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女弁護士に嫁いだ男

【内容紹介】主人公の彼女は弁護士志望の可南子で、主人公が大学1年の時、彼女は法学部の3年生だった。大学祭で逆ナンされて付き合いが始ったが。可南子が2年続けて司法浪人となる一方、主人公は大手総合商社に就職する。可南子が司法試験に合格した時、翼は予想もしていなかった要求を突きつけられた。逆転夫婦系のTS小説。

第一章 可南子と僕の関係

 渋谷区で同性パートナーシップ条例が成立したのは二〇一五年の三月三十一日で、実際にパートナーシップ証明書の発行が開始されたのは十一月のことだった。当時、僕は大学四年生だったが、世の中の流れとしてそういうこともあり得るだろうという程度に受け止めていた。愛し合う男性と男性、あるいは女性と女性が、結婚に準じた社会的認知を得るのは人道的に望ましいことだが、僕の周囲にゲイやレズビアンの人は居なかったし、まして僕自身が男性といちゃいちゃするなどということは未来永劫あり得ないことだったので、身近なことだとは思えなかった。

 僕には可南子という年上の恋人が居た。まだ結婚については考えていなかったが、可南子以外の人と一緒になる自分は想像できなかった。可南子は同じ大学の法科大学院を出て司法浪人をしている女性だった。

 パートナーシップ条例のニュースが流れた数ヶ月後に僕は大学を卒業して大手商社に就職した。可南子は司法試験をひと月後に控えて受験の準備に没頭する毎日だったが、週末には僕のアパートに骨休めに来るのが常だった。

 四月のある日曜日に僕のアパートで一緒にテレビを見ていると、ドキュメンタリー番組で渋谷区の同性パートナーシップ条例に関する特集をやっていて、パートナーシップ証明書を取得して喜び合っている女性どうしのカップルが大写しになっていた。

 それは背の高い二十代の女性と、アラフォーに見える小柄な女性の年の差カップルだった。

「背の高い方が男役かなあ?」
と、僕は何気なく口に出した。

「男役ってどういう意味よ?」
 可南子が不機嫌そうな口ぶりになって僕に突っかかった。

「そりゃあ、リードする方が男役だろう」
 深く考えずに答えた僕は不用意な発言をしてしまったことを後悔する羽目になった。

「翼にはがっかりさせられるわ。男役だの女役だの、性別で役割を決めつけるなんて、まるで昭和時代ね。よく見なさい。小柄な女性の方は経験の豊かさが顔に滲み出ているし、背の高い方の女性が相手を敬っていることは表情や身のこなしを見れば一目瞭然よ」

「そう言われればそんな風に見えなくもないけど……」

「翼は人を見るときに一体どこを見ているの?」

 可南子は四月に入ってから機嫌の悪い日が多い。僕は四月一日にサラリーマンになったばかりだが、可南子は相変わらず親のすねかじりの身分だ。それまでは両方とも学生で、可南子の方が年上である分、態度が大きかったのだが、僕が社会人になって立場の差に微妙な変化が生じたことを、可南子は快く思っていないのかもしれない。

「そんなことで、よく会社勤めが出来るわね」
 可南子はしつこく突っかかって来た。

「そこまで突っ込まないでよ。単に背が高いからリードする方かと思っただけさ」

「じゃあ私と翼だと私の方が背が高いから、私がリードするのが当然なのね」
 可南子が僕の言葉尻を捉えて勝ち誇ったように言った。

「もう帰るわ。こんなところでいつまでも時間を無駄にしたくないから」
 突然、可南子は不愛想に立ち上がり自分のアパートへと帰って行った。

 可南子が僕より背が高いというのは事実だ。元々僕は背の高い女性が好きで、可南子を好きになったのは三年半前に大学祭の模擬店でバリスタをしていた可南子を見た時だった。声を掛けて来たのは可南子の方で、僕のコーヒーが残り少なくなった時に「よかったらもう少しいかが」と言って注ぎ足してくれた。コーヒーを飲み終えて模擬店を出るときに「ありがとう」と言うために可南子に近づいた時、僕は可南子が見上げるほど背が高いことに気がついた。「法学部三年生の三浦可南子よ」と自己紹介されたので僕は「文学部一年生の森谷翼です」と返した。

 大学祭の翌週に学食で昼食を食べていた時に可南子が僕の前の席に座って言葉を交わした。それから僕たちは付き合うようになった。その時に見た可南子は僕より少し背が高いだけだったのでほっとした。その時、僕は靴底が八センチのシークレットシューズを履いていた。

「模擬店の時には背を高く見せようとして十センチ以上のサンダルを履いていたのよ。
 僕が身長差を気にしているのに気づいた可南子が言った。

「私は百七十三センチよ。翼は何センチ?」

 僕にとってコンプレックスである身長のことを聞かれてドギマギしているのを見た可南子が「あててみようか? 百五十九センチでしょう」と言った。「もっと高いよ、百六十二点七センチだよ」と周囲に聞かれないように小声で抗議した。

「はまったわね。小柄な男の子の身長を知りたい場合には、低めに言うと、正確な数字をしゃべるのよ」
と言って可南子が笑った。

「可南子さんは自分より十センチも背が低い男性でも良いの?」
 僕は勇気を振り絞って質問した。恋をしてしまった後で実は本気ではなかったと言われたら最悪だからだ。

「私は美しい子が好きなの。身長は自分と同じぐらいがベストだけど、低くても気にならないわ。翼は今まで付き合った男の子のなかで断トツに小さいけど、断トツに美しいから身長は全く気にならない」

「かわいい」とは何度か言われたことがあるが、美しいと言われたのは初めてだった。しかも、断トツに美しいと言われて、顔が真っ赤になった。

「翼が背の高い女性を好きなことは分かっていたわ。だって、コーヒー店でも学食でも背の高い女性が通るたびにチラチラと見てたから」
 僕はコメントを避けて微笑んでいた。

 付き合い始めて何ヶ月か後に分かったのだが、可南子は大学入学前に二浪しており、二学年上だから、実は四年も年上だった。正確に言えば可南子が四月生まれで僕は三月生まれなので、五歳も年上になる。可南子は東大を二回受験して失敗し、三年目にランクを落として僕たちの大学に入ったとのことだった。

 付き合い始めて二年後、僕が三年生で可南子が法科大学院の一年目だった年のことだった。可南子が僕のアパートに来ていた時に福島の母が予告なしに立ち寄った。同窓会で上京したついでにぶらりと寄った、と母は言っていた。その日、可南子はざっくりとした男物のセーターにジーンズ姿でボーイッシュな恰好をしていた。

 可南子が帰った後で母に言われた。
「翼、どうして五歳も年上の男みたいな人と付き合わなきゃならないの? まるで大人と子供じゃない。あんた騙されているのよ」

 その時、僕は腹が立って母を早々に追い返した。それから僕は実家との接触を避けるようになった。

 可南子と僕はお互いに好き合っていたのでたまに喧嘩はしても交際は続いた。

 僕は今年の四月に大手商社の新入社員になったが、可南子は五月の司法試験を前に猛勉強する毎日だった。可南子は最近イライラしていることが多い。東大一本で受験して二回落ちたということから推測すると本番に弱いタイプなのかもしれない。落ちてもいいから、早く司法試験が終わって、元の可南子に戻って欲しいと願った。

 五月の連休は福島の実家で過ごした。折角の休みなので可南子と旅行でもしたいところだったが、司法試験を二週間後に控えた可南子にとってはそれどころではなかった。四月の下旬からは勉強の邪魔にならないよう電話やメールも避けていた。

「まだあの年上の人と付き合ってるの? 商社なら周りに綺麗な若いお嬢さんが沢山いるでしょう。何が悲しくて二十七歳の女につながれてるのよ。背が高いのは良いけど、程度問題でしょう。十センチ以上違うんでしょう? あの人の横に立つと翼はチビの女の子みたいに見えたわよ」
 二年近く前に一度会っただけなのに可南子の印象は余程悪かったようだ。

「お母さんにはがっかりさせられるよ。男女の身体や役割を固定的に考えてる。まるで石器時代だ」
 それは可南子からの受け売りだった。

「少なくとも愛想の良い人には見えなかったわ。いつも優しくしてくれる女性と結婚する方が幸せな人生を送れるわよ」

 可南子の愛想の良し悪しについて深く考えたことは無かった。今は司法試験のせいで愛想は悪いが、そうでなければ普通だと思った。

「とても立派な女性だよ。それに、もし司法試験に受かったら弁護士になるんだよ。すごいと思わない?」

「もし受かったらだけど、司法試験って簡単に受かるものじゃないわよ」

 僕が誰と結婚するかについてどうして母にそこまで介入されなければならないのか、憤懣やるかたなかった。冷静になって考えると、五歳年上で十センチ以上背の高い弁護士の横に僕が寄り添っている姿は確かにサマになるとは言えない。でも常識にとらわれるより、自分が本当に好きな人と結ばれることの方が重要だ。

 連休が終わって司法試験の週が来た。試験は水、木、土、日の四日間の長丁場だ。僕は試験の前々日の夜に「いつも心から応援してるよ」という十二文字だけの短いメールを送った。

 試験が終わった日曜日の夕方、僕は可南子に電話すべきかどうか迷っていた。もし試験の出来が悪くて落ち込んでいるなら、しばらくそっとしておいてあげるのが良いと思った。気持ちが落ち着いたら可南子の方から声を掛けてくるだろう。

 コンビニに弁当を買いに行ってアパートに帰ると、ドアの前に可南子が晴れ晴れとした顔で立っていた。

「翼、会いたかったわ」
 可南子は僕を抱きしめ、僕も抱き返した。三月の頃の可南子に戻っていた。アパートの部屋に入り冷蔵庫から缶ビールを出して乾杯した。

「翼のメールのお陰で力を出せたのよ。あれは最高のメールだった。私、試験になると気合が入りすぎて実力が出せなくなるタイプなの。もし東大の受験の時に翼と付き合ってたら現役合格していたのに。司法試験は九十九合格したと思うわ」

「そんなに楽観視して万一落ちていたらショックが大きいよ。合格発表は九月だろう。落ちた時の為に勉強を続けた方がいいんじゃない?」

「四ヶ月も鬱々とするのは真っ平ごめんだわ。合格することを前提にしてバイトしたり、今まで出来なかった色んな活動をするつもりよ。それに、司法修習が終わるまでの出費に備えたいから、今月中にアパートを引き払って翼のアパートに引っ越そうかな。それとも翼が私の所に引っ越す?」

「ど、同棲するってこと?」

「そうよ。翼も人生のパートナーの私が借金を抱えるのは嫌でしょう?」

 僕は今プロポーズされたのだろうか? 鼓動が高まりこめかみが脈打つのが分かった。顎がガクガクと震えた。僕は座ったまま可南子に抱き付いた。

 話し合った結果、僕が今のアパートを引き払って可南子の所に引っ越すことになった。可南子のアパートの方が広いし、家具や電気製品も高級で、衣類や書籍など圧倒的に可南子の方が多いからだ。僕は家財道具一切がスーツケース一つと段ボール箱一個に収まるほど身軽だった。家賃と食費として月額十万円を僕が可南子に払うことになった。

 引っ越した後で可南子とケンカした時、僕の判断が軽率だったことが分かった。僕は十万円払っているものの、可南子の家に泊めてもらってご飯を食べさせてもらっているという情けない立場であることに気づいた。「出て行きなさい」と言われると、出て行かなければならないのは僕の方だったが、他に行くところが無いから「ごめんなさい」と言うしかない。

 しばらくして僕の引っ越し先が可南子のアパートだったことを電話で母に告げる羽目になった時、電話の向こうから母の泣き声が聞こえた。息子を五歳も年上の女に奪われたことが余程悔しかったのだろう。これで母が突然やってくる恐れは無くなったが、少し親不孝なことをしてしまったと思った。

 僕は毎日七時半に家を出て、会社の近くの喫茶店で日経新聞を読んでから八時四十五分ごろに出社する。始業は九時十五分だが商社というものは二十四時間稼働している。毎日夕方になるとヨーロッパで朝の仕事が始まり、日本時間の夜にはニューヨークの朝が始まる。毎朝出社すると、前日の夕方に帰宅してから半日の間に全世界の事業所から山のようにメールが入っていて、それを一つ一つこなすのが商社マンの日課だ。新入社員の僕でさえ結構な数のメールに対応をする必要があった。

 可南子が家を出るのは僕を送り出して家事をしてからだ。飲食関係からイベント・コンパニオンに到るまで可南子はあらゆる種類のバイトを探してきた。色々な職業を経験することが弁護士の仕事にもプラスになるというのが可南子の考え方で、給料は度外視して、片っ端から多くの種類のバイトを手掛けていた。

 毎日僕より早く帰宅して夕食を作ってくれる。夕食を食べながらその日にあったことについて話す可南子の顔は生き生きとしていて可愛かった。まだ同棲の段階だが、奥さんを持つことの素晴らしさを実感した。もし母がこんな可南子の様子を見れば年齢や身長のことは忘れて祝福してくれるのに、と思った。

 可南子が「ヴィヴLGBT」という名前のNPOに出入りするようになったのは八月に入ってからだった。それは名前の通りセクシュアル・マイノリティーを支援するNPOだった。バイト先で知り合った女性に連れて行かれたのがきっかけで、弁護士の卵である可南子は法律的な問題の相談を受けるようになったそうだ。相談内容の大半は労働契約に関連する問題で、セクシュアル・マイノリティ―であることを理由に会社から不当な扱いを受けた人たちから寄せられる相談についてのアドバイスが中心とのことだった。

 可南子がどうしてLGBTに興味を持ったのか僕には分からなかった。可南子の性的対象が男性であることは間違いない。大学時代、身長が高くボーイッシュな雰囲気の可南子に憧れる下級生の女性は大勢いた。僕が一緒でもお構いなしに可南子に近寄ってくるし、バレンタインデーの日は羨ましいほどの数のチョコレートを抱えていた。可南子はそうなることを予測していて、必ず朝一番に僕にチョコレートをくれた。そうしなければ沢山もらったチョコレートの一つをおすそ分けされたと思って僕がいじけることを心配したからだ。

 可南子は僕を好きな理由が美しいからということを何度か言っていた。美しいのが好きなら若くてきれいな女性が好きなのかもしれないが、僕が可南子と出会ってから、可南子が女性と普通以上に仲良くしている様子は全く無かった。可南子がレズビアンのバイセクシュアルである可能性を百は否定できないが、ノーマルである可能性が高いと思った。

 ある日、可南子の帰りが遅かった。僕が帰宅した時にはまだ帰っておらず、メールも入っていないので心配になったが、僕がレトルトカレーとシーチキンサラダの夕食を作り終えた時に可南子が帰宅した。いつもの陽気さが消えて、司法試験前の頃の殺気だった雰囲気が漂っていた。

「可南子、何かあったの? 顔色が悪いよ」

「くそっ、あのババア、許せないわ」

「どのババアなの、まさか僕の母さんのことじゃないだろうね」

「つまらない冗談は止めてよ。最近NPOに来始めたアラフォーの弁護士のことよ。失礼極まりないババアなんだから」

「司法試験に合格したことが分かったら敬意を示してくれるかもしれないよ。合格発表はもうすぐじゃないか」

「それだけじゃないのよ。そのババアが面と向かって私を偽善者だと言ったのよ。所詮ノーマルな人間がセクシュアル・マイノリティ―を憐れんでいるに過ぎないって」

「ということは、その弁護士自身がLGBTのどれかに該当するの? まさか元男性じゃないだろうね」

「翼、私今ジョークを聞く気分じゃないのよ。ババアは若い女と一緒に住んでるらしいわ。百五十センチあるかないかの太った醜いババアよ。私がその気になれば一緒に住みたい若い女の子はすぐにでも見つかるのに」

「可南子、バカなこと言わないでよ。その弁護士に対抗するために可南子がレズに走ることはないだろう」

「そりゃそうね。私は女の子は嫌いじゃないけど、翼の方が百倍好きだもの。そうだ、翼を今度NPOに連れて行ってあのババアに見せてギャフンと言わせてやろうかな」

 可南子が僕のことをそこまで良い物だと思っていることを知って嬉しかったが、いつもの可南子とは言動が違うしこだわり過ぎているのを不安に感じた。気に入らない女性弁護士が入って来たのなら、そのNPOからは遠ざかって別の形のLGBT支援活動をすれば良いのにと思った。

 九月の合格発表は知らないうちに終わっていた。僕はネットで調べて司法試験の合格発表は九月末だと思いこんでいたのだが、ある日可南子が夕食時に「先日、言うの忘れてたけど、予定通り合格してたわ。当然だけどね」と照れ隠しの笑いをしながら言った。

「どうしてすぐに教えてくれなかったの? でも、おめでとう。これで可南子は弁護士なんだね。可南子は僕の誇りだよ」
 可南子らしくない恥ずかしそうな表情が印象的で、とても可愛いと思った。

「これからが大変なのよ。もうすぐ修習生採用の出願をするんだけど、十二月の導入修習の準備が半端じゃないのよ。来月には教材や事前課題が山のように届くそうだから、大学受験生並みに忙しくなるわ。来年は実務修習や集合修習もあるし十一月の考試が終わるまでは大変なのよ。無給なのにバイトも禁止でブラック企業並みにこき使われるんだから割に合わないわよね。翼にはこれから十五ヶ月間も迷惑をかけることになるわ。よろしくね」

「そんなことは気にしないで。可南子のためなら僕が出来ることは何でもするから、可南子は司法修習に励めばいいよ」

 可南子が司法試験に合格した喜びがジワジワと湧き上がってきた。僕は可南子が風呂に入ったのを見計らって、母に電話した。

「母さんは興味ないかもしれないけど一応ニュースとして流しておくよ。司法試験の発表があって、可南子は合格してたんだ」

 母は「へえーっ」と言ってしばらく沈黙した後、「遠縁に医者はいるけれど、弁護士さんはいないよ。森谷家の誇りだわ」と呟いた。

 今まで可南子を目のかたきにしてけなし放題だった母の態度が豹変したことに驚いた。

「そのことなんだけど、可南子は一人っ子なんだ。だからお嫁に来てもらうのは無理だと思う」
 僕は姉二人と妹一人がいるが長男なので、その点は両親に言いづらかった。

「お姉ちゃんが継いでくれるから気にしないでいいよ。翼、可南子さんにわがままをいったりしてないだろうね? お前はだらしないんだから、粗相の無いように気を付けるんだよ。五歳も上の方なんだから言葉遣いも失礼の無いようにしなさいね。私もまた可南子さんにお目にかかってご挨拶しなきゃねえ」

 多分、母は法科大学院制度のことを知らないから、弁護士試験に合格する確率が極めて低いと思い込んでいたのだろう。それにしても弁護士の身内になることが母にとってそれほど価値があるとは思ってもみなかった。まるで僕にノシを付けて可南子に差し出すかのような言い方だった。

「誰からの電話だったの?」
 風呂から上がった可南子に聞かれた。

「ごめんなさい。つい、うれしくて母さんに電話しちゃった」

「さっき翼のお母さんのことをババアとか言ってたわよね。変なことを言わないでね。翼のお母さんが私のことを良く思ってらっしゃらないのは知ってるけど、私の方からは全く悪意はないんだから」

「弁護士試験に受かったと聞いたら母さんの態度が百八十度変わっちゃってさ」
 僕はうかつにも母が言っていたことを一言一句可南子に話してしまった。可南子はニコニコして僕の話を聞いていたが、突然真剣な表情になって「ゴメン」と僕に言った。

「お母さんが私にそこまで敬意を示して下さるなんて……。私、責任を感じる。婚約もせずに来年十一月まで黙って支援しろなんて私の考えが甘すぎたわ。翼のご両親に対して道理が立たないわよね」

「僕、そんなつもりで言ったんじゃないよ。可南子と一緒にいて手伝えることが僕の幸せなんだから」

「ありがとう、翼。でも、三浦家に入ってもらうことになるからには翼を両親にちゃんと紹介しなきゃ。親には翼のことを何度も話してあるけど、実際に見てこんな綺麗な子のDNAが三浦家に混じると知ったら驚くわよ。それにお母さんのお言葉のような感じなら三浦家としては思い通りに事が運べるから両親はほっとすると思うわ」

 綺麗と言われるのが一番弱い。可南子のお世辞を聞いて自分の顔が真っ赤になるのが分かった。

「やっぱり養子になるしかないのか……」

「翼は長男だから、もしご両親がどうしてもと言われれば三浦の苗字は継がなくて良いと父から言われてたのよ。お母さんがそんな風に仰ったのなら全然問題ないわね」

 僕が母から聞いたことをそのまましゃべったのは大きなミスだった。自分のミスのお陰で僕は森谷翼から三浦翼に変わってしまう……。

 男なのに苗字が変わるのは恥ずかしい。高校の同級生で早く結婚した女子は同窓会名簿に結婚後の姓の横に括弧書きで旧姓が書いてある。僕は「三浦翼(旧姓:森谷)」と書かれることになる。翼は女子にも使う名前だから、女子と間違えられるかもしれない。

 嫌だな、と思ったが、どちらかが苗字を変えなければならないのだから、やはり仕方ないだろう。


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