インカの末裔
原作:The Shape of a Soul
An Evil Ritual Changed Him into a Girl
by Yulia Yu. Sakurazawa
第一章 信じられない発見
閉じた窓のガラス越しに外を眺める。神秘的で荒涼とした湿原が見渡す限り続いている。ヒースの低木が広がり、遠方にトールと呼ばれる岩塊が見える。ここはダートムーア。イングランド南西部のデボン州にある国立公園の中だ。独特な雰囲気の荒野然とした山野が果てしなく広がる様子はロマンチックとは言えないにしても神秘的で何かの霊に取りつかれたようであり、まるで私の人生のようだ。
私の手首と足首は太くてたわみのないロープで緊縛されている。柔らかでデリケートな肌に容赦なくロープが食い込んでいる。視線を移すと、変化しつつある私の身体が否応なく目に入る。円錐形の双丘、めっきり大きくなった乳輪と敏感な乳首がある胸、括れたウェストと大胆に広がった腰――。
壁の鏡に映った私の顔は心なしか目の感覚が広がったように見える。青い目の瞳孔は開き、長いまつ毛が印象的だ。ゴールデン・ブロンドの髪は随分長くなり、耳の後ろでわざとらしくカールしている。肌はかつてないほどすべすべしていて肌理が細かくなった。
私がここに幽閉されてから今までの間に私の身体は劇的に変化してしまった。もし私が思春期の少女なら、ウキウキするほど嬉しくなるような変化だと言えるだろう。しかし、私は思春期の少女ではなく、トロイ・カーターという男性だ。
マイアミに住んでいた19歳の陽気なアメリカ人男性が、どんな経緯によって、陰鬱で荒涼としたダートムーアにあるホッジソン・ホテルのゴシック風の建物に幽閉されることになってしまったのか? それは長い話になるし、今はとても説明する気にはなれない。
この部屋に幽閉されているのは私だけではなく、三人の先客がいる。今や私の姉妹とも言える三人のブロンドの女性が三羽のうさぎのように身を寄せ合っている。私は三人にジア、ミア、リアというニックネームを付けていた。三人とも熟したメロンのような乳房、細く括れたウェスト、大きく広がった腰と真ん丸なお尻をした若い女だ。長くて豊かなブロンドの髪が小さな太陽のように輝き、形の良い青い目をした三人の姉妹はこの世のものではないほど美しい。しかし、その美しさにはぞっとさせる何かがある。目には寒々とした暗さがあり、瞳の奥に恐怖が漂っている。
三人は本当の姉妹ではない。便宜的にジア、ミア、リアと呼んでいるが、奇妙なことに三人とも言葉をほとんどしゃべらない。ある夜、彼らが暗闇の中でつぶやき合う声が聞こえたので耳を澄ませて聞き取ろうとしたが、それは意味を持たない単語の羅列だった。三人は翌朝になると、夜中に目に見えないものを見て、聞くべきではない音を聞いたかのような様子で再び口を閉ざしていた。
蒼白で面長の顔は長期にわたる不安と、将来に関する言葉にならない恐怖に歪んでいる。三人は、まるで間もなく屠畜される子羊のように怯えている。しかし、死に追いやられる運命にあるのかどうか、彼女たち自身には分からない。この世に恐ろしいものがあるとしたら、それは先が見えないことだ。そしてこの三人は私以上に先が見えない状況に追いやられているようだ。
昨夜、私は棚の間の狭い空間にスクラップブックを見つけた。新聞記事の切り抜きが貼り付けられていたが、失踪者に関する記事が目に留まった。それは一、二年前に行方不明になった三人の男性の失踪広告だった。
1.アンブローズ・ヘイスティングス
- 失踪した時期 2018年2月18日
- 失踪した場所 ダートマス
- 生年月日 1998年2月14日
- 年齢 22歳
- 性別 男性
- 人種 白人
- 髪の色 ダーク・ブロンド
- 瞳の色 ミッドナイト・ブルー
- 身長 5フィート9インチ(180センチ)
- 体重 72キログラム
アンブローズは失踪した地域にいると考えられています。彼の左鎖骨の下に船乗りの姿の入れ墨があります。情報をお持ちの方は直ちにご一報ください。
TEL:1-990-833-9999
ダートマス保安官事務所
2.チャールズ・マクダウェル
- 失踪した時期 2018年4月11日
- 失踪した場所 ダートマス
- 生年月日 1999年1月9日
- 年齢 21歳
- 性別 男性
- 人種 白人
- 髪の色 プラチナ・ブロンド
- 瞳の色 コーンフラワー・ブルー
- 身長 5フィート5インチ(168センチ)
- 体重 60キログラム
チャールズは、彼の太ももとピアスのある左耳にイチゴの形の痣があります。情報をお持ちの方は直ちにご一報ください
TEL:1-990-833-9999
ダートマス保安官事務所
3.ジョージ・ミッチェル
- 失踪した時期 2018年1月18日
- 失踪した場所 ダートマス
- 生年月日 1999年12月26日
- 年齢 21歳
- 性別 男性
- 人種 白人
- 髪の色 アッシュ・ブロンド
- 瞳の色 ベイビー・ブルー
- 身長 5フィート7インチ(174センチ)
- 体重 63キログラム
情報をお持ちの方は直ちにご一報ください
TEL:1-990-833-9999
ダートマス保安官事務所
この三人を含めて2018年から2019年にかけてデボン州で若い男性が行方不明になった事件が何件も起きている。失踪した場所はいずれもダートマスであり、このダートムーア国立公園の近くにある町だ。失踪時点の年齢は18歳から23歳で、奇妙なことに髪がブロンドで目はブルーの男性という点が共通していた。自分がそうだから分かるのだが、髪がブロンドで目がブルーの白人男性はせいぜい十人に一人程度しかいない。何人もの失踪者の全員が偶然髪がブロンド目がブルーだったということは確率的にあり得ない。きっと何か理由があるはずだ。
失踪者の親族は捜索に手を尽くしたはずだ。ダートマス保安官事務所の失踪広告だけでなく、新聞や雑誌に写真付きで尋ね人の広告を出したり、牛乳パックに行方不明者の特徴を掲載したり、駅前でビラを配ったり、考えられることは何でもしたことだろう。しかし、スクラップブックに貼り付けられていた記事を読むと、当局による捜索にもかかわらず、行方不明者は一人として発見されていないようだ。
彼らはどのように失踪して、どこに行ってしまったのだろう? 彼らに何が起きたのだろうか? 家庭内暴力などの被害者が自ら行方をくらますことはよくある。精神病のせいで自ら、または家族が失踪を装って隔離したとか、新興宗教のカルト集団に入って隔離状態にあるとか――。あるいは何か複雑な理由があって生まれ故郷を捨てて密かに移住したという可能性もある。
しかし、失踪広告が出た人間がアイデンティティーを伏せて別の場所で生きていくのは並大抵のことではない。ダートマスという田舎町で生れ育った素朴な若者が何の証拠も残さず家族や恋人から身を隠すなどということは現実的にあり得ないはずだ。
失踪というよりは、まさに蒸発だ。彼らは一体どこに消えたのだろうか? 同じ疑問が繰り返し私を悩ませる。
その時、部屋の女の子の一人からささやき声が私の注意を引いた。リア、ミアとジアは身を寄せ合っていて、ゴシック建築の中の薄暗い部屋の中で艶のあるブロンドの髪が美しい光を放っている。一人はダーク・ブロンド、もう一人はプラチナ・ブロンド、残りの一人はアッシュ・ブロンドだ。三人とも青い目で、ジアはミッドナイト・ブルー、ミアはコーンフラワー・ブルー、そしてリアはやや離れたベイビー・ブルーの怖がっているような目をしている。
――まさか!?
私に、ある突拍子もない考えが浮かんだ。それはバカバカしくてとてつもない考えであり、現実世界で起こり得ないことだったが、偶然が重なりすぎていた。
三人の存在には不自然さが漂っている。背は高いが女性的すぎる肉体、そして、女性としては若干肩幅が広めだ。女性らしい曲線美と潤ったすべすべの肌と、それらのパーツとの取り合わせには何か痛々しい不自然さがぬぐい切れない。
私はスクラップブックを開いて失踪広告と三人の顔を見比べた。
――やはり一致している。
勿論、これは仮説にすぎない。自分が何をすべきかは分かっていた。私は足とお尻を尺取虫のように動かして三人の所に行った。姉妹たちは私が近づくのを見て一瞬怯んだが、微笑みかけると緊張を解いた。
ジアのチュールのドレスの首筋を少し下げると、左の鎖骨の下に船乗りのタトゥーがあった。間違いない。アンブローズ・ヘイスティングその人だ。ジアは二年ほど前までアンブローズという名前の男性だったのだ。
次にミアに身体を寄せて、そっとスカートを捲った。ミアは抵抗を示さず、私の手を払いのけようとはしなかった。同じ部屋に数週間一緒に監禁されていたから、彼女たちは私を自分たちと同様の犠牲者であり友人と思っているのだろう。
ミアの女らしい太ももには期待通りのものがあった。美しいローズ・ピンク色のイチゴの形の痣だ。ミアが行方不明のチャールズ・マクダウェルだということは間違いない。
失踪者の残りの一人であるジョージ・ミッチェルには刺青や痣などの特徴は記載されていなかった。これは本人に確かめるしかない。
「ジョージ?」
と呼びかけたところ、アッシュブロンドの若い女性は黙って頷いた。
私の心の奥底で、何日か前の記憶がよみがえった。
「あなたのお父さんはタクシーの運転手じゃないの?」
と私はリアに質問した。
彼女は不思議そうに頷いた。
私の推理は当たっていた。ダートマスで失踪した若い男性が完全に行方不明になったのは、性別が変わったからだ。三人はホッジソン・ホテルに幽閉されて若い女性に作り替えられたのだった。
第二章 アーサー
この驚くべき発見と気持ちの折り合いをつけるのは容易ではなかった。三人はアーサー・サイクスの手で誘拐され、ここに幽閉されて性転換されたのだ。二年間かければ普通の男性が、メロンのような乳房とくびれたウェストと丸い大きなお尻をした女性の身体になるという事実は衝撃的だった。そんなことをする目的は……考えるまでもない。彼らに――彼女たちに身体を売らせてお金を稼がせるためだ。三人はそうなることが分かっているからあれほど怯えているのだろう。そして、アーサーが私を三人と同じ部屋に閉じ込めた理由は、単なる酔狂や虐めではない。私の身体も二年間かけて女性に作り替えて金儲けの道具にするつもりだとしたら……。一日も早くここから逃げ出さないと大変なことになる。
眠れそうになかったが、どうやって逃げるか、ああでもない、こうでもないと考えているうちに眠りに落ちていた。
そして今日、私の姉の夫のアーサー・サイクスはそんな悠長なことを考えていないことが分かった。入浴を機に、自分が待ったなしの状況に置かれていることを思い知らされて、窓の外を眺めながら茫然としているとアーサーが部屋に入ってきた。
アーサーは身長が二メートルもあって巨人と呼ぶに相応しい骨格の大男だ。足取りには不吉さが漂い、両方の目はまるで顔に刻まれた細い溝のようで、意地悪さが滲み出ている。アーサーは私たちの方へゆっくりと歩いて来た。私たち四人が彼の目にどう映っているかを想像すると、背筋がぞっとする。これでも彼は自分の欲望を抑えているのだ。もし彼が自制心を失って私たち「女の子」の誰かに衝動をぶつけたら、雛鳥よりも簡単につぶされてしまうだろう。
アーサーを目の前にすると三人の姉妹は今まで何とか維持してきた尊厳のかけらを失った。歯はガチガチと音を立て、丸みを帯びた脚はピクピクと痙攣して、喉から人間のものとは思えないような小さな金切り声が放たれた。見開いた青い目の瞳孔の奥には恐怖が露わに見える。三人は日本の山中の雪の中の秘湯に群がるサルのように身体を寄せ合った。三人がアーサーを見て怖がったと言うだけでは、表現が控えめすぎる。彼女たちは恐怖のあまり凍り付いていた。このところ起きたことから判断すると、凍り付くだけの理由があった。
「スリム!」
とアーサーは開いたままのドアの外に立っている手下に向かって叫んだ。スリムはその名前に相応しくない体格の男で、アーサーよりは幾分背が低いが身長190センチを超える大男だ。ずるそうな寄り目は一時として同じ場所にとどまらず、がさつでだらしない感じが印象的だった。部屋に入って来たスリムの鼻腔からアルコール臭がした。
「おねえちゃんたちのロープを解いてやれ」
とアーサーが言って顎で私たちを指し示した。
「ロープを解くのはタマーラ以外の三人だけだ」
と付け加えたので私は落胆した。
バンシーという妖精のような叫び声が三姉妹の唇から漏れた。アイルランドでは妖精のバンシーの叫びが聞こえた家では近いうちに死者が出ると言われるが、そんな不吉な叫び声に聞こえた。三人は縛られたままの手足をバタバタと震わせ、輝く髪を痙攣するように揺らした。それは哀れで嘆かわしく、恐ろしい光景だった。
「もっと静かにできないのか?」
とアーサーは野蛮な叫びを浴びせた。
「声が出せないように喉を掻き切られたいのか? 黙らなければ本気でそうするぞ」
脅しが効いて三姉妹の声帯は完全に閉ざされ、部屋は突然、冷え冷えとした静寂に包まれた。スリムは主人の命令に従って三姉妹の手足のロープを解き、ジアとミアを万力のような手で掴んだ。アーサーがリアの腕をつかみ、部屋から引きずり出した。スリムがジアとミアの手を引いて後に続いた。
「待って!」
と私はスリムに問いかけた。
「その子たちをどこに連れて行くんですか?」
「大人しく待っていろ」
とスリムが淫らな表情で私にウィンクした。
「お前も熟してその時が来たらどこに行くのかがわかるさ」
二人の男と三姉妹は間もなく私の視界から姿を消した。
「熟してその時が来たら」
とスリムが言ったが、考えるまでもなく、急速に女性化しつつある私の身体のことを指しているのに違いない。きっと私が三人と同じく熟したメロンのような乳房、細くくびれたウェスト、大きく広がった腰と真ん丸なお尻になったらという意味で言ったのだ。そうなるまでどのぐらいの時間がかかるのか、私には想像もつかないが、それほど遠い将来のことではなさそうだ。
彼らは三人を――そして私を、男に身体を売らせて金儲けの道具にするつもりなのだ。それ以外の目的は考えられなかった。
しかし、私と三人の間には決定的な違いがある。いくら胸やお尻が女性的な形になっても、現時点で私は男であり、彼女たちの股間にある谷間は存在しない。私はきっと彼女たちと同じように性転換手術によって三人と同じ身体に作り替えられるのだろう。いや、そんな手間をかけずに男の身体のままで彼女たちと同じ仕事をさせられるのではないだろうか?
「もう、イヤだ!」
と私はうんざりして叫んだ。女性を性的欲求の対象としか見ない酷い言葉に毎日晒され続けていると、男というものがいかに下劣なものかを思い知る。私が三姉妹と同レベルの豊満な肉体に到達したときに、私を実際にどうするつもりなのか、アーサーの本音が知りたかった。少し考えるだけで、ぞっとするような可能性が次から次へと頭に浮かぶ。鼓動が激しくなり、頭がくらくらし始めた。
アーサーが部屋に戻って来た。
彼のごつごつとした手には、いつもと同じ血のような色の液体で満たされた注射器が握られていた。
「タマーラ、今日の注射の時間だぞ」
と甘ったるい声でアーサーが言った。甘ったるいだけに却って恐ろしい響きがあった。
私は虚勢を張ってアーサーの目を見据えた。
「それは何の注射なんですか? それに、いつも飲まされるカプセルの中味は一体何なんですか? 錆色をした鱗片上のものが入っているみたいですけど。黒魔術の秘薬か何かだということは分かっています。そうじゃなきゃ、私の身体がこんなふうになるはずがありません」
と私は敢えて声を張り上げた。
「とにかくこれだけは言わせてください。あなたが私に対してしていることは自然の摂理に反していて、言語道断です! こんなことをしていたら地獄に落ちますよ」
「天国か地獄かという議論はやめてくれ」
とアーサーが不気味に笑いながら答えた。
「お前たち女に説教をされるつもりはない」
アーサーの言葉が、意識の奥深くで眠っていた恐怖の感情を呼び起こした。突然、私は冷酷な捕食者に追われている不幸な鹿のような気持になった。アーサーが私たち四人をどうするつもりだったにせよ、それが胸を張って言えるようなことでないのは明らかだった。
私はアーサーの足にしがみついた。
「アーサー、お願いですから解放してください」
と私は絶望的な気持ちになって懇願した。
「もし私が姉とお義兄さんの負担になっているのなら、マイアミに帰って、自活します。後生ですから私を女の身体にするのは……何をさせるつもりなのかは知りませんけど、どうか勘弁してください」
「可愛いなあ、ゾクゾクするぜ」
とアーサーは屈んで私の顔を手で撫でた。
「『お願い』をする時のお前は普段に増してセクシーだと知っていたか?」
そう言いながらアーサーは私の腕に注射針を突き立てた。
***
私は二ヶ月前に父を自動車事故で亡くした。母のグウィネスは私が2歳になったばかりの時に亡くなっていたので、私は16歳も年上の姉のジュリアを母親のように思って育った。ジュリアの母親が父の最初の妻だったが、ジュリアが小さい頃に亡くなったので、ジュリアは母親を失うことの悲しみや痛みを知っていた。ジュリアは保護者のように私を扱い、私もジュリアになついていた。
ジュリアが私の哺乳瓶を準備したり、おむつを替えたり、マイアミビーチに散歩に連れて行ってくれたことが、かすかな思い出として残っているが、それは後で周囲の人から聞かされたことだったのかもしれない。そして私がむずがると美しい黒髪のジュリアは私を腕に抱いて、ラン、ジャカランダ、フランジパニの木が立ち並ぶ小道を歩いてくれた。
私が7歳の頃、アーサー・サイクスがアメリカに来てバックパックを背負って旅行をしていた。彼は当時23歳だった美しいジュリアに声をかけた。二人は愛し合うようになり、そして結婚した。貧しい大工の自分の娘が英国のホテルのオーナーの息子に見初められたことを、父は大喜びした。
結婚して間もなく二人は英国に移り住み、それ以来、父は私を一人で育ててくれた。ジュリアは一度も里帰りせず、父も英国への旅行費用を捻出できるほどの収入は無かったので、結婚後は一度も会っていない。ジュリアから時々短い手紙が届き、自分は幸せにやっていると要点だけ書いてあった。父と私はジュリアの手紙を言葉通りに解釈していた。
父が亡くなった時、私は舵のない船になった。高校は卒業したが、大学に進学する意欲は湧かなかった。私は悲しみを紛らわせるためにあてどもなく雑用的なバイトをしたが、役には立たなかった。わずかな給料をもらって何時間も汗にまみれても士気が高まることは無く、自分が無視され、搾取され、孤立していることを思い知らされただけだった。。
絶望的な気持ちになった時、ジュリアの柔らかで母のような手の感触がふと私の肌に蘇った。私はすぐにでも英国に飛んで、姉の家で二、三年でもいいから一緒に暮らしたいと思った。母のように愛情深い姉なら喜んで私を受け入れてくれるだろうと確信していた。外国で二、三年暮らせば今の自分の悲しい状況から離れることができて、気持ちがしっかりするようになるのではないかと思った。
一介の大工だった父が残してくれたお金は僅かだったが、英国への航空券を買うには十分だった。マイアミからロンドンのヒースロー空港まで飛行機で行き、ロンドンからGWRの列車でトットネスまで行った。トットネス駅からホッジソン・ホテルまではタクシーで数十分で行けそうだった。
英国の土を踏むのは初めてだったが、英国は何もかもがアメリカとは正反対だった。建物も、人も、列車もくすんだ感じで、陽光が降り注ぐ、開放的で陽気なマイアミとは別世界だった。列車に乗っていて、空がかき曇り不気味な雲が垂れ込めると、尋常ではない妄想が頭に浮かんで物思いに耽ってしまう。私は窓辺へと身体を動かし、窓の外を茫然と眺めていた。
人っ気のない荒涼とした沼沢地帯に、トールと呼ばれる花崗岩の岩塊が点在している。基本的にトールとは花崗岩の岩盤が風化する際に取り残された、未風化の岩柱を意味するが、ダートムーアの場合はそれが丸みを帯びた露頭になっている。この地に生えている植物はヒースだけであり、雲に覆われた暗い空間に、オリーブ・クリーン色の黒い陰影のように見える。
窓外の景色を見れば気持ちが落ち着くだろうと期待していたが、驚くほどの抑圧感に襲われた。野性的な美しさを持った湿原自体が独立した人格を持っていて、それが私に呪文を投げかけているかのようだった。そしてその呪文が私に魅惑、不安と、軽度の恐怖が混じった感情を呼び起こした。
私はそんな感情を空想の産物として却下した。私が特に豊かな想像力を持っていたからではなく、頭のない騎士とか、幽霊犬や物の怪などの言い伝えがあるダートムーアがもたらした感情だった。
恐怖から逃れるため、この湿原が人格を持っているという考えを頭の中から振り払おうとしたが無駄だった。外国から一人でやって来た十代の若者が憑りつかれた妄想ではなく、それは極めて明白かつ現実的な感触だった。
列車が高い金属音を立てて停車し、私はトットネス駅に到着したことに気付いた。私は立ち上がり、スーツケースを引いて列車を降りた。ここは表向きには文明化されているが、まるで百年前の世界にタイムトラベルして来たような気がした。列車での旅に慣れていないからそう感じるのかもしれないが、ぎくしゃくした列車の動きはダートムーアの本質を捉えている。野性的で、飼いならされておらず、それでいて旅行案内に書いてある通りの場所だった。
形容しがたい居心地の悪さを心から振り払って、私はスーツケースを引っ張ってプラットフォームを降り、タクシーを見つけようと駅の外に出た。
陰気で心を滅入らせる暗い色のタクシーが客待ちをしていた。私はそのタクシーまで歩いて行き、半開きのガラス窓をコンコンと叩いた。45歳ぐらいの赤ら顔で恰幅の良い運転手が、新聞から顔を上げて私を見た。
「どこまで?」
と彼は強い訛りのある英語で聞いた。
「ホジソン・ホテルまでお願いします」
と私は簡潔に答えた。
運転手はホジソン・ホテルの名前を聞いてビクリとした様子を見せた。赤ら顔からさっと血が引いて死人のように真っ白になった。あれほど健康そうだった人間が一瞬にして死んだように蒼白になるのを見たのは初めてだった。
「行けません」
と彼は声を震わせながら答えた。
「申し訳ない……」
運転手のずんぐりとした手が震えていた。
私は何か運転手を怖がらせるようなことをしただろうか? 特に思い当たるフシは無かった。片田舎の運転手は外国人に慣れていないから私を見て怖気ずいているのかもしれない。フロリダから来たアメリカ人はイギリス人の目にそれほど奇異に映るのだろうか……。
イギリスでタクシーに乗った場合のチップの相場は10から15パーセントと聞いていたので、
「チップを20パーセント払います」
と言ってみた。お金が有り余っているわけではないが、タクシーはこの一台だけしか見当たらないので、引き下がるわけにはいかなかった。
運転手がどうしようかと迷っている気配が見えたので私は畳みかけた。
「わかりました。じゃあ25パーセント出しますから乗せてください」
なけなしのお金だったが日が暮れるまでに姉の家に辿り着かなければ、ホテルを探して泊まるか、野宿することになってしまう。
運転手は目を丸くして唾を飲みこんだ。まるで、そんな高額なチップをもらったことがないかのような反応だった。大した金額にはならないと思うのだが……。運転手はしばらく断ろうかどうしようかと迷っているようだったが、ついに私の方を見て言った。
「行きましょう。乗ってください」
運転手は車を降りて私のスーツケースをトランクに乗せ、私は後部座席に乗り込んだ。運転手は黙りこくったまま五マイルほど運転した。周囲の景色が目に見えて変化し始め、ダートムーアの真っ只中に入って来たことを肌身に感じた。ヒースの茂みが益々濃く、険しく、そして神秘的になってきた。曇り空が晴れる気配はなく、湿気をいっぱいに含んだ黒い雷雲が垂れ込める。遥か遠方の紫色の空がトールの地平線と混じり合う所に稲妻が光る。雷雨が襲い掛かろうとしている。
大気は氷晶を含んでいるかのように肌を刺し、タンポポ柄のポロネックの薄いセーターを着て来たのは失敗だったと痛感した。天気予報によると今日のダートムーアは肌寒いとのことだったが、凍てつく寒さになるとは予想していなかった。四肢に浸透して骨まで凍らせる冷気が私をあざ笑っているように感じた。
「この一帯は沼地なんですよ」
と運転手が初めて初めて口を開いた。
「水が溜まっているので、このあたりの湿地帯は非常に危険です。このあたりでダートムーアの人間が大勢行方不明になっています。一度足を踏み入れると、助けを求めることもできずに沼に飲み込まれるそうです」
「本当ですか!」
頼みもしないのに旅行者相手に病的なほど陰鬱な話をする運転手に腹が立った。みぞおちの辺りに不安感が渦巻き、そうでなくても冷え冷えしている全身に寒気が走る。家から出発して48時間になるが、陽光の射すマイアミが懐かしくなった。
ホジソン・ホテルまであとどのくらいだろうかと気になり始めたころ、「この先、ホジソン・ホテル」と書かれた標識が道路の左側に目に入った。ホテルが前方の道路沿いに見えたところで、運転手は手前の脇道へと左折した。ホテルの建物が木々の間に隠れた。
運転手がホテルを右に見ながら脇道を真っすぐ進んだので私は警戒した。
「ちょっと待ってください! どうしてホテルの手前の道を入ったんですか?」
と運転手に抗議した。
運転手は私の抗議を無視してどんどん奥へと進み、教会の前に来るまで速度を緩めなかった。その教会はドームがあるとても美しい建物で、私は運転手に対する怒りを忘れてしばらく見入っていた。
運転手は車から降りて私の荷物を下ろした。私は戸惑いながら車を降りた。
「この教会のアンカ神父と相談してください。あのホテルに同行してもらう相手としてはアンカ神父が一番です」
「どうしてこの車で直接ホジソン・ホテルまの玄関まで連れて行ってくれないんですか?!」
「とにかく私にはできないんです!」
と、運転手は声を震わせて答えた。
第三章 ホジソン・ホテル
「ホジソン・ホテルの何が問題なんですか? さっきからどうしてホテルのことを怖がっているのか、説明してください」
「申し訳ないんですが、とにかくお客さんに話すわけにはいきません。というよりも、私にもあのホテルの中がどうなっているのか全く分からないんです。ただ言えることは、あのホテルには不吉な臭いがするということです。ホテルの近辺まで来るのも避けたかったんですが、お客さんがどうしてもと仰るので例外としてここまで来ました」
「それはご親切にどうも。でも、今日はどうして例外としてホテルの近くまで来てくれたんですか?」
「お客さんを見ていると私の息子ジョージを思い出すからです」
と運転手が答えた。
「ジョージはお客さんのようにきれいな男の子でした。母親に似てブロンドで、青い目をしていました……。ジョージは二年前に突然姿を消したまま行方不明なんです。ダートムーアの沼に飲み込まれたんじゃないかと思います。母親は嘆き悲しんで死んでしまいました。息子のジョージと妻のジャニスが逝ってしまって、私の人生は真っ暗です」
運転手はすすり泣き、大粒の涙がぽとぽとと床に落ちた。
「そうでしたか、本当にお気の毒です。さぞお悲しみでしょう」
それ以上ないほどの悲劇に襲われた運転手を、この程度の言葉ではとても慰められないと思った。
「お客さんもくれぐれも気を付けてくださいよ」
と運転手は真剣な目で私を見て言った。
「足元をよく見て、危ない所には足を踏み入れないようにしてください。一人でホジソン・ホテルの外には出ないようにすることです。あの一帯は不吉そのものですから十字架を首に掛けた人に同行してもらうべきなんです。アンカ神父について行ってもらうのが一番です」
私は約束通りメーターに25パーセントのチップを上乗せした額を手渡したが、運転手はチップを受け取らず、ホジソン・ホテルまで行けないことを再度謝った上で走り去った。
私は目の前の荘厳な建物を見上げて立っていたが、教会の神父さんにそんなことを頼んでいいのかどうか不安だった。しかし立っているだけではどうしようもないので、勇気を振り絞って教会の玄関へと歩いて行った。ドアの前まで来た時、黒いウーステッドの司祭服を着た男性が扉を開いた。立襟の司祭服は足首までの長さがあった。頬骨が高い赤みがかった色の顔で丸く小さい鼻と、目じりが少し吊り上がっているが優しい感じの目の司祭だった。
「こんにちは、私はアンカ神父です」
と彼は愛想のいい口調で言った。
「何かして差し上げられることはありますか?」
その時私はアンカ神父が白人ではなくアズテカかマヤの血を引くアメリカ大陸の先住民族のような顔をしていることに気付いた。タクシーの運転手から「アンカ神父」という名前を聞いた時、一般的なイギリス人の名前ではないなと思ったが、ホジソン・ホテルとは違う場所に連れてこられて頭に来ていた時だったので注意を払わなかった。
「こんなところまでやってきてアメリカインディアンの末裔に出会うとは思いませんでした」
そう言ってから人種に関する不用意な発言をしてしまったことを後悔したが、アンカ神父が微笑んだのを見てホッとした。
「私もアメリカ人がこんなところまでやって来るとは期待していませんでした!」
とアンカ神父が愛想よく応じた。私の言葉を聞いてアメリカ人だと分かったのだろう。
「ところであなたはどなたかな? どうしてこんな辺鄙なところまで来たのですか?」
最近父を亡くして将来が見えなくなり、姉を頼って渡英したことを説明した。
「私の異母姉のジュリアはホジソン・ホテルのオーナーと結婚しているので、しばらく姉の元で暮らしたいと思ってやってきました。私の母は――ジュリアの継母にあたりますが――私が2歳の時に亡くなりました。それからはジュリアが母代わりになって私の面倒を見てくれました。ジュリアは私が7歳の時に結婚してイギリスに渡り、それ以来、父も私もジュリアと会ったことはありません。十一、二年ぶりに姉と再会することになります」
「空港からどうやってここまで来たのですか?」
「ヒースロー空港からロンドン経由GWRの列車でトットネスまで来ました。駅からタクシーに乗りましたが、運転手がホジソン・ホテルは不吉だとか何とか言って非常に怖がり、この教会の前で下ろされました。ホジソン・ホテルに行くには聖職者に同行してもらうべきだと言われました。どうして運転手がホジソン・ホテルについてそんなことを言うのか、心当たりはありませんか?」
「タクシー運転手が何故そんなことを言ったのかは神さまだけがご存じです」
と言いながらアンカ神父は肩をすくめた。
「世の中には極端に神経質な人や迷信を信じる人がいます。喜んでホジソン・ホテルまでついて行ってあげましょう。私はあなたの義理の兄であるアーサー・サイクスの友達です!」
「本当ですか?! 思いもよりませんでした」
と私は興奮して言った。
「じゃあ神父さんはアーサーと時々会ってるんですか?」
「そうです、その通りです」
とアンカ神父は晴れやかに答えた。
「アーサーは教会には来ないので、毎週土曜日の夜に会うことにしています」
「ああ、飲み友達なんですね」
「いや、私は聖職者ですからお酒は飲みません」
「す、すみません。うっかりしていました」
「ジェントルメンズ・クラブで会ってチェスを一、二局するだけですよ」
「そうですか……私の姉は元気にしているでしょうか? 神父さんは姉に会ったことがありますか?」
「勿論。サイクス夫人は毎週日曜日にミサに出席するために教会に来ます」
とアンカ神父は答えた。
「教会以外でも一、二度会ったことがあります。あなたのお姉さんは素晴らしい方です。とても元気にされていますよ」
「それを聞いて安心しました。父と私はジュリアのことをずっと心配していたんです。ジュリアは時々短いメールを送ってきて、自分は元気だと書いてありましたが、何故かしっくりこないメールだったんです。もしかしたらジュリアは私たちに隠し事をしているのではないかと感じることがありました」
「あなたは想像力に富んだ人のようですね!」
とアンカ神父が微笑みながら言った。
「サイクス夫人は元気です。繁盛しているホテルのオーナーの奥さんが元気でないはずがないでしょう」
「そりゃそうですね。姉はきっと元気なんでしょう」
アンカ神父は教会の駐車場に停めてあった古い茶色のフォードに私の荷物を乗せ、私を助手席に乗せた。幽霊が居そうな道を幹線道路へと引き返す。車の中でアンカ神父と私はダートムーアの地形や気候について差しさわりの無い話をした。ほどなくフォードは巨大なゴシック様式のホテルの前で停車した。
義兄のホテルは想像していたよりもずっと大きかった。中央部分の塔以外にも幾つもの短い塔と空中にアーチを架けた飛梁があり、各所に手の込んだ装飾がなされている本格的なゴシック建築だった。かまぼこ型の穹窿状の天井が上の階の重量を支える構造になっている。
随所にあるアーチが建物を実際より大きく重厚に見せ、穹窿状の天井を優雅で贅沢に感じさせる。しかし、すべての美しさを打ち消すかのように、巨大な怪獣像が建物の玄関に鎮座して口から水を吐き出していた。ダートムーアの空は雲に覆われているが私が来てから一度も雨は降っていないので、空気中の霜をこの怪獣が吸い込んで水として吐き出しているのだろうかと思った。
教会の美しさにも驚いたが、ホジソン・ホテルの荘厳さには文字通り圧倒されたと言っていい。しかし、必ずしも義兄が裕福であることを示すわけではなさそうだ。古風な壮大さにもかかわらず、私は随所が老朽化していることに目を留めざるを得なかった。建物の隅々にぬめぬめとした緑色の苔が生え、窓のカーテンは日焼けして綻びが目立つ。ホテルの名前が刻まれた金属製の銘板を見ると、このホテルにも遠い過去に栄光の時代があったことが偲ばれた。
ホジソン・ホテルはサイクス家代々の富と繁栄のシンボルだったのかもしれないが、今はそうではないようだ。私の義兄にとって、ホテルは収入源と言うよりも、維持運営のために金がかかるお荷物なのかもしれない。
「とても印象的な建物だと思いませんか?」
アンカ神父は私が建物を見て怖気づいていることを感じ取ったかのように言った。
「神父さん、印象的という言葉では語り尽くせないのではないでしょうか。まさに圧倒的です。これほど素晴らしいホテルは見たことがありません」
「あなたのお義兄さんほどの人物も、そうざらには居ませんよ。ホジソン・ホテルはサイクス氏を擬人化したようなホテルと言ってもいいでしょう」
とアンカ神父が皮肉っぽい表情を見せながら付け加えた。アンカ神父の口調が私の不安を募らせる。この親切な神父には不似合いな粗野でいやみっぽい感じが漂っていたからだ。私は困惑してアンカ神父を見つめた。
「こんなところでずっと立っていたら凍えますよ。お姉さんに会いに来たんじゃないんですか?」
とアンカ神父が私に言った。声に優しさが戻り、聖職者らしいきらめきが神父の目に蘇っていた。
「一緒に中に入られないんですか?」
アンカ神父が同行しそうな気配が無いので私は戸惑った。
「あなた一人で行ってください。私はここで待っていますから、サイクス氏に、もしよければ出て来るようにと伝えてください」
「そう仰るのでしたら、一人で参ります」
とは言ったものの、この巨大で威圧的な建物に一人で足を踏み入れるのは不安だった。私は背の高い鉄の扉を開き、中庭を通って赤いマホガニーの玄関ドアに手をそっと当てた。意外なことにそのドアは少し開いていて、内部の薄暗い部屋を垣間見ることができた。私は力を入れてドアを開け、スーツケースを引いて中に入った。私は玄関ホールを通って受付カウンターの前に椅子がいくつか並んでいる部屋にたどり着いた。
ホテルに着いてから人の姿はまだ見かけていない。私はどっと疲れを感じてロビーの椅子にどっかりと腰を下ろした。
その時、巨大な人物が階段から降りてくるのが目に入った。巨人が私の方へと歩いてくる。私は立ち上がって彼を迎えた。私より30センチも背が高く、ボクサーのような厚みがある身体つきだった。彼は長い歩幅で距離を縮め、私の目の前に立った。見上げると、熊のような暗い目、途方もなく大きい鼻、厚い革のような唇にある種の表現しがたい感情が反映されていた。しかし、それが困惑なのか、怒りなのか、それとも欲望なのか私には区別がつかなかった。
彼は類人猿のような巨大な手で私の頬を挟みながら言った。
「なんと、ダートムーアに吹く風が、金髪に青い目をした美人を運んでくるとは!」
「女性みたいな呼び方をしないでください!」
私は強い口調で抗議をしてから、初対面の人にお世辞を言われたことに対して激しすぎる言い方をしたことを反省した。私の身長は172センチで男性の平均よりやや小柄な程度だが骨格が華奢で色白なので、女性のようだと言われやすい。
私の顔は磁器のように白く、眉は漆黒、真っすぐな鼻筋にバラの蕾のような唇の組み合わせは19歳の男性としては不似合いかもしれない。さらに私は母から絹のようなゴールデン・ブロンドの髪、チャイナ・ブルーの目と長いまつ毛を譲り受けていた。私が美しい男子だということはマイアミでは知られている。
「確かに、あんたは男だ!」
と巨人が私の抗議の声を受け入れた。
「しかし美人であることには変わりがない。男だろうが女だろうが、俺がこれからすることの邪魔にはならない」
そう宣言すると、男は長すぎる手を広げて私の腰を抱きかかえ、革のような唇を私の口に押し当てた。何とも言えない口臭に襲われて、嫌悪のあまり身体が本能的に逃れようと動いた。しかし、大男の手は万力のように私の腰を掴み、私は徒にもがくだけだった。
私は彼のヒョウのような舌を喉まで差し込まれて恐怖におびえた。自分の舌で押し返そうとしたが全く歯が立たなかった。自分の無力さに打ちのめされた。
男の手が私のジーンズのボタンを外そうとしていることに気付いて抵抗を試みたが、私の力は男の怪力の前では全く役に立たなかった。彼はズボンの中で大きく固くなった物を私の身体に押し付けようとしている。男が私をうつぶせの状態でリノリウムの床に押し倒した。私のズボンは彼の手で10センチほど引き下げられて白いブリーフが見えていた。
今すぐ逃げなければ、男がブリーフを引き下げてズボンの中の巨大な棒を私のお尻に差し込むのは時間の問題だと思った。隙を見て電光石火の速さで逃げようとしたが、男の方が速かった。私はあっという間に背後から抱き着かれた。男の体重を膝に受けて「神さま、どうか私をお助けください。この巨大な男からお救いください」と祈った。
男の指が私のブリーフのゴムにかかり、次の瞬間にはダートムーアの湿った冷気を下半身に感じた。もう逃げようがない。私はこのゴリラのような男に犯されようとしていた。
「アーサー!」
細い金切り声が聞こえて、男は動きを止めた。
「やめて! その子には手を出さないで。その子は私の弟よ――私の弟のトロイなのよ!」
アーサー――アーサー・サイクス! 私を襲った卑劣な大男は私の義兄だったのだ。何ということだ! 自分の家族からこんな形で歓迎を受けるとは……。
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