魅惑の女王に成り代わった男:壮絶な愛と挫折の物語
【内容紹介】憧れの女王陛下と自分が似ていることに気付いた若い兵士が、自分を少しでも女王陛下に似せたいと願って密かに女装をするが、現場を妹に見つかり、困惑した両親は彼に妻を娶らせようとする。結婚式の夜、彼は女王陛下に扮装して式場から逃亡し、彼の波乱の人生が始まる。英語の小説"Obsessed by Resemblance"の日本語版。
序章
この物語は13世紀インドのデリー・スルタン朝で唯一の女性君主だったラズィーヤ・スルタンの波乱の人生に触発されたフィクションだ。
1205年にデリー・スルタン朝の君主イルトゥトミシュの娘として生まれたラズィーヤは、幼少の時から父王に見込まれて戦闘技術や政治戦略を学んだ。しかし、1236年に父王が崩御した際、貴族たちは彼女の兄フィールーズ・シャーを擁立した。フィールーズの統治は失敗に終わり、ラズィーヤは人民の支持を得て彼を処刑し、王位に就いた。
ラズィーヤは国の教育制度や貧困対策を改革し、官僚制度にも手を加えた。しかし、彼女の統治は多くの反乱に悩まされた。北西部での反乱を鎮圧するため遠征軍を率いたが、彼女の軍の内部で反乱が発生し、側近の将軍ジャマールッディーン・ヤークートが殺されてラズィーヤは捕らえられた。
異母弟バフラームが王位に就いた一方、ラズィーヤは自分を捕えたマリク・アルトゥニアを説得し、彼と結婚して味方に引き入れた。しかし、彼女は1240年10月12日の戦闘で敗れ、翌日農民によって殺害された。彼女の遺体は妹のサズィーヤとともにオールド・デリーに葬られた。
ラズィーヤは男装を纏い、宮中会議を執り行い、自ら狩りに出て、戦場では軍を率いた。彼女は非トルコ系の人間を高い地位に登用し、黒人奴隷ジャマールッディーン・ヤークートを大将軍に起用したが、これがトルコ系貴族の妬みを買った。
[注*] この物語は歴史上の人物を題材にした創作であり、正確な史実に基づいて描かれたものではないことをご理解ください。本書に表明される意見等に人種、宗教、国、社会、制度、個人を傷つけたり、中傷したりする意図はありません。
Chapter One
その日は暑く、汗が背中を伝って流れ落ちたが、私の19年間の人生で最も幸せな日であったと言っても過言ではない。私はデリー・スルタン朝初の女性支配者、ラズィーヤ・スルタンとして知られる女王陛下の軍隊に加わったのである。彼女は玉座に就いてからわずか2年、まだ31歳の若さであった。
その時、覆面をした騎士が白馬に乗って、休んでいた私たちのところに駆け寄ってきた。
「スルタンが来るぞ」
と他の兵士が私の耳元で囁いた。
「気を引き締めて立て」
ラズィーヤは男性と同等に真剣に扱われることを願っていたので、宮廷や戦場に姿を見せる際には男性の衣装を身に纏っていた。彼女の上半身はシルクのカフタンで覆われていた。視線を下に移すと、サルワール(ズボン)とシルクのモカシン(靴)が見えた。できる限り隠そうと努力をしても、ラズィーヤの豊かな曲線美と砂時計のようなウエストラインは完全には隠し切れない。直接顔を見たことはなかったが、私は女王陛下の魅惑に心を奪われていた。
「戦士たちよ!」
ラズィーヤは滑らかで力強い声で呼びかけた。
「蓮の陣形に整列せよ! 蓮の戦術こそが、敵と戦うのに最も効果的な方法である」
インドの戦術の中で、蓮の戦術はラズィーヤが特に好んで用いたものであった。弓兵が中心に配置され、歩兵と騎兵が花びらの形でその周りに配されるという陣形であった。厳密に言えば、それは古代インドの戦術であったが、女王陛下はその効果に大きな信頼を寄せていたため、使い続けていた。
私は中心に位置を取り、女王陛下の指示に従い、いつでも矢を放てるように弓を構えた。その時、ラズィーヤが覆面を外し、宝石がちりばめられた羽飾りの赤いシルクのターバンが見えた。覆面を外すと、豊かな黒髪が波のように流れ落ちた。
彼女の顔を初めて見た瞬間、私の周囲の世界が動きを止めた。
私は多くの美女を見てきたが、ラズィーヤこそが最も美しいと感じた。白鳥のような首の上のハート形の顔は、どんな女性よりも優雅だった。つややかな白っぽい黄土色の肌は、比類ない健康と活力を反映していた。ベルベットのまつげ越しに見える蜂蜜色の瞳は、鹿のようだった。ラズィーヤの眉は細く、飾り気のない耳は海の妖精のようで、ふっくらとしたハート形の唇は鮮やかなルビー色だった。
私を動けなくさせたのは女王の美しさだけではなく、「何か別のもの」だった。それはとても不思議で奇妙な感覚であり、他人に話しても誰も信じないだろうと思った。私は19歳の男性でありながらラズィーヤ・スルタンと瓜二つであるという事実に気付いたのだった。
他の兵士たちは私が女王陛下と似ていることに気付かなかっただろう。なぜなら彼らは、私を男性として見ることに慣れていたからだ。私も女王と全ての点において瓜二つだと言いたいわけではないが、肌の色合い、目の色と形、鼻、口の形は同じだった。私は女王よりも筋肉質だから、戦場で兵士として立っている私が女王と見間違えられることはないだろう。私の身長は5フィート7インチであり、女王が5フィート6インチだと推定すると、身長はさほど違わないと言える。
その日の残りの時間、私は甘美な恍惚の時を送った。盾や鎧、投げ槍、剣などのことはすべて忘れて魅惑的な女王の顔だけを思い浮かべていた。家に帰ると、両親に挨拶もせず、妹のシャイスタと言葉も交わさずに部屋に入った。
私はベッドに横たわり、甘い憧れの中で、ラズィーヤの細い砂時計のようなウエストを抱きしめ、海の妖精のような耳を撫で、細い眉のアーチに軽いキスを走らせる自分を夢見た。私の唇に触れられるとラズィーヤ・スルタンはめろめろに溶けて喜びのあまり泣いた。彼女の反応に勇気づけられ、私の赤みがかったピンク色の唇は彼女のふっくらとしたハート型のルビー色の唇と重なり合い、彼女の口から甘いシロップを味わって、至福の喜びに身を浸した。
私はベッドから起き上がり、飾り気のない姿見へと向かって歩いた。私は鏡の中の人物に夢中になって長い間自分を見つめ続けた。心の中で、私は自分の太くなった眉毛が細いアーチに整えられるのを想像した。赤みがかったピンクの唇がルビー色に染まり、細い平らな体が女性の曲線に似た形に変わる様子を思い浮かべた。その時、驚くべき真実が私に降りかかった。私はラズィーヤ・スルタンに恋しているだけでなく、彼女になりたいと思っているのだった。
私はラズィーヤ・スルタンの精密なクローンになりたいと熱望した。彼女の鏡像になりたいと願っていた。
操り人形のごとく女王の模倣を望む欲求が抑えられなくなってきた。しかしながら、その欲求を具現化するにあたって現実的な障害が立ちはだかった。私はラズィーヤ・スルタンが男性の服装に身を包んでいる姿しか見たことがなかったため、女性らしい衣装や宝石によって彼女がどのように見えるか想像もつかなかった。ラズィーヤが男性のように歩み、馬に騎乗する姿を目の当たりにしていたが、彼女の白い手の愛らしい仕草や、腰の女性らしい揺れ、まぶたの繊細な動きを観察する機会は夢の中でしか得られなかった。
この問題を解決すべく、彼女の女性らしい姿を知るためには女王の個室に侵入する必要があることを悟った。愛する人をより完璧に愛せるように、彼女のクローンになるためには女性としての絶頂期にあるラズィーヤの姿をこの目で見ることが必須であった。
しかし商人の息子である私が王宮への潜入を果たすことは容易ではなかった。それゆえ、自らの役割を磨き上げ、必要な道具を数時間かけて揃えた。徒歩での短い旅を経て、緻密な花柄と幾何学的な星のデザインで美しく飾られた宮殿のドームとミナレット(塔)が姿を現した。デリーの街並みを彩る壮麗なミナレットに見惚れながら門の番人に接近した。彼は一見鈍重に見えるが、年齢に伴う知慧を備えた90歳ほどの老人であった。彼の目は輝かしく鋭い光を放っていた。
「サラーム(あなたに平安あれ)」
と挨拶をした。
「女王陛下にお目にかかりたいのですが」
「まず、あんたは誰なのかを名乗ってくれ」
と門番が言った。彼の鋭く青い瞳が疑い深く私を見つめていた。
「私は女王陛下がモスクでお逢いになった聖者の息子でございます」
と私は無邪気かつ真摯な口調で答えた。
「父は女王陛下をお守りする神聖な腕輪を贈りたいと存じております。しかし、父は老齢で関節炎に悩まされているため、自らここに来ることができませんでした。故に、私が女王陛下に腕輪をお届けするようにと申しつかったのです」
「腕輪ですか」
と老門番は言った。
「それを見せてもらっていいですか?」
「もちろん」
と私は答えて、緻密な作業により創り上げた、スパンコールで飾られた腕輪を取り出した。言うまでもなく、その腕輪には何ら神聖な意味はなかった。
「確かに本物のようだ」
と門番は言い、それまで自分が疑っていたことを隠そうとしなかった。
「ただ、見知らぬ若者を王宮に入れることを女王陛下がお喜びになるかどうかわからない。私にその腕輪を渡してくれれば後で女王に届けておこう」
「申し訳ありませんが、」
と私は決意を込めて言った。
「女王陛下ご自身に腕輪をお渡しするようにと父から頼まれました。どうしても中に入れてくださらないということなら、腕輪を渡さず持ち帰るしかありません」
そう言って、私は立ち去ろうとした。
「ちょっと待ってくれ」
と老いた番人が渋々言った。若い同僚の門番と何やら言葉を交わした後、彼は私に言った。
「分かった。あんたを中に入れることにしよう。ただし、30分で戻ってくるように。女王陛下はお忙しい方なので」
「ありがとうございます」
と礼を言って、私は美しい宮殿の庭へと入った。
宮殿の中に入ることが許されてほっとした。そこにはエナメルや金メッキガラス、象嵌、金属、木工細工などの建築の美しさが溢れていた。柔らかいトルコ風のカーペットが大理石の床を覆っていた。狩りの館や小さなモスクを通り抜けて、女王の寝室に辿り着いた。ラズィーヤ・スルタンは男性と同じく強く独立した自分を誇りに思っていたため、彼女の部屋の入り口に宦官はいなかった。私は、淡いピスタチオグリーンのカーテンを通して女王の部屋の内部を覗き、目に飛び込んだ光景に息をのんだ。
ラズィーヤ・スルタンが女性の衣装を身につけて王座に座っていた。彼女はシャツを挿し込んだバギーパンツの上に、豪華な刺繍が施されたローズピンクのカフタンを着ていた。手首のフリルが、彼女の手首の繊細さを際立たせていた。戦場で剣を振るっていたのと同じ手だとは思えなかった。小さなプラム色の装飾用の帽子がラズィーヤの美しい黒髪の上に乗っていた。エレガントなマルチカラーのスカーフが首の後ろで結ばれている。彼女は、銀糸と真珠で刺繍されたシルクのベルベットを巻きつけた靴を履いていた。
ラズィーヤは見事な装身具を身に着けていた。頭の上部から逆さに垂れる花の形をしたフールという髪飾りが美しく煌めいている。白鳥のような優雅な首には、約9本の金と銀のネックレスがかけられ、それが腹部にまで届いていた。女性が腕を露出することは縁起が悪いとされていたため、腕輪がしなやかな腕を飾っていた。長い孔雀の形をしたイヤリングがラズィーヤの繊細な耳にかかり、肩の布地に触れていた。女王が全身鏡の前に立ち、自分の姿を見ようとして体を動かすと、ローズアター(香水)の魅力的な香りが私の鼻をかすめた。
女王が衣服を脱ぎ始めると、私は思わず息を呑んだ。ラズィーヤは戦場でも名高い緻密な手つきで一つずつ装飾品を外し始めた。次にスカーフが外れ、そのクリーミーな首の大部分が露わになり、続いてカフタン、ベスト、サルワール、そして靴を脱いだ。ラズィーヤはそれらを風雅な無関心さでベッドの上に放り投げた。今さら私は逃げ出すことができなかった。女王は柔らかいムスリンの下着まで脱いだ。私は細かい金糸で刺繍された下着を見つめながら驚愕に固まった。
女王が全てを脱いで入浴に向かうところで私は思わず目をそらした。彼女が不透明なカーテンを引いた時、私は得体のしれない強い力に支配されて、ラズィーヤ・スルタンの部屋の中に忍び込んでベッドの上の服や宝石を拾い、ベッドの横にあった布の袋に詰め込んでいた。ドレッシングテーブルの鏡の前をチェックし、香水のボトルと女王の化粧箱のように見えるものを見つけた。振り返ることもせずに宮殿を飛び出し、息を切らさずに正門まで走り続けた。
「よろしい、20分で戻ってきたか」
と番人は宮殿の前にある古い時計を見ながら言った。次に、彼の鋭い視線が私の手に持っている荷物に移された。
「それは何だ?」
と彼は疑わしげな声で尋ねた。
「ああ、ただの女王のお古の服です」
と私は平然を装って言った。
「女王陛下は、腕輪を受け取って喜んでくれて、妹にプレゼントするために古い服をくれました」
「そうか」
と番人は私の説明を受け入れて言った。
「女王陛下の服を着ることができるとは光栄なことだ。あんたの妹は幸運な娘だね」
「確かにそうですね」
と私は言って、笑いだしたくなるのをこらえた。その幸運な娘が私自身だとは言えない。
昼間はラズィーヤ・スルタンの兵士として訓練を受けたが、彼女がほとんど私の方を見てくれないことにそこはかとない寂しさを感じていた。
家に帰ると自分の部屋に閉じこもって、彼女の部屋から盗んだ贅沢な宝物を手に取った。私は服を脱ぎ捨てて、ラズィーヤの美しく柔らかいムスリンの下着を頬に当ててみた。それは汗とラズィーヤの香りがした。私はそれを着て、自分が女王のそっくりさんに変わり始めるのを感じた。
豪華に刺繍されたローズピンクのカフタンを身につけると、今までにないほど豊かな気分になった。薔薇の花びらの形をしたボタンを留め、胸が女性のように優しく膨らんでいたらと願った。ハンカチを2枚取ってきてドレスの前に詰めた。袖と襟がなく刺繍されたピスタチオグリーンのベストと、ローズピンクのカフタンの女性らしい対比を楽しんだ。女王の刺繍入りのスリッパに足を滑らせるとそれは私の足にぴったりだった。キャップや頭飾り、ネックレス、イヤリング、アームレット、バングル、スカーフを身につけると、私はラズィーヤ・スルタンそのもののように見えた。
まあ……ほとんどそうだった。残念ながら私は髪が短すぎ、眉が濃すぎ、唇が薄すぎて、女王として通用するには程遠かった。
それから数日間のうちにウィッグを手に入れ、眉をこっそり整え、パーン(ビンロウの実を葉で包んだ清涼剤)を噛んで唇を赤くした。オイルや軟膏を体に塗り、アイラインを描くと、以前よりもっとラズィーヤ・スルタンに似て見えた。
自分の姿を鏡で見ている時に足音が聞こえた。振り返ると、15歳の厄介な妹シャイスタが私の部屋のドアを開けたところだった。
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