僕が妊娠?:男が妊娠出産する世界(TS小説の表紙画像)

僕が妊娠?
 男が妊娠出産する世界

【内容紹介】女性が支配的な地位で男性が従属を強いられる世界をリアルに描いたTS小説。仲良し大学生男女2組の卒業旅行を主人公の彼女の玲央が手配する。それは別の惑星への旅行だった。到着するとそこは完全な女性上位の社会だった。その原因は、妊娠・出産するのが女性ではなく男性であるという驚愕の事実のせいだった。

まえがき

 この小説は「未来シミュレーター」という装置によって別世界に旅をするシリーズの第二弾です。東京都内の大学の同級生四人組が、未来シミュレーターを利用して三月下旬に卒業旅行に出かけるというストーリーです。

 第一弾の「危険な誘惑」とは登場人物が異なる独立した小説ですが、同じ未来シミュレーターという装置を使いますので、第一弾の「危険な誘惑」をまだ読まれていない方のために、未来シミュレーターの仕組みについて簡単に説明しておきたいと思います。

 未来シミュレーターは東京都千代田区の秋葉原の本通りから一本西に入った裏通りで、ツクモ電機の手前を左に曲がって少し行った小さなビルの五階にある施設です。受付のマシンに必要な情報をインプットし、その奥の左の入り口から小部屋に入ると、そこから別世界に飛びます。

 第一弾の「危険な誘惑」では、未来シミュレーターが被験者の脳を潜在意識の領域まで隈なくスキャンして、願望、欲望、欲求、妄想などの情報を読み取った上で、被験者(および同伴者)を、その願望が実現された別世界に連れて行きました。

 未来シミュレーターは受付のマシンで被験者が乖離度を設定することができます。願望が実現された別世界に行く訳ですが、その別世界が現実世界からどの程度乖離しているかについて乖離度を一から五の範囲で設定できるのです。ちなみに推奨設定は乖離度二となっています。

 第一弾の「危険な誘惑」では主人公が乖離度一の旅を二回と、乖離度五の旅を一回選択しましたが、乖離度五を設定した時はマシンから「危険です」との警告が出ました。主人公が警告を無視して乖離度五を選択したので極度に異常な世界に飛ぶ結果になりました。また、乖離度一でも性の転換が起きたほどですので侮れません。今回のストーリーでは被験者が乖離度四を選択する予定であり、現実世界との乖離度は相当なものになるはずです。

 別世界での滞在がどんなに長くても滞在時間が終了すると、出発時の数分後の元の世界に帰着します。別世界での滞在時間は支払う料金によって設定されます。千円で二時間、二千円で四時間、三千円で八時間、すなわち「n千円」払うと「二のn乗時間」の滞在になります。例えば一万円だと二の十乗時間すなわち約四十二日間、二万円だと二の二十乗時間で約百二十年間(一生より長い)となるわけです。別世界で死ぬまで過ごしても、その後は出発時の数分後の元の世界に戻ることになります。

「現実からの乖離度を設定した上で、近未来の別世界をリアルに疑似体験させてくれる」のが未来シミュレーターということになりそうです。しかし、今回の被験者は未来シミュレーターが単なる疑似体験ではなく、遥かに複雑かつ壮大でリアルなものであることを実感することになります。

第一章 お手軽な卒業旅行

「ねえ、三月末に卒業旅行に行かない? できれば海外に」

 そう言いだしたのはだった。今日はもう三月十五日で、大学生という自由な身分とはあと二週間でお別れだ。

 玲央は僕の彼女で、僕の親友のゆづると、その彼女のを含めた四人は大学入学直後から何かにつけて一緒に行動している仲間だ。僕、大沢じゅんは四月一日から江東区にある中堅メーカーの社員になるし、他の三人も都内の企業への就職が内定している。

 僕の彼女の原口玲央は四人の中で断トツに成績が良く、僕や弦が留年せずに一緒に卒業できるのは玲央のお陰と言っても過言ではない。玲央は身長百六十七センチのすらりとした美人で、四月には日本を代表する超一流企業に総合職として就職予定のエリートウーマンだ。玲央という名前は漢字で見ると女の子の名前に見えるが、アルファベットで書くとLEOで、男子でしかありえない名前だ。僕がそのことを玲央に冷やかすと、
「純弥はジュンヤじゃなく、アヤミと読む場合の方が多いってことを知らなかったの? 普通、男なら純也と書くわよ。今日からアヤミちゃんと呼ぼうかな」
と反撃した。

 僕は玲央に頭脳的に遠く及ばないだけでなく、身長も四センチ低い百六十三センチで、玲央に勝る点といえば視力がマサイ族並みに優れているということぐらいだが、玲央が僕を見下すことはなく、二人は結婚を意識して付き合う仲だ。

 玲央と僕の組み合わせとは対照的に、水口弦と沢尻真理は大柄で男性的な弦と、女性らしい真理の絵にかいたようなカップルだ。弦は証券会社への就職が内定しており、真理は容姿を武器に六本木の商社に一般職として入社が決まっている。

「僕は明日から福島に帰省して三月二十五日に高校の同窓会があるから、東京に戻れるのは三月二十六日になるよ。海外は無理だな」
と僕は玲央に率直に答えた。

「二十六日以降なら私も大丈夫よ。入社前に日焼けしたくないからその点だけは配慮してね」

 都内の実家に住む真理が僕の次に答えた。真理は肌をベスト・コンディションにして四月一日のOL初日を迎えたいのだ。

「俺も二十六日以降は空いてるけど、四月一日の出社前日はゆっくりしたいな。三十日までに帰れるようにしてくれる?」
と弦が最後に答えた。

「じゃあ三月二十七日と二十八日の二日間の旅行ということで私に任せてくれる? 予算は一人一万円で海外旅行を手配してみるから」
 玲央の話に耳を疑った。

「一万九千八百円の韓国旅行というのは聞いたことがあるけど、一万円で海外旅行は無理だよ。羽田発の深夜便で釜山に飛んで、空港の食堂でビビンバを食べてすぐに早朝便で羽田に戻るとか、ひどいツアーじゃないの? 燃料サーチャージで別途二万円取られるとか……」

 弦のコメントに、真理と僕も「うんうん」と頷いた。

「深夜発の早朝着でも楽しいんじゃない? 卒業前の地獄ツアーとして一生思い出に残るし」

と僕が言うと弦と真理も賛同した。玲央が必ず一万円で仕上げると自信をもって約束し、結局僕たちは財布から一万円札を出して玲央に預けた。

「じゃあこれから手配に取り掛かるわ。三月二十七日の集合場所とかはメールで流すから」

 玲央にまかせて僕たちは卒業旅行を楽しみに待つことになった。

「卒業旅行手配完了」と題したメールが玲央から届いたのは三月二十日の夕方だった。


「海外旅行が手配できました。三月二十七日正午にJR秋葉原駅の電気街口の改札をAKBカフェ側に出た所に集合してください。

  •  出発日 三月二十七日
  •  帰着日 三月二十八日
  •  行き先 サプライズツアー
  •  業者名 未来シミュレーター
  •  服 装 カジュアル、着替えは不要
  •  その他 パスポート不要、手ぶらでOK
  •  費 用 追加費用は一切ありません。

 騙されたと思って気軽に来てね! 玲央」


 海外旅行が手配できたと言いながらパスポート不要と書いてある。集合場所も空港ではなく秋葉原ということは、隅田川で遊覧船に乗るのをシャレて「海外」と言っているのかもしれない。それとも、深夜バスツアーで「海外」という名前の安ホテルに行って宴会・宿泊するという企画ではないだろうか。

 いずれにしても人を驚かせるのが好きな玲央が考えそうなことだ。しかし、着替えが不要と書いてあるのが腑に落ちない。女性なのだから、ホテルで一泊するなら「下着のみ持参」とでも書くはずだ。一万円ということは、深夜バスで大阪に行って、翌日の深夜に長距離バスで東京に帰るなどという地獄のバスツアーかもしれない。玲央のように体力の有り余っている人種は時々とんでもない行動を平気でするから、ついて行くのが一苦労だ。とにかく、今となっては玲央のシャレに乗っかるまでだ。

 僕は玲央のメールに書いてあった通り、三月二十七日正午の集合時間の十分前にJR秋葉原駅の電気街口に手ぶらで行った。白いスラックスと、ラコステのポロシャツに薄手のジャケットという軽装だった。

 既に玲央と真理が来ていた。玲央は手ぶらで、白っぽいジーンズ・パンツ、グレーのティーシャツの上にシンプルなジーンズ・ジャケットというボーイッシュな服装だ。いつもと同じように格好良い玲央を前にして僕の胸がキュンとなった。

 真理はパフスリーブでチェックのコンビワンピースという真理らしいフェミニンな装いだった。どう見ても強行日程のツアーに行く格好ではなく、真理も玲央の企画を何かのシャレと受け止めていることが窺える。

 弦はダークグリーンのコットンニットのセーターとジーンズを着て、約束の時間の十五秒前に姿を現した。

「全員時間通りに来てくれたのね。じゃあ、これから説明会をしてから出発よ」

 玲央はすぐ前の角のビルの右手の階段を上がって二階のダイニングバーに行き、僕たちは後を追った。

「ランチ代は一万円に含まれているからご心配なく。それに、ソフトドリンクは飲み放題だから」

 僕たち四人は窓際の奥の席に陣取って、日替わりランチを注文した。

「ねえ玲央、何時にどこから出発するの? こんなところでゆっくりしていて大丈夫なの?」
 真理が僕たちを代表して質問した。

「出発は二~三時間後で、出発する場所はここから歩いて五分ぐらいかな。中央大通りを超えた一筋目を右に曲がって、ツクモ電機の手前を秋月電子の方向に左折したところの左側にあるビルの五階から出発するのよ」

 玲央が理解不可能な回答をした。

「浅草まで歩いて隅田川の観光船に乗るか、深夜バスに乗るのかと思ってたよ」

と僕が言うと、弦が「俺もそう思ってた」と言った。

「秋月電子の手前の道は知っているけど、駐車場は右側だよ。左側には小さいビルが並んでいるだけだと思うけれど」

 そこで受付をして、右側の駐車場に停めてあるレンタカーでどこかに行こうという趣向なのだろうか。

「まあ、私の説明をよく聞いてちょうだい。
 飛行機、バス、船、自動車などの輸送手段は使わずに、その五階にある未来シミュレーターの施設から別の惑星までテレポートするの。その惑星で旅行を楽しんだ後で、またテレポートで同じ所に戻って来るのよ。今日の四時に出発する場合、帰還は今日の四時五分になるわ。その後で、打ち上げ会をする費用まで含めて一万円。二十八日に帰還と書いたのは旅行らしく見せるためで、実は今日の夕方に解散するというスケジュールになってるのよ」
 玲央の話を聞いて三人に落胆の表情が広がった。

「じゃあ、未来シミュレーターとかで五分間旅行の夢を見て、その前後に食事をするだけという企画なのか」
と弦が落胆した表情でつぶやいた。

「地球の時間で言うと五分後に帰るわけだけど、テレポート先の惑星では何日も滞在できるのよ。私たちは相当長い旅行を体験するけれど、帰ってみれば五分しか経っていないということになる」
 玲央の真剣な表情を見ると、冗談でそんなことを言っているのではないことが分かった。もし、玲央以外の人が、特に僕か弦が同じことをしゃべったとすると「バカなことを言うな、お金を返せ」と言われるのが必須の内容だった。

「いいじゃない。他の誰も聞いたことが無いような卒業旅行の思い出を四人で作るんだから」

 真理の言葉に
「そりゃそうだけど」
と弦が賛同し、
「玲央に任せたんだからついて行くだけだ」
と僕が続けた。

「でも、その未来シミュレーターというのは、一体どこで見つけたの?」

「ネットで、未来シミュレーターによる不思議な体験についての記事を読んだのよ。秋葉原のビルの中にあるタイムマシン的な装置で別世界に飛んで四十日後に帰って来たという話なんだけど、ある程度の希望条件をインプットすると、その条件に合う世界に移動するんだって。その人は設定を間違えたばかりに首輪をつけられて犬のように鎖につながれたりして大変な経験をしたらしいわ。

 これは面白いと思って、ネットで一生懸命検索した結果、未来シミュレーターの代理店のウェブサイトが見つかったのよ。メンバーズサイトになっていて、そこに入るパスワードを見つけるのに苦労したけど、何とか入ることができたの。英語のサイトだけどね。

 それで希望条件をインプットして、クレジットカードで未来シミュレーターの料金と代理店手数料の合計で二万四千円を払ったら、このカードが届いたのよ」
 玲央は財布から深いロイヤルブルーの色をしたプラスティックの薄手のカードを僕たちに見せた。小さな文字で出発場所として東京都千代田区外神田一丁目の住所が記されていた。

「もし嘘だとすれば手の込んだ詐欺だな。ところで玲央はどんな希望条件をインプットしたの?」

 玲央の話をまだ信じていない弦の言葉を聞いて、玲央は少し腹を立てていた。

「万一詐欺だと判ったらその二万四千円は私が負担するわよ」
と玲央が言ったので、僕は、
「僕たちは玲央に任せたんだから、どうなっても四人全員の責任だよ」
と玲央をサポートした。

「希望条件は、漢字四文字よ。内緒にしておきたかったけど、どうせその惑星に着いたら分かるから教えようかな。あててみて」
 玲央が元気を取り戻して言った。

「漢字四文字か……。わかった、美男美女、じゃない?」
「ブブー、はずれ」
「無病息災、てなことないわよね」
「ないない」
「快眠美食?」

「ゲスするのは無理ね。じゃあ教えてあげる。女性上位よ。女性が上位な世界という希望条件をインプットしたの」

「げえっ……。上司が全員女性だけの会社に就職するみたいな?」
と弦。

「夫婦の力関係が逆みたいな世界かしら?」
と真理。

「僕と玲央は普段から女性上位だから、同じことだけど」
と僕が言うと、残りの三人が
「そりゃそうだ」
と笑った。

「具体的にどのように女性が上位なのかは行ってみないと分からない。私たちは来週には企業という男性上位の社会に飛び込むわけじゃない。私もある程度は覚悟が出来ているけど、就職する前に、逆に女性が上位の社会を経験できれば面白いと思ったのよ。別に純弥に対して偉そうにしたいというわけじゃないわよ。そんなこと、その気になればいつでもできるから」
 玲央の発言の最後の部分が少し引っかかった。

「五分間でどのくらいの日数分の旅行を体験できるの?」
と真理が質問をした。

「二の六乗時間で六十四時間、つまり二日と十六時間のはずなんだけど、説明を読んでもよくわからなかったのよ。料金計算が一人当たりなのか、四人分なのかによって計算が違うんだけど、説明文が難解だったし、結局よくわからなかった」
 玲央にとって難解な英文だったのなら僕たちに分かるはずがない。

「そこで何日いても、同じ日に帰れるんだからどうでもいいんじゃない? サプライズということで」
 弦の言葉に全員が同意した。

 ウェイトレスが日替わりランチを配り、僕たちはコーヒーと紅茶だけの飲み放題ドリンクバーに何度も足を運びながら話をした。女性上位がどんな形で盛り込まれた世界に行くのか、ということがメインの話題になった。

「パートナーの男性の毎日の服装は女性が決めて、男性は従わなければいけないの。私は弦にショートパンツで白いストッキングの王子様の恰好をさせるつもりよ」
と真理が想像の世界について語った。

「純弥には毎日ヒラヒラのスカートをはかせるわ。それもノーパンにして、純弥がエッチなことを想像したらスカートの真ん中がピーンと前に立ってバレるようにするの。面白いでしょう。それから、赤ちゃんが産まれたら、純弥のオッパイが大きくなって、家事と子育ては純弥がするのよ。私は命令するだけ。想像するだけでも楽しいわ」

 女性上位のアイデアに関する発言は玲央と真理に偏りがちだった。僕と弦には陳腐なアイデアしか浮かばず、例え突飛なことを思いついてもアイデアとして提案するのは恥ずかしい気がした。男性二人は少しマゾヒスティックな感傷に浸りながら聞き手に回った。玲央は発想が豊かなだけに、次から次へと恐ろしいアイデアを思いついては披露した。

 ソフトドリンク飲み放題に時間制限は無かったが二時半を過ぎると、ウェイトレスが早く出ていって欲しそうなそぶりを何度も見せるようになり、僕たちは三時過ぎにそのダイニングバーを出て中央大通りを渡り、東京ラジオデパートの前を通って秋月電子通商の方向に歩いて行った。

 ツクモ電子の手前を左折して少し行った左側のビルの狭くて急な階段を五階まで上った。ギャラクシー・コスモスの真上にあるそのショップはいたってシンプルな造りで、ロイヤルブルーに白抜きで「未来シミュレーター」と書いたロゴのあるガラスの自動ドアを通ると、正面に銀行のATMのようなマシンがあった。マシンの左側に「入口」と表示された自動ドアがあり、右側には「出口」と表示された自動ドアらしきものが見える。無人のショップのようだ。

「会員番号を入力するかサービスカードを挿入してください」
という女声の合成音声が聞こえて、カードの挿入口に赤いランプが点滅した。

 玲央は代理店から送られてきたロイヤルブルーのプラスチックカードをそこに挿入した。すると、マシンの画面に「あなたの会員番号は19xxxxxxLHです。緑の点滅をご覧ください」と表示された。画面の上の緑の点滅を見つめると、約二秒後に点滅が消えて画面に「虹彩の登録が完了しました」と表示された。

「事前登録により乖離度は四に設定されています。変更を希望しますか?」
と画面に表示され、玲央が「いいえ」のボタンにタッチした。

「事前登録により女性上位の世界が条件として設定されています。変更を希望しますか?」
と画面に表示され、玲央が「いいえ」のボタンにタッチした。

 最後に「料金は事前決済ずみです。乖離度四のサービスが十三・五単位提供されます。左の入り口からお入りください」と表示された。

 マシンの左側にタッチ式の自動ドアがあり、「開く」と書かれた場所をタッチするとドアが開き、四人が中に入るとドアが閉じた。それは真ん中に長いソファーがあるだけの小部屋で深いロイヤルブルーの単一色で塗装されていた。入口のドアだろうと推定される接合部分があることは分かったが、出入り口も何もない、約二畳の完全に閉鎖された空間だった。

 奥から真理、弦、玲央、僕の順にソファーに腰を下ろした。座る以外の選択肢は思いつかなかった。その部屋は無機質で誰かに見られているような感覚は一切なく、僕たちは何かが起こるのを待った。

 段々と四人の緊張が高まるとともに、部屋が暗くなってきた。ドヴォルザークの新世界を編曲した交響曲が静かに流れ始め、部屋が真っ暗になった時点では身体全体が揺さぶられる程の大音量になっていた。バイオリン奏者の一人一人がどこにいるかが認識できるほどのリアルな音響と臨場感だった。オーケストラの指揮者の後ろに奏者と向かい合わせにソファーが置かれているような気がした。

 僕の頭の中に引っかかっていた不安や期待を大音響が跡形もなく吹き飛ばし、コントラバスの響きが背骨を震わせ、木管楽器から流れるメロディーが僕の身体全体と共鳴した。それは至高の安らぎの空間だった。これを味わうだけでも玲央について来た価値があったと思った。玲央がダイニングバーで言っていた女性上位の世界のイメージが突然頭に浮かび、脇の下をくすぐられるような感触を覚えた。隣に座っている玲央を見ると、丁度玲央も僕を見て、二人で笑顔を交わし、僕たちはつないだ手をしっかりと握り合った。

 まもなく、軽いしびれが全身を包み、身体が空中に浮く感覚があった。完全な漆黒の闇の中に、何もかもがきらきらと光り輝いていた。

 クライマックスの後、音量が徐々に低下し、しばらくすると静かになった。それは耳の中のキーンという音が大きすぎると感じられるほどの完全な静寂だった。僕たちは静かな暗闇の中でしばらく放心状態に置かれた。

 その時、真っ暗だった空間から僕たちは一瞬にして明るい日差しの中に投げ出された。気がつくと、そこは切り立った渓谷の底にある河原で、僕たち四人は川岸の小石の上に横たわっていた。

「本当にテレポートしたみたいよ!」
 真理の言葉を聞いて僕たちはお互いの存在を確認し顔を見合わせた。

「目的地は地球外の惑星のはずだよね。どう見ても長野県辺りの山の中じゃないかな。日本みたいな気がするけど」
と僕は周りの景色を見た印象を口にした。

「やっぱり、あの代金では別の惑星は無理だよね」
と弦。

「日本アルプスのどこかの山の谷間で、宇宙旅行したつもりになれってことかな。意外と楽しいかも」
と玲央が言った。

 そこは切り立った崖に挟まれた三十~五十メートルの渓谷で、深緑色の淵が延々と続いていた。僕たちの居る川岸は赤褐色の光沢のある石が敷き詰められたような平坦な場所だったが、上流方向も下流方向も数十メートル先で川幅が広がり、川岸は岩場になっている。川伝いにそれ以上先に行くことは不可能だ。この谷間から脱出するには、山側の斜面を登るしかない。

「それにしても美しい渓谷ね。深い緑と赤褐色と、葉っぱの緑が、透き通った空気の中で輝いている。私は登山好きな父に連れられて百名山の半分は登ったけれど、こんな色彩の渓谷はどこにも無かった。本当に、ここは地球じゃないかもしれないわ」
と玲央が言った。

「地球じゃなくて、別の惑星とすると、もし無人の星ならこの谷底からどこに行けばいいんだろう? 食料も無いし、もうすぐ日が暮れるよ。地球外の猛獣が襲ってきたらどうする?」
と僕。

「そうだな。この裏の崖を上って山中で夜を迎えるのは危険だ。今夜はこの河原で過ごして明日の朝早くここから脱出しよう」

 実戦モードに入るとスポーツマンの弦は力になりそうだ。

「脱出して、どこを目指すの? もしここが地球じゃなくて私たちだけしかいない星なら、どこまで行っても山や森が続くだけよね。ここならまだ水があるだけマシじゃないかしら?」
と玲央。

「雨で増水したらどうするの? それに、食べるものが無くなったら、ここで何を待つの?」

 真理の発言は僕の頭にあった心配と同じだった。

 僕たち四人の頭の中に「死」という言葉が浮かび、僕たちはブルっと震えた。僕たちは手持ちのお菓子を出して一か所に集めた。食べられるものはスナックとチョコレートだけで、今夜分けて食べたらそれでおしまいだ。釣り道具は無いが、川の中に魚や蟹など食べられるものがいないかと目を凝らしたが、生き物は全く目に入らなかった。そういえば、昆虫も、ハエも、蚊も、鳥も全くいないということに気づいた。鳥や動物の鳴き声も聞こえず、植物以外の生命体の気配は無かった。少なくともこの河原とその周辺には。

 弦のジャケットのポケットにタバコとライターが入っていたのが救いだった。僕たちは枯れ枝を集めて積み上げた。今夜、猛獣を遠ざけるために火を燃やしておきたかった。もし夜になって気温が下がれば暖を取るのに必要だ。

 でも誰か一人は見張りをした方が良い。じゃんけんで順番を決めて、二時間ごとに次の人を起こして見張りをバトンタッチすることになった。

 日が暮れて、たき火を囲んでスナックとチョコレートを食べながらキャンプファイヤーの気分で楽しく盛り上がろうとしたが、共通の気がかりな話題に行きついた。明日登る予定の、この裏の崖の上には一体何があるのかということだった。考えても仕方のないことだ。ぐっすりと寝て体力と気力を取り戻すのが一番だ。

 一人目の見張りは僕だ。一人、二人と寝息を立て始めた。皆、疲れているからこんな場所ででも寝られるのだろう。僕は全く眠くない。ちゃんと見張り番をしよう。

 そう思ってから一分もしないうちに、急に睡魔に襲われて僕はあっという間に眠り込んでしまった。

第二章 女性が支配する世界

 清々しい自然の空気の中でうっすらと目を開ける。朝だ。美しい朝だ。

 そこには銃を持った兵士が三人立っていた。三人とも女性のようだ。

 僕はサッと飛び起きて立ち上がった。三人の銃口が僕に向けられた。

「みんな起きて!」

 僕は兵士たちを刺激しないように、穏やかな声で皆を起こした。目をこすりながら起きた三人は自分たちに向けられた銃を見て震えた。

「立って両手を頭の上で組め」
 最も背の高いサングラスの将校らしい人物に言われて僕たちは指示に従った。その将校は残りの二人の兵士に、僕たちに手錠をかけるように指示した。僕たちは後ろ手に手錠をかけられた。将校は携帯電話で
「異邦人とおぼしき不審な男女四名を捕獲」
と報告した。

「異邦人と言っているわね。でも日本語をしゃべってるわ。変よね」

 玲央が真理に小声で話しかけたところ、兵士の一人に
「シャラップ、私語は禁ずる」
と言われた。

 しばらくするとヘリコプターの音が聞こえた。河原に着陸したヘリに玲央と真理が乗せられ、サングラスの将校、兵士一人と僕たち男子二名が残された。

「すみませんが質問して良いですか?」
 僕は恐る恐るサングラスの将校に話しかけた。
「僕たちはどこに連れて行かれるんでしょうか」

「サナルーン市の連邦監視本部に連行して取り調べる」
 彼女は端的に答えた。

「サナルーン市という地名は聞いたことがありませんが、日本じゃないですよね?」

「ニホン? 何のことだ? それは地名か?」

「地球にある国の名前です」

「わけの分からない戯言を言うな。本部に着くまで私語は禁じる」
 将校は僕に冷たく言い放った。

 しばらくするとヘリが戻って来て、僕たちはヘリに乗せられた。十五分ほどで、ヘリは大都会の真ん中にあるビルの屋上に着陸した。屋上から階段を降りてエレベーターに乗せられ、地下三階の鉄格子のある部屋に押し込まれた。部屋には真理ひとりが座っていて、真理の手錠は外されていた。先ほど、玲央は取り調べのために連れ出されたとのことだった。

「ここはサナルーン市という町らしいよ。日本という地名は通じなかった。日本語をしゃべってるけど、ここは日本じゃないようだ」
と僕は真理に言った。

「私たちどうなるのかしら。敵意は感じられないし、この部屋に来たらすぐに手錠を外してくれたし、敬語で親切に対応してくれたけど」

「あの一番偉い感じのサングラスの将校は僕たちに対して横柄な口の利き方だったけどな。僕たちはまだ手錠をされたままだし」

 僕が言い終わらないうちに、女性の係官が来て、
「そちらの女性の方、事情聴取させていただきたいのでお越しください」
と言って真理と一緒に出ていった。

 三十分ほど過ぎると先ほどの係官が戻って来て、
「お前たち、取り調べだ、来い」
と僕たち二人に命令した。

「真理に対する口の利き方と全然違うよね」
 僕が小声で弦に不満を洩らすのを聞いた係官が
「黙れ」
と厳しい口調で言った。

 僕たちは応接室のような場所に連れて行かれた。ソファーには玲央と真理が座っていた。

「その男達の手錠を外してください」
 部屋の奥の「所長」と記された席に座っている人物が僕たちを連れて来た係官に指示し、やっと僕たちは両手が自由になった。

「この二人の男性はあなたたちに所属しているのですね」
と所長が玲央たちに質問した。

「彼らは私たちの仲間です。左側の背の高い方が水口弦で、小柄な方は大沢純弥という名前です」
と玲央が僕たちを紹介し、僕たちはお辞儀をした。

「今『仲間』とおっしゃいましたが、お二人は、この男性たちの所有者ではないのですか?」

「所有者とおっしゃいますと?」

「婚姻によって男子を所有することを所有者登録と言います。所有者登録した男子には登録証を身に着けさせることが当地の法律で義務付けられています」

「結婚はしていません。将来結婚する可能性はありますが、今は友人です」

「結婚していない十八歳以上の男子を保護下に置く場合は、保護者登録をしてルールに従った服装をさせることが、あなた方お二人の法律上の義務になりますのでご注意ください。できるだけ早く保護者登録をしてください」

「そのルールを教えていただけますか? その服装はどこで手に入るのでしょうか?」

「当本部の男子用の制服は国家認定された標準服ですので、とりあえずそれを提供しましょう」
と所長が答えて、
「標準服の大と小を一着ずつ持ってきてください」
と、どこかに電話した。

「純弥、弦、いま所長からお聞きした話をあなたたちにも説明するわ。ここは地球から遠く離れた別の惑星よ。この町は惑星最大の国にある主要都市のサルナート市よ。この星では、女性が支配的な地位を占めていて、男性の殆どは家で家事や子育てに従事しているらしいわ。折角の機会だからあなたたちも従属的な立場をしっかり体験しなさい」

「もう、他人事だと思ってるんだから。玲央と真理はソファーでお客様扱いなのに、僕たちはこうやって立たされてるんだよ」

「あの男性を保護者として登録されるのはお二人のうちどちらですか?」

「私です」
 玲央が手を挙げた。

「保護下の男性が女性に対して敬語を使わなかったり、乱暴な口を聞くと、保護者ご自身が評判を落とすことになりますよ。しかるべく罰を与えて矯正してください。この星では重要なことですからお気を付けください」

「僕は玲央に敬語でしゃべらなきゃならないのか」
 口には出さず、恨めしい視線を玲央に投げかけると、玲央は勝ち誇ったような満足の笑顔を示した。

 ドアがノックされて係官が衣服が入っているらしい袋を持って入って来た。

「この二人を着替えさせてください」
 所長の指示で、僕たち二人は隣の部屋に連れて行かれて、服を脱ぐように言われた。

「全部だ」
 僕たちはズボンとシャツだけでなく、パンツ、靴下と靴まで脱がされた。

「これを着ろ」
 手渡されたのは、一見して女物のワンピースのようだった。シルク風の非常に薄い素材でできていて、ざっくりとかぶると、膝上五センチのスカート丈で、ウェストから上は肌に密着し、スカート部分は十分な余裕とフレアがある。ノースリーブなので脇の下が丸見えだが、僕たちはその時初めて自分たちの腋毛が全く無いことに気付いた。

「下着はどこですか?」

「男性は下着の着用を禁じられている。それで全部だ」
と言って、透明なプラスティック製のハイヒールの靴を渡され、僕たちはそれを履いた。

「来い! 部屋に戻れ」

 係官に連れられて隣の部屋に戻った。歩くとスカートが一歩一歩足の動きに合わせてフワフワと空中に漂う。少しでも風が吹けば舞い上がりそうな軽くて薄い素材のスカートで、下半身が素っ裸のまま歩いているような気分だ。逆光なら完全に透けて見えそうなほど薄い素材であり、人前に出るのが躊躇われた。

 部屋に戻ると玲央と真理が僕たちを見て目を輝かせた。

「可愛い! 純弥も弦もとても似合ってるわ。私が未来シミュレーターで頭に浮かべた通りの服装だわ」
 玲央が僕たちを冷やかしたので、僕たちは顔が真っ赤になった。

「私たちは、この本部で、地球に関する情報を提供して二つの星の共通点や異なる点について比較するプロジェクトに従事することになったのよ。純弥と弦もそのプロジェクトのアシスタントとして採用して頂けることになったのよ。良かったわね」

 そこに、先ほど河原で僕たちを捕獲した三人のうちの一人だった背の高い将校が部屋に入って来た。サングラスは外している。三十歳前後だろうか。百八十センチはありそうなスポーツマン体格の女性で、彫りの深い顔立ちと美しい目が印象的だった。彼女が僕のそばに立ち、横顔を見上げると胸がドキドキしてきた。

「当本部側のリーダーとしてプロジェクトに参加するミロット中尉です。お見知りおきください」

 所長に紹介されて玲央と真理が立ち上がりミロット中尉と握手をした。僕も握手をしようとしたが、ミロット中尉は僕を見下ろして微笑しただけで握手はしてくれなかった。弦に対しても同様だった。

「お二人のアシスタントとしてこの二人の男性を採用した。男性を入れると効率が落ちるからやめておいた方が良いとアドバイスしたんだが、どうしてもそばに置きたいとのご意向だったので例外的に了承した」
 所長が言うと、ミロット中尉はため息をついて
「そうですか、仕方ありませんね」
と答えた。

「どうして男性が入ると効率が落ちるんですか?」
 弦が口を開いて上官に質問した。

「この場所で男性が口を挟むこと自体が不適切なんだが、別の惑星から来たばかりということで今日の所は大目に見よう。男性が混じって性的な興奮を招くことで効率が落ちるわけだ。とにかく邪魔にならないように自制して仕事しなさい」
 所長がはき捨てるように言い、弦がそれ以上口を出さないよう、真理が弦を制した。

 僕はミロット中尉が気になり、もう一度横顔を見上げた。ミロット中尉も僕の視線に気づいて僕の目を見た。ミロット中尉の顔が少し紅潮したのを見て、僕は胸が締め付けられそうになった。

「ほら、いわんこっちゃない」

 所長が僕の股を指さした。スカートの中でペニスが痛々しいほどに直立し、スカートの尿道口があたる部分が濡れて丸いシミになっていた。シミにが出来た部分は半透明のビニールのように透けて見えている。

「失礼します」
 ミロット中尉は部屋から退出した。僕は恥ずかしいので部屋の隅で背を向けて立っていた。段々息が落ち着いてペニスがだらりとしてきた。

「さきほど自制しろと申しましたが、実際問題として男性は性的対象の異性を前にすると興奮状態に陥り理性が消失します。性的な対象として好ましいほど勃起が強くなり、それが目に入ると女性も、その男性と性交したいという衝動が高まります。ですから男性を仕事場に入れるとどうしても仕事が中断しがちなのです」
という所長の説明を聞いて玲央の顔に怒りの表情が浮かんだ。

「純弥はミロット中尉を最高の異性と認識して興奮状態になったわけですね」
 玲央が苦虫をかみつぶした顔をしていった。

「違うんだ、じゃない、違うんです。こんな服を着せるのがいけないんです」
 僕は玲央が僕を嫌いにならないよう必死で訴えた。

「この男性を責めてはいけません。男性の脳は頭ではなくペニスにあると言われます。男性は努力しても自己を制することができない生き物なのです。私たち女性の常識で男性を責めるのは酷です。それを理解することが大人の女性には必要なことです」
 所長が言った。

 玲央は僕の前に来て、
「純弥の脳ミソはこんなところにあるんだ」
と言って、スカートの上から萎んだペニスの先を指で弾いた。僕は全身を貫く痛みを感じて「ああっ」と高い声を上げてしまった。それと同時に胸がドキドキしてきて、自分のスカートを見ると先ほどのミロット中尉の時に負けないほどぐんぐん持ち上がって来た。玲央も少し上気してきて「ハア、ハア」と大きく息をした。玲央はソファーに戻ってどっかりと腰を下ろし、目を閉じて深呼吸した。

「所長、男性をそばに置くことの問題点が良く分かりました。よく注意して障害にならないように彼らを使ってみます。その上でどうしても無理だったら改めて相談させてください。もしプロジェクトから外した場合、彼らは他に働ける場所があるのでしょうか」

「男性だけの職場なら可能です。知的能力が必要な業務は男性には無理ですから六十五歳以上で再雇用した女性が知的な業務を行い、その指示の下で男性を働かせます。コールセンターか事務センターに空きが無いかチェックしてみましょう」

「その節はよろしくお願いします。知的能力の必要が無い単純作業でしたら純弥でも何とかこなせるかも知れません」

 玲央は僕に意地悪なウィンクを投げかけながら言った。

「宿舎は今年完成した外来オフィサー用のお部屋を二室確保しましたのでこれからご案内します。通称ゲストハウスと呼ばれています。午後六時に私とミロット中尉がフロントにお伺いします」

「じゃあ純弥は私の部屋で、弦は真理と一緒ということにしようね」
と玲央が僕たちに言った。

「いえ、正式の奥様でない男性の連れ込みは禁止されていますので、彼らは男子寮に入れるように手配しました。私たち女性が自制しても男性のペニスが反応したら、結果的に一生の扶養義務が生じますから、そこは慎重に」

「扶養義務とはどういう意味ですか?」

「食事をしながらご説明しますよ。あっはっは」

「純弥と弦はピックアップしていただけるんですか?」

「いえ、男性が入ると話しづらい話題もいろいろありますから……。彼らは男子寮で食事させればと考えていたんですが」

「すみません。この惑星で男性の地位が低いのは分かりましたが、私たちの地球では男女は対等で、彼らは仲間でしたから、一緒に連れて行って頂けないでしょうか?」

「男女が、対等ですか? いやはや……。この惑星でもマスキュリニズムと言って男性の地位向上を唱える考え方もありますが、それは飽くまで建前であって、現実的には知的能力が低くペニスに支配されている男性は用途が限られます。お二人の惑星でもそれは建前なのでしょうが、対等というのは極論に聞こえますね。実際に行ってみないとどうなっているのか想像もつきませんが……。まあ、今夜だけは特別にお二人の奥様に準じる扱いで連れて行きましょう。但し、明日からは彼らは他の男子従業員と同じ扱いということでご了承ください」

「分かりました。ありがとうございます」

 ミロット中尉が玲央と真理をゲストハウスに連れて行き、僕たち二人は年配の女性が男子寮まで車で送ってくれた。五時半に再び迎えに来てくれるとのことだった。寮監も年配の女性で、僕たちを部屋に案内してくれた。一畳半ほどしか無いが二段ベッドの下が収納スペースになっていて、意外にゆったりしている。ドアの遮音性も十分だし、ここならゆっくりと寝られそうだ。

「いくら女性上位と言っても酷すぎるよね。あの所長は男性のことをチンパンジー並みに思っているみたいだったよ」
 寮監が立ち去って、やっと思ったことを口にできた。

「ほんと、酷いよ。でも、服装もそうだし、玲央が昼飯の時に言ってた女性上位のアイデアとそっくりじゃない? これ、全部玲央が考えて、希望条件として登録したんじゃないかな」

 弦に言われてみると、僕たちがノーパンでフレアのワンピースを着せられてエッチなことを考えるとバレるというのは、玲央のアイデアの通りだった。要するに、僕たちは玲央の妄想に付き合わされているわけだ。それにしても玲央が頭の中で想像する内容を四人全員に同時に想像させる未来シミュレーターというものは凄い! いや、こんなリアルな想像はあり得ない……。これは実際に起きていることなのだ。

 廊下の両側に各部屋のドアが並んでいて、突き当たりに共同のトイレと洗面所がある。食堂は一階に、お風呂は地階にあり、いずれも機能的で快適だった。気に入ったのはランドリーだ。自分の着た服を部屋番号の書かれた洗濯用ネットに入れて玄関の大きな袋に入れておけば、翌日の夕方までに洗濯済みの服を部屋のドアノブに掛けておいてくれるとのことだった。

 男性は法律により下着の着用が許可されていないので、標準服のワンピースと男子寮で標準ナイトウェアとして貸与されるガーゼのネグリジェだけで済む。ワンピースの素材は薄手のシルク又はワッシャー加工(しわ防止加工)されたドレープ性の高い最軽量の生地しか許可されていないので折り畳めばポケットに入るほどのボリュームしかない。一生分の服を集めても小さな鞄に入るだろう。一方、女性の場合は衣服は上下に分かれていて厚手だし種類も多く、下着や靴下も選択肢が多い。考え方によっては、法律で衣服が制限されているお陰で男子は衣類について悩む必要が無いだけ恵まれているような気がして、玲央と真理に対するささやかな優越感を感じた。

 当惑したのはトイレだった。男性トイレは立ち小便用のスタンドはなく、男女兼用の様式だ。便座を上げて立って小便しようと、ペニスに指を触れると激痛が走った。ペニスの皮膚が極端に敏感になっているようだった。この痛みでは、ペニスの方向を指でコントロールして排尿するのは不可能なので、座って用を足すしかなかった。確かに、会議室で勃起して先端部分がスカートを持ち上げた時には、ググッと来るほどの摩擦感があり、歩いていてもスカートが揺れるとペニスがこすれるのが気になった。スカートが超軽量の素材だからその程度の感触で済むが、もし地球で女性が着ているスカートほどの重みがあったら、下着なしではペニスが痛くて歩けないかもしれない。ワンピースについて法律で規定しているのは、きっとそれなりの必要性があるからなのだろう。

 五時半に先ほどと同じ年配の女性が男子寮に迎えに着てくれて、車でゲストハウスのロビーに行った。まだ所長とミロット中尉が来る時間までには十分ほどあった。

「ありがとうございました。僕たちはここで所長さんがいらっしゃるのを待ちますので、もう大丈夫です」
 年配の女性が去らないので僕は気遣って彼女に言った。

「若い男子だけを公共の場に放置できないよ。ここは公道ではないが、不特定多数の女性が通るから、君らが興奮して知らない女性について行ってしまったら、私が所長から叱られるんだから」

「どんな美女が現れても、ついて行ったりしませんからご心配なく」
 僕は失礼なことを言う彼女に腹が立った。

「よくあることだよ。絶対についていかないと言っていても、いざとなったら男性の理性はペニスに支配されるから」

 そこに所長とミロット中尉が現れ、年配の女性は僕たちを引き渡して去った。ミロット中尉が近づくと、股間にググッとした感触があり、下を見るとやはりスカートが持ち上がっていた。ミロット中尉は瞬時に目をそらし、受付に行ってから玲央たちに電話した。ミロット中尉が数メートル離れると、スカートの盛り上がりが半分の高さになり、僕の呼吸が落ち着いてきた。

 玲央と真理がエレベーターから現れた。レストランは徒歩数分の場所にあるとのことで、六人で歩き始めた。昨日までの習慣で、僕は玲央と、真理は弦と並んで歩くが、玲央のすぐ傍に居ると胸がドキドキしてスカートの真ん中が高く持ち上がる。弦も真理に対して同様の反応をしている。

「真理、弦と純弥をスワップしましょうよ。私は純弥が傍に居ると落ち着かないから。あんたもそうでしょう」

 真理もその点は気になっていたらしく、真理は僕と、玲央は弦と並んで歩いた。僕の身体は真理にも反応したが、スカートが持ち上がる高さは玲央の場合の半分程度だった。少し鼓動は高まるが、僕は普通に考えたり行動することが出来そうだ。真理に率直にその話をしたところ、真理の方では僕のスカートが盛り上がっているのを見ると股間が熱くなるが、スカートから目を離すと数秒で平常に戻るとのことだった。

 この惑星では、男性は性的対象度の高い女性が近づくだけで瞬時に興奮状態に陥り理性による制御が不可能になる一方、女性は勃起した男性の部分を見ることで性的興奮状態になっても視界から外すと数秒で平常に戻れるようだ。絶対的に女性が優位な社会になってしまったのは、性的興奮を自分の意志でコントロールできるかどうかの差が原因なのではないか、と僕は推論した。

 レストランに到着して個室に通された。所長によると、このレストランを選んだ理由は男子を連れて入る場合必ず個室が割り当てられるからとのことだった。男性が隣のテーブルの女性に反応して性的興奮状態に陥り、それを見た隣のテーブルの女性が酔ったあまり男性を連れ出そうとするというトラブルが何度か発生した結果、そんなルールになったらしい。

 料理は地球で言うとフレンチ・イタリアンの創作料理のようなものだった。ワインを所長がテイスティングしたが、グラスは女性の前にしか出されなかった。

「僕たちはワインは頂けないんでしょうか」
 普段からワイン通を自負している弦が恐る恐る質問した。

「男性が自宅以外で飲酒することは法律で禁じられている。男性は飲酒すると性的興奮の選択性が無くなって、誰にでも反応するようになるからだ。例えば君もアルコールが入ると、私を前にしても高度に勃起するようになるし、君たちを送迎した年配の運転手が相手でも同じように勃起するんだ。つまり完全な無防備状態になるから、望まない妊娠の危険性が高まる。男性は基本的に飲酒は出来ないと思っておきなさい」
 所長の無慈悲な説明を聞いて弦は落胆した表情を見せた。

「男性が相手構わず勃起しても、女性はペニスから目をそらせば自分でコントロールできますから、妊娠の危険はそんなに高くないんじゃないでしょうか」
 真理が所長に質問した。

「女性の立場ではその通りです。しかし、もし悪意のある女性が居たら簡単に男性を連れ出して意のままに犯すことができます。例えば、自分に対して普段なら興奮しない美しい男性がそこにいるとしましょう」
 所長は僕を指さした上で話を続けた。
「その男性を無理矢理自分の所有物にしたいと思えば、お酒の入ったドリンクを飲ませて酔わせればいいわけです。そして興奮した所で連れ出してセックスすれば、その男性が妊娠して、法律上、彼は私のものになるわけです」

 僕は身震いしながら反論した。
「男性が妊娠するわけないでしょう!」

「純弥、口を慎みなさい。さっきミロット中尉から聞いたんだけど、この星では事情が違うらしいわ。妊娠・出産するのは男性なんだって。女性の卵子が男性の尿管を通って睾丸に着床して、左右の睾丸の中で赤ちゃんが育つのよ」

「まさか、睾丸には重い物をぶらさげるだけの強度はないでしょ」

「卵子が睾丸に着床したら、睾丸の中の球体が腹部の育宮いくきゅうという場所に移動して臨月まで育つのよ」

「赤ちゃんはどこから出てくるの? 僕たちには出口になる場所がないし」

「出産直前にペニスと肛門の間に大きな割れ目が生じるんだって。睾丸は二つしかないし左右同時に着床するから、妊娠は一生に一度だけしか出来ないのよ」

「じゃあ、出産後は睾丸が無いから性的に興奮しなくなって、女性のように自由に暮らせるようになるの?」
 僕の玲央に対する質問に割って入ったのは所長だった。

「君、お昼にも言ったとおり、君のご主人に対する発言は耳に余る。女性に対する敬語を使えない男性は私のグループには置けないよ」
 僕のお詫びの言葉を確認してから所長は続けた。

「睾丸が無くなった後、性的興奮の感度が低下したり、性感が弱まることは無い。睾丸のある男性は勃起した後で女性から遠ざけると数十秒から数分で勃起が収まるが、妊娠後は一度勃起すると数十分は戻らなくなる。オーガズムの時間も、男性によっては二時間にも及ぶようになるんだ。つまり、一日五回性交すれば、それだけで一日が終わってしまうわけだな。それに勃起が収まっても、おっぱいが邪魔だから行動の自由度はかなり限定されることになる」

「まさか、僕に乳房ができるということでしょうか!?」
 僕は殆ど呆然となった。

「そりゃそうだよ。オッパイは赤ちゃんを育てるのに必要だ」
と所長。

「出産後の男性のバストの平均はGカップなんだって。この惑星の女性の平均はA+だからBカップの私はデカパイの部類に入るらしいわ。もっとも、この星ではデカパイは自慢にならないことだけど」
 真理の話は僕を憂鬱にした。昨日まで僕のあこがれだったKという巨乳女優はEカップだから、それよりも二段階も巨乳ということになる。その女優はEカップだとおっぱいが重くて肩がこるし、ブラジャーが食い込んで痛いと言っていた。Gカップだと一体どんな感じになるのだろうか……。

「ブラジャーが身体に食い込むんでしょうね」
 僕はその心配を口にした。

「ブラジャーをつけられるのは女性だけだ。出産しても男性だから下着は当然禁止されている。妊夫は肩こりに悩まされるそうだが、一生続くことだから慣れるしかない。出産後の男性用のワンピースは巨大な乳房を保持する構造になっているが、女性と違って男性の乳房と乳首は極めて敏感だから、動くと性的興奮状態に陥りやすくなる。だからますます外出が困難になるんだ。私の家内も子育てが終わるまでは殆ど外出しなかったよ。妊娠前の男性はペニスの支配下にあるわけだが、妊娠後は更に巨乳の支配が加わる。巨乳は左右あるから、性の支配が三倍になるわけだな。三重苦というか、三重楽というか。私たち女性には想像もできないが、ある意味、羨ましいことだ、あっはっは」
 所長は男性を非常に低く見ているので、所長の話を聞いていると腹が立つ。

「男性の一生は本当に性に支配される部分が多いんですね」

 弦がしんみりと言った。

「そりゃあ、男性だから仕方ないわよ。私たちとは別の生き物なんだから」

 玲央が加虐的な口調で弦ではなく僕の方を向いて言った。

「でも、女性はバストも感じないし性器も鈍感なら、性の喜びが少なくて気の毒ですよね」

 僕は玲央の痛いところを突いたつもりだった。

「それが、そうでもないらしいのよ」

 真理が意味ありげに言って、女性四人がニヤニヤと笑った。

「男性を射精させたときの精液には強力な快楽物質が入っていて、男性よりも強い快感が得られると言われている。男性の場合はその快感が自分の意志とは無関係に何度も長時間続くわけだな。女性の場合は男性と違って自分がコントロールできるから、自分の意志に従って快楽を得て、明日の仕事の活力に出来るんだ」
と所長が勝ち誇ったように説明した。

「玲央さんや真理さんは相手がいませんから快感が得られなくてお気の毒です」

 僕はちゃんと敬語を使った上で、玲央と真理に対して上から目線で言った。

「私もそう思ったんだけど」
 真理が意味ありげに、ニヤニヤした。

「どういう意味ですか?」
 真理の言葉に弦が反応した。

「正しく管理されたセックス産業の存在は全ての先進国にとって重要な基盤といえる。我国でも公営の娼夫ハウスができるまでは、殆どの男性が第二次性徴を終え次第、妊娠・出産していた。屋外で性的対象の女性の前で勃起することは性交の同意と見なされるから、女性からすれば即座に連れ帰って妊娠させて自分の所有物にできるんだな。ところが複数の男性を所有するのはコストがかかるから売却せざるを得なくなる。公営娼夫ハウスが充実してきたのと同時に複数の男性を所有する場合の課税が途方もなく上がってからは、女性は娼夫ハウスで欲望を満たすようになった。お陰で君たち男性も女性と一緒なら道を歩ける安全な社会になったわけだ」

「それじゃあ、男性が女性の娼婦を買う場所もあるんですか?」
 弦が気軽に質問をしたところ、所長が弦を厳しい目でにらみつけた。

「真理さん、この男子は単なる冗談のつもりでしょうが、保護下の男子が下品で不愉快な発言をすると、あなたが評判を落とすんですよ。この惑星であなたが困らないように、失礼を承知でアドバイスしておきます」

「弦、黙りなさい!」
 真理に強い口調で叱りつけられて、弦はそれ以降発言できなくなった。

「最近は娼夫ハウスが民営化されて新手のサービスを競っていますから、お二人も楽しめますよ。男性の前でこれ以上詳しいことは言えませんが……」

 僕は今後玲央が快楽のために娼夫を買うことになるのだろうかと考えると、焦燥感が募ってきた。どうして女性だけがそんな勝手なことをできるのかと腹が立った。玲央が僕に対してまだ悪いことをしたわけではないのだが、しばらくは玲央の顔も見たくないと思った。

 食事が終わって六人でレストランを出た。僕はわざと玲央の目につくようにミロット中尉のそばを歩いた。鼓動が自分の耳に聞こえるほど高まり、歩くたびに勃起しきったペニスの先端がスカートに擦れて全身に電気が走った。自分で気になるほど喘ぎ始め、他の人と同じスピードで歩けなくなった。ミロット中尉は僕の方を見ないように、前だけを向いて歩いている。所長が僕の変調に気付いた。

「ほら、言わんこっちゃない。男子を食事に連れてくるのは勘弁してくださいよ」
 所長は玲央にブツブツ言った後で流しのタクシーを止め、僕と弦を男子寮に送って行ってくれることになった。

「じゃあ明日お目にかかりましょう」
と所長が玲央と真理に言った。

 ミロット中尉が玲央と真理と一緒にゲストハウスの方に歩いて行くのがタクシーの窓から見えた。

「明日は男子寮を八時半に出発するバスに乗りなさい」
 所長は男子寮で僕たちを降ろす時にそう言って、そのままタクシーで去った。


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