恋のセレンディピティ(TS小説の表紙画像)

恋のセレンディピティ

【内容紹介】女弁護士シルヴィアが「女性による女性のための探偵事務所」の看板弁護士として数奇で心躍る事件を経験する。シルヴィアは14歳の初恋体験がトラウマとなっており、女弁護士やアシスタントの女性と肉体関係を持っている。レズビアンMTF三部作の最初の作品。

第一章 青い目の少年

 コーヒーの甘い香りが立ち込め、トースターがチーンと音を立てる。

 バンドラ・ウェストにある高級マンションの2ベッドルームの自宅で、私はいつものようにコーヒー、トースト、フルーツとヨーグルトの軽い朝食を一人で楽しむ。始業時間まであと一時間。既に私はベージュのタイトスカート、ボルドー色のブレザーと茶系のハイヒールでいつでも出勤できる状態になっている。知的財産権絡みの訴訟案件を抱えているので、ラップトップPCで商標法関係を一通りおさらいした。

 私は大手弁護士事務所に勤務する二十九歳の弁護士で、年収は約百万ルピーというところだ。自分で言うのもなんだが有能な美人弁護士として一定の評価を得ている。百七十センチの細身で、長い黒髪がチャームポイント。女としてそこそこ魅力的だと自負している。

 仕事は順調なのに、しばしば虚無感に襲われて空しい気持ちになる。できるだけ思い悩まないようにしているのだが心の空白は埋まらない。

 朝食を終えて食器をシンクまで運び、アッタッシュケースを持ってマンションの部屋を出る。駐車場まで歩いて、オレンジ色の愛車アルトに乗り込み、チェンバー・イーストのワダバリにあるオフィスへと車を走らせる。近年ムンバイの道路の混雑は悪化する一方で、半時間のドライブの間、対向車線を走る自動車のドライバーから浴びせられる視線にはいつもウンザリさせられる。

 私はあんな男たちにはこれっぽっちの興味もない。私の心の中に居場所がある男性はアシュラフだけだ。ヘーゼルブラウン色の目をして艶のある茶色い髪のアシュラフの色白な顔が目に浮かんで、胸がキュンとなる。最後にアシュラフの姿を目にしてから既に十五年になるが、記憶は今も鮮明に残っている。

「シルヴィア、いつまでも思い出に支配されちゃダメ。十四歳の時の元カレに今でもこだわるなんてバカげてる。大昔のことは忘れて、目の前にあるものをもっと大事にしなきゃ」
と私は自分を叱咤する。

 でも、アシュラフの記憶は容赦なくぶり返す。

 十四歳のころの私はやたら背が高くて、クラス対抗の陸上競技の選手だった。その年、私は男女混合の五千メートル走に出場した。五千メートルは長距離種目に分類されているが、序盤のスピードも必要で、スピード配分に戦略が要求される種目だ。私は坂道でのトレーニングなどの猛練習を重ねて、持久力とスピードの両方が備わった身体を作り上げた。

 競技の当日、私は一分当たり百八十歩のペースを維持して黙々と走った。最終周に差し掛かった時には、並み居る男子を押さえて私が先頭を走っていた。

「勝てる」
 私は勝利を確信して同じペースのままゴールを目指してひた走った。

 その時、後方から差を詰めてくる走者の気配がした。あっという間に私の右に並びかけた走者の横顔が見える。転校生のアシュラフだった。アシュラフは「ごめんね」とでも言いたげな感じの涼し気な微笑を浮かべて私を見てから、ぐいぐいと長いストライドで私を抜いて行った。

 その後ろ姿を見て私は恋に落ちた。

 アシュラフは四ヶ月前に転校して来たばかりだったが勉強が良くできて学期末の試験は学年で二番だった。学業だけでなく、ディベート、演説、クイズなどの課外活動も活発にやっていて、頭のいい子だなと思っていた。クラスの他の男子はガサツで女子にやたらちょっかいをかけてきたりして煩わしいが、アシュラフはいつも落ち着いていて行儀がよかった。運動もできる子だとは知らなかった。

 結局、私は五千メートル走で二位に終わってしまったが、負けたにもかかわらず爽やかな気持ちだった。こんな素敵な男子に負けたことは光栄だと思った。私はアシュラフの所に歩み寄って心からおめでとうと言った。

 アシュラフは私の祝福の言葉に対して控えめな返事をした。

「まぐれだよ。殆どシルヴィアが勝っていたんだけど、最後までストライドを伸ばそうとする気持ちで脚を前に出していたら何とか追い抜けた」

「アシュラフはゴール近くでぐいぐい伸びて、とても追いつけなかった。すごかったわ」

 そばに居るとアシュラフの筋肉の盛り上がった太股、引き締まった腕、それに男らしい態度を否が応にも意識させられた。彼の身体から放たれる強いムスクの香りが私をメロメロにした。今まさに絶頂にある若くて健康な牡鹿が、優美な人間の姿で私の前に現れている。相反する二つの要素が私を完全に悩殺して、膝がガクガクと震えた。

 自分がそんなインパクトを私に与えていることをアシュラフが気付いているかどうかは分からない。もし気づいていたとしてもそぶりは見せなかった。彼はヘーゼルブラウン色の目を輝かせながら、他の人に話すのと同じように平然と私に話しかけた。

 その日の夕方、アシュラフは私をコーヒーに誘った。私はとっておきのワンピースに着替えて待ち合わせの場所に行った。アシュラフは既にそのカフェに来ていた。彼は黒のジーンズ・パンツとそれに合わせたポロシャツを着て、粋な感じにまとめていた。私が店の前まで来たのに遠くから気付いて、アシュラフはきらきらとした目を輝かせながら手を振り、ドアまで駆けて来て私の為にドアを開けてくれた。

 彼は私をテーブルまでエスコートして私の為に椅子を引いてくれた。私たちはコーヒーを飲みながらよもやま話をした。アシュラフはユーモアがあって、私はずっとクスクスと笑いっぱなしだった。あんなに楽しかったのは生まれて初めてだった。

 店を出る時、アシュラフは私に払わせようとしなかった。男女の区別なく割り勘にするのがルールだったので私も払いたかった。

「私にも払わせて。割り勘にしようよ」

「じゃあ、今日は僕が払うから、次はシルヴィアが払って」
と言ってアシュラフが払ってくれた。それは、もう一度行こうという誘いと同じだった。思わず頬が熱くなった。

「わかったわ。今度は私に払わせてね」
と恥ずかしさを押し隠して答えた。

 

 それをきっかけにデートが始まった。毎日学校が終わるとコーヒーショップや海岸に行くか、私の家に来てもらって部屋でデートを重ねた。アシュラフは両親が中近東で働いているので一人で学生寮に住んでいた。

 アシュラフのことを考えていると、みぞおちに奇妙な甘い衝動を感じることが何度もあった。私はそれが性的な欲望なのではないかと思うようになった。でも、私のアシュラフに対する感情はそんな単純な性欲的なものではなかった。私はアシュラフの中身を深く愛していた。優しさ、ユーモア、心と魂を。

 アシュラフも私に対して同じように感じていることは分かっていた。彼が愛情をこめて私を見る視線でそれが分かった。

 私が心酔していることを知っていても、アシュラフは私の弱みに付け込もうとはしなかった。もし彼に誘われていたら私は何でも捧げていただろう。付き合い始めてから四ヶ月の間、彼は手をつなぐ以上のことは一切しなかった。

 クリスマスイブに呪縛が解かれた。彼が私に始めてキスをしたのだった。軽く唇を触れ合わせただけだったが、どんなディープキスよりも情熱のこもったキスだった。胸がキューンとなって上半身に痺れが走った。アシュラフはあまりにも紳士的で、それ以上のことをしようとする気配は無かった。でも、私は淑女では居られなかった。私は彼に抱き着いて激しいキスを返し、ほどなくアシュラフも応じて私にキスをした。

 お互いに抱き合ってキスを続けたが、それ以上エスカレートする前にアシュラフは私を腕から離し、優しく、でもきっぱりとした口調で「おやすみ」と言って学生寮へと帰って行った。そして私は夜道を家まで歩いて帰った。

 その夜、私はこの上なく幸せな眠りについた。

 翌日のクリスマスの日は家族や親類と楽しい時を過ごした。何度もアシュラフのことが頭に浮かんだが、家族の手前、学生寮に電話をしてまでアシュラフと話をするのは控えた。

 クリスマスの翌朝、私はスッキリとした気持ちで目を覚ましておしゃれな服を着た。一昨日の夜、アシュラフと私の関係は第二段階へと進んだ。これからも付き合いを重ねる毎日を頭に描く。出来る限り早く一緒になりたい。二人が成人したらその年に結婚するのだ。

 世間には何人もの人と付き合い、しっくりくる人に出会うことなく年を重ねる人たちが大勢いる。私はたった十四歳なのに、既に最良のパートナーを見つけたのだ! 

 スクールバスに乗り、アシュラフの茶色い髪が朝の光に輝いているのを見たくて、バスの中を探した。しかし、彼がいつも座っている席には誰も居なかった。私はがっかりして、近くの席にドスンと腰を下ろした。クリスマスの日に会いたいのに会えなかったので、一刻も早く愛する人の顔を見たかったのに……。

 アシュラフは次の日も、そしてその次の日も学校に来なかった。学生寮に電話をしたら不在だと言われた。一体どうしたのだろうか? 不安に駆られて、その翌日メアリー・アン先生に聞きに行った。

「クリスマス明けから休んでいたから心配していたんだけど、昨日の午後保護者の方から事務局に退学するという電話があったそうよ。確か、お父さんはドバイで勤めているから、何かの理由で急に中近東に引っ越しすることになったんじゃないかしら」

 私はショックで物も言えなかった。中近東の親元に引っ越すなら、クリスマスイブには分かっていたはずだ。あのキスは何だったんだろう? 一生の絆を確かめ合うようなキスを交わしながら、私に何も言わずに行ってしまうなんて……。

 十四歳の私の心はズタズタに引き裂かれたのだった。

第二章 生ぬるい関係

 私はメアリー・アン先生から聞いたことを受け入れることができなかった。

 一週間ほど経った後もアシュラフのキスの感触が唇に残っていた。彼に抱かれた時に背中に押し付けられた逞しい腕の感触が忘れられなかった。そして、アシュラフの優しい目でじっと見つめられた時に高鳴った胸の音も。

 事務局の人が聞き間違えたのではないだろうか? そうだ、きっとアシュラフはお父さんの休暇に合わせてドバイに遊びに行っただけで、今夜にでも帰ってくるかもしれない! 居ても立っても居られない気持ちになって、学校の帰りに学生寮に立ち寄った。玄関から入ると、すれ違う寮生からジロジロと見られた。男子寮に女子が入ってくることはまずないからだろう。

 たまたま目が合った愛想のよさそうな男子にアシュラフを知っているかどうか聞いたところ、アシュラフ・ザイードなら知っているが、退学したそうだとの返事が返ってきた。メアリー・アン先生の言った通りだった。しかし、アシュラフが私に何も言わずに退学したという話はとても受け入れられなかった。私は舎監室に行って同じ質問をしたが、アシュラフは退学したとのことだった。引っ越し先の住所や電話番号を知っていたとしても学校の事務局経由の問い合わせにしか答えられないと言われた。私は茫然として舎監室を出た。もう現実からは逃れられない。

 私は廊下にぺシャンと座り込んだ。涙が頬を伝わってスカートの上にポタポタと落ちる。こらえられずにすすり泣いた。寮生たちが何があったのかと集まって来て私を遠めに見ている。最初はすすり泣きだったのが、えーんえーんと声を出して泣いてしまった。恥をさらしていることは分かっていたが、泣き止むことはできなかった。しばらくすると舎監が部屋から出て来て慰めの言葉をかけてくれた。先ほどは規則に従って型通りの返事をしたが、アシュラフは一旦コルカタに行ってからご両親と一緒に中近東に行くと言っていたと教えてくれた。

 私は二、三日かけて現実を受け入れ、何とか立ち直った。青天の霹靂のような失恋で身も心もズタズタになったが、前を向いて生きて行かねばならない。気持ちを紛らわすために、他に打ち込めるものを見つけた方がいい。手っ取り早いのは勉強だった。私はいつの間にか勉強の虫になり、学年末の試験で一番になった。

 第十二学年(日本で言うと高校三年)の途中に、父の仕事の都合で家族は出身地のケララ州へと引っ越し、私は一人ムンバイに残って女子寮に入って勉強を続けた。

 卒業と同時に五年制の法科大学に進んだ。私は十四歳での失恋以来、猛勉強するのがクセになっており、いつも成績は良かった。かといって青白い秀才ではなく、ランニングは怠らなかった。陸上部には入らなかったが、トレーニングを続けたおかげで均整の取れたスリムな身体を維持することができた。法科大学を卒業する頃には顔のニキビもすっかりなくなって、私はぞうつけないアヒルから美しい白鳥へと変身していた。

 ずっと「男捨離」していたわけではなく、おせっかいな友達の勧めもあって在学中も、働き始めてからも何人かの男性とデートをした。でも、本気になれる相手は一人も現れなかった。彼らは一様に優しく、客観的に見てそこそこのレベルの男性だったが、私はどうしても初恋の人と比較してしまった。アシュラフと私を結び付けた恋の魔法は、どういう訳か他の男性には全く働かなかった。

 インドで法科大学を卒業するのは容易では無いが、卒業できれば司法試験はほぼ自動的に合格する。私は男性関係のことは真剣に考えず、勉学に励んだ。でも、アシュラフのことは折に触れて頭に浮かんだ。

 二十七歳の時、そんな私に新しい出会いの機会が訪れた。

 私が勤めていた弁護士事務所にプージャ・ミシュラという小柄な新人が入って来た。彼女はウェイダバリにある社員宿舎から通勤していたが、カフパレードに小さなマンションを所有していた。彼女は二十四歳の弁護士で、話し好きで、非常に親しみやすい感じの女性だった。プージャは十四歳の頃の私と同じぐらい「天然」だった。仕事でも自然体かつ有能で、私のようにしつこいほど論理的ではなく、秩序だって物事を整理するタイプでもなかった。私はプージャの明るくて活気のある性格に魅かれた。

「先輩、肩の力を抜いてください」
とか、
「眉間にしわが入ってますよ」
と言うのがプージャの口癖で、私もオーバーオールとか、短いプリーツスカートとか、ストラップのトップスなど「女の子らしい」服装にした方が良いと勧められた。

 帰り際にプージャから突然、
「お食事に行きません?」
と誘われることが何度かあった。週末には私の方から言い出して一緒にトレッキングに出かけたこともある。私は週末は身体に良いことをしたいという意識があり、プージャを誘ったところ喜んでトレッキングについて来た。

 ある日、会社の帰りにプージャを助手席に乗せてマリン・ドライブまで行った。ビーチで車を停めて一時間ほどぶらぶらした後、彼女のカフパレードのワンベッドルームのアパートに行ってお酒を飲んだ。プージャはお酒が非常に強く、ウィスキーのボトルが空になるまで飲み続けた。私はウィスキーはグラス二杯までと決めていたが、勧め上手なプージャの言葉に乗せられて、つい上限を超えて飲んでしまった。鼓動が速くなり、部屋がぐるぐると回った。トイレに立とうとするとフラフラして、プージャの肩を借りてやっと立てるという有様だった。

 プージャはしっかりしていて、トイレから出て来た私の背中に腕を回してベッドルームまで連れて行き、私をベッドの縁に座らせた。プージャはヒップホップ系の音楽をかけてから私の横に座った。気が付くと、私たち二人は激しいキスを交わしていた。女性とディープキスをするのは初めてだったが不思議と抵抗を感じなかった。

 遠い昔のアシュラフとのキスの思い出が頭に蘇った。その後何人かの男性と関係を持ったが、あのキスと比べると何の興奮もなかったという気がする。それなのに私は今プージャとのキスに胸をドキドキさせている。彼女の唇は柔らかくてぷにゅぷにゅしている。私の腰に回された彼女の腕は万力のように強く、それでいて華奢だった。

 プージャはティーシャツを脱いで、小さなピンクのレースのブラジャーを着けた上半身を露わにした。ミニスカートとブラジャーだけの姿になったプージャはとても可愛いかった。彼女のお腹はカップケーキを食べ過ぎたかのように膨らんでいる。彼女は私を立たせて、音楽に合わせて私の周りで跳ねたりお尻を振ったりした。

 私は殆ど無意識的にブラウスを脱いで上半身がブラジャーだけの姿になった。窓から吹き込む海風に肌を洗われて我に返った。黒いブラジャーとグレーのズボンという恰好で、女友達と向き合っている自分に気付く。

 プージャは私の周りでヒップホップダンスを続けている。いつしか私も音楽に合わせて相手を挑発するかのように身体を動かしている。プージャとお尻をこすり合わせる度に背筋に快いうずきが走る。

 その時、プージャがブラジャーを外してベッドの上に投げた。一瞬の動きだった。彼女は丸くて可愛い胸をしていて、可憐な乳首は茶色っぽい珊瑚色だった。私は腕を伸ばして彼女の可愛い胸を揉みたい気持ちを抑えることができなかった。プージャは軽い呻きを洩らしながら、私のブラジャーの背中のホックを外した。プージャに乳首を吸われると快感に我を忘れそうになった。私たちはお互いを激しく求めあって果てた。

 

 翌朝目が覚めた時は二日酔いで頭がガンガンしていた。

 プージャは既に起きていて、テディーベアの模様のパジャマ姿で大きなマグカップを持った手を差し出した。

「濃いコーヒーを飲んだらスッキリしますよ、先輩!」

 マグカップを受け取って熱いコーヒーをすすった。頭の中のクモの巣が徐々に晴れて来ると、上半身裸でベッドの上に座っていることに気付いてシーツで胸まで覆った。昨夜の出来事が頭の中にプレイバックされた。黒いブラジャーがベッドの端に無造作に置かれているのが目に入って恥ずかしくなった。

 プージャに目を遣ると、彼女は何も気にしていないようだった。楽しそうにハミングしながら、さりげなく私に微笑んだ。

 何か言わなければと思った。

「えーと、プージャはコーヒーを飲まないの?」

「私は要らないんです。シャワーを浴びてすっきりしましたから」

 私は恐る恐る問いかけた。
「あのう、プージャ……昨夜のことは……」

 さも呆れたという表情をしてプージャが答えた。

「取り立てて言うほどのことはありませんでしたよ」

「お互いにキスをして触れ合ったわよね。ちょっとまずいことをしちゃったかも……」

「先輩、なに言ってるんですか?!」
とプージャがいらいらした様子で言った。
「上品ぶらないでください。先輩はまだ若いんですからもっと弾けなきゃ。羽目を外して楽しんでくださいよ!」

「まあ、そうかもしれないわね。昨日の夜の一線を越えない限りは……」
と私はもじもじとしながら答えた。

 プージャは肩をすくめて笑った。
「それは先輩次第ですよ。私はしたいと思ったことはどんどん実行します。人生一度きりですから。先輩がお嫌だったら無理強いはしませんけど、今後お食事に誘う時にはそのつもりで来てくださいね」
と言って彼女はいたずらっぽくウィンクした。

 私は仕方なく微笑み返した。

 

 プージャには魅かれていたが、本当に好きかと言われると自信が無かった。時間をかけて考えないと答えは出ないと思った。

――しかし、これは自然な関係では無い……。

 職場に行くとプージャと顔を合わせることは避けられなかった。あるIT会社からマーケティングとマネージメントに関する法律的なアドバイスの依頼が入り、緊急案件だったので私とプージャの二人で担当するようにとボスから命じられた。

 それからしばらくプージャと四六時中顔を突き合わせる毎日が続いた。プージャは昼も夜も私のそばに居て、私は自分だけの時間を失ったと言えるほどだった。彼女はコーヒータイムも昼食時も金魚のフンのようについて来た。

 好きな相手がそばに居るのはある意味で心地よかったが、たまには一息つきたいと思った。昼休みも、彼女は好き嫌いが多いのに私が社食のサラダバーに行く時には必ずついて来た。私は定期的にジムで汗を流すことにしているが、プージャはジムにまでついて来た。運動は得意でないのに、私に好かれようとして真似をするのを見ていると痛々しい気がした。プージャは私が片時も視界から外れるのを許さず、トイレにまでついて来るようになった。お陰でおちおちオシッコをすることもできなかった。

 仕事が忙しくてオフィスで寝ることもあった。家に帰ったら帰ったで、夜はプージャから必ず長電話がかかってくる。私にとってプージャはセクシーだったし、話も楽しかったが、一息つかせてほしいと思うことが増えた。でも、プージャは私のそんな気持ちには一向に気付かない様子で、私のプライバシーを奪い続けた。

 仕事でクタクタになったある日の夕方、プージャが私をカフパレードの部屋で一緒に食事をしようと誘った。

「たまにはいいじゃないですか、先輩。いいワインが手に入ったから、ピッツァをオーダーして一緒に飲みましょうよ!」

 一旦は断ったが、彼女の言葉に乗せられてOKした。その日はとても疲れていたので、渋滞したムンバイの道路をバンドラ・ウェストにある自分のアパートまで一時間も運転したくないという気持ちもあった。私はプージャの車の助手席に乗った。プージャの愛車はナノで、彼女自身のように陽気な明るい黄色の小さな車だ。

 運転しながら彼女は明るい声でおしゃべりをし続け、私は聞き役に回った。どうしてプージャにそんなエネルギーが残っているのか不思議だった。その日は大勢の人との面談をこなして疲れ切っていたのだが、プージャにとってパーティーをするためのエネルギーは別物だったのだ。

 カフパレードのプージャの部屋に着いたのは午後八時半だった。プージャはすぐにピッツァをオーダーしたが、ニ十分ほどで配達された。午後九時には二人でワインを飲みながらピッツァを食べていた。

 疲れていた私はプージャの寝室に行ってベッドに寝転がった。プージャはテレビでサッカーの試合を見ながらピッツァを食べていたが、私はうたた寝をしたようだった。

 何かが唇に触れて目が覚めた。プージャの人形のような顔が私の目の前にあった。壁の時計は午前二時を指していた。

「もう、勘弁して。寝させてよ!」
と私は不平を言った。

 プージャはクスクスと笑いながら私に長いキスをした。私はいつの間にかプージャの唇に吸い付いて奥深くまで舌を差し込んでいた。

 長い間ディープキスに夢中になり、口を離した時には二人とも息を切らしてハーハー言っていた。

 私はすっかり濡れていたが、とにかく眠りたいという気持ちの方が圧倒的に強かった。

「もう寝かせて」

「先輩、なに言ってるんですか。今度お食事に誘ったらそれが何を意味するか、私、言いましたよね?!」

「確かに言ってたわね」
と私はあきらめ、プージャが私のシャツのボタンを外すのをなされるがままにしていた。

 プージャが服を脱いで裸になるのを冷静に見物する。ふわふわした丸い身体を見ていると私も我慢できなくなった。

 欲望に操られるがままにベッドから起き上がってシャツとスカートを脱ぎ、自分の引き締まった浅黒い身体を一瞥する。私がブラジャーを外してショーツを脱ぐと、小柄な恋人はコケティッシュに見上げながら私の乳房に手をやって、私をベッドに押し倒した。

 M字に立てた私の膝をプージャが両手で押し広げて脚の付け根に顔を埋めた。彼女の動作の一つ一つが私に歓喜を呼び起こし、恍惚の渦巻きを掻き立てた。繰り返し訪れるエクスタシーがここ数日間の疲れとストレスを吹き飛ばした。

 次は私の番だった。プージャは私の下で何度も騒々しくオーガズムに達した。自分と同じ女性を抱くのは奇妙な気分だが、その結果プージャが感じているということが私をいい気持にした。

 愛し合うことによって心と身体が癒されたが、しばらくして歓喜の余韻が薄れてくると、こんなことをしていいのだろうかと気に病み始めた。私はプージャを愛しているわけではない。セックスをしたいがために愛しているふりをするというのは倫理的に正しいことではない。

 翌朝、私は朝食を食べながら胸の内を正直にプージャに話した。

 私の話を聞いて、彼女の顔は見るからに蒼白になったが、大したことではないかのように肩をすくめただけだった。

「いいですよ。私も別に先輩に恋をしていたわけじゃなくて、何か新しいことをしたかっただけですから」

「そう、じゃあお互い様ね」
と私は躊躇いながら言った。気まずい沈黙が部屋全体を満たした。プージャと私は服を着替えて出勤の用意をした。

 弁護士事務所までのドライブはとても気まずいものだった。いつもは元気いっぱいのプージャが別人のように押し黙っていた。私の胸に後悔に似た気持ちが湧きあがった。もしかしたらプージャは私のことを本気で好きだったのかもしれない。

 いや、私があんなことを言ったからプライドを傷つけられて怒っているのかもしれない。そうならいいのだが……きっとそうだ。

 そんなことがあってからプージャは私に寄って来なくなった。同じチームで仕事をしていたが、プージャは二十八歳の同僚の男性と公然といちゃいちゃするようになった。そうすることで私に嫉妬させようと思ったのかもしれないが、私は気にしなかった。私の無関心さに気付いてプージャはがっかりしたようだった。

 落ち着かない毎日が続いたが、私は以前の通り仕事に没頭した。一年ほど経って、プージャはビハール州のパトナに新しい仕事を見つけてムンバイから出て行った。最後の日に職場でお別れパーティーをやったが、プージャが私のところに来て言った。

「私、前に進むことにしました」

 それを聞いて肩の荷が下りた気がした。あの日、私はうかつにも可愛い愛人だったプージャの気持ちを傷つけたのだった。許してくれて本当に良かったと思った。


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