女流作家田吾作(TS小説の表紙画像)

女流作家田吾作
 今日から女の子になりなさい

【内容紹介】男性が女性の名前で小説を出版した結果、女性として生きる羽目になるTS小説。森村田吾作は子供の時から自分の名前が嫌いだった。大学では演劇部に所属して台本を書く傍ら、趣味で小説を書いていた。面白い小説が書けたので文芸賞に応募したが、その際に沙織という主人公の名前をペンネームにして応募した。入賞を知らされた際にそれが女流文学賞であることを知る。出版社から性別詐称で訴えると言われ、やむなく田吾作は女装をして授賞式に出席することになった。次から次へと田吾作に降りかかる災難。最終章まで息をつかせない長編小説。

第一章 田吾作

 田吾作たごさくという自分の名前は子供の時から大嫌いだった。

 姉の紗世さよと妹の沙耶さやが美しい名前で呼ばれて誇らしげにしているのを横目に「タゴサク、ごはんよ」とか「タゴサク、お風呂に入りなさい」と言われると、返事をしたくなかった。幼稚園まではさほど気にしていなかったが、小学校に上がると、先生を始めとした大人達が僕の名前を見ると「ほう、タゴサクというのか」と笑いを押し殺した感嘆の意を示すことに気づいた。「名前の割には都会的な顔をしているな」とか、「名前に似合わない外見だな」と言われたことは五回や十回ではない。

 同級生が僕をタゴサクと呼ぶ時に悪意が込められている場合があるということに気づいたのも小学校一年の頃だった。多分、同級生は田吾作という名前に田舎ものや農民を卑しめる響きがあることを親から教わったのだろう。

 それにしても何故僕の両親が息子を田吾作と命名したのか理解に苦しむ。息子を苦しめようという意図があるはずはなく、見かけや体裁を気にしない純朴な男性に育って欲しいという願いを込めて命名したのだと教えられて両親なりの気持ちがあったことを知ったのは中学に上がった頃だった。

 名前とは裏腹に、僕は姉や妹に負けないぐらい可愛いと言われて育ってきた。二歳上の姉と一歳下の妹は、元バスケットボールの選手だった長身の母に似ていたが、僕は小柄で細身の父にそっくりだった。僕は中一までの身長は男子の平均ぐらいだったが、妹はクラスで一番背が高く、僕が中一の時に、小六の妹は僕より十センチも大きかった。僕は中三で何とか百六十二センチになったが、そこで身長の伸びが止まり大学に入っても百六十三センチしかなく、父と同じ身長だった。母と妹は軽く百七十センチ以上あり、姉は百六十五センチだった。我が家では腕力も知力も女性が上だった。

 小学校高学年の頃から僕は友人に苗字で「森村君」と呼ぶよう強い態度で要求し、仲の良い友人はその通りにしてくれた。困るのは女子達で、誰かが口にした「可愛い名前だわ、子犬みたい」というコメントを真に受けて、僕のことを好意で「タゴサク」と呼び捨てにするようになった。その結果、女子全員と、僕と親しくない男子が僕を「タゴサク」と呼び、親しい男子が苗字で呼ぶ状況になった。そのうちに親しい仲間もタゴサク、タゴサクと呼ぶようになり、結局僕はタゴサクになった。

 大学に上がって演劇部に入り、脚本を書く真似事をしているうちに、小説を書くようになった。友人にも誰にも内緒で、ラブロマンスやSFファンタジーを書いた。初めのうちは数千文字のショートショートを書いて「自分は小説を書いた」と喜んでいたが、そのうちに段々長い文章が苦労なく書けるようになった。ひとつのシーンやエピソードが頭に浮かんで書き始めると、結構面白い一万文字程度の長さの文章が書けた。書いているうちに、その次の展開のアイデアが頭に浮かび、書き上げてみると、一万文字程度の文章がもう一つできあがる。それを繰り返すと十万文字の小説は二週間もあれば書けるようになった。

 そのうちに、一万文字程度を「章」として、二、三章書いた時点で全体の荒筋を構想するようになり、章ごとの荒筋を書くと、長編小説がすらすら書けることに気づいた。

 震災直後に上京し大学に入学して演劇部に入った福島出身の沙織が、震災で失った彼氏のことを想いながら演劇に取り組み前進するという内容の小説を書いたのは大学二年の時だった。自分で読んでも面白いなと思う長編に仕上がり、悦に入っていた時に、数日後が「なでしこ賞」という文芸賞の締め切り日だと知った。「月に吠える女」という題を付けて、あたふたと応募した。

 それまで、僕は単に小説を書いても、ごく親しい友人に読ませるだけで、賞に応募したり外部に出したことはなかったので、特に作者名を書くことはなかった。なでしこ賞に応募するにあたって森村田吾作という本名を書く気持にはなれず、ペンネームを何にしようかと考えたが、主人公の女子学生の名前が沙織なので、そのまま流用して森村沙織というペンネームで応募した。姉の紗世、妹の沙耶という名前が子供の時から羨ましかったこともあり、主人公の名前を沙織にした。前期の試験が近づいていたので、なでしこ賞に応募した後ですっかり忘れていた。

第二章 窮屈な受賞者

 金曜日が前期試験の最終日で、最後の試験が終わったらみんなで飲み屋に集合してワイワイやろうということになっていた。午後二時半に飲み屋に集まり帰宅したのは午後十時だった。

 居間では父が一人で座っていた。父は僕を見るや声を掛けた。
「田吾作、お前、なでしこ賞に応募したのか」

「あっ、そうそう、少し前に小説を送っておいたんだけど」

「やはりそうか。実は、今夜出版社の人がここに来ていたんだ。一時間ほど前に帰ったばかりだ」

「もしかして、入選の知らせだったの?」

「メールを送ったのに返事がないから来たそうだ。森村沙織さんに会いたいと言われて困ったよ」

「森村沙織用に新しいメールアドレスを作ったんだけど、そのアドレスのメールを見るのを忘れてた。それでお父さんは、森村沙織の本名が田吾作だと出版社の人に言ったの?」

「そうはいかなかったんだ。それにしても田吾作、いきなり大賞を取るなんて凄いな。受賞者は今週の土曜日の授賞式に出なきゃならないそうだ。テレビ局も来る大がかりな授賞式らしい。もし大賞の受賞者が出席できなければ大変な損害になると言われたぞ」

「うれしいな。大賞を取れておまけにテレビに出られるなんて夢みたいだ」

「お前何を言ってるんだ。なでしこ賞はいくつかの女流文学賞が統合されてできた権威ある文芸賞だぞ。男性が女流作家と偽って応募したらまずいだろう!」

「女性限定なんて書いてなかったと思うけど……」

「お前、女子サッカーのなでしこジャパンを知らないのか?」

「なでしこジャパンを知らない日本人は居ないよ。王貞治とイチローに続く日本の英雄じゃないか」

「なでしこと言えば女性に決まってるだろう。応募規定を読めば必ず書いてあるはずだ。とにかく出版社の担当の人が、もし性別を偽ってなでしこ賞に応募して大賞を取ったのなら今年のなでしこ賞全体がぶち壊しになるから訴訟になると息巻いていた」

「ぼ、僕は訴えられるの?」

「いや、途中まで話を聞いていて、これはヤバイと思ったものだから、森村沙織が誰なのかは曖昧にしておいたんだ。今日来た出版社の担当者は、森村沙織の正体はワシではないかと疑っているようだった。大賞の取り消しの可能性を含めて上司と相談すると言って帰ったが、その場合は性別詐称によって被った被害を損害賠償請求することになるだろうと脅された」

「どうしよう。僕、性別詐称で訴えられたりしたら就職もできなくなるよ。沙世ねえちゃんか沙耶が書いたことにできないかな」

「沙世か沙也だと授賞式でインタビューされると、自分で書いたのではないことがバレるだろうな。あいつらは母さんに似て頭の中が完全に理科系だから小説家のフリをさせるのは無理だよ。ワシかお前が出なければ無理だ」

「頼む、父さん。女装して出てくれ。父さんは小説家になりたかったんだろう? この際、女流小説家でもいいじゃないか」

「バカ言うな。そんなことをしたら会社に行けなくなる。お前たちの学費も払えなくなるんだぞ。お前がしたことなんだから、責任を取って自分で女装しろ」

 父と僕が大きな声で女装を押し付け合っているのを聞いて、母と沙世と沙耶が居間に集まってきた。母は出版社の人が来たときにお茶を出したので大体の状況は理解しているようだった。父が三人に事情を説明したところ、沙世と沙耶は詐称問題よりも僕の小説が大賞を取ったことに驚いて大喜びしてくれた。

「お父さんがはっきり言わないから出版社の人が怒ったのよ。もう一度会って正直に全部話したら相談に乗ってくれると思うわ。田吾作にとっては凄い名誉だしチャンスなんだから。大賞を取ったら小説が何十万部も売れるんじゃないかな。十万部売れて、一冊百円の印税が入ったら、ええと十かける百に万をつけると……。ま、まさか! 一千万円よ。五十万部売れると五千万円。どんどん小説を書けば億の金額になるかもしれない。凄いわ、田吾作。これからは田吾作が森村家の大黒柱よ」

 沙世に大げさに褒められて悪い気はしなかったが、これからは僕が大黒柱という言葉を聞いて、父ががっくり肩を落としているのが目に入ったので、視線で沙世に注意を促した。

「印税が入ったら家のローンを返せるわ。田吾作、頼りにしてるわよ」
と母に言われて、大賞を取ったことの重みをヒシヒシと感じた。

「お兄ちゃん、昔から田吾作って名前が好きじゃなかったよね。この際、名前を沙織に変えてしまえばいいじゃない。お兄ちゃんは可愛い系のチビだし女装すれば女で通るから授賞式に出ればいいのよ。それに、そんなに儲かるんなら就職する必要も無いわ。これからは沙世・沙織・沙耶の三姉妹として仲良くやっていこうよ」
と沙耶が言った。

「つまらない冗談を言ってると印税が入っても何も買ってやらないぞ」
と脅しておいた。

 よく考えてみると、とにかく僕がなでしこ大賞を取ったということは凄いことなのだという喜びが膨らんできて、それ以外のことは何とかなるような気がしてきた。明日にでも父が出版社に電話してアポを取り、父と僕が出版社を訪問して率直な話し合いをしようということになった。

 みんなから受賞作を読ませてくれとせっつかれた。沙織という名前の女性の第一人称で書いた小説なので家族に読まれるのは少し恥ずかしかったが「月に吠える女」のファイルの入ったメモリースティックを渡して各々のスマホやPCにコピーしてもらった。

 土曜日の朝、布団の中でぐずぐずしていると母が起こしに来た。
「田吾作、早く着替えて下りて来なさい。今、出版社の方が見えたのよ」
 僕は急いで顔を洗い、ティーシャツと短パンで居間に行った。

 昨夜来た出版社の担当者の山本さんとその上司の杉村という課長が一緒に来訪していた。父と僕が対応すればよいのだが、何故か沙世と沙耶も部屋の隅の座布団に座っていた。

「上から沙世、田吾作、沙耶です」
と父が一人一人を指さして紹介した。

「ほう、田吾作さんですか。珍しいお名前ですね」
と課長が笑うのを我慢しながら社交辞令を言った。課長は咳払いをしてからネクタイを締め直し、真剣な表情で父の方を向いて話し始めた。

「昨夜、担当の山本から、なでしこ賞の大賞に選ばれた森村沙織さんは実は五十代の男性のようだ、と報告を受けて仰天しました。来週の土曜日の授賞式のセッティングは完了しており、選考委員の有名な先生方の書評が書かれた印刷物も完成しています。現時点で受賞者を変更するのは不可能です。仮に受賞を辞退されても当社は大損を被ることになり、信用を失います。辞退の理由が、性別詐称だということになれば、当社としては損害賠償を請求せざるを得なくなります。そこで、編集長とも協議した結果、森村沙織さんがまだ戸籍上女性じゃなくてもなでしこ大賞の権利はあるんじゃないか、ということになりました。すなわち、受賞者が性同一性障害でご自身を女性と認識し性別の変更途上にあるなら現時点での戸籍上の性別には目をつむろうという考え方です」
 課長が一気にしゃべった。

「つまり、女装をして授賞式に出ればよろしいんですね」
と父が念を押した。

「そういうことになります。授賞式と祝賀会、それにテレビ・新聞・雑誌の合同インタビューが当日実施されます。衣装や特殊メイクは当社で手配しますので、とにかく当日は女性として対応してください。報道陣から男性ではないのかとの質問が入る可能性が大ですが、それに対しては当社から『性同一性障害で性別の変更途上にある作家は、まだ戸籍上の性別変更が完了していなくても女性と見なす』とのコメントをします。その際には森村沙織さんの性別について特定することは避けます」

「授賞式の日さえ凌げば大丈夫なんでしょうね?」
 父が質問した。

「その後の取材要求については当社が窓口になり、極力文書やメールのみで対応します。勿論、性同一性障害でないことが発覚した場合に問題が起きたら森村沙織さんご自身の責任となります。万一そうなれば当社も性別詐称の被害者の立場で対応することになりますから、その点はご了承ください」
と課長が答えた。

 父は暫く沈思黙考してから僕の方を向いて言った。
「課長さんが持ってこられた案には誠意が感じられるし、出版社として譲れる限界だと思うな。森村沙織として何も手を打たずに賞を辞退して訴訟を受けるのでは脳がなさ過ぎる。授賞式の日は精一杯演技をして、ご迷惑をおかけしないように頑張るのが筋だ」

「森村さん、ご理解頂きありがとうございます。森村さんは小顔ですし、プロのメイク技術は素晴らしいですから、その体格だと女性に見せることが可能です。あと一週間ありますので、ボイストレーニングで女声の出し方を訓練すれば、きっと大丈夫ですよ。森村さん、ご一緒に頑張りましょう」
と課長が父の両手を取った。

「田吾作、試験が終わったばかりだから当分暇だろう。頑張ってくれよ」
と父が言うのを聞いて、課長と山本が飛び上がって僕を見た。

「もしかして、森村沙織さんの正体は息子さんの方なんですか?」

「なでしこ賞が女性作家限定とは知らずに、気軽に女性のペンネームで応募してしまってご迷惑をおかけしてしまいました。すみませんでした」
 僕は告白して素直に謝った。

「沙織さんはおいくつですか?」

「十九歳です。来年の三月に二十歳になります」

「身長体重とスリーサイズは?」

「百六十三センチ四十八キロですが、スリーサイズって何ですか?」

「いや、今日の所は結構です。良かったな、山本! これで救われたな」
 課長が担当の山本の手を握り二人で喜び合っていた。

「半分肩の荷が下りました。この沙織さんなら楽勝です。特殊メイクも不要ですね」
と山本が言った。

「それでは沙織さん、月曜日の十時に当社までお越し頂けますか。採寸、衣装合わせの後で近くのスタジオにご同行頂いてボイトレを開始しましょう」

「承知しました」
と父が勝手に僕に代わって即答した。

「でも課長、この方なら隠蔽工作を省略できるんじゃないでしょうか?」
 山本が課長の耳元でボソボソ囁き、二人で暫く何かを議論していた。

「そうだな、それで行こう」
と課長が山本に言った。

「沙織さんについて無駄な隠蔽工作をすると却って疑惑を招きますから、月曜日は女性の服装でご来社ください。山本に指摘されたのですが、それが沙織さんご自身にとっても後々最もリスクが小さい方法と思いますので、どうぞよろしくお願いします」

「ちょっと待ってください。月曜日に女装して東京に来いと言うことですか? それは無理です。勘弁してください」

「男性として来社されて、うちの社員に見られた上で女装して一日一緒に行動する方が、沙織さんにとっては却ってお辛いかも知れませんよ。スカートでご来社になれば、社員の殆どは、その女性が単に今年のなでしこ賞の森村沙織先生だと自然に認識するだけです。沙織さんが性同一性障害の作家であって戸籍上は男性だと知っているのはごく一部の関係者だけに限定できるわけです」

「その一部の関係者の中でも、性同一性障害というのが嘘であることを知っている人は更に人数が限定されると言うわけですか……」

「沙織さん、もう一度申し上げますが、私と山本も、性同一性障害というのが嘘と考えてはいません。沙織さんはご自身を女性と認識されているからなでしこ賞に応募された、戸籍の変更が受賞までに間に合わなくても見逃そうという認識です。それを、もし嘘だったとおっしゃるなら、性別詐称の損害賠償請求に進みます。よろしいですか?」

「よく分かりました。沙織には後でよく言って聞かせます。月曜日には新人女流作家の森村沙織として御社に行かせますのでご安心ください」
 父が課長にきっぱりと言い、出版社の二人は穏やかな表情を見せた。

「それでは沙織さん、月曜日にお目にかかります」
と言って二人は帰って行った。

第三章 森村三姉妹

「田吾作、観念しろ。月曜日には森村沙織という女性として出版社に行きなさい。課長さんに言われた通り、それが一番安全だし簡単だ」

「お父さんは他人事と思って簡単に言うけど、僕の身にもなってよ。女装で外出して万一友達に見られたらアウトだよ。学校にも行けなくなる」

「完璧に化ければいいのよ。お化粧してウィッグを被ったら絶対に誰にもばれないわよ。ウィッグは私のを貸してあげる。洋服も私と沙耶の服の中から沙織に合う服を選んであげるわよ」
と沙世が僕に言った。

「そうよ。沙織ねえちゃんなら何の問題もないわ」
と沙耶も言った。

「そうしなさい。沙織が自分で撒いた種なんだからもっと責任を持って頑張りなさい。お父さんも沙世も沙耶も助けてくれるし、私もできるだけの手伝いをするから」
 母まで沙世と沙耶に味方した

「ちょっと、みんな、僕は田吾作だよ。家族の間ではペンネームで呼ばないでよ」

「いいえ、大賞の問題が片付くまで、あなたは沙織。田吾作は海外旅行に出かけて当分日本には居ないわ。森村家が訴えられて破産するか、印税でリッチになるかは沙織の行動次第なのよ。沙世、沙耶もいいわね。破産したらあなたたちの大学の学費も払えなくなるのよ。今から沙織とあなたたちは三姉妹よ。沙織を着替えさせてウィッグとお化粧も頼むわね」

「わかったわ、我が家の一大事だから一致団結しなきゃ。私と沙耶が、沙織を女の子に改造してあげる。沙織、来なさい。服を選んであげるから」
と沙世が立ち上がった。

「沙織ねえちゃん、行こうよ」
と沙耶にも引っ張られて二階の部屋に行った。

「沙織、まず服を脱ぎなさい」

「いきなり女装させようというの?」

「まずは総合的な診断をして工程表を作るのよ。スカートをはくとかお化粧をするとか、手当たり次第にやっても効率が悪いし良い結果も期待できない。女性化のために必要な項目を書き出して作業の優先順位を決める、その後で着手するのよ」
 沙世が方針を提示した。

「さすが沙世ねえちゃん、建築学科の首席だけあって言うことが違うわ」
と沙耶が感心していた。

 僕たち三人は同じ大学に行っている。両親も同じ国立大学の出身で学生結婚、それもできちゃった婚だ。結婚後三年余りの間に三人の子供ができたので、実家からの援助はあったが「赤貧洗うが如し」だったそうだ。

 年齢の近い三人は沙世に生理が始まってからも四畳半の子供部屋で一緒に寝起きしてきたので気心が通じている。幼少期から成績トップで美人の誉れが高かった沙世は僕と沙耶にとって絶対的なリーダーで、今も沙世の言うことには逆らえない。

 僕がイジメに合わず楽しい少年時代を過ごせたのは姉のお陰だ。中一の時、同じ中学の上級生が牛耳っているグループから誘いがかかり、使い走りのようなマネをさせられた。ある日「家から五千円持って来い」と言われて途方に暮れたことがあった。家に帰って泣きながら中三の姉の沙世に相談したところ僕の悩みは翌日あっさりと解決した。際立った美人の沙世には熱狂的なファンがゴロゴロしていて、沙世は最強の男子グループのボス格の同級生に「弟の足抜けに力を貸して欲しい」とひとこと頼んだだけだが、その日以降「悪いグループ」の上級生から僕に声がかかることは完全に途絶えた。

 妹の沙耶は成績がトップだけでなく、小学校の時から学年で身長が一番高くスポーツでもスターだった。僕とは一年しか違わないので小学校の中学年以降は僕よりも沙耶の方が背が高かった。僕の密かな祈りに反して身長差が第二次性徴によって逆転することはなく結局十センチ以上の差がついてしまった。

 沙世と沙耶は県下で最難関の公立高校でもトップクラスの成績だったが、自宅から自転車で通学できる大学に進んだ。僕は成績は常に中位で、数段階難易度の低い公立高校に何とか合格し、父母姉と同じ大学で最も難易度の低い学科に滑り込むことができ、何とか面目を保つことができた。

 高校・大学の受験勉強では妹の沙耶にお世話になることが多かった。沙世が忙しい時に僕が質問して相手にしてもらえないのを横で見ていた沙耶が教えてくれた。一年下の沙耶に難しい問題が分かるはずがないと思ったが、沙耶は中学、高校に入学すると沙世の教科書や参考書を「気楽に」読んで理解していたようだ。沙耶は僕がどの点をどう理解できないのかを一瞬で見抜き、僕でも理解できるように優しく教えてくれた。運動でも勉強でも、同じ人間なのに何故これほどの能力の差があるのかと神様に文句を言いたくなることもあったが、僕は沙耶を尊敬し兄妹であることを誇りに思っていた。背の高い沙耶は僕をいつも見おろすが、見くだしたことは一度もなく、いつもお兄ちゃんお兄ちゃんと慕って立ててくれる。もし沙耶が傲慢な性格なら僕はいじけていたかもしれない。性格の良い沙耶のお陰で三人の関係が万全に保たれたのだ。なでしこ大賞によって僕は生まれて始めて沙耶から本気で尊重される立場に立てたような気がする。

 沙耶は沙世と違って同性のファン層が半端ではない。お陰で僕は高校二年と三年の頃は、中学から僕と同じ高校に進み沙耶に憧れていた女子から「沙耶と兄妹関係にある男性」として特別な敬意と親しみをもって話しかけられることが多かった。彼女たちは僕に異性として興味を持っていたわけではないが、僕は友人から「お前ってどうしてそんなにモテるんだ」と羨ましがられた。僕のようなタイプの男子(あえて現代用語で言えば癒し系、草食系、可愛い系)を好む女子も意外に多かったので、僕は家でも外でも異性の話し相手には全く不自由しない少年時代を送ったのだった。

***

「とにかく全部脱いで裸になりなさい」

 僕は言われた通りにパンツまで脱いで素っ裸になった。沙世と沙耶に見られても僕の身体が性的反応を示したことは一度も無く、逆に沙世と沙耶も僕に胸や股を平気で見せる関係だ。

 沙世が僕を頭のてっぺんから爪先までチェックしながら口述し沙耶がメモして表計算ソフトにインプットした要作業項目は、外観に関するものだけで三十項目もあった。


  • 髪の毛を女性風にカットする
  • その上でウィッグを被る
  • 眉を整える
  • 右目の下のほくろを取る
  • 顔面の脱毛
  • 鼻毛の処理
  • スキンケア(保湿)
  • スキンケア(美白)
  • 女性ホルモン投与による肌質の改善
  • 眉間のリフティング(手術)
  • 頬のボリュームアップ(手術)
  • 鼻の整形(手術)
  • リップケア
  • 喉仏除去(手術)
  • バストアップ(外部シリコンブレスト)
  • バストアップ(女性ホルモン)
  • バストアップ(手術)
  • ネイル
  • ウェストを細くする(リポサクション)
  • ウェストを細くする(コルセット)
  • ウェストを細くする(女性ホルモン)
  • 性器の女性化(補整下着等)
  • 性器の女性化(女性ホルモン)
  • 性器の女性化(手術)
  • ヒップを大きくする(外部シリコン着用等)
  • ヒップを大きくする(女性ホルモン)
  • ヒップを大きくする(脂肪注入)
  • 脚と足の女性化(女性ホルモン)
  • ネイル(足)
  • 踵のささくれを取る

「手術」と書かれた項目が多数含まれているのを見てドキッとしたが、沙世は普段から理論的に全てを洗い出すのが基本動作なので特に心配はしなかった。

 外観以外の要作業項目は僕にとって意味不明な項目を含めて十項目あった。


  • 性格
  • 身のこなし
  • 仕草
  • 歩き方
  • しゃべり方
  • 発声
  • 生活習慣全般
  • 服装

  • バッグその他小物


「来週土曜日の授賞式までの七日間でできることは限られているわ。何をどの順番で実施するか、お金がかかる場合は費用の見積もりも含めて案を練りましょう。沙耶は外観の三十項目の工程案を作って。私は外観以外の十項目の案を作るから」

「分かった。すぐに取りかかるわ」
と沙耶は言って、パソコンに向かった。

「僕は何をすればいいの?」

「作業工程案が完成するまでは沙織にできることは何もないから、私たちの洗濯物を出して、部屋を掃除して頂戴。それから、ミルクティーをお願い」

 一時間後に沙世と沙耶は中間段階での打ち合わせを実施することになったが、僕はすることがないのでテレビの前でごろごろしていた。母に呼ばれて台所でゴボウの皮むきを手伝いながら、受賞作の粗筋を説明した。父は昨夜僕が渡したメモリースティックを自分のノートパソコンに挿入して「月に吠える女」を目に涙を湛えて読んでいた。昨夜寝る前に読み、今日もう一度読んでいるところらしい。

 沙世と沙耶が作業を終えて、A4の紙の表と裏に印刷した工程案を持って居間に来た。

「みんな集まってくれる。沙織の改造に関する案をまとめたから」
 沙世の声を聞いて母が台所から来た。父は月に吠える女を二回読み終えたところだった。

「沙世、ちょっと待ってくれ。まずワシから言っておきたいことがある。沙織、ワシは心から感動した。月に吠える女はなでしこ大賞に値する作品だ。ワシも昔小説家になりたかったことがあるが、沙織はワシなんかが決して届かない高みに到達した。お前は素晴らしい感性を持っている。それから、今まで親にも見せなかった沙織の一面に接してワシは心から感動している。お前の親として誇りに思う」
 父の感極まる演説を聞いて、母、沙世、沙耶が拍手してくれた。

「どうもありがとう。そこまで気に入ってくれて僕は凄く嬉しいよ。但し、月に吠える女に出てくる沙織は、この作品の登場人物であって、僕自身じゃないから誤解しないでね」
とコメントしておいた。

「私も読んでいて、主人公は沙織ねえちゃん本人のことだとすぐに分かったわ。ストーリーも面白かったけど、すぐに感情移入してしまって自分自身が主人公として体験しているみたいで、気がついたら読み終わってたって感じ。沙織ねえちゃんが私の身体に乗り移ったみたいな気がしてドキドキしたわ」
 沙耶が理科系とは思えない的確な表現で賞賛してくれたのでとても嬉しかった。僕は以前から読者を感情移入させる小説を書くということが最も重要だと思っていたからだ。

「私は沙織の喜びと悲しみが交互に押し寄せてきて、沙織に哀れを感じたわ。沙織が女性的なのは姉妹に挟まれて育ったからだと思っていたけど、私や沙耶よりも遥に女性らしい感性を持っているのに、男性として生まれてしまったから思い通りに生きられなかった悲しみがヒシヒシと感じられた。もっと早く気づいていれば別の配慮をしてあげられたんだけど、とも思ったわ」

 沙世は言い過ぎだった。月に吠える女に出てくる沙織は女性だから女性らしくて当然だが、あの沙織は僕ではない。沙世の言い方を聞いていると、まるで僕が女に生まれなかったことで苦しんできたみたいじゃないか。

「あの沙織は僕じゃないんだってば」

 僕は少し強すぎる口調で沙世に反論した。

「いいえ、沙織は気づいてないでしょうけど、あれは沙織自身よ」

 沙世がそう言い放ったので僕のストレスレベルが上昇した。

 それに気付いた沙耶が、
「さあ、工程表の話にしましょうよ」
と大きな声で言って、印刷した用紙を全員に配った。

「エンドポイントは、授賞式の日の沙織ねえちゃんの女性度です。七日間でできない項目は捨てる。例えば女性ホルモンはこれから病院に行って注射しても来週土曜日の時点での外観的効果は殆ど期待できないからボツ。手術は費用がかかりすぎるし時間的にも難しいから喉仏以外はボツ。喉仏除去は男性と見破られない対策として効果絶大だから優先度一よ。それから顔面の脱毛も優先度一。午後一番で安いレーザー脱毛クリニックをネットで探して、早速開始する必要がある。顔以外のムダ毛は費用対効果の観点で当初は見送って、カミソリで処理することにする。バストは豊胸手術はお金がかかるし時間的にも難しいからシリコンの疑似バストをネットで今日注文しましょう。ウェストは補整下着を今日注文する。ヒップもシリコン入りのヒップアップ補整下着を今日注文する。性器はタイトなガードルを重ね履きするだけにしましょう。予算が欲しいのはこれだけです」
と沙耶が発表した。

「いくらかかるの?」
と母が心配そうに聞いた。

「できるだけ五十万円以内に収まるようにベストを尽くすわ」

「お母さん、失敗すると破産だし、成功すれば印税が入るのよ」
 沙世の印税という一言で母も納得したようだ。

「私が担当する工程にはお金はかからないわ。服や靴や小物は全部私と沙耶と、一部お母さんの物を活用するから。とにかく工程表と私の細かい指示に沿って沙織の行動、発言と表現を一週間で完全に女性化させるために全員一致協力して頑張りましょう。いいわね、沙織」

「急に言われても、僕は男だから無理だよ」

「急に言われても、私、男だったから無理だわ、と言い直しなさい」
 沙世に命令されて仕方なく言い直した。

 母と沙世・沙耶がタンスの中の僕の衣類を段ボール箱に入れて荷造りテープでシールした。三人の各々が僕に着せられそうな服をどんどん床の上に積み上げ、試着させてからタンスの僕の引き出しに入れた。僕は沙耶が中学の頃着ていた夏物のワンピースに着替えさせられた。

 沙耶がネットで見つけたレーザー脱毛クリニックで夕方のアポを取った。

「僕一人では行けないよ」
と言うと、
「私一人では行けないわ」
と言い直させられた後で、沙世が付き添ってくれることになったのでホッとした。

「外出しようと思っても男物の服は段ボールの中だよ」
と言うと
「私が男性だった頃の洋服は段ボールの中だから外出できないわ」
と言い直させられた後で、
「沙織は女なのよ。スカートで行くのが当たり前じゃないの」
と沙世に叱られた。

「ウィッグをすれば今の沙織でもスカートで大丈夫とは思うけど、脱毛クリニックではウィッグを外す方が施術しやすいと思うわ。だからまず髪型を直しましょう」

 沙世の提案で、母が鏡台の前に新聞紙を敷き、三人が櫛とはさみを使って僕の髪をボサボサのザンバラ髪から女性らしいショートヘアに仕上げた。

 母が毛抜きで僕の眉を整えようとしたが、沙世が僕の顔をじっと見て一分間目を閉じて考えてから、眉用のペンシルを僕の顔に滑らせた後、毛抜きで大胆にズバズバと抜きまくった。鏡を見ると眉が極端に細くなり、眉の角度が変わってしまっていた。

「助けてくれよ。こんなの僕の顔じゃないよ」

「助けて頂戴、こんなの私の顔じゃないわ、でしょう、言い直しなさい。眉を細くすることは女性化のために劇的な効果があるのよ」

「流石建築デザイナーは斬新ね。沙織の顔ががらっと変わっちゃったけど、とにかく女性にしか見えなくなったわ」
 呆気にとられた表情で僕の変貌を見ていた母と沙耶が言った。

「私に相談なしにいきなり抜いちゃうなんて、ひどいわ!」
と女言葉で抗議したが後の祭りだった。

 風呂場でボディーソープを使って身体中を泡立て、沙耶が剃刀で僕の全身をスベスベにした。

「女の子にしては陰毛が多すぎるわね」
とつぶやくとハサミを持ってきて毛の量が半分以下になるまで「散髪」した。沙耶に陰部を見られても普段は平気だったが、足を広げさせられて肛門の周囲や陰嚢の裏に繰り返し剃刀を当てられると、不覚にも僕の股間のものが硬く屹立してしまった。

「沙織ねえちゃんったら女の子になった途端にこんなになるんだから」
 沙耶が人差し指で弾いたので僕は身体中が真っ赤になった。

 髪と身体を乾かして、沙世が選んだフリル袖のワンピースを着た。青地に赤い炎のような縦縞が入ったプリントのワンピースでスカートの裾はレースで縁どられていた。アンダーバストの位置のウェスト部分がゴムで絞まっていて、裾には十分なフレアーがあるデザインだ。

 沙耶のアイデアで、スポーツブラに内装されたバッド以外には全く詰め物をせず、わざと極端なペチャパイにしてみた。

「沙世ねえちゃんも私も胸は小さめだし、沙織ねえちゃんの胸を大きくしようとすればシリコンの詰め物も大きいのを買うことになって高くつくのよ。女性ホルモンの場合も豊胸手術の場合もペチャパイの方が楽で早いから、悪いけど沙織ねえちゃんにはペチャパイ三姉妹の一員になってもらう」
と沙耶が説明した。

 しっかりした黒のガードルを二枚重ねではき、その上にストッキングをはいた。

「思っていたイメージとは全く違う女性ができ上がったわね」
というのが母の感想だった。

「大人しい癒し系の女の子のイメージを描いていたけど、それとは正反対のボーイッシュな女性になったわ」
と沙耶。

「眉とヘアスタイルの効果ね。今日はウィッグを使うのはやめて、このまま脱毛クリニックに行こうよ」
と沙世。

「ウィッグせずに外出するのは許して。僕、じゃなくて私だと判ると困るもの」
 僕は沙織言葉で反論した。これでは普段通りの自分がスカートをはいているだけだ。「田吾作が女装しましたよ」と街中に言いふらすのと同じことだ。

「別人にしか見えないから大丈夫よ。じゃあ、脱毛クリニックのアポに遅れないようにそろそろ出かけましょう」
と沙世。

「私には無理よ、勘弁して」
と必死で抵抗したが沙世に引っ張られて階段を下りて玄関へと向かった。

 沙世は何を思ったのか居間をのぞき込んで、父に
「お父さん、大学の同級生の今井美智子さんよ」
と言って僕を指さした。

 すると父が僕を見た上で
「沙世がいつもお世話になっています」
と頭を下げた。

「ほら、言った通りでしょう」
と沙世が僕に言ってから父の方を向いて種明かしをした。
「お父さん、今のは冗談で、これは沙織よ」

「ほ、本当に沙織なのか、うそだろう!」
 父が絶句した。父が他人と思うぐらいなら近所の人に見られても大丈夫だろうと安心した。

「そうそう、お父さんにお願いがあるのよ。表札に田吾作の名前があるでしょう。沙織に書き直してくれないかな。大賞の発表後に誰かが見に来るといけないから」

「よし、まかせておけ」
 父が快諾した。


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