割り当てられた。彼らが二階に向かった後、僕は理事長に聞いた。

「この寮の中ってスマホは使えないんでしょうか?」

「KISS全体が山かげに隠れているからスマホは使えないわ。ご両親との連絡等にどうしても必要な場合は職員室の横の部屋でWIFIが使えるけど、無料で使えるのはひと月十五分までで、それを超えると一分百円かかる。現代の子供たちは深刻なインターネット依存症に陥っているわ。KISSの立地選定では『昭和時代的な高校生活が送れる環境』を最重要視して、ドコモ、AU、ソフトバンクの電波が届かない場所を選んだのよ」

「LINE、メール、グーグル検索ができずに、生活が成り立つのでしょうか……」

「メールは学校のドメイン名のアドレスが与えられて、受信があったらプリントアウトして各人に手渡されるし、食堂のパソコンから送受信できる。LINEは日常的には使えない。SNSが出現する前の時代と同じ環境を目指しているから」

「分からないことがあってもすぐに検索することができないというのは超不便ですね。友達どうしの意思疎通も直接しゃべるか、紙に書いて渡すしかなくなりますよね」

「まさにそんな環境にしたいのよ。まず考えて、分からなかったら書物を紐解いて調べる。人と人が直接話したり手紙を書いてコミュニケーションをする」

「世の中で何が起きているか全く分からなくなりませんか? 仮に広瀬すずが結婚しても分からないということでしょう?」

「ニュースは食堂にある新聞で読めるし、重大ニュースは先生からも聞ける。新聞にはエンタメ欄もあるから、広瀬すずが結婚したら当然報道されるわよ。『広瀬すずが俳優のNと交際か?』というような無責任なニュースは新聞には出ないから、真央君はそんなニュースにいちいち心を傷めなくて済む」

「それは確かにメリットかも。あのニュースを見た時には否定報道が出るまで勉強が手につかなかったから……。先生も広瀬すずのファンなんですか?」

「嫌いじゃないし、可愛いことも認めるけど、同性の目には良い点も悪い点も見えるのよ。真央も女性になってみれば分かるわ。話がそれちゃったけど、スマホが使えないおかげで余った時間で栗山村の大自然を味わいなさい。夕食前にお風呂にでも入ったらどう? 源泉かけ流しの硫黄泉で、掘削業者の人から『温泉ホテルにしたいほどの美肌の湯』と太鼓判を押されたんだから」


 僕は部屋に戻り、森崎を誘って一階の大浴場に行った。着替え用に黒のジャージーとブリーフを持って行き、脱衣場で裸になって風呂場に入った。洗い場の横の壁に沿って大きな浴槽がある。先客が二人湯船に浸かっていた。

 左の壁は床から二メートルほどの高さで、その上は天井まで空いている。壁の向こう側から女子数人がキャッキャッと騒ぐ声が聞こえる。森崎ならジャンプしたら壁の向こうが見えるかもしれない。壁の向こう側の世界を少しでもいいから覗いてみたいな。透明人間になって、女の子たちと一緒にお風呂に浸かりたい……。

 イケナイことを考えながらシャンプーをして、タオルにボディーソープをつけて身体を洗った。身体についた石けんをシャワーで流したが、アソコが硬く大きくなったままだった。森崎を見ると頭にシャワーをしているところだったので、僕は前をタオルで隠して、さっと湯船に浸かった。

 大きくなったものを見られたくないので、押さえ込んで太股を閉じて隠した。熱めのお湯だったが首まで浸かった。森崎がシャワーで流し終えて浴槽に片足を入れた。

「水上、お前……」

 森崎は口を開けたまま僕の太股の付け根を指さし、絶句した。

「やっぱり、お前、女だったんだな。声も高いし、おかしいとは思っていたんだ」

「ち、違うよ」

 僕は慌てて足を開いた。太股で隠していたモノが跳ね上がって姿を見せた。でも森崎は既に僕に背を向けて風呂に入っていた。

「聞いてよ。女子の声が聞こえて壁の向こう側の想像をしていたらギンギンになったから、隠そうと思って太股の下に挟んでいただけだ。ほら、見てよ」

「いや、今日はやめとくよ。俺には刺激が強すぎたから、俺までビンビンになってしまった。俺、先に風呂を出るよ」

 森崎は僕に背を向けたまま風呂から上がり、タオルを絞って身体を拭いた。森崎は、スポーツは何部に入っていたのだろうか。太股が太くて強そうだからサッカーだろうか。全体的に毛深く、特にすね毛がすごい。僕がアソコを隠していただけで女と決めつけたことには腹が立つが、自分の裸を見慣れている森崎が僕の裸を見て自分とは違うと思ったことにはある程度同情の余地があるかもしれない。

 このままでは気まずい。部屋に帰ってから森崎の前でパンツを下げて見せようかなと思った。でも、それではまるでヘンタイだ。そんなことを考えていると、あっという間に小さくなった。

 壁の向こうの女子たちも風呂から上がったらしく、男風呂には僕だけが残っていた。源泉かけ流しの温泉は気持ちよかったが、僕はすっきりしない気持ちで風呂を上がり、黒のジャージー姿で部屋に戻った。

 森崎は僕と視線を合わせようとしなかった。状況を打破するために勇気を出して僕の方から声をかけた。

「ねえ、森崎君。僕、これから一瞬パンツを下げるから、おチンチンがあることを目で確かめてくれない? 女だと疑われたままだと気まずいから……」

「いいよ、見せなくても。実は、洗い場に並んで座っている時に、水上君にすごく小さいものがついているのがチラッと見えたんだ。でも、身体が真っ白で毛も生えていないし、女子と並んで風呂に来たような変な気持ちになった。それで風呂に入ろうとしたら水上君のアソコに何もなかったから、ついお前は女だったんだと本気で思ってしまったんだ。でも、後でよく考えると、確かに洗い場で極小ウィンナーを見て『チッセー』と思ったし、お前が嘘をついていないことは分ってる」

「よかった。色々傷つくことを言われたのは悔しいけど、分かってもらえて」


 森崎との関係は普通に戻ったが、森崎は僕の身体に接触しないように気をつけているように感じた。六時が近づいたので一緒に部屋を出て一階の食堂に向かったが、森崎は先ほどまでよりは十センチほど僕との距離を遠めに保って歩いた。僕は来週の部屋替えで森崎と別の部屋になったらいいのにと思った。

 お盆を持って窓口に並び、オカズの皿を受け取った。驚いたのは僕の前に並んだ女子と僕では皿の大きさと色が異なるということだった。女子の皿は縁が赤で、僕のはブルーだったが、僕の皿の方が一回り大きかった。オカズを沢山もらえるのは嬉しかったが、女子は気の毒だなと思った。

 僕は女子と話がしたかったが、女子と男子は別々の場所に固まって席を取り、僕は森崎の隣りに座った。

 食堂は広々としていて、半分以上ががらんどうだった。新しくできた寮に僕たち一年生四十人が入ったわけだから、テーブルや椅子は僕たちが二年生になる時に増やすのだろう。


 食べ初めて五分ほどしてから栗山理事長が食堂に来た。

「皆さん、食べながら聞いてください。殆どの人にはヘリが到着した時に自己紹介したつもりだけど、私は栗山インターナショナル国際スクール理事長兼校長の栗山美咲です。今日までに四十人の生徒のうち三十八人が到着しました。残る二人も明日の午前中に合流できる見込みになりました。今週末までに全員が揃う予定だったのが早くなってほっとしています。筆記試験は明日の午後一時から実施します。身体検査は明日の午前九時から試験を挟んで午後四時まで一階の保健室でやっていますから、皆さん早めに受診してください。何か質問はありますか?」

「部屋割りを決めるための筆記試験とお聞きしましたが、どんな内容の試験なんですか?」

 理事長に近い席に座っている女子が手をあげて質問した。

「事前に内容を知らせない方が正確な試験結果が得られるので、試験の内容は秘密です。簡単な試験で、準備も不要だから気軽に受けてください」

「部屋割りについての希望は考慮していただけるんでしょうか?」

 その女子の隣に座っている女子が質問した。

「いいえ、個人の要望等は一切考慮できません。部屋割りは試験の結果と身体検査の数値をソフトウェアに入力して決定します。そのソフトウェアはKISS設立における理念を私がAI化したものです。勿論AIの出した結果にエラーがないかどうかを私がチェックして最終判定します」

「理事長がご自分でAIを作られたのですか? 天才プログラマーなんですね!」

 僕はつい感嘆の声を上げてしまった。お世辞を言うつもりは無く、母と似た雰囲気の栗山理事長のカッコよさを目の当たりにして憧れの気持ちが口から出た。

「えへん、それほどでも! といっても、実はエクセルの計算シートに過ぎないんだけど……。詳しくは部屋割りが決まった後で種明かしするから楽しみにしてください」

 学校の設立理念と部屋割りが関係しているという説明は僕にはピンとこなかった。他の生徒たちも不思議そうな顔をしていたが、どうでもよいことのような気がした。問題は気の合う人と相部屋になれるかどうかということだけだ。相手が不愉快なやつ、うるさいやつ、部屋を散らかすがさつな男子だったらイヤだが、全ては運次第だ。


 食事はとてもおいしかった。ミニヒレカツが四個と、フルーツ入りのマカロニサラダがたっぷり皿に盛られていた。具だくさんの豚汁もついている。男子生徒は食欲旺盛で、配膳窓口にご飯のお替りをしに行くために何人もが席を立った。豚汁もお替り可能だと分かったので、僕もお椀を持って窓口に行った。

 僕の前に窓口に並んでいたのは軽く百七十五センチはありそうな大柄な女子だった。女子でも体格の良い人は沢山食べるのだなと思った。

 そこで思いがけないトラブルが持ち上がった。

「女子はお替りできないわよ」

 カウンターの向こうのオバサンに言われてその大柄な女子が憤慨した。

「どうしてですか?」

「そういうルールになっているの」

「ヒレカツも男子は四個なのに、私たちは二個でした。不公平です。女子はご飯だけをお替りしろと言うんですか?」

「ご飯も男子だけしかお替りできないルールよ」

「なんですって!」

 栗山理事長が騒ぎに気付いて配膳窓口に来た。

「杉岡さん、明日の昼食までは女子もお替り可能ということにさせてください。食事のルールは生徒たちに明日説明する予定なので」

 杉岡という食堂のおばさんが、その女生徒のお椀にたっぷりと豚汁を入れた。

「明日の昼食までと言うことは、その後はどうなるんですか? 私、こんなんじゃ、身体が持ちません! オカズの量と言い、四人部屋と二人部屋の差と言い、男子ばかりが優遇されていませんか?」

 その女生徒の怒りは収まりそうになかった。

「葉山さん、ごめんね。明日の夕食から、多分葉山さんの要望通りになると思うわ」

「多分、ですか?」

 葉山と呼ばれた女子は納得できない様子だったが、豚汁のお椀を持って引き下がり、すぐにお茶碗を持ってきて山盛りのお替りをしてもらっていた。

 他の女子も騒ぎに気付いたようだった。葉山以外にも食欲のありそうな女子は何人かいたがお替りをしに行こうとする人はいなかった。食事の量の事で目立つのは恥ずかしいという女性心理なのだろう。

 僕は豚汁をお椀に半分注いでもらって席に戻った。僕の茶碗にはまだ半分ご飯が残っていた。美味しいなと思いながら食べていると、隣の列の向こう側に座っている葉山と目が合った。その時、食事に関して「男で良かった」と思っていた自分が、葉山に責められているような気がした。とたんに食欲がなくなり、豚汁は全部食べたが、お茶碗に四分の一ほどのご飯を残してしまった。

 間の悪いことに、お盆を返却コーナーに戻す時に葉山にジロッと見られた。返却コーナーには理事長も立っていて、「真央君はご飯のお替りをしたの?」と聞かれた。

「いえ、豚汁は半分お替りしましたけど、それでお腹が一杯になってご飯を残してしまいました」

「真央君にはオカズの量が多すぎたみたいね」

と理事長が優しい口調で言った。ご飯を残したことを叱られなかったのでほっとした。


 満腹になって部屋に戻った森崎と僕はベッドにごろんと横になった。

「美味しい食事が出る寮でよかったよな。三年間も朝昼晩と食べることになるんだから」

「女子はヒレカツが二つしかもらえなかったみたいだよ。本当はご飯と豚汁のお替りも男子だけしかできないルールなんだって。葉山さんは特別にお替りさせてもらったけど」

「葉山さんって、あのでかい女子か? 俺よりは小さいけど、男子の中に入れてもかなり大きい方だよな。でも、女子なんだから仕方がないさ。女子はみんな細くなりたがっているから、葉山さんもダイエットして女らしくなるのにいい機会じゃないか」

「ひとまとめに女子はどうだとか決めつけるのはよくないよ。女子にもオリンピックのレスリングで活躍する人もいるし、体格だけじゃなくて性格的に男子より強い人も沢山いると思うよ」

「お前、やたら女子の肩を持つんだな。お替りのルールは学校が決めたものだし、俺たち男子には関係がないんだから、どうでもいいさ」

 自分さえよければいいのか、と腹が立った。

 しばらくして森崎がベッドから起き上がった。

「俺、もう一度風呂に入ってくる。さっき入った時は落ち着かなかったから」

「待って、僕も行くから」

「水上君も行くのか。じゃあ、先に行けよ。俺は本を読んでから、後で入るから」

「僕も本を読もうっと」

「そうか。俺、やっぱり先に風呂に行ってくる」

 そう言って森崎はタオルを引っつかんで出て行った。僕と一緒に風呂に行くのを避けている様子だったので、後を追うのはやめた。

 同じヘリで来たのに冷たいヤツだ。風呂場で見た僕の裸が自分ほど男性的でなかったというだけで、一緒に風呂に行くのを嫌がるとは心が狭い。それに女子が差別的な扱いを受けているのを知って「俺たち男子には関係ない」と言うのも心が狭い。森崎にはガッカリだ。明日の部屋割りで森崎と一緒にならなければいいのに。まあ、計算上、僕が森崎と同室になる確率は十九分の一だから心配することもないだろう。

 森崎が戻って来てから風呂に行こうと思っていたが、面倒くさくなった。僕は洗面場に歯を磨きに行き、パジャマに着替えてベッドに横になった。森崎が戻ってくる前に眠ってしまった。

第四章 恋に落ちて

 オルゴールの音で目が覚めた。時計を見ると午前七時だった。窓の外に小鳥の声と風の音が聞こえる。千葉の家で聞く小鳥の声とは違って、透き通った空気に溶け込んでいる。窓から見える空の青さをもっと身近に見たくて窓を開けた。寒い! 三月下旬だというのに、冬の朝のような寒さだ。KISSの周辺の山肌の雪を見て、ここは別世界なのだと改めて感じる。大きく息を吸い込むと、美味しい空気が喉の奥へと流れる。

「水上君、寒いよ。窓を閉めてくれ」

 森崎の声を背中に聞いて僕は窓を閉める。

「おはよう、美しい大自然の中で目覚めるって、最高だね」

 森崎はそんなことには興味なさそうだった。

朝飯あさめしは七時半からだぞ。あまり時間がないな」

 僕は昨日と同じ黒のジャージーに着替えて顔を洗いに行った。

 七時半になる二、三分前に食堂の窓口に並んだ。既に男子が五人並んでいて、七時半ちょうどに配膳が始まった。ハムエッグとサラダに、大きなクロワッサンが二つ乗ったプラスティック皿をお盆に乗せて、ヨーグルトとミックスジュースをもらって一番奥のテーブルに持って行った。厚めのハム二枚の上に卵が二個の目玉焼きが乗っている。普段家で食べていた朝食の倍の量だった。

 驚いたことに葉山が同じテーブルに来て僕の前に座った。

「あっ、おはよう、葉山さん」

 そう言ったものの、葉山のお皿を見て気まずくなった。ハム一枚に卵一個の目玉焼きしか乗っていなくて、クロワッサンも一個だけだったからだ。

「あのう、葉山さん。もし嫌でなかったら、お皿を取り換えてくれない? 僕、とてもこんなに食べられないから」

「ええっ、マジで言ってるの? 超ラッキー!」

 葉山は右手を伸ばして僕のお皿を掴み、自分のお皿とさっと置き換えた。

「ありがとう、真央君!」

「ううん、僕の方こそ残さなくて済むから助かるよ。僕の名前を知ってるの?」

「栗山理事長が真央君と呼ぶのを聞いたから。これからはいつも真央君と同じテーブルに来るから、前の席を空けといてね」

「それはいいけど、葉山さんは男子と同じ扱いにしてもらえるように交渉した方が良いと思うよ」

「そうよね。後で一緒に理事長のところに行って交渉しようか? 私を男子として、真央君を女子として扱ってくれるように」

 僕の顔が赤くなったのを見て葉山はアハハハと笑った。葉山の父親は名古屋に住んでいるが、東京の祖母の家から中学に通ったそうだ。小六の時に母親が交通事故で亡くなったとのことだった。父親は会社を経営していて、殆ど家には居ないらしい。

「三つ上の姉と三つ下の妹がいるの。姉は妹の面倒を見られるし、母の代わりみたいな存在だから、私だけが祖母の家に預けられたのよ。私は家事は一切手伝わないし、身体もデカくて邪魔だと言われたわ」

「お姉さんは大きくないの?」

「姉は女子の平均並みよ。真央君と同じぐらいの身長で真央君みたいに華奢な感じ」

「僕は百六十一だから女子の平均よりは相当大きいんだよ。これからまだまだ伸びるし」

「もうそんなには伸びないわよ。どんなに頑張っても百六十三が限度じゃない?」

「新垣結衣は高校時代は百六十一だったのが、十センチも伸びたらしいよ」

「ガッキーは伸びそうな身体つきだもの。真央君の身長が飽和状態に近いことは身体つきを見れば分かるわ。姉の身長の推移を見ながら育ったから、私には分かる」

「もう、そんなことを言うんだったら、今度からオカズを交換してあげないよ」

「真央君は小さくて可愛いと褒めてるつもりだったんだけどなあ……」

 僕は父母が離婚をして母と一緒に家を出た経緯について葉山に打ち明けた。僕がその父親の子供でないことは話さなかった。「父は僕が嫌いだし、僕も同じ気持ちだから」と言うと葉山は「そうか」とだけ言った。葉山が「真央君はお母さんがいてうらやましいな」とため息をつきながら言うのを聞いて、ついホロリとなった。

 葉山と話すのは楽しかった。男子のようにさっぱりとしているし、それでいて森崎のように人を傷つけることは言わない。森崎の代わりのルームメイトが葉山だったらいいのに、と一瞬思ったが、女子と同じ部屋になれるはずがない。もし女子と同室になったら着替える時だけでなく、何かにつけて大変だ。

 話に夢中になり、気がつくと、僕たちだけが食堂に残っていた。返却コーナーにお盆を持って行くと、理事長がニコニコしながら僕たちを見て「お皿を取り換えたのね。グッドアイデアだわ」と言った。


 食堂を出ると葉山に誘われて校庭に出た。サッカーをしている十人ほどの集団に加わった。葉山と対抗する側でボールを蹴り合ったが、葉山は女子なのに十人余りの中で一番サッカーが上手だった。大柄な女子は動きが鈍い人が多いと思っていたが、葉山は誰よりもすばしっこく、そしてフィジカルが強い。正面から当たられても葉山の身体は全然揺るがない。僕はサッカーには自信があるつもりだったが、葉山に簡単にボールを奪われた。葉山は走るのも早く、後ろから追いかけても届かない。

 僕たちは汗だくになるまで走り回ったが、誰かが「九時になったぞ。身体検査を受けに行かなくちゃ」と言い出して、チームは自然消滅した。

「もう少しボールを蹴ろうよ」

 葉山に言われて、僕たちは二人でボールを蹴り合った。

「葉山さんが一番上手だし強かったよ。葉山さんなら体育の授業でも男子の中に入って十分にやっていけるね」

「えへへ、まあね。っていうか、体育の授業は男子と一緒じゃないと面白くないわ。これから一緒に理事長に頼みに行こうよ」

「どうして僕が一緒に行くの?」

「真央君も女子のサッカーチームなら、そこそこやっていけると思うわよ。『鶏頭となるも牛後となるなかれ』という格言を知ってる?」

「僕、サッカーは得意なんだぞ。小六の時はリトル・メッシと呼ばれていたんだから。他の人より上手だと気付かなかった?」

「小さくて華奢な子が男子に混じってボールを蹴っているのを見て、手加減したつもりだったんだけど」

「もう、口が悪いんだから」

 もし同じことを森崎に言われたら相当ムカついたと思うが、不思議に腹が立たなかった。

「私たちもそろそろ身体検査に行こうよ」

「そうだね」


 僕たちは寮に入り、校舎への連絡通路を通って保健室に行った。視力検査、聴力検査、身長測定、採血を済ませた後で男女別々の小部屋で脱衣して胸囲などのサイズと体重を測定することになっていた。

 身長計に立つと横棒が上から降りてきて頭に当たったところで停まり、測定結果が表示されるようになっている。先に葉山が身長計に乗った。

「葉山紫苑です」

 へえ、「紫苑」と言うんだ。似合っていてカッコいい名前だな。

 横棒がスーッと降りてきてコツンと頭に当たった。

「百七十七・八センチね」

「ヒェーッ、去年より四センチも延びちゃった」

 葉山が言うのを聞いて羨ましかった。

「水上真央です」

 僕は身長計の棒に背中を押し付けて、脊椎が究極まで広がるように必死で背を伸ばした。葉山の見ている前でもあり、二ミリでも三ミリでも高い測定結果が欲しかった。僕にとっては百六十・九センチと百六十一センチでは大違いなのだ。

「真央君、背伸びしてる!」

 葉山に言われて「背伸びなんかしてないよ」と言い返した。

「かかとが少し上がってるわよ」

「そんなことないって」

と言いながら、微かに背伸びしていたかかとを床に着けた。その時、測定棒が僕の頭頂に当たって止まった。

「百五十九・八センチ」

 ま、まさか! 僕は焦った。

「そんなはずはありません。先週家で測った時には確かに百六十一あったんです!」

 保健の先生に食って掛かったが、「ダメダメ、次回の測定までにしっかりご飯を食べて背を伸ばしてきなさい」と冷たく言われた。

「はい、次の人」

 僕はガックリとうなだれて採血の列に並んだ。

「やっぱり、私の姉と同じ大きさだったのね。姉も百五十九だから」

「葉山さんのせいだよ。それに、百五十九じゃなくて、ほぼ百六十なんだから、人聞きの悪いことは言わないでよね」

「いいじゃないの。それが真央君の特徴なんだから。私は小さくて可愛い真央君がとても好きだわ」

 今のは告白されたのとは少し違うようにも思ったが、「好き」という言葉を聞いて自分の顔が火照ってくるのを感じた。

 葉山の採血が始まり、何も言えないまま僕の番になった。

「熱があるの? 顔が真っ赤だわ。カゼかしら」

「さっきまでサッカーをしていて急に温かい部屋に入ったから顔が火照っているだけです」

「あら、そう?」

 疑いの視線で見られたが、そのまま採血が開始された。

 採血が終わって立ち上がると、葉山の姿は見えなかった。女子の着替え室で服を脱いで胸囲などを測定しているのだろう。葉山はBWHのサイズで言うとどのくらいなのだろう? 背が高いからその分ウェストもヒップも大きくて当然だ。バストはどのくらいだろう? さっきまですぐそばにいたのに、僕は葉山の胸が大きいのか小さいのか覚えていない。そんなことは頭に浮かばなかった。葉山の姿を思い浮かべると、そんなにボインではないような気がしたが、胸に筋肉はついていてもオッパイがあったのかどうか断言する自信はなかった。でも、胸の大きさがどうであれ、葉山の魅力とは無関係だ。僕は葉山が今、服を脱いでいると思うだけで、胸が苦しくなった。朝食で同席してから二時間余りしか経たないのに、僕は葉山に恋をしてしまったのだろうか……。

 僕は男子更衣室と表示されたドアを入り、パンツ一丁になった。体重計に乗った後、メジャーで細かく採寸された。頭囲、喉回り、肩幅、腕の長さと太さ、股下の長さ、膝の高さ、胸囲は三ヶ所、そしてヒップとウェスト。更に足の大きさ、甲の高さ、足の幅を採寸してやっと完了した。


 保健室を出て、しばらく出口で待っていたが葉山は姿を見せなかった。早く測定が終わって部屋に帰ったのだろうと思い、連絡通路を寮へと歩いた。

 その時、ヘリコプターの音が聞えた。残りの二人が到着したのだろう。210号室に来るのはどんな男子生徒なのだろうか。僕は寮の玄関に立ってヘリポートを遠目に眺めていた。

 僕と森崎が到着した時と同じように、ヘリに理事長が近づいた。ヘリから降りて来たのは二名の女子だった。昨日までに男子十八名、女子二十名が入寮しており、残り二名は男子と思い込んでいたが、意外だった。僕たちの学年四十名の内訳は男子十八名と女子二十二名ということになる。比率で言うと九対十一で大した差ではないように見えるが、僕たち男子にとっては大歓迎だ。女子は二十二人のうち四人があぶれるから、彼氏が欲しければ多少の欠点には目をつぶらざるを得ないことになる。

 僕には既に葉山という目当ての女性がいるからどうでもよいことだ。いや、葉山と僕では身長差が大きすぎて一緒に居ると友達からバカにされることもあるだろうから、別途小柄でかわいい系の女友達も作っておくべきかな、と思う。

 理事長が二人の女子を連れて寮の玄関へと歩いてきた。僕は玄関のドアを開けてあげた。

「ありがとう、真央君」と理事長から言われて、微笑み返す。

「芹沢杏奈さんと佐宗里奈さんはとりあえず210の部屋に荷物を置いて、すぐに校舎の一階の保健室で身体検査を受けて来てね。昼食の後、一時から筆記試験よ。夕方には新しい部屋割りが決まるから、衣類などはバッグに入れたままにしといた方がいいかな」

「僕は208号室の水上真央です。部屋まで案内するよ」

 僕は杏奈と里奈が両手に持った荷物のうちの小さい方を持ってあげた。軽いだろうと思っていたら二人とも小さい方のバッグはずっしりと重かった。男らしく見せようと、何でもないかのように指先でバッグを持って階段を登った。210号室は廊下を奥まで歩いた突き当りにある。

 杏奈は荷物をベッドの上に放り投げると、窓に駆け寄った。

「うわあ、とってもいい部屋ね。窓の外に大自然が広がってるって感じ!」

「そうなんだ。朝は小鳥の声で目が覚めるんだ。空気も美味しすぎる」

「二人部屋でスペースも十分ね」

 里奈が喜んでいるのを見て、黙っていようかなとも思ったが、後でガッカリしないように二階には二人部屋が十室と四人部屋が五室あって、女子は四人部屋だということを説明しておいた。

「でも、どうして私たちは二人部屋に入れたの? あっそうか、女子の方が人数が多いのね。ということは、今夜部屋割りが決まると、女子のうち二人は男子と同じように二人部屋に入れるわけか。運次第だけど……」

「部屋割りは身体検査の結果と筆記試験に基づいてコンピューターが決めるそうだよ。女子のうち試験結果のトップとナンバーツーが二人部屋に入るのかな?」

「私たち、身体検査に行かなくっちゃ」

「保健室は校舎への連絡通路を抜けて右側だけど、分かりにくいから僕が案内しようか?」

「そうしてくれると助かるわ」

 杏奈と里奈を保健室まで案内する途中、階段のところで森崎とすれ違った。森崎は僕が二人の女子と親しそうに話しながら歩いているのを見て焦っているようだった。内心、『どんなもんだい』と鼻高々だった。森崎は自分が女子にもてると思っているが、女子と仲良くなる能力は僕の方がずっと上なのだ。


 杏奈と里奈を保健室に送り届けてから自分の部屋に戻った。森崎がタンスの中の衣類をバッグに詰めているところだった。

「気が早いね」

「夕食の時に部屋割りが発表されるから、夕食後すぐに部屋を移れるように荷物をまとめておくようにと、館内放送があったそうだ。俺たちがサッカーをしていた時に放送されたんだろうな」

「そうか、じゃあ、僕も荷物をまとめようっと。でも、部屋割りが発表されてみたら208号室だったということもあり得るから、その場合は無駄だよね」

「さっき一緒に歩いていたのは、今日到着した女子だったのか?」

「うん、そうだよ。芹沢杏奈さんと佐宗里奈さん」

「お前は外観が女子に近いから、女子は話しかけやすいんだな」

「ふん、僕が女にもてるのを知らないな。そんなことを言うやつには紹介してやらないぞ」

 森崎に殴り掛かりたい気持ちだったが、腕力で敵うはずがないので我慢した。


 正午になったので食堂に行った。カレーのにおいがしたので、ヤッターと思った。カウンターの中を見るとトンカツが積み上げられていた。僕の好物がダブルになった素晴らしい昼食だ! 

 周囲を見回したが葉山の姿は見えなかった。男子は時間になる前から何人もが窓口に並んでいるが、女子は数分後に来るという傾向があるようだ。二、三分すると葉山が来たので一緒に並んだ。

 大皿のご飯の上に大きなトンカツが乗ったカツカレーだった。コールスローのようなサラダが添えられている。

 ところが、葉山の皿は子供メニューかと疑うほどの量の野菜カレーで、カツは無く、その代り皿には酢の物が沢山盛られていた。

 葉山が「ふーっ」とため息をついている。僕にもその気持ちはよく分かる。

 朝食と同じテーブルに向かい合って座った。

「水上君がいなかったら、あの場でお盆をひっくり返して『やってられるか』と騒ぐところだったわ」

と葉山は冗談を言ってたが、本気が混じっているだけに笑えなかった。

「本当に交換してもらってもいいの?」

 すまなさそうに聞かれ、笑顔で「勿論!」と答えて皿を取り換えたが、羨ましくなって「トンカツを一切れだけ味見させてくれない?」と聞いた。

「いいわよ。私はカレーだけなら何度でもお替りできそうだから」

と言ってトンカツの真ん中の大きな一切れをくれようとしたので、僕はそれを辞退し、端っこの小さな切れ端をもらった。

「そのうち社会一揆が起きないか心配だね。トンカツを男子しかもらえないことに激高した女子二十二名が団結して、反乱を起こすとか」

「トンカツは食べたいけど太るから我慢するのに丁度いいと思う女子も多いんじゃない? ほら、隣のテーブルの女子を見てごらん。誰も不満そうな顔はしていないわよ」

「本当だ!」

「要するに、女子全員を女子扱いすることに無理があるのよ。食堂では、体格と食欲によって性別を決定すべきだわ。生まれながらの性別によって食事を決めるのは非合理的だと思わない?」

「じゃあ、僕の食堂での性別は女子ということになるわけ?」

「そうよ。学生証の裏面を食堂専用の学生証にするのよ。水上君は女子、私は男子」

「そこまではっきりと決められるのは抵抗があるなあ……」

「体育の時間にも食堂用の学生証を適用して欲しいな。私、女子と一緒に球技をやっても面白くないもの」

「分かる分かる」

「っていうか、KISS在学中、葉山紫苑は男子だということにしてくれればすっきりするんだけど。ベッドの大きさの問題もあるから」

「お風呂以外は男子とみなす、というのでもいいよね。僕、葉山さんと同じ部屋になったらいいのに……」

「私は別にお風呂も男子でいいけど。その方が水上君と一緒に入れるもの。水上君に見られても全然大丈夫だし」

「ぼ、僕はそれはちょっと……」

 パンツの中がもごもごしてきて、その話は続けられなくなった。


 葉山と一緒にちょっとエッチな気分で昼休みを過ごし、筆記試験会場の大ホールに行った。大ホールはクラシックな造りの階段状の講堂で、三人掛けの長机が四基、扇型に並んでいる。数えると十二列あり、最大収容人数は百四十四人ということになる。二年後に三学年が揃った時にも全校生徒の集会が可能な講堂だ。

 僕たちは前から順に詰めて三人掛けの長机の両端に座るように誘導された。まるで入学試験のようで、緊張してしまう。

 先に光学読み取り式の答案用紙とボールペンが配られ、一度記入したら訂正は不可能だとの説明があった。全て二択から五択の選択形式で、該当するマスをボールペンで黒塗りする回答方式だ。

「開始の合図をするまでは伏せたままにしておくように」

と理事長が言って、自ら問題用紙を配って回った。問題用紙というよりは小冊子に近い、分厚いものだった。読むだけでも大変だ、と胸がドキドキした。

「試験時間は三十分よ。注意事項としては、一ページ目から順番に読んで、一問ごとに解答用紙に記入すること。時間内に最後のページまで終わらない人も多いから、後でまとめて解答用紙に記入しようと思っていると、零点になっちゃうわよ。はい、それでは回答開始!」

 僕は問題用紙の一ページ目を開いた。


 問1 駅から目的地までの道が分からないとき、あなたならどうしますか? 

  •  A 知っていそうな人を見つけて聞く。

  •  B 駅前にある地図を見て行く。

  •  C どちらとも言えない。

 問2:友人が問題を抱えて相談の電話がかかってきました、あなたはどのように対応しますか? 

  •  A とにかく話を聞いてあげる。自分も同じ目に遭ったことを話してあげる。

  •  B トラブル解決方法を考えて、具体的なアドバイスを心がける。

  •  C どちらとも言えない。

 僕の答えは問1、問2とも当然Aだが、どちらを選択すると点が高くなるのだろうか? 何か引っかけ的な仕掛けはないだろうか? Cの「どちらとも言えない」を選択すると、決断力のない人間だと判定されるということは想像できるのだが……。

 いけない、そんなことを考えていては最後まで回答できなくなる。未回答の問題が残れば点数は大幅に低くなる。数打ちゃ当たるというわけではないが、とにかく最後まで回答することが大事だ。

 質問の意図が分からない、つまらない問題ばかりだな、と思いながら、自分の考えに近い選択肢を選んで解答用紙に記入した。「占いは信じる方ですか?」だとか、「子供の時に好きだったおもちゃは何ですか?」とか、そんなことを聞いてどうするんだろうと思う質問が沢山あり、似たような問題が何度も出てきた。

 最初の二、三ページは、これではとても最後までできそうにないと焦ったが、段々コツが分かってきてスピードアップした。要するに何も考えずに、しっくりと来る選択肢を選んではマスを塗りつぶせばよいのだ。「はい、それまで、ペンを置いて」と言われた時には後二問残っていたが、僕はズルをしてしぶとく残りの二問も記入した。

 ペンを置いて周囲を見直すと、相当な未回答部分が残っていてべそをかいている人も目に入った。

 よし、僕は相当上位の成績が取れたはずだ。理事長が席を回って問題用紙、解答用紙とボールペンを回収した。

「皆さんごくろうさま。もう全員が身体測定を終えてデータの入力も完了したから、後はこの解答用紙を読み取り機にかけるだけです。一時間後には私のソフトウェアが部屋割り案を出してくれるけど、部屋割りは非常に重大だから私が時間をかけて十分な考察を加えたうえで、最終的に決定します。結果は夕食の時に食堂で発表します。夕食後に新しい部屋に移動することになるので、夕食までに荷物をバッグに入れて、部屋をクリーンな状態にしておいてください。それでは解散」


 大ホールを出て寮への連絡通路を歩いていると、葉山が後ろから追いついて僕の肩をポンと叩いた。

「あっ、葉山さん。試験はどうだった? 僕は最後まで解けたよ」

「私も全部解答したわ」

「よかった! 二人とも上位になれるといいね」

「アハハハ、あの試験には上位も下位も無いわよ。あれは性格テストの類のものだと思うわ。同じような質問が何度も出たでしょう? だから、別に未回答が残ってもどうってことないのよ」

「そうなんだ! せっかく全部できたのにガッカリだな」

「時間内に回答しきれないほど設問数が多いのは、考える時間を与えずに感じたままの答えを記入させるためよ。同じことを角度を変えて何度も質問しているから、回答者が意図的に違った結果を出すのは難しい。全く無関係な問題もわざと含めてあるから、考えても無駄。ほら、『あなたはイチゴとキウイのどちらが好きですか?』という問題があったわよね。あれは九十九その手の問題だと思っていいわ。気をつけなきゃならないのは禁忌問題よ。健常人なら決して選ばない選択肢を選んだ人は、精神的に重大な問題があるとか、変質者だとかが分かるようになっている。私が見る限り今日の試験には禁忌問題はなかったと思うけど」

 僕は葉山の洞察力に驚いた。

「すごい! 葉山さんって深いんだなあ。僕なんか、全部できたから点数は上位だろうと思って喜んでいたのに。部屋割りをするにあたって、人と人とのマッチングを見るための性格診断テストだったのか」

「褒められるべきなのかどうか分からないわ。理論的に物事を見て冷静な判断をする。男性脳というべきかな。分かりやすく言えば可愛くないということよ」

「アハハハ、やっぱり葉山さんは男性として部屋割りされて、僕と同室になるのがいいよね」

 せっかく全問回答できたのにと少しガッカリしたが、試験が終わった後の解放感に影響はなかった。葉山と僕は運動場に出て両手を伸ばして深呼吸した。サッカーボールが草むらの中に放置されていたのを見つけて、僕たちはボールをパスしながら運動場の回りの木立の間を駆け巡った。ボールが木の根っこに当たって、予期しない方向に転がる。そのボールを追いかけてはパスし合うから、思うように前進しない。汗だくになって二人っきりの遊びを楽しんだ。ボールコントロールもスピードも葉山の方が一回りも二回りも上なのはお互いに分かっていたが、葉山は決して僕をバカにした態度を見せず、優しく勇気づけてくれた。僕はクタクタになりながら葉山について行った。

「もうここら辺でやめといた方がよさそうね。水上君が熱を出したら困るもの」

 葉山が余裕たっぷりの様子で優しく言った。僕は「うん、そうかも」と笑顔で答えてしまった。もし森崎が僕に同じことを言ったら、僕はムキになって遊びを続けていただろうと思う。

 寮の玄関の方向へと歩きながら、僕は運命の神様に感謝をした。こんなことを言うとバチが当たるかもしれないが、両親が離婚してくれてラッキーだったと思った。母が僕をKISSに入れたのも、いわば稀有な偶然といえる。葉山と出会えたのは一生に一度あるかないかの素晴らしいことなのかもしれない。僕は自分が葉山に恋していることをしっかりと自覚していた。


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