スタア:今日から女付き人になりなさい
【内容紹介】芸能界を舞台とした性転換ドラマ。主役は西口アリスというシンガーソングライター。ファッションモデル出身で女優としても活躍している。九頭身の長身でファン層の8割が若い女性だった。主人公は西口アリスの大ファンの大学2年の男性。いわき市で開催された野外コンサートに姉と一緒に参加するが、姉がそのコンサート会場でアーティストが着替えの後に出てくる裏口に関する情報を友人から入手したと聞き、姉と二人でその裏口で西口アリスを待ち伏せする。折り悪く、アリスに危害を加えようとする女子高生グループがいるとの情報を得ていた開催者がボディーガードを裏口周辺に配備していたので、主人公と姉はボディーガードにつかまってしまう。そこにアリスが姿を現し、不審者として捕まった二人と顔を合わせる。そんな状況での出会いによって、燃えるような恋の火ぶたが切って落とされるのだった。第一章 理想の女性
ステージの左奥から走り出て来た細長いシルエットの女性が左手を真上に突き出し、右手に持ったマイクに叫んだ。
「帰ってきあしたよ、西口アリスだぁ! みんな、元気にしてるべ?」
キャーッという割れるような歓声が三崎公園野外音楽堂全体に湧きあがり、ステージの背の貝がらの形をした壁にこだまする。
「ありぴー! 好きよー!」
僕の周囲の女子高生たちが声をからして叫んでいる。ありぴーとは西口アリスの愛称だ。ありぴーが自分に視線を向けてくれたら死んでもいいとみんなが思っている。
「ありぴー! ありぴー!」
僕も背伸びしながら必死でステージに向かって叫んだ。前に僕と同じぐらいの身長の女子高生が何重にも立っていて、その頭の隙間からステージ上の西口アリスを見るのは楽ではない。
西口アリスはいわき市が産んだトップ・スターで福島の誇りだ。いや、僕は日本の誇りだと思っている。十三歳の時にスカウトされて東京に行き、女性ファッション誌のモデルとして活躍しながら、テレビドラマや映画に女優として出演してきた。去年歌手デビューを果たし、今年発表した自らの作詞作曲による歌が大ヒットした。西口アリスがその曲をピアノの弾き語りで歌うのを聞くと、僕は何度聞いても涙が溢れて来る。
二千人を超える観客の八割は若い女性だ。西口アリスは女子高生と女子大生が選んだ「なりたい女性ランキング」でダントツのナンバー・ワンだ。卵型の小顔にぱっちりとした目、そして細い首とすらりと長い手足。百七十五センチの長身だが大きいという印象は全く感じられず、可愛いのだ。女子高生・女子大生は皆が西口アリスのような顔と身体を持ちたいと熱望し、毎日ファッションやコスメを工夫している。
男性にも熱狂的なファンは大勢いるが、女子に比べると熱狂度は低いかもしれない。男性から見ると世界中には多くの美女がいて西口アリスはその一人だから、西口アリス以外の美女でも代用がきく場合が多い。でも、西口アリスになりたい女子高生にとっては「西口アリスになりたい」のであってそれ以外の女性になりたいのではない。代替のきかない憧れの人が西口アリスなのだ。
僕は寝ても覚めても西口アリスだった。朝起きると西口アリスをフォローしているインスタグラムやツイッターで新しい写真が投稿されていないかチェックする。ユーチューブで何百本も流れている西口アリスの動画は全て見たが、特に好きなライブの動画は何十回繰り返して見ても飽きない。夜寝る前もオフィシャルホームページの西口アリスの写真を見ないと気が済まない。
「ありぴー!」
僕には「キャー」という声は出ないので、何度も「ありぴー!」と呼び続けた。この西口アリスの野外コンサートに来るためにわざわざ東京から来た人は、そう多くはないはずだ。もっとも、僕は東京からいったん福島市にある実家に帰り、姉の車に同乗して来たから「東京から来た」と言うのは少し無理がある。大学四年の姉の千尋も僕ほど熱狂的ではないが西口アリスのファンだ。
ステージの上を飛び跳ねるようにダイナミックに躍動しながら身体全体で歌う西口アリスは本当に美しい。三曲目の弾き語りの時には僕も、隣に立っている姉も、周囲の女子高生たちも全員が泣いていた。
一時間半のコンサートはあっという間に終わりに近づき、最後に西口アリスがアンコールに応えてロックな曲を歌った。西口アリスがステージの奥に消えていくと、どうしようもない寂しさに襲われた。
姉の千尋は僕の手を引っ張って、音楽堂の右手の裏の方へとどんどん歩いて行った。
「お姉ちゃん、どこに行くの?」
「シーッ、黙ってついてきなさい」
千尋はひそひそ声で僕の耳元に囁いた。
「この野外音楽堂でバイトをしていた友達に、控室の場所を聞いたのよ。ありぴーは着替えが終わったら、この裏のドアから出て駐車場に向かうはずよ」
「すごーい。お姉ちゃんの友達ってレベル高いね!」
僕は千尋に続いて音楽堂の裏の生垣の間を潜り抜け、駐車場に続くドアの近くまで行って千尋と一緒に木陰に隠れた。
既に日は落ちていたが、その夜は満月だった。裏口からありぴーが出て来さえしたら、どんな変装をしていても僕は絶対に見間違えない。
一分、五分、十分と待ったが、そのドアからは誰も出て来なかった。
「お姉ちゃん、その友達って信用できるの? それ、最新情報なの?」
「ううん……私の親友のマユッピの高校時代の友達からの情報なのよ。マユッピが一昨年のお正月に高校の同窓会で会った時にその子から聞いたって言ってたんだけど」
「なあんだ。そんなに古い話なのか」
その時、僕の手首が誰かに掴まれて、僕は「ヒエッ」と叫んでしまった。姉も「キャーッ」と悲鳴を上げた。振り向くと二頭のマウンテンゴリラが背後に立っていた。
「お前たち、何をしているんだ」
もう一方の手で首筋を掴まれ、木陰から、裏口のドアの手前の空き地へと突き出された。月明かりに照らされた二頭のマウンテンゴリラは黒い背広を着た大男たちだった。
「過激な女子高生のグループが西口アリスを襲撃する計画があるという情報を入手したから張り込んでいたんだ。お前たちはその一味なのか?」
千尋の手首と首筋を掴んでいる方の大男がどすのきいた声で言った。
首筋を掴む力が強すぎて、千尋も僕も「ウウウッ」としか声が出ない。でも、悪いやつらに襲われたわけではないことが分かって少しほっとした。それに、明るいところに連れて行かれたら、千尋と僕が女子高生ではなく、女子大生と男子大学生であることは一目瞭然だ。
「私は若く見えるけど、女子高生じゃなくて、大学生よ」
と千尋が叫んだ。やはり千尋は自分が女子高生に見えることを内心期待していたのだ。
「僕は男だ」と叫ぼうと息を吸い込んだときに裏口のドアが開いて、黒いジャージーのパンツにグレーのパーカーを着たスリムな人物が現れた。
「ありぴーだ!」
僕は息を飲んだ。憧れの西口アリスが、ほんの二メートル先に立っていた!
「ありぴー!」
僕は声にならない声で言った。目から涙が溢れ出た。
「離してあげて。この子たち悪いやつには見えないわ。それに、例えこの子たちに襲われたとしても私一人で簡単に倒せるわ」
少しだけハスキーなアルトの声が天の鈴のように僕の胸に響いた。僕は陶酔した目で西口アリスを見上げた。
「君たち、私のファンなの?」
「はい。コンサートが終わったらしばらくしてアーティストがこのドアから出てくるという情報を得たので姉弟で待ち伏せしていました」
「君が妹で、そちらの子がお姉さんなのね」
「い、いえ。僕、弟ですけど」
憧れのアリスに女性と間違えられて、僕は傷ついた。
「うそ! こんなに可愛いのに? ちょっとこっちに来て顔を見せて」
アリスは僕の手を掴んで、電灯のついた壁の所に引っ張って行った。
「キミ、男の子なんだ! お名前は?」
「狩野千草です」
「千草くん? 素敵なお名前ね。お姉さんについてきただけなの? キミも私のファンなの?」
「ぼ、ぼく、ありぴーの大、大、大ファンです。毎日朝から晩までありぴーのことを想っているんです」
「うれしいわ。そんなに熱心なファンの男の子に会えて幸せよ。キミもとても可愛いわ」
西口アリスに手を握られて、直に会話ができるなんて、夢のようだ。おまけに、可愛いとまで言われた。
「ありぴー、僕、もう死んでもいいぐらい幸せです」
少し離れた場所で千尋はまだ男に手を掴まれて僕を羨ましそうに見ていたが「離してよ」と大きな声で言って、男の手を振りほどいた。
「お詫びにビールでも一杯ごちそうするわ。キミたちは車で来たの?」
「福島市から私の車で来たんです。この公園の反対側の駐車場に置いてあるんですけど」
と千尋が答えた。
「そうなんだ……。車ならアルコールは飲めないわね」
「私は結構です。弟だけ連れて行ってやってください。千草はキチガイと言っていいほどのありぴーファンですから」
「本当にそれでいいの? じゃあ、ホテルで飲んだ後で家まで送るから、千草くんを私に貸してね」
「お姉ちゃん、そんなことを言わずに一緒に行こうよ」
「いいのよ。千草はありぴーに会うために東京から来たんでしょう。一生に一度のチャンスだから楽しんできなさい」
千尋はアリスと握手をしてから、僕たちに手を振った。アリスに言われて、大男の一人が千尋を反対側の駐車場に停めてある車までエスコートすることになった。
「さあ、私の車に乗って」
僕は天にも昇る気持ちでアリスについて行った。駐車場には数台の車が泊まっていた。
「どれが私の車か当ててみて」
僕は自信を持って白のレクサスを指さした。
「ブブーッ、外れよ」
アリスがキーのボタンを押すと、メタリックなダークグレーのワンボックスカーのドア・ランプが二回点灯した。
「フリード・スパイクよ。後部座席が完全フラットになるからどこでも車中泊できるの。私は日本全国でライブをするけど、この車を自分で運転していくことが多いのよ」
「へえ、ありぴーみたいなスーパースターが大衆車で車中泊とは驚きました」
「このサイズで後部座席が完全フラットになる車はフリード・スパイクしか見つからなかったのよ。それに、私の収入が増えたのは最近よ。この車を買った時にはローンを組んだんだから」
アリスが身近な存在に感じられた。これほどの大スターなのに少しも気取ったところが無い。
僕はフリード・スパイクの助手席に乗り、アリスがアクセルを踏んだ。
「千草は私に会うために東京から来たってお姉さんが言ってたわよね?」
アリスにファーストネームで呼び捨てにされて、僕の心臓は素手で掴まれたようにキュンとなった。
「はい、僕は東京の大学の二年生です。姉は実家から福島の大学に通っています」
「東京にはいつ帰るの?」
「明日帰ります。月曜の朝の講義に出ないとまずいので」
「私も東京に帰るから、このまま乗って行けば?」
「ホテルに泊まるんじゃなかったんですか?」
「そのつもりだったけど、千草とドライブしたくなった」
何という幸運だろう! 僕は有頂天になった。
アリスは信号の手前で停車し、パーカーのポケットからスマホを取り出して誰かに電話した。
「関口さん、アリスよ。悪いけど、私、用が出来たからこのまま東京まで帰る。部屋はチェックアウトしといてね。ごめんね、よろしく」
アリスは僕を見てニッコリ笑い、
「マネージャーに頼んだから、これで大丈夫」
と言った。
海沿いをしばらく走ってからいわき勿来インターで常磐道に入った。アリスの運転は安定感があり、高速に入ってからも時速百キロを少しオーバーするだけだった。右側を百四十キロを超える車がビュンビュン追い越しても気にも留めない。
助手席の僕は何もしゃべらずに、ただアリスの横顔を見ている。アリスも落ち着いた表情で前を見て静かに運転している。
「私の方ばかり見ないで、恥かしいわ」
さっきからずっと見られているのに気づいたアリスが前を見たまま言った。
「だって、憧れのありぴーがすぐそばに居るんですよ。一生に一度の機会だから見ずにはいられません」
「ひとりだけずるいわ。私だって千草の顔を見たいのよ」
ドクドクと首筋の血管が破裂しそうになる。アリスにとっては言葉の遊びなのだろうが……。
「さっき、妹じゃなくて弟だと言ったでしょう。それで千草をじっくりと見て心臓が止まりそうになったの。理想のタイプの男の子だったから……。だからあんな言い方をして千草だけを誘い出したのよ。お姉さんには失礼だと分かっていたけど」
「理想のタイプ? 僕、少し上げ底の靴を履いてますけど、百六十三センチしかないんですよ。ありぴーは百七十五センチもあるんでしょう?」
「正確には百七十四・七センチよ」
「奇遇ですね! 僕、本当は百六十二・七センチなんです」
「アハハ、そうなんだ。私、自分より十二センチぐらい小さい男の子がタイプなのよ。百六十二、三センチの男性は山ほどいるけど、千草みたいな身体のバランスで、千草みたいに綺麗な顔の男の子は何万人に一人しかいない。ライブでステージの上から観客を見ていて、そんな子を二度か三度見たことがあるけど、ステージが終わったらどこかに消えてしまってもう二度と会えない」
「僕、ありぴーのライブは三回目です。前に二度か三度見たというのは僕だったかも」
「そうかもね。神様が千草を私の元に配達してくれたんだわ」
西口アリスと相思相愛の関係になれるとは、想像を絶するほどの幸運だ。運命的な出会いとでもいうのだろうか。いや「運命的」ではなく、これは運命なのだと思った。
友部サービスエリアのサインが見えた。西口はウィンカーを出して左レーンに移り、サービスエリアに入ると、建物から少し離れた暗いスペースに停車した。
「何か飲もうよ。お腹も空いてきたわ」
アリスはダッシュボードからファッション・サングラスを取り出し、野球帽をかぶって車の外に出た。これならアリスだとは分からないだろう。
コンビニで大きい缶ビールを二つとお弁当を一つ買ってフードコートに行った。アリスと向かい合って座るなんて夢のようだった。でも、高速のサービスエリアでビールを飲んだら運転できなくなる。僕はお酒は弱い方だから一人で缶ビールの大を二缶も飲むのは無理だ。
「さあ、乾杯よ!」
缶ビールを開けてアリスと乾杯の仕草をしてから飲んだ。アリスはゴクゴクと豪快に飲んで
「ハーッ、うまいっ」
とオジサンのように言った。
「飲酒運転はダメですよ」
「千草って私の女房みたいなことを言うのね。心配ご無用。私は飲酒運転は絶対にしないわ。明日の朝までここでゆっくりするわよ」
「ああ、良かった」
僕は胸をなでおろした。アリスが飲酒運転をしないと分かって安心したのと、明日まで一緒にゆっくりできるから良かったのと両方だった。
コンビニで買ったお弁当はチキン南蛮だった。ひとつのお弁当を、二人で同じお箸を交互に使って食べた。そんなことをするのは生まれて初めてだった。その相手が西口アリスとは……。
「千草の口って面白いわ。への字になったり、丸くなったり、大きくなったり、すごく小さくなったりしてる。こんな口って、初めて見た。ガバってかぶりつきたくなる」
「千草は眉毛を毎日整えてるの? ウッソー、眉は触っていないの? うらやましいわ。後で舐めちゃおう」
「目の形が私と似てる。知ってる? 私の目って女子高生から羨ましがられてるのよ。私って、こんなに可愛い目をしていたのね。あとでキスしちゃおうっと」
アリスは僕の事ばかりしゃべっていた。僕はアリスがどんなに美しいかについて話したかったが、僕がアリスを褒めると
「千草の方がもっと素敵よ」
と言ってアリスは僕のことを話し始める。
「僕のことなんか話してもつまんないのに……」
「そろそろ車に戻ろうか」
「えっ、もう戻るんですか? まだ早いのに」
「私たちのベッドに戻るのよ」
「ええっ!」
「さっき教えたでしょう? フリード・スパイクは後部座席を前に倒すと荷台と同じ高さになって、フラットベッドになるのよ。今夜の二人のベッドよ」
アリスが二人のベッドというのを聞いて鼓動が高まった。単に車をベッド代わりにして寝るという意味だろうか。それとも、もっと特別な意味が込められているのだろうか……。
「あら、千草! 今、何かエッチなことを考えていたでしょう!」
アリスに心を見透かされて僕は真っ赤になってしまった。
トイレに寄ってから一緒に車に戻った。アリスは手慣れた様子で荷物を助手席に移し、後部座席を前に倒した。バッゲージ・スペースに折り畳んで置いてあったキャンプ用のウレタンマットを広げると、二人で十分に寝られそうなスペースができたので感心した。僕たちは車に入り、靴を脱いでゴロンと横になった。
「この車って割と遮音性が良いから、中は結構静かでしょう? 外は騒音がしているから、中でキャーキャー騒いでも車の外を通る人には殆ど聞こえないのよ」
「ふーん、じゃあ、キャーキャー騒ぎましょうか?」
アリスがエッチなことを考えていないことが分かっていたので僕は強気になって軽い冗談を言った。
「私は大声は立てないけど、千草にはキャーキャーと言わせてあげる」
運転席側に寝ていたアリスが急に身体を回して僕の上に乗った。アリスは僕の両肩を抑えるようにしてキスした。一瞬の動きになすすべもなく、僕はアリスの舌を受け入れた。僕もアリスの脇に両手を差し込んで抱きしめた。
アリスのキスはしっかりと、そしてしっとりとしていた。性急な動きは無く、身体に身体が話しかけるように、ゆっくりと迫って来た。キスがこれほど豊かな表情を持つものだとは知らなかった。唇が離れ、もう一度重ねられる時に感じる安堵に満ちた幸福感は比類のないものだった。僕は高二の時に元カノと短いキスをしたことがあったが、それは単なる真似事であって、今日が生まれて初めての本物のキスだと思った。男女の営みの中でキスがこれほど大切なものだとは知らなかった。
アリスの手は僕の頭をバスケットボールを持つように抱えたり、首を絞めるように握ったり、髪を掴んだりしたが、胸から下を性急に攻めようとはしなかった。
「ありぴー、大好き。世界一好き」
僕は頭の中が真っ白になりそうだったが、首を左右に振りながら僕がアリスをどんなに好きかを訴えた。背中がジンジンして胸がむずがゆくなった。アリスの形の良い胸を僕の胸に圧しつけてくれるか、アリスの手のひらで僕の胸から脇を撫でてくれることを切望した。そんな僕の気持ちをアリスに届けたくて、僕はアリスの丸い乳房をシャツの上から掴んだ。硬くてカサカサしているのに驚いた。
「私のペチャパイの秘密を知ったわね。もう生きては帰れないわよ」
僕の上に馬乗りになったアリスはグレーのパーカーを脱ぎ、そしてブラジャーを外した。スラリとした上半身についた、小さくて形の良い乳房が露わになった。
「ありぴーのオッパイって最高!」
僕は心から感動して言った。
「私の裸はタダじゃ見られないわよ。一回一億円。お金が無い場合は身体で払ってもらうから」
僕は一億円でも安いと思った。
「身体で払います」
と喜んで答えた。
「うふふ。じゃあ千草の身体は私が一億円で買ったわ。千草は一生私のものよ」
アリスにチェックのシャツを脱がされ、その下の黒のティーシャツも脱がされて上半身が裸になった。アリスはいきなり僕の右の乳首にタコのように吸いつき、舌の先で乳首を転がした。僕がくすぐったがってもアリスはお構いなく舐め続けた。しばらくすると乳首がチリチリして右の太ももにしびれが走り始めた。
「可愛い! 千草の乳首がこんなに立ってきたわ」
アリスは左手の親指と人差し指の先で僕の右の乳首をコネながら、今度は僕の左の乳首に吸いついた。
「ああああ、ありぴー、ありぴー」
背中から太腿全体がジンジンして、胸が燃えそうだった。アリスは僕が泣き声を上げ始めても乳首への攻撃を決して止めようとはしなかった。
アリスが自分の胸を僕の胸に合わせてくれたのは、僕が殆ど正気を失ってからだった。それから僕たちは上になり、下になりながら、お互いの胸、乳首、脇、肩、首筋、喉、耳、頬、唇、鼻、目、そして頭を全身を使って攻撃し合った。何時間も疲れを感じることなく愛し合った。二人ともズボンの股間から太腿にかけて大きなシミができたまま、いつしか眠りに落ちた。
第二章 おもらし
高いビルの窓から飛び降りて、手を広げると鳥のように滑空していく。広い芝生が見えて身体がふわっと地面に下りた。薄目を開けるとスモーク・フィルム超しに外の景色が流れて行く。そうだ、僕はアリスの車の中で寝たのだった。フロントの方向を見上げると運転席のアリスの顔が見えた。僕はフラットになった後部座席の床に膝をついて、運転席と助手席の背の間からありぴーの横に顔を突き出した。
「千草、起きたのね。おはよう!」
「おはよう、ありぴー。ゴメンね、一人で運転させて」
「キスしても耳を舐めても目を覚まさないから寝かせておいたのよ。いいわね、若いって」
まるで自分が四十歳になったかのような口ぶりでアリスが言った。
「もうすぐ三郷インターよ。私のアパートにはあと三十分で着くわ」
「ねえ、ありぴー。次のサービスエリアでトイレに行かせてね。昨日の夜に缶ビールの大を飲んですぐにトイレに行ったでしょう。その後で寝る時もトイレに行きたいなあと思っているうちに眠ってしまったから」
「悪いけど、首都高に乗ったらサービスエリアのある路線は通らないわよ。アパートに着くまで我慢してもらうしか無いわ」
「どうしよう、僕三十分も持たないよ……。もう少しで漏れそう」
オシッコが漏れそうだなどと、よりによってアリスには言いたくなかったが、本当に限界が近づいていた。もし本当に漏らしてアリスの車を汚したりしたら一生の恥だ。
「もう! 子供みたいね。じゃあ、高速を下りて下の道を行くしかないか。日曜日だから混んでないとは思うけど」
アリスは面倒くさそうに言って首都高を八潮インターで下りた。
「ああ、もうダメ、トイレまでは持たない!」
「もし車の中で漏らしたら、ちょん切るわよ!」
アリスにだったらちょん切られても良いという考えが一瞬頭をよぎった。枝切ばさみを手に僕の足を広げるアリスの姿が頭に浮かんで股間がギンギンになったお陰で尿道が狭くなり、車がマクドナルドの駐車場に滑り込むまで僕は醜態を演じずに済んだ。裏口から店に駆け込みトイレに直行した。
僕の心臓はトイレの前で破裂寸前になった。男子トイレに「清掃中」と書かれていて入れないようになっていたのだ。万事休す! 僕はアリスの目の前でオシッコを漏らすという最悪の事態を覚悟した。
「あと十秒我慢しなさい」
アリスは女子トイレのドアを開け、僕の手を引っ張って中に入った。アリスに見られて恥ずかしいなどと思う暇も無く便器に腰を下ろした。僕がズボンとパンツを半分下ろすのと尿が迸り出るのは同時だった。
「よかった! アリスのお陰でオシッコを漏らさずに済んだよ。どうもありがとう」
僕は便器に腰かけたままアリスを見上げて感謝の意を表明した。
「手放しでは喜べないみたい」
アリスに指さされた所を見て驚いた。僕のズボンのお尻がベトベトに濡れていた。おチンチンの方向が悪かったのだ。あと十分の二秒早ければこんなことにはならなかったのに……。
「仕方ないわね。ここで待っていて」
アリスはトイレから出て行ったが、三十秒後に戻って来た。
「さあ、ズボンとパンツを脱いでこれに着替えなさい」
僕が言われた通りズボンとパンツを脱ぐと、アリスはそれをトイレのゴミ箱に押し込んだ。僕が渡されたのはアリスのパンティーとスカートだった。僕はドキドキしながらパンティーをはいた。
「そのスカートは千草には長すぎると思うけど……」
「ま、待って! こんなところでスカートをはいたら、他の客に見られてしまうよ」
「どうってことないわよ。昨日の夜、千草はズボンをはいていても女の子に見えたんだもの。オシッコを漏らした千草が悪いんだから、つべこべ言わずに早くスカートをはきなさい」
人前でスカート姿になるのは人生で二度目だ。一度目は中一の夏休みに家族で八幡平に二泊三日の旅行をした時だった。僕は車に酔い、吐きそうになってビニール袋を取り出そうと自分のスポーツバッグの中を探していたら、我慢できなくなってスポーツバッグの中にドバっと吐いてしまった。慌ててバッグの中身を外に出そうとして着ていたズボンとシャツまで汚してしまった。まもなくホテルに到着して風呂で身体中を洗い流したが、バッグと服は風呂で水洗いしてもくさいニオイが残っていたので、大きなゴミ袋に入れてトランクの中に入れた。他に着るものが無くなった僕は、姉のワンピースで三日間を過ごさなければならなかった。今思い出すと顔から火が出るほど恥ずかしい思い出だ。でも、三日間姉妹のように過ごしたお陰で、あの時以来姉とは世界中の誰よりも緊密な関係になった。
僕は万感の思いでアリスのスカートをはいた。それはウェストがゴムになっているゆったりとしたロングスカートで、僕のくるぶしまでの長さだった。
「これは私がゆったりとくつろぎたい時にはくスカートよ。私だとスネまでの丈なんだけど、千草がはくと思った以上に長いわね。絶対に腰をかがめちゃダメよ。スカートの裾が地面について汚れるから」
僕は腰を屈めないように気をつけながら洗面所で手を洗い、アリスと一緒にトイレを出た。
トイレを出ると周囲の客たちの視線が一斉に僕に注がれるのを感じた。
「ありぴー、どうしよう。僕、もうお終いだよ。皆が僕をスカートをはいた男だと思ってジロジロ見てる」
僕がそう言い終わらないうちに周囲の客たちが一斉にスマホを向けてバシャバシャと撮影した。「狩野千草がマクドナルドでオシッコを漏らし、スカートをはいて女子トイレから出てきました」という解説付きで僕の画像がツイッターで全国に流れようとしている……。
「千草、もうしゃべっちゃだめ。あれは私を写しているのよ。私と、ボーイッシュな女の子のツーショットがツイッターに流れるだけよ」
そうなのか……そりゃそうだろう。西口アリスほどの有名人はどこに行っても衆目に晒されるのだ。
「千草、ソーセージマフィンとコーヒーでいい? 私が買ってくるから千草はそこの席に座って待っていて。前かがみの姿勢で、肩を丸めて座っていてね。Tシャツの胸がペチャンコなのが出来るだけ分からないようにするのよ」
僕は言われた通りの姿勢でその四人席に座ってアリスを待った。カウンターはたまたま空いていて、アリスは三分ほどでソーセージマフィンとコーヒーのセットを二つ買って戻って来た。
「リサちゃん、お待たせ!」
大きな声でアリスが僕に言った。知らない女性の名前を呼ばれて一瞬ポカンとしたが、アリスがウィンクしたのを見て、他の客に僕が女性だと思わせるために大声でリサと呼んだのだと理解した。
「いつも皆に見られて大変ね、ありぴー」
僕は出来るだけ高い小声でアリスをねぎらった。
「少し前に高校の陸上部の後輩の女の子とバッタリ出会って一緒に歩いてる写真がツイッターに流れて話題にされたことがあったのよ。その女の子もリサみたいにペチャパイでボーイッシュな髪型だったから『アリスの新しいボーイフレンドか?』という記事が週刊誌に出たのよね」
アリスはその言葉も近くの席の客に聞こえるような大きさの声で言った。それはアリスのファンなら誰でも知っているレズ疑惑のスクープの話だったが、僕はまるで知らなかったかのように「へえーっ」と大げさに驚いた表情で言っておいた。
僕たちはソーセージマッフィンをコーヒーで流し込んだ。
「行くわよ、リサ」
「うん、ありぴー」
ミニー・マウスのような声で答えてアリスの後を追った。
「ふーっ」
フリード・スパイクに乗り込んだ僕たちは同時に安どのため息をもらした。
「もうっ、リサのお陰で大変だったわ」
「ごめんなさい。でも、僕の名前は千草ですけど」
「うるさいっ、さあ、早くアパートに帰ろうっと」
十五分ほどの運転でアリスのマンションの地下の駐車場に到着した。アリスは車を降りるとカードキーを使って小さなエレベーターホールに入った。エレベーターを八階で降り、右の突き当りのドアを開けた所がアリスの家の玄関だった。
「ねえ、ありぴー。なにか、ズボンを貸してくれる?」
「贅沢を言わないで。オシッコをまかした後でお風呂にも入らずにそのスカートをはいたんだから、今日一日はそのスカートで過ごしなさい。私の大好きな部屋着のスカートだけど千草にあげるから、着て帰っていいわよ」
「僕は女の子じゃないからスカートなんて要らないよ。ちゃんと洗濯して返すから」
そう答えた後、やはり一生の思い出としてアリスのスカートを貰っておこうかなと思った。
「お風呂に入ってさっぱりしてから仕事しようっと」
アリスはリビングルームの真ん中で裸になった。神々しいほどの美しさとはこんなことを言うのだ。完璧なバランスの九頭身の身体が健康な筋肉で彩られている。淡い小麦色に輝く肌は細やかでスムーズだ。僕は思わず溜息をついた。
「何してんの? 千草も一緒に入ろうよ」
当然のようにアリスが僕に声を掛けた。昨夜も車の中で一緒だったのだから成行としては当然かもしれない。でも、それは本来望んでも決して得られるはずがないほどの幸運だった。
「いいの? 本当?」
僕はスカートとティーシャツを脱ぎながら一応聞いた。僕の質問に答えずにバスルームに向かうアリスの後を追った。
シャワーの下にアリスと向かい合って立ち、頭からお湯を浴びた。アリスは一旦シャワーを止めて、シャンプーを自分の髪と僕の髪につけた。
僕は両手で頭を泡立てながら聞いた。
「ねえ、ありぴー。お風呂を出てからどんな仕事をするの?」
「明日新曲のPVの録画があるからその練習よ。ピアノの弾き語りがあるから、ミスしないように練習しておくの」
「僕が家に居ても邪魔にならない?」
アリスは僕がシャンプーしている手を頭から下ろさせて、僕の頭をマッサージし始めた。自然と身体がアリスの方に引き寄せられて、僕の肩にアリスの乳房が当たった。僕は思わず「うーん」と吐息を漏らしてしまった。
「勿論邪魔になったりしないわ。千草が見ていてくれたら励みになる。創作する時は一人の方がいいけど、演奏する時は一人じゃない方がいい」
「じゃあ、居させてもらうね」
僕は頭を少し左に傾けてアリスの左肩に額を置いたまま言った。
「私、千草の身体って大好き。白くてプリンプリンで、肩が女の子みたい。私の妹になってね」
「彼氏にはしてくれないの?」
「私、男ってそんなに好きじゃないの。千草は男じゃない所が好きなのよ」
「僕は男だよ。その証拠に、僕のあそこはこんなに大きくなってるよ」
「これの事を言ってるの?」
アリスはそれを右手で掴んで言った。僕はああっ、と声を上げて首を後ろに反らした。
「私は男性的なものがあまり好きじゃないのよ。でもボーイッシュなものは好き。千草のコレはとてもフェミニンでボーイッシュだから愛らしくて好きよ」
アリスは膝を曲げて僕と唇をそっと合わせながら僕のそれを両掌で揉むように弄んだ。声を漏らした僕の口をアリスが唇で塞いだ。
「男性的なもの」とか「フェミニン」とアリスが言う時、一般人の常識的な解釈とは意味が異なるのだろうと思った。まさにそれがアーティストとしての感性なのかもしれない。それにしても僕のアレのことをフェミニンと言われると、それ以上は反論のしようがない。
スポンジにボディーソープをつけたアリスは膝を落として僕の乳首にキスをしながら股の間に右手を差し入れて尾てい骨からおへそまでスポンジを何度も往復させた。僕は細い声を頭のてっぺんから漏らしながら首を左右に振って耐えた。身体の隅々までスポンジで洗ってもらった僕は、アリスからスポンジを受け取り、アリスが僕にしてくれたのと同じように身体の隅々までスポンジを走らせた。アリスは僕に向きを変えさせて背後から僕の身体に手を回した。泡立った身体が滑るように触れ合う。アリスは僕の胸に手を置きながら自分の身体を動かし僕の肩を使って自分の乳房を刺激した。しばらくしてから身体を下に滑らせて僕のコチンコチンになったものを両手で持ち、自分のヒット曲を歌いながらリズミカルに遊んだ。僕はアリスがヒット曲を僕の耳元で歌うのを聞きながら果てた。このまま死んでしまっても後悔はないと本気で思った。
「今ありぴーが僕の首を絞めたら、僕は心からありがとうと言いながら死ねるよ。ありぴーの為なら何でもできる」
僕はアリスを見上げながら心から言った。
「じゃあ、これから千草の首を絞めて殺してあげる」
そう言ってアリスは両手を僕の首に回して少しずつ力を入れていった。段々頭にしびれがきた。僕は
「ありがとう、ありぴー、大好き」
と言って微笑んだ。次の瞬間、目の前がふわーっと白くなって意識が遠のいた。
***
私が笑うと 小鳥たちが さえずる
私が歩くと 子犬たちが 近寄る
私が歌うと 女の子たちが 集まる
みんな私と はなしたがるの
みんな私に さわりたがるの
アリスの歌声が僕の身体を包む。ここは天国の花園だろうか。目をうっすらと開けるとアリスが歌っている顔が見える。僕はアリスの太ももを枕にしてソファーに横たわっている。
「千草、やっと目が覚めたのね」
アリスは僕の髪を撫でながら言った。
「ありぴー、僕、死ななかったんだね」
「千草は私に首を絞められて死んだのよ。だからもうこの世には居ない。千草はこれから私のためだけに存在するの」
「うれしい。僕、ずっとありぴーの傍に居て、ありぴーだけのものになる」
僕は自分が膝丈の白いワンピースを着せられていることに気づいた。これはアリスが梅酒のCMに出ていた時のワンピースだとひと目でわかった。やわらかなフレアーとスカートの裾の水色のストライプが特徴的だった。アリピーがこのワンピースを着てライブで歌っている動画も見たことがある。その服を僕が着ているのだと思うと胸がドキドキして身体中が火照った。
アリスが僕の顔を見下ろしてニッコリと微笑み、僕の顔に口を近づけてきた。僕は目を閉じて唇を突き出した。
その時、突然ベートーベンの運命の第四楽章が流れた。アリスのスマホだった。
「プロダクションの社長さんからだわ。日曜日なのに」
アリスは不満げに言って電話に出た。
「アリスです。はい。やっぱり……。まいりましたね。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。はい、じゃあ一時間以内にそちらに着くようにします。はい、失礼します」
電話を切ると
「うーん、まいった」
と独り言を言ってから
「呼び出されちゃった。今すぐ事務所に行かなきゃならない」
と僕に言った。
「スターは大変だね。じゃあ僕は帰るよ。でもありぴー、これでもう一生会えないんだろうか? 僕、今日の思い出を胸に抱いて残りの人生を歩むから」
「何を言うのよ。千草はずっと私の傍に居るんじゃなかったの? 私の言うことなら何でもすると言わなかたっけ?」
「そばに居たい。でも本当にいいの? プロダクションの人に怒られない?」
「それは私が判断するから千草は心配しないで言う通りにしてね」
「うん、僕何でもありぴーの言う通りにするよ」
「じゃあ行こう」
とアリスがバッグを肩にかけて立ち上がった。
「あっ、僕着替えなくっちゃ」
「そのままでいいのよ」
「でも、事務所の人に会うんでしょ?」
「だから、そのままでいいの。何でも私の言う通りにすると言ったのはウソだったの?」
「そりゃあ、ありぴーが本気でそう思ってるならそうするけど……」
「本気よ。行くわよ」
玄関で白いサンダルを履くように言われたが、そのサンダルは僕の足には大きすぎた。下駄箱の中の靴は全部同じで、僕には合わなかった。
「あっそうだ、ミミのがあったわ」
アリスが手を叩いて、ウォークインクローゼットから赤いハイヒールのパンプスを持って戻って来た。
それは僕の足にピタリだった。でもヒールが十センチ近くあって、まるで爪先立ちしているような感じだった。
「転ばないようについてきてね」
そう言われても、僕はいつ転んでもおかしくない状況だった。エレベーターの中でもアリスの肩を持って立っていた。エレベーターから出て車まで歩くのが大変だった。アリスに脇の下に腕を差し入れて支えられ、助手席のドアの所まで連れて来てもらった。その時、隣の車の陰からカメラマンの男性が二人飛び出て来て僕たちにカメラを向けて連写した。アリスは何も言わずに助手席のドアを開けて僕を中に入れてから運転席の側に回り、車に入った。
険しい顔をしたアリスがエンジンをかけた。マンションの駐車場の出口には十人を超える人たちが待っていた。報道関係の人だなと分かった。マイクを手にもって駆け寄る人もいた。アリスは報道陣には目もくれず、ゆっくりと車を進めてマンションから離れた。
「しつこい人たちだわ。今日はバイクの人も居る」
アリスがバックミラーを見ながら言った。
「いつも家を出る時には報道陣が待ち構えているの? スターって大変なんだね」
「彼らも忙しいから毎日来るわけじゃないわよ。それにしても早いわね。マックの写真がツイッターで流れてから三時間も経っていないのに」
「マックって、今朝僕と一緒に行ったマクドナルドのこと?」
「うん。一年ほど前に私がミミとラブホから出るところがスクープされたでしょう。知ってる?」
「ああ、高校の陸上部の後輩との女子会をラブホテルでやっただけなのに、レズの恋人とか騒がれたって話だよね」
「千草とのツーショットが流れて、ミミの代わりのレズの恋人か、それとも中身は男の子か、という議論がネットで流れているらしいわ。プロダクションの社長から呼び出されたのは、その対策について話しをするためよ」
僕がオシッコを我慢できなくなったためにアリスに迷惑をかけてしまったとしたら大変申し訳ないことだ。それにしてもスターは大変だなと思う。高校の後輩の女性のことをレズの恋人と言われたり、僕と一緒にいるだけで騒がれるなんて。しかし、僕自身がそんな事件に巻き込まれることになるとは思いもしなかった。
車が首都高に入ると、アリスの表情に落ち着きが出てきた。
「ごめんね、私の為に、オチオチ出歩くことも出来なくなって」
「ううん、僕の方こそオシッコをこらえられなかったばかりに、ありぴーに迷惑をかけてすみませんでした」
「私は何を言われても仕方ないけど、千草のマックでのスカート姿はもう百万人以上の人たちが見てるし、駐車場でのワンピースの姿も今ごろ百万人が見てるわ。千草の知人に私のファンが居ないことを願うばかりね」
僕は背筋が寒くなった。アリスのツイッターのフォロワーが百万人を超えたことは誰でも知っている。インスタグラムにアリスの写真が投稿されると数分以内に数万の「いいね!」がつく。アリスが一緒に居るのはどんな人だろうと思ったら、画像を拡大して見るから、写りが良ければ表情の細かい所まで分かってしまう。僕を知っている人が見ればすぐに僕だと分かるだろう。髪型も普段と同じなのだから。僕がスカートをはいていたという話はすぐに大勢の人が知ることになると思った方がいい。
「僕の友達の二人に一人はありぴーのフォロワーだよ。僕がしょっちゅうリンクを流したり、リツイートしてるから」
「そうなんだ……。これから大変ね。でも、千草のことは必ず私が守ってあげるから、私を信じてついてきてね」
「ありがとう、ありぴー」
「事務所に行ったら、プロダクションの人たちから色々言われると思うけど、千草はできるだけしゃべらないようにしてね。私が千草の代わりにしゃべるから、千草は私の言うことは必ずハイ、ハイと肯定するのよ。いいわね?」
「うん、分かった。僕、何でもありぴーの言う通りにするよ」
車は首都高を下りて国道を走った。僕の頭の中に一点だけ引っかかることがあった。この赤いハイヒールを取りにクローゼットに行く時にアリスは「ミミの」と言っていた。あのレズ疑惑が話題になった時には、その女性が高校の後輩であるという説明を聞いて僕は何の疑いも抱かなかったが、単なる高校の後輩の女性ならアリスの家にハイヒールを置いて行ったりするだろうか? 僕は頭をブルブルと左右に振ってそんな疑念を振り払った。今度は僕がそのミミと同じ立場に立つのだと思うと、緊張で身体が震えた。
アリスの車は自動ゲートを通って駐車場に入った。アリスが車を降りると、バイクや車で追いかけてきたらしい三人がカメラを向けた。僕はアリスの腕につかまり、顔が写らないようにうつむき加減に歩いてビルに入り、慣れないハイヒールにフラフラしながら階段を登った。
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