世界維新
女性が全てを支配する日
【内容紹介】米軍が中東で使用した生物兵器が予期せぬ変化を遂げ、地球の人口の約半分に外観では分からない小さな変化をもたらし、数ヶ月の間に静かに全世界に広がった。気が付くと女性が支配し男性が従属することが当然な社会になっていた。壮大な男女逆転劇を世界維新として描く異色TS小説。
第一章 ある男子の初経
僕の名前は杉村美瑠久。静岡県の小学生だ。
僕が住んでいるのは人口十万人以上の立派な「市」で、僕の家は駅から歩いて数分の商店街にある。僕は三人きょうだいの長男だ。長男といっても二歳年上の姉と二歳下の妹がいる。子供の時から大事にされて育った。
家の近所には神社があり、神社の境内が子供たちの遊び場になっていた。幼稚園の頃に、近所の小学生たちが神社でサッカーの真似事をして遊んでいるのを、仲間に入れて欲しいと憧れながら見ていた。小学校に上がると「オマケ」としてサッカーに加えてくれるようになり、僕はサッカーに夢中になった。神社の境内は狭いのでサッカーといっても練習程度しかできず、マンツーマンでボールを取り合ったり、一人で石壁にキックして遊ぶ毎日だった。
小学校三年に上がった時に、学校のサッカー部に入部した。ボール・キープが上手で多彩な足技を持っている上、生まれつき敏捷だった僕は、めきめきと頭角を現し、小三なのに高学年の試合に出してもらえるようになった。勉強もできたのでクラスではスターだった。元々小柄なうえに三月生まれの僕は小一の時からずっとクラスで小さい方から三、四番目だったが、女子は誰でも僕の近くに来たがった。
小五になると自他ともに認めるチームのエース・ストライカーになった。小柄で女の子のように優しい顔なのに、試合では他校からキラー・マシンのミルクと恐れられた。ミルクというのは僕の名前のカタカナ表記だ。本名は美瑠久だが字が難しいので、出場選手のリストには「みるく」とか「ミルク」などと書かれることが多かった。小六になってサッカー部のキャプテンになった時、美と瑠に重点を置いて「ビル」と呼ばせようとしたが、下級生しか従わなかった。その下級生さえ、一週間もすると「ミルクさん」に戻ってしまった。
転機が訪れたのは小六の秋の県大会だった。僕たちのチームは順調に勝ち上がって準決勝に進んだ。その日のグラウンドは県営の球場だった。準決勝の相手は優勝候補の小学校で、小学生なのに派手で大人っぽい感じのプレイヤーが揃っていた。僕が前半終了五分前にヘッディングを決めた時、僕たちの小学校の応援団(六割が女子でその半分以上が僕の親衛隊だった)からワーッ、キャーッと歓声が上がった。
僕はVサインをしてセンターラインまで下がったが相手がセンターサークルから蹴ったボールをめがけて相手のフォワードにアタックした時、太ももに熱いものが走る感触があった。前半の終了まではあと二分。僕は気にせずにプレーを続けたが、主審が笛を吹いてプレーをストップさせた。主審が近づいてきて「大丈夫か」と僕に聞いた。「別に……」と答えたが、主審が僕の脚の付け根の辺りを指さして「出血してるぞ」と言った。白のサッカーパンツの股の辺りが真っ赤に染まっていた。
監督の先生が駆け寄った。僕は地面に寝かされて、先生がサッカーパンツを下げて中を覗いた。先生は「こりゃあ駄目だ」と言って、主審に「選手を交代します」と告げた。「先生、大丈夫です」と僕は言ったが強引に外に出された。試合は十人のままで再開し、間もなく前半が終わった。
応援席から「美瑠久!」と叫ぶ心配そうな女子たちの声が聞こえる。たまたま応援に来ていた保健室の女の先生が下りてきて駆け寄った。
「どこの怪我ですか? 救急車を呼びますか?」
「いや、救急ではありません。すみませんが先生が病院に連れて行って頂けますか?」
「分かりました。学校の近くの整形外科に連れて行けばよいですね」
「いえ、整形外科ではなく、泌尿器科か婦人科に」
「婦人科はないでしょう。この子は男の子ですよ」
監督は女先生の耳元で短い説明をした。女先生の顔から血の気が引いた。女先生は僕のパンツを少し引き下げて中を見てから「本当ですね」とため息をついた。
「何も心配ないのよ。誰にでも起きることだから」
先生は僕の肩を優しく抱いてくれて駐車場まで行った。先生の運転する車が隣の学区にある大きな婦人科病院の駐車場に入ったので僕は当惑した。それは僕たちサッカー部員が「ピンクの病院」と呼んでいる、病院らしくない外観の建物で、僕たちには一生無縁なはずの場所だった。
「先生、他の病院にしましょうよ。こんなところに男子が入ったら変な目で見られますから」
女先生は僕の言葉を無視して受付を済ませた。待合室に座っている人は例外なく全員が女性だった。
「先生、恥ずかしいです」
僕は女先生ににじり寄って俯いていた。
女先生は僕の耳元で言った。
「何も恥ずかしくないわよ。気が付かない? 誰もあなたのことを見ていないでしょう。そう思って鏡を見れば分かると思うけど、あなたの顔はとても女の子らしいわ。男の子みたいにショートカットにしたサッカー少女だと思われてるのよ」
小さい時から親戚や近所の大人から女の子のように可愛い顔だと言われる度に傷ついてきた。サッカーを始めたのは自分の男らしさをアピールしたかったからかもしれない。先生に抗議しようかと思ったが、他人が僕を見てそう思うのなら、反論しても始まらない気がして思いとどまった。
「杉村美瑠久さん、四番の診察室にお入りください」
女先生に付き添われて診察室に入った。小柄な若い女医が笑顔で僕に「こんにちわ、可愛いお名前ね」と言ってから仰向けにベッドに寝かされた。短パンとパンツを膝まで下ろされ、血が出ているらしい場所を冷たいガーゼのようなもので拭かれた。僕がベッドから首を少し起こして見ると、女医は右手に薄い手袋をはめてその付近の皮膚を押したり引っ張ったりして検査しているようだった。
「月経血ですね。外陰唇の入り口の外側の皮膚が巻き込まれるように癒着して陰嚢のように見えていたのが、初経がきっかけとなって一部剥離したのだと思います。少し広げてみましょう」
短パンとパンツを脱いでM字に開脚するように言われた。
「ちょっと痛いかもしれないけど我慢してね」
もうすぐ僕を襲うであろう激痛に備えて歯を食いしばった。
「サリチル酸ワセリン軟膏をお願い」
女医はナースから受け取った軟膏を指につけて僕の傷口の部分に塗り込み、指を突っ込んで傷口を押し広げた。
「ギャーッ」という叫びを準備していたが、ヌルッと傷口が裂けた感触があった。「イテテ」という小さな声を出しただけだった。脚の付け根に生暖かい感触がしたので恐る恐る首を持ち上げて見たところ、おちんちんの上下が数センチ縦に裂けてドロッとした赤黒い血が出ていた。腐ったような嫌な臭いがした。
「膣洗浄しておきましょうね」
傷口を広げられ、その中に何度か液体を注入され、経験したことのない奇妙な感触をお腹の中に感じた。
「美瑠久ちゃん、最近オシッコをした時に、パンツが濡れたことはなかった?」
誰にも言えずに内緒にしていたことを突然女医に言い当てられて顔が真っ赤になった。
「はい、朝起きてすぐオシッコをしたら、ちょろちょろとしか出なくて。それなのにパンツがビショビショになってました」
「その後のオシッコはどうしたの?」
「パンツを濡らすのが怖かったので、大便のふりをして座ってしました」
「お尻全体が濡れてなかった?」
「はい……」
女医は女先生に診察の結果を説明した。
「外陰唇の癒着は完全に剥がしました。クリトリスと外陰唇もきれいに分離させることが出来ました。珍しいケースですが、肥大したクリトリスの中央に何らかの尿路が出来ていたものと考えられます。本来の尿道口が解放されましたからもう大丈夫です。クリトリスは放置すれば徐々に小さくなって正常化する可能性がありますので、しばらく様子を見て、必要なら手術で小さくすればよろしいでしょう」
「つまり、診断結果としては……」
女先生は女医の言葉を待った。
「現時点であえて病名を付けるとすれば陰核肥大ですが、大げさに考える必要はありません。それより初経を祝ってあげてください」
「ということは、半陰陽というか、いわゆるインターセックスなのですね」
「いえいえ。美瑠久さんには男性の要素は全くなくて、百%女性です。出生時に性別を誤認されていただけです。一応、確定診断のためにCTを撮って卵巣と子宮の状態を確認しておきましょう。少しお待ちいただくかもしれませんが」
僕は二人の会話を唖然として聞いていた。要するに、僕は女子なのにガイインシンというものが癒着していたので、男子と間違えられていたのが、癒着が剥がれて「正常」に戻ったということのようだ。おチンチンと思っていたものは、放っておけば小さくなるだろうと言っていた。まさか、僕が女子だったなんて、冗談にしてはきつすぎる。でも、卵巣と子宮を確認すると言っていた。本当に卵巣と子宮が見つかったら女だということになるのだろうか……。
CT検査室の前の長椅子に座って待っていた所に母が駆け付けた。母は僕の短パンが血で真っ赤になっているのを見て心配そうにしていたが、保健室の女先生から診察結果の説明を聞いて真っ青になった。母は検査室の近くのトイレに僕を連れて行ってパンツを引き下げた。
「本当だわ。美瑠久は女の子なのに息子だと思い込んでいたのね。気付かなくてごめん。母親失格だわ」
「お母さん、そんなこと言わないで。お母さんのせいじゃないよ」
「それより、こんな血だらけの短パンをはかせておけないわ。ナプキンもしておかないとね」
検査室の前の長椅子に戻ってから、母は女先生に
「近くに、しまむらがありますから生理用ショーツと、着替えを買ってきます。ナプキンも買ってきますので、すみませんが留守の間よろしくお願いします」
と言って駐車場へと走って行った。
しばらくして僕の順番が来た。僕は脱衣室で検査着に着替えてCTの台に横たわった。テレビで見たことがある大きな機械に乗せられて緊張したが、何事もなく検査は終わった。CTの部屋を出ると、母が着替え室で待っていて、生理用ナプキンを貼り付けた生理用ショーツをはかされ、夏だというのにその上に毛糸のパンツをはかされた。それは脚が出る部分にフリルがついているピンク色のパンツで、僕は必死で抵抗したが「生理中はお尻を冷やしてはいけないの」と強引にはかされた。
ピンクの毛糸のパンツをはいている姿は母に見られるのも恥ずかしかった。僕はとにかく毛糸のパンツを早く隠そうと短パンに足を通そうとした。
「何をするのよ。新しい毛糸のパンツに血が付くじゃないの」
母は脱衣かごの中の僕の衣類をポリ袋に入れて硬く縛った。
「これを着なさい」
母から渡された赤い七分袖のシャツを着ると、首の後ろにボタンとリボンがついていることに気付いた。
「なんだよ、これ女物みたいだよ」
僕が脱ごうとしてシャツの裾に手をかけると、と母は「それでいいのよ」と言って、僕の手を払いのけた。
「さあ、これをはくのよ」
母に渡されたのは真っ赤なプリーツスカートだった。
「バ、バカ言わないでよ。こんなのはけるかよ」
「夏だけどお尻が冷えないように膝丈にしといたわ」
「お母さん、お願い。短パン返して」
母に懇願したが
「生理の時はスカートの方がいいの。これ、常識よ」
と言って譲らない。
その時、看護師さんが脱衣室を覗いて、
「次の患者さんから苦情が出ているので早く着替えを済ませて下さい」
と叱られた。
「外で待ってるわよ」
母は僕にスカートを押し付けて脱衣室の外に出てしまった。
僕はやむなくそのスカートをはいて、右のホックを留めて脱衣室を出た。
検査室の前の長椅子に座っていた母が駆け寄ってきた。
「バカじゃないの? スカートの前後が逆よ。ホックがあるのが左!」
母は僕が履いているスカートをグルリと回した。それまで僕はスカートに前後があるとは知らなかった。
検査室で言われた通り四番の診察室まで歩き、受付ボックスにフォルダーを置いて待合椅子に座った。女物のシャツにスカートという姿を人目に晒してしまった。もし知っている人に見られたらお終いだ。
名前を呼ばれて母と一緒に診察室に入った。
「お子さんは健康そのものですからご心配はいりませんよ」
と女医は母を安心させた。女医はキーボードとマウスを起用に扱ってモニターにCTの画像を映し出して断面画像を動かした。
「これが卵巣ですよ。そしてここが子宮、そしてこの子宮口から先が膣です。若くて健康な女性の身体のCTを見るのは楽しいですね。美瑠久ちゃん、ベッドに仰向けになってね。スカートをめくるわよ。あら、可愛い毛糸のパンツを買ってもらったのね。生理の時にはお腹を冷やさないことが大事よ」
女医は僕の毛糸のパンツと生理用ショーツを足首まで下ろして、おチンチンの部分をむき出しにした。
「お母さん、こちらをご覧ください。少し赤くなっていますが、この部分がこういう風に癒着していたわけです」
女医は両手の指で傷口の左右の皮膚を中央に引き寄せた。
「初経が引き金になってこの部分に剥離が生じて月経血が漏れたんです。既に剥離しやすい状態になっていましたので、薬品の助けを借りて剥離させ、外陰唇の内側、内陰唇から膣にかけて洗浄しておきました。肥大化していたクリトリスは既に委縮し始めているようですから、放置しておけば普通の大きさに戻る可能性が大ですので様子を見ましょう」
「手術はしないんですか? お薬は?」
「現状、やや陰核肥大ですが健康体です。薬は生理痛がひどくない限り不要です」
「この子の性別はどうなるのでしょうか」
「染色体検査の結果が出次第、診断書を書きますので、それを持って戸籍課に相談に行ってください。先ほど学校の先生からも質問を受けましたが、半陰陽ではなく、完全な女性の身体なのに、出生時に男性と誤認されたままになっているわけですから、早く訂正するのがお嬢さんのためだと思います」
お嬢さん、と言われて頭をガーンと殴られた気がした。
「二週間後に経過をチェックしますので、予約を入れましょう。FISH法での染色体の検査結果が届くのに十日ほどかかりますので、その時に診断書を出せると思います」
母は手帳を見ながら二週間後の診察の予約を取った。
「美瑠久ちゃん、おめでとう。今日から大人の女性になったのよ」
女医さんにおめでとうと言われて反射的に
「ありがとうございます」
と答えてしまったが、何もおめでたいことではなかった。僕は奈落の底に突き落とされた。
帰りにスーパーで買い物をしたが、僕は助手席に座って待つことにした。まさかスカート姿でスーパーの中に入って行けるはずがない。
外から顔を見られないように、リクライニングを倒して寝て待った。その時、窓をコンコンと叩く音がした。窓の外にはサッカー部の仲間が五人立って、覗き込んでいた。
「おい、美瑠久。窓を開けろ」
暑いのを我慢して窓を閉めていたのに気づかれてしまったのだった。
「喜べ、一対ゼロで勝ったぞ。お前の入れた一点を守り切ったんだ。来週の土曜日は決勝だ。ところでお前、女だったんだってな。だからスカートをはいてるのか。監督から聞いたよ。決勝はお前抜きで戦うことになるだろうって」
僕はリクライニングを起こして五人の仲間と顔を突き合わせた。皆、僕のスカートを興味深そうに見ている。
「病院で調べたけど健康だと言われたよ。何も悪いところは無いんだ。だから決勝は一緒に頑張ろうな」
「監督が言ってたけど大会規約で女子は出られないんだって。だから、お前の出番はもう無いよ。中学に入ってから女子サッカー部で頑張れ」
「そんな……」
「お前、今日が初めての月経なんだってな。この間、男子の特別授業で習ったやつだろ、初経とかいうアレだな。お赤飯を炊いてお祝いするんだろう。おめでとう」
残りの四人の仲間が口を合わせて、
「美瑠久、初経おめでとう」
と言ったところを、駐車場に居たオバサンたちが聞いて笑っていた。僕は恥ずかしくて両手で顔を覆った。そこに母が帰って来た。
「あ、杉村君のお母さん。今日は杉村君が前半に得点した後に退場しましたが、その一点を守りきって決勝に進みました。それから、監督から聞きましたけど、初経、おめでとうございました」
「あら、皆さん知っていたのね。女の子になっても美瑠久と仲良くしてやってね」
五人の仲間は「はい」と大きな声で答えて立ち去った。
「どうしよう、スカートをはいているところを見られちゃった」
「監督さんがしゃべったみたいね。前半に起きたことがハーフタイムに応援席の人たちに伝わったんだわ。インパクトのある話題だから、サッカーに来ていた人にはきっと全員伝わってるわよ。よかったじゃない、説明の手間が省けて。月曜日はスカートで登校するのよ」
「じょじょじょ、冗談じゃないよ」
家に帰ると姉の美咲が僕を見て飛んできた。
「美瑠久、女の子になったのね。私、妹がもう一人欲しいと思っていたかったから丁度良かったわ」
「そうよ。美瑠久は女の子だったことが分かったのよ」
母が真顔で言って僕が顔を真っ赤にして黙っていたので、美咲は、自分が言ったことが全くの的外れではなかったと悟った。美咲は僕のスカートをめくって毛糸のパンツと生理用のショーツを下ろし、ナプキンに血がついていることを確認した。
「うっそー。私とおんなじ! でも、クリトリスがちょっと大きすぎるんじゃない?」
「美咲、美瑠久の気持ちを考えて言葉を慎みなさい。美瑠久が泣きそうな顔をしてるじゃない。美瑠久のクリトリスはこれから段々腫れが引いて、普通の大きさになるから手術も必要ないとお医者さんが言ってたわよ」
妹の美幸が二階から降りてきて驚いた様子で叫んだ。
「お兄ちゃんがスカートはいてる! 仮装大会か何かがあるの?」
「美瑠久は女の子だったことが分かったの。だからお兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんになったのよ」
「嫌だなあ。サッカー部のエースの美瑠久の妹だと自慢できなくなる」
と美幸はしょげていた。
「美瑠久、サッカー場から直接病院に行ったんでしょう。汗臭いからお風呂に入りなさい」
僕はとぼとぼと浴室まで歩いて行ってスカート、毛糸のパンツとTシャツを脱ぎ、最後に生理用のショーツを脱いだ。また血がついていたナプキンをショーツから剥がして洗濯機の横のごみ箱に捨てた。お風呂を出たら新しいナプキンが必要だ。
「お母さーん」
と呼ぶと母が来た。
「あのね、ナプキンの新しいのはあるかな」
小さな声で聞いた。
「美瑠久がお風呂に入っている間に持ってきておいてあげる。汚れたのはちゃんとトイレに捨てたの?」
「ううん、ここに捨てたけど」
「美瑠久、ナプキンを捨ててもいいところは一ヶ所だけよ。それに、こうやって内側に丸めるのよ」
母は厳しい顔をして叱るような口調で僕に言って、トイレの便座の後ろの黄色いプラスティックケースを指さした。以前からそのプラスティックケースの存在には気付いていたが、何の入れ物なのか今まで知らなかった。
シャンプーをしてから、スポンジにボディーソープを付けて身体中を丁寧に洗った。昨日まで普通の男子だったのに、突然立ちしょんもできなくなった。おチンチンとはこんなものだと思い込んでいたし、他の男子のおチンチンと同じだと思っていた。癒着が剥離したらしいが、今はそのおチンチンは割れ目の間から洩れ出た小さな突起物になってしまって、見る影もない。これでは誰が見てもおチンチンとは呼べないのは確かだった。
スポンジで胸を擦るときには注意が必要だった。ひと月ほど前から乳首をスポンジで擦るとチクチクしていた。乳首が一センチほど前に飛び出して、小さなトンガリ帽子を胸に伏せたような形になっている。前から押すと飛び上がるほど痛い。今日の試合でもボールを胸でトラップした時には痛みのため顔をしかめた。
これはきっと月経と関係があるのに違いないと、本能的に感じた。おチンチンだったものが段々と萎むのと並行して、お乳が段々前に尖って来るのかもしれない。どうしよう……。焦りで胸が苦しくなった。姉の美咲の胸も母のように大きくなって、前にツンと突き出ている。ああ、僕も姉と同じような胸になってしまうんだ。絶望に襲われて涙が出た。泣きじゃくりながらシャワーをして浴室を出た。
バスタオルで身体を拭くと、畳んだショーツの上に母が新しいナプキンを置いてくれていた。Tシャツを着て、毛糸のパンツとスカートをはいた。二階の僕の部屋に行くと、母がタンスから僕の衣類を全部出して、二つの大きいごみ袋が一杯になっていた。
「うちは三人娘になってしまったから男の子の服はもう要らないわ」
母はそう言ってごみ袋の端を括り、階下に持って行ったが、すぐに段ボール箱を抱えて戻って来た。
「これは美咲には小さくなった服よ。美幸が大きくなる時のために取っておいたけど、早く役に立ってよかったわ」
母は僕を立たせ、服を一つ一つ取り出してサイズをチェックしては僕のタンスに入れた。こんな女の子っぽいチャラチャラした服やひらひらのワンピースを、本気でこの僕に着せようというのだろうか。その段ボール箱が空っぽになると、もう一度階下の物置に段ボール箱を取りに行った。美咲がこんなに沢山洋服を持っていたとは知らなかった。
「下着は明日一緒に買いに行こうね。昨日まで気が付かなかったけど、乳首が大分出て来てたのね。服が擦れると痛いでしょう。明日スポーツブラを買ってあげるわ」
「ブブブ、ブラだなんて……。ねえ、お母さん。学校にはしばらく僕の服を着て行って、皆の反応を見ながら少しずつ暖色系のシャツを増やしていきたいんだけど」
いつも母のご機嫌を取るときの口調でねだってみた。
「もし美瑠久がお母さんの言うことを全部聞いて、月曜の朝まで良い子にしていたら、このキュロットをはくのを許してあげる。言うことを聞かない場合は、このミニのワンピースにするわよ」
「どっちにしてもスカートじゃないか」
「よくごらんなさい。股がズボンみたいになってるでしょう。これをキュロットというのよ」
「僕の目にはスカートにしか見えないよ……」
***
夕方、父がゴルフから帰ってきて、
「優勝したぞ、この商品を見ろ」
と意気揚々とリビングルームに入って来た。美咲と美幸ともう一人スカートをはいた子がテレビを見ているのに気付いて、
「お友達が来てたのか、いらっしゃい」
と僕たちに向かって言った。母が台所から
「ちょっと、あなた。大事な話があるから聞いてちょうだい」
と父に声をかけた。父は
「なんだ、大事な話って」
と言いながら台所に行ったが、しばらくして
「な、な、なにーっ!」
と素っ頓狂な声を上げた。
「あなた、落ち着いて」
という母の声が聞こえた。
「ごはんよ」
母の声を聞いて、僕たちはテレビのスイッチを切って食卓に座った。
手を洗い終えた父が食卓のいつもの席にドシリと座った。僕は父の顔を見るのが怖くて下を向いていた。
母がお茶碗にご飯をよそっていた。いつもなら父に真っ先に出すのに、今日はまず僕の目の前にお茶碗を置いてくれた。それは赤飯だった。全員のご飯が配られたのを見てから、父が「えへん」と咳払いした。
「今日は美瑠久に初経があったと聞いた。美瑠久が大人になった……いや、そのう、大人の女性になった目出度い日だ。家族一緒に心から祝おう。おめでとう、美瑠久」
僕が女性になったという事実を父が平然と受け入れたことに驚いた。僕は心から父に感謝した。
こうして僕は杉村家の次女になった。
第二章 成長する少女
月曜の朝、姉の美咲のお下がりのワンピースを着せられた。日曜の夜に「やっぱりキュロットよりこのワンピースの方が可愛いわ。明日はこれを着て学校に行きなさい」と母が言い出した。僕は泣いて抵抗した。
「人生には変化を受け入れて前に進む勇気が必要な時があるの。今がその時なのよ。頑張りなさい、男の子でしょう」
「もう男の子じゃないよ」
「ほら、自分でも認めた。女の子ならこの服で決まり。一件落着ね」
と幕を引かれてしまった。
朝食を食べた後で
「やっぱり嫌だ!」
と自分でワンピースを脱いで最後の抵抗を試みたが
「じゃあ、その毛糸のパンツ姿で学校に行けばいいわ」
と言われて玄関から追い出されそうになった。仕方なく
「ごめんなさい」
と言ってワンピースを着た。
僕の紺色のランドセルが見当たらなくなって、代わりに赤のランドセルが置いてあった。
「ランドセルの中身は全部移しておいてあげたわよ。お姉ちゃんのお古だけど三月までそれで我慢しなさい」
白のソックスにワンストラップの黒の革靴を履いた。玄関の姿見には赤いランドセルの女の子が映っている。髪型を見るとスポーツをしている女の子だと推測されるが、どう見ても小六女子らしい小六女子だ。「やーい、美瑠久が女子になったぞ! じょーし、じょーし、じょーし」と言って虐められるのが確実だ。
「行くわよ」
胸を張って歩く母の後ろに隠れるように歩いた。
「あら、美瑠久ちゃん、女の子の服を着てるの!」
近所のおばさんが僕を見て目を丸くした。
「美瑠久に月経があって、女だったことが分かったんです」
母がそう答えると、おばさんは
「そう、月経が。それはそれは、おめでとうございます」
と納得していた。
小学校の門を通ると、何十人もの友達や下級生から声がかかった。
「うわさで聞いたけど本当に女子だったんだなあ」
「美瑠久さん、超似合ってます! 女の子になっても素敵です」
「美瑠久ちゃん、今日から女子なのね。お友達になって」
「何を着てもカッコいいなあ、さすが美瑠久だわ」
やはり、僕が女の子だったというショッキングなニュースは試合の後半や試合後に全校生徒に伝わったようだ。母がそばにいたからかもしれないが、好意的な言葉しか聞こえなかった。こんなに大勢味方がいるのなら何とかやっていけそうだという気持ちになってきた。
職員室に入り、母が医師の所見について説明した。担任の先生は保健の先生やサッカー部の監督の先生から話を聞いて、事の仔細を把握しているようだった。
「外性器を含め女性として健康体との診断でした。膣洗浄も行い、CTで卵巣と子宮の状態も確認されましたが、更に染色体検査の結果を含む診断書が二週間後に出ます。その時点で戸籍の性別変更の手続きに入りますが、早速今日から女子として育てることにしました。学校でも美瑠久を普通の女子として扱ってください。但し、クリトリスが若干肥大していますから、段々小さくなって普通サイズになるまでは入浴など下半身が裸になる場合に配慮が必要ですのでよろしくお願いします」
担任の先生が
「お任せください」
と答えた。
「月経が終わったばかりだから、無理をせずに真っすぐ家に帰るのよ」
と僕に言って母は職員室から出て行った。
始業のメロディーが流れ、私は担任の先生の後ろにくっついて教室に行った。
「皆さん、杉村美瑠久さんについてお知らせがあります。なんて言わなくてもスカートをはいているのを見れば分かるわよね。杉村さんは土曜日のサッカーの試合中に短パンが血で真っ赤になり、病院で診察を受けた所、月経だったことが判明しました。最近特別授業で教わったばかりだから男子も分かると思うけど、女性の身体は尿の出る穴の少し上にクリトリスという、男性だとペニスにあたる突起物があります。杉村さんの場合はクリトリスが肥大したところに左右から外陰唇が癒着して外に押し出された状態で生まれたわけです。何らかの原因でクリトリスに穴が開いてそこから男子のように尿を出していたのよね。ところが、第二次性徴が始まって、初経になったことをきっかけに、外陰唇の癒着が剥がれて、月経血が出たというのが土曜日の出血事件でした。病院で癒着をすっかり剥がしてもらい、普通の健康な女性の性器になりました。肥大していたクリトリスは放っておけば普通の大きさに戻ります。月経が始まったということは、赤ちゃんを産むことができる大人の女性になったということです。
そこで皆さんにお願いがあります。杉村さんは男子として育ってきたのが、急に女子だったことが分かって、とても心細いんです。スカートをはいて登校するのが恥ずかしくて泣いて嫌がったのを、お母さんに言われてスカートで登校したそうです。そんな杉村さんを冷やかしたり、冗談を言ったりするのは絶対にダメ。今日からは普通の女子として接してください。いいですね」
先生の話を黙って聞いていた皆が「はい」と声を合わせた。
席は男女交互に並んでいる。僕の前後の席は女子、左右も女子のままで僕から見た光景は変わらないのだが、僕以外のクラスメートから見ると、「女子だらけ」のスポットになった。僕としては男子とは何となく話しづらかったので、女子に囲まれた環境の方がありがたかった。
休み時間には他のクラスのサッカー部員が僕を見にきた。僕に対して言うことは誰も同じだった。
「土曜日の決勝は美瑠久の分も俺たちが頑張る。応援に来てくれよな」
「僕も出たいのに残念だけど、応援してるよ」
と答えるしかなかった。
「美瑠久は女子なんだから僕と言うのは変だわ。言葉遣いも早く女子の言葉に変えなさい」
サッカー部の仲間が出て行った後で、隣の席の柏木佐奈から指摘された。佐奈は先週まで僕のことを杉村君と呼んでいたのに、いきなり美瑠久と呼び捨てにされたのでドキッとした。
自分が女だったと分かってから、頭の中では自分の事を「僕」ではなく「私」と考えるようにしようと努力していた。でも、友達との話で「私」と言うのは恥ずかしいので、つい「僕」と言ってしまう。
「生まれてからずっと僕と言ってきたのに、今日から急に私に変えるなんて無理だよ。もし佐奈が反対の立場だったら、そんなに簡単に変えられるか?」
「僕ならそのぐらいへっちゃらさ」
冗談で男言葉を使う佐奈を見て「キモッ!」と思った。スカートをはいた女子が「僕」と言って男言葉でしゃべるのは全然カッコよくないどころか気持ち悪いと分かった。今後は僕も女子らしいしゃべり方にした方がいいかなと思った。でも、実際にそうすることにはまだ抵抗があった。
「ねえ、美瑠久。決勝の応援は私たち五人と一緒に行こうね。私たちは美瑠久のファンだったからいつも五人で一緒に応援に行ってたのよ。美瑠久を入れて六人になるけど、代わりに誰を応援するか決めなきゃ」
昼休みに六人が集まって、誰の応援をするかを話し合った。僕は専門的な観点でサッカー部員の技能をどう評価すべきかについて発言したが、他の五人はそんなことには全く興味はなく、誰の顔が可愛いとか、どちらが背が高いとか、スタイルがいいという議論になり、結局隣のクラスのイケメンの梅沢大悟のファンクラブにしようということで決着した。僕も仕方なく賛成して、梅沢ファンにされてしまった。
佐奈は休み時間にはしょっちゅう話しかけてくるし、トイレも一緒に行こうと誘ってくれた。女子トイレに行くことは僕にとって最大の難関だと思っていたが、佐奈のお陰でトイレを我慢しなくてすんだ。
慣れとは恐ろしいもので、水曜日になると僕はひとりで平気で女子トイレに行けるようになり、体育の時間も女子と一緒に普通に着替えができるようになった。
「美瑠久、スポーツブラの下はどうなってるの? 見せて、見せて」
体育が終わった後、隣で着替えしていた佐奈がしつこく聞いてくる。
「見せるのは恥ずかしいよ。トンガリ帽子みたいに突き出てきたんだけど、擦れると痛いから保護のためにスポーツブラをしてるだけなんだ……」
「じゃあ私と同じだ。見せ合いっこしようよ。ねえ、お願い」
あまりに佐奈がしつこいので「ちょっとだけだよ」と言ったところ、佐奈は僕のスポーツブラを上にずらして「私と同じくらいだ」と言った。僕も佐奈のブラに手を伸ばした。すごい罪悪感がして、警察に見つかれば牢屋に入れられると思ったが、思い切ってブラを指でつかみ、そっと上にずらした。僕よりも佐奈の方が心持ち余計に突き出ていたが、他人のトンガリ帽子を見るのは初めてだった。「これじゃあ格好にならないや。早くお母さんみたいなちゃんとしたお乳にならなきゃ」と思った。
「早く大きくなりたいな、僕」
恥ずかしいので小さい声で佐奈に言った。
「僕と言っているうちは大きくならないわよ。早く女の子の言葉に直しなさい」
と言われた。
「そんなの恥ずかしいけど……」
しばらく考えてから決心して
「私、やってみるわ。もし私が男の子の言葉を使ったら注意してね、佐奈」
と答えると、佐奈が
「それでこそ私の親友よ」
と言った。親友と呼ばれてとても嬉しかった。
それから自然に自分のことを私と言えるようになり、女の子の言葉を平気でしゃべれるようになった。
その日、家に帰って
「お母さん、私、給食の時にスカートにシミをつけちゃったの。落ちるかしら」
と相談に行くと母が
「美瑠久、やっと女の子の言葉でしゃべる決心をしてくれたのね」
と褒められた。
「あら、私、気が付かなかったわ。いつも通り普通にしゃべってたつもりだったのよ」
と答えた。
六人で申し合わせて、土曜日は白のスカートと赤いシャツを着て応援に行くことになった。グラウンドの選手から見て一番目立つし、上半身が小さくスタイルがよく見えるのだそうだ。六人は校門に集合しグラウンドまで半時間の道を歩いて行った。選手たちに一番近い応援席に並んで「梅沢くーん、頑張って!」と声を合わせて応援した。梅沢が私たちに気付いて手を振ってくれたので、立ち上がって両手を上に伸ばし「キャーッ」と歓声を上げながらその場でピョンピョン跳ねたら、照れくさそうな笑顔を向けてくれた。
私は「キャーッ」と言ったことがなかったので、その時は「ギャー」と「ギー」の間のような声を出してしまった。後で佐奈に「美瑠久はキャーが言えないのね」と言われた。「教えてあげる。こう言うのよ」と言って「キャーッ」を実演してから、「さあ、美瑠久も言ってみて」と言わされた。「キャーッ」「キャーーー」何度も言い直して佐奈からオーケーを貰った。
試合が始まり、私たちは必死で梅沢の行方を追い続けた。梅沢がボールを持つたびに「梅沢くーん、シュート!」とか六人が叫び、普通にキックをするたびに「キャーッ」と声を合わせて叫んだ。敵のバックは強力でゴールに近づくとすぐに蹴りだされてしまう。私は途中まで「キャーッ、梅沢くーん」とイケメン梅沢に憧れる女子になり切っていたが、そのうちに自分ならあんな動きはしないのに、と腹が立ってきた。
「バカ野郎、どこ見てんだ」
「そこで引くか? チンチン付いてんのか!」
つい悪態を叫んでしまった。
「あんたたち、行儀が悪いわよ。女の子らしくしなさい」
数メートル離れた所からオバサンが来て、六人の端っこに座っていた山倉裕子に注意した。裕子は怒って私を睨みつけた。
「美瑠久、二度と下品なことを言ったら殴るわよ。間違えられて私が叱られたじゃない」
前半は双方無得点で終わった。私は裕子にどのオバサンから叱られたのかを教えてもらい、謝りに行った。
「さっき下品な野次を飛ばしたのは私です。申し訳ございませんでした」
「もしかしてあなた、元キャプテンの杉村美瑠久ちゃんじゃないの。まあ、可愛い。聞いたわよ、あなた女の子だったんだってね。さっきの野次は美瑠久ちゃんがそう思ったんだったら納得できるわ。でも、女の子がチンチンなんて言っちゃだめよ」
オバサンはすっかり納得して優しく言ってくれた。
後半が始まって、私は元エース・ストライカーのプライドを忘れ去り、再び「キャーッ、梅沢くーん」に専念した。後半は攻められがちで、相手にPKを与えてしまい、一点を先制されてしまった。それから猛攻したが決め手を欠き、結局一対ゼロで敗れてしまった。選手たちは力尽きてしゃがみこんだ。泣いている選手も居た。私たち六人も抱き合って泣いた。選手たちは監督に促されて応援席の前に並び「ありがとうございました」と一礼した。
佐奈が「梅沢くーん」と叫ぶと梅沢が手を振った。それを見て私たち六人は「キャーッ、梅沢くーん」と叫んだ。
梅沢と選手数人が私たちの方に歩いて来た。
「来るわよ、梅沢君たちが私たちの方に来るわよ!」
私たちは胸をときめかせ、胸の前で両手を組んだ。
「おい、美瑠久。どうしてお前までキャーキャー言ってんだよ」
「女子が梅沢ばかり応援するから、俺たちパワーが出なかったじゃないか」
「前の試合までは美瑠久コールしてた女子が、こぞって梅沢コールをしてたみたいだ」
「美瑠久のヤジはひどかったよな」
「そうだよ。女子になった美瑠久からチンチンついてるのかとか言われて、あれから梅沢の調子が狂ったみたいだ」
「でも皆カッコ良かったわよ。優勝できなかったのは残念だけど、私たち感動しちゃった」
私が言うと、他の五人も「そうそう」と声を合わせた。
「梅沢君、握手してください」
と佐奈が言うと「オイオイ、梅沢だけかよ」と周りが言いだし、結局選手たち全員と握手を交わした。梅沢の手は大きかった。そして身体もとても大きく、私の目は梅沢の唇の高さしかなかった。見上げると「美瑠久ってこんなに小さかったんだな」と言われた。男子たちの汗の臭いに胸がドキドキした。
「ねえ、一緒に写真を撮らせて」
祐子がスマホを出して、通りかかった父兄にお願いして集合写真を撮った。私はさっと梅沢の横に行き、梅沢は私の肩に手を回して写真に収まった。
「美瑠久が私たちのグループに入って良かったわね」
グラウンドからの帰り道、皆に言われた。
「でも美瑠久ったら、写真を撮るときに梅沢君に肩を抱いてもらってたんだから、ちゃっかりしてるわ。あの時だけは元エース・アタッカーのゴール前での身のこなしで、私の前をすり抜けて梅沢君にすり寄ってた」
「ずるい、ずるい」
皆に言われて私は顔が紅くなってしまった。
つい先週まで梅沢とはエースの座を争うライバルどうしだった。仲は良かったが、クラスも違うしサッカー以外では一緒に遊んでいたわけではないので、特に親しいということはなかった。とにかく同列・同等の仲間だったのが、ファンの一人として梅沢に接すると、見え方が全く違う。背が高くて、彫りの深い整った顔をしている。近くに来るとドキドキする。
「美瑠久は中学に入ったらサッカー部に入るんでしょう。男子のチームでエースだったんだから、女子チームなら一年からレギュラーにしてもらえるんじゃないかな。なでしこジャパンに召集されるようになるかもしれないわよ」
「私はサッカー部に入らないかもしれないわ。サッカーをすると足が太くなるしガニ股になるって、お姉ちゃんが言ってた。佐奈たちと一緒に梅沢君の応援をしている方が楽しいわ」
「未来のなでしこジャパンと、梅沢君のお嫁さんになるのとどちらがいいかという究極の選択になるわけか……」
佐奈が真面目な顔をして言った。「梅沢君のお嫁さん」という言葉がズシンと胸に響いた。
***
月曜日から、授業が終わるたびに佐奈とトイレに行った。トイレに行くには梅沢の居るクラスの前を通ることになる。私たちは曲がり角の所で待っていて梅沢が教室から出てくると、たまたま通りかかったようなフリをして、梅沢とすれ違う時に「こんにちわ」と挨拶したり、笑顔で見上げたりした。視線が合うと胸が熱くなって、次の休み時間まで幸せだった。梅沢とすれ違った後、廊下を曲がってから佐奈と両手を握り小躍りして、梅沢と視線が合ったことを喜び合った。
その結果、毎時間トイレに行く癖がついてしまった。廊下で待っていても梅沢がクラスから出てこないこともよくあった。三時間続けて出てこなかったことがあり、私たちはトイレに行きたいのに我慢して休み時間が終わるまで待って、そのままクラスに引き返したことがあった。その日は寒くてお尻が冷えてしまい、四時間目の途中で手を挙げてトイレに立たなければならなかった。男子が私の方を見て何かヒソヒソ言っていた。あの子たちの考えそうなことは分かっている。きっと、美瑠久は生理日だと噂しているのに違いない。
男子はいつも騒々しいし、動作が急で大げさなので苦手だ。いきなり大音量の奇声を上げたり、大声で叫んだりする。女子に近づきたがるくせに、そばに来ると大した意味のないことばかり言って面白くない。以前は自分もあんなにガサツで乱暴だったのかと思うと、自分に対してがっかりする。梅沢は違う。サッカーをする時はあんなに敏捷で大胆なのに普段は物静かで、廊下で会っても口数が少ない。身体は大きいのに傍に近づくと全体がふんわりと暖かい感じがする。世の中に男子は掃いて捨てるほど居るけれど、いつも近くに居たいと思える人はほんの一握りしかいないのだ。
***
冬が来て、そして春になった。もうすぐ卒業だ。私はごく普通の女の子になり、私も、そして多分同級生たちも、杉村美瑠久が以前は男子だったということを忘れかけていた。胸のトンガリ帽子は五センチほどの高さまで突き出た後で段々丸くなり、乳首も大きくなって大人の女性の胸になってきた。乳首は痛まなくなったが、もうブラなしでは生活できない。クリトリスは小指の先よりも小さくなって、自分でも気にならなくなった。毎月病院で経過を見てもらっているが女医さんの話だとクリトリスが私より大きい女性は沢山いるし、私のはもっと「小さく締まってくる」ので何の心配もいらないとのことだった。
私立を受験する人は少数派で、私たちの小学校は大半がすぐ近くにある中学に進学する。だから私たちは中学生になることには抵抗が無かった。隣の地区の小学校の生徒が加わって、友達が増えるという期待もあった。私の家からは中学の方が近いので少しだけ通学も楽になる。そして私たちにとって非常に大事なことは、制服になるということだった。小学校には制服は無いので、私たちにとって初めての制服だ。女子は膝丈の紺のプリーツスカート、丸衿の白いブラウスに紺の上着だ。雑誌やテレビを見ていると、チェックでプリーツの幅が広いスカートとブレザーの組み合わせの方が主流のようだ。母は私が中学の制服を着て見せた時に
「クラシックでおしとやかな感じがしていいんじゃない」
とコメントしていた。私もこの紺のスカートが大好きだった。姿見の前でポーズを取るとAラインの姿になるし、歩くと左右にユラユラと大きく揺れて大人になった気がするからだ。
黄瀬川沿いの桜が満開になり、あっという間に散って、私たちは中学生になった。
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