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お気に召すまま:異性の異性は同性?

【内容紹介】大学1年の夏樹は憧れの由梨から学食に呼び出され「頼みがあるから家に来て欲しい」と言われる。喜び勇んで由梨の家に行くと、クリスマスから新年までのバイトの代役を引き受けて欲しいと頼まれる。女装バイトをきっかけに女性化する小説。

第一章 三人の女子

 昨夜寝る時にはアパートの窓が強風でガタガタと音を立てていたが、台風は真夜中のうちに関東地方を突き抜けたらしく、カーテンを開けると穏やかな朝の光景が窓の外に広がっていた。道路を隔てた高層マンションの側壁は柔らかな陽ざしを浴びて青い空を背景に映えている。マンションの横を走る県道からの排気ガスも空気中の埃も風雨が絡め取ってくれたようだ。台風一過とはまさに今朝にぴったりの言葉だと思った。

 駅の手前の住宅街を通ると家屋の塀が十メートルにわたって倒れていて、昨夜の暴風の強さを物語っていた。ほんの数時間で嘘のように穏やかな天気になるなんて、女心と秋の空とはよく言ったものだ。

 女心が移り気といっても誰でもそうだというわけではない。僕の短い人生経験から言わせてもらえば、移り気な人は決まって美人だ。「一緒に行こうね」と約束しても、いざ約束の時間になったら「ごめん、行けなくなった」とLINEが来るだけで本人は現れない。普通の女の子なら少なくともどんな用事が出来たから行けなくなったと理由ぐらいは言ってくるものだが、美人だと「ごめん」で済ませてしまうのだから怖ろしい。

 幕張駅で電車を降りて商店街を抜ける道を大学に向かって歩く。信号のところで「おっはあ」と肩をたたかれた。同じクラスの大屋敷明美だった。

 明美は約束をドタキャンする場合に「ごめん、行けなくなった」で済ませられるかどうか、どちらとも言えないレベルの女性だ。スタイルはまあまあだし、十八歳の女子だから誰でもそこそこに美しいが、不義理をしても許されるというほどの美人ではない。

本条ほんじょう君、相談があるんだけど、今日の昼休みに時間を空けてくれない?」

「今日の昼休みかあ……」

 特に予定はなかったが、一瞬言葉に詰まった。明美とはクラスの飲み会で隣り合わせたことがあって、普段も顔を合わせれば気軽に言葉を交わす仲だが、一対一で誘い合わせるほど親しくはない。明美が僕のことを嫌いでないことは薄々気づいていた。明美としては僕をいきなりデートに誘うのではなく、何か用を作って昼休みに呼び出し、距離を縮めてから告白しようという考えではないだろうか……。

 そんな誘いには乗りづらい。僕は自分を安売りしたくなかった。僕が通う外語大は女性比率が七十五パーセントで、男一人に対して女三人というハーレム大学として知られている。そのお陰で僕は高校時代にはとても味わえなかったモテモテ状況に恵まれている。いつも女子から見られている感じがあるので動作や身なりに注意しなければならないとか、色々窮屈な面はあるが、他の男子の例を見ていると、特定の女性の彼氏として認識されたら、とたんにモテなくなるのが普通だ。明美レベルの女子と簡単にはデートをしたくないというのが僕の本音だ。

「都合が悪いの? 篠原由梨さんと桐生慶子さんも一緒なんだけど、何とかならないかな?」

 篠原由梨はクラス一番の美女で、僕の憧れの女性だ。同じクラスの男子の大半が由梨をナンバーワンと思っているはずだ。大屋敷明美・篠原由梨・桐生慶子の三人は同じ高校の出身で、いつも三人でつるんでいる。僕が明美に感じる最大の魅力は、由梨・慶子と友達だという点だった。

「あっ、そうか、今日は十月一日だったよね。僕、勘違いしていた。明日のお昼は予定があるけど、今日は大丈夫だった」

「よかった。じゃあ、『食楽』の入り口から左の一番遠い窓際の席で十二時過ぎに待ってるわね。由梨ちゃんが、本条君に頼みたいことがあるんだって」

 食楽というのは大学の学食の名前だ。学外の人も入れる独立したレストランになっており、グルメ雑誌にも取り上げられたことがある。

「分かった。必ず行くよ」

 僕はその場でガッツポーズしたいのを我慢した。由梨が僕に頼みたいことがあって、直接は話しかけにくいから、僕と一応懇意の明美に頼んで僕を呼び出したということなのだろう。ということは「頼みたいこと」はアレしかない。すなわち「付き合ってください」ということだ。親友二人が同席したなごやかな雰囲気で、さりげなく告白をしようという由梨なりの作戦なのだ。

 高校の友達からの白い眼を押し切ってでも女子比率の高い大学を選んだ甲斐があった。たった一回の人生だから、自分が最も望む環境で四年間を過ごしたかった。僕は高校時代から女子が好きだった。男子は乱暴で雑だから一緒に居ると落ち着かないことも多いが、女子がそばにいるといつもほっとした気持ちになれる。そうだ。由梨の「頼み」を聞いて彼氏になるだけでなく、由梨・慶子・明美の仲良し三人グループに僕も入れてもらおう。そして四人グループで毎日つるめる環境になれば、残り三年半の大学生活はますますバラ色になることだろう。

 午前中の講義は上の空で、右の耳から入った教授の言葉は、そのまま左の耳から抜けて行った。

 十二時になって食楽まで走って行った。女子が好みそうな、トムヤム冷麺とマンゴーアイスのセットを買って、奥の窓の方にトレイを持って進んだ。明美たち三人は既に来ていた。

「ごめんね、本条君。無理を言って私のためにわざわざ来てもらって」

 由梨からそんな言葉をかけられて、天にも昇る気分だった。

「わざわざだなんて、水くさいよ。どうせ暇だし、昼休みなら明日からも毎日でも空いてるよ」

「あら、本条君、明日は都合が悪いんじゃなかったっけ?」

「ああ、あの話ね。さっきメールが入って、用事がなくなったんだ」

「ふーん、そうなんだ」
と明美は僕を怪しむ表情で呟いた。

「本条君にお願いしたいのは昼休みのことじゃないのよ。とても頼みにくくて、心苦しい事なんだけど、今日の夕方六時から、私のために時間を空けてもらうことはできないかしら。もしかしてバイトで塞がってたりする?」

「ぜーんぜん大丈夫だよ。篠原さんのためなら何とかするから」

「土、日は朝からでも大丈夫?」

「勿論さ!」

 予想以上のテンポで話が進んでいる。いきなり土、日も含めて毎日デートしたいとは、由梨は見かけによらず積極的なタイプの女の子だったのだ。

「よかった。助かった。これまであまり話をしたことがない男の子に頼めるようなことじゃないんだけど、本条君が引き受けてくれて本当にうれしいわ」

「僕の方こそうれしいよ」

「じゃあ、今日の午後の講義が終わったら私の家に来てくれる?」

 いきなり家に誘われるとは衝撃だった。家族に引き合わせた上で公認の付き合いをしたいということなのだろうか。由梨がそんなに古風な考え方の女性だったとは意外だ。

「五時ごろ来てくれればありがたいんだけど」

「五時だね。OKだよ」

「住所はLINEで送るわね。友達登録してくれる?」

「うん、喜んで」

 スマホを出して由梨と友達登録をした。

「この四人のLINEグループを作ろうよ」
と明美が言い出して、由梨・慶子・明美・僕の四人のグループを登録した。トントン拍子で僕の思惑通りに話が進んで、自分でも怖いほどだ。

「本条君がグループに入ると話題の幅が広がりそうだし、何だか新鮮よね」
と明美が言った。

「そうね。男の子に関する情報も得られて役に立ちそうだわ」
と慶子。

「でも、私たちから聞いた事は決して外には洩らさないでね。女子の世界に入ったら女子のおきてには従ってもらうわよ」

 由梨が厳しい言葉で釘を刺したのが意外に感じられた。しかし女子の世界に入るという表現は適切ではない。僕を入れて女子三人と男子一人のグループが出来たわけだが、大学全体の女子比率が七十五パーセントだから、由梨の言い方からすると僕は大学入学と同時に女子の世界に入ったということになる。

「女子の掟とは、こわーっ! 僕は口が固いので有名だからその点は心配ないよ。四人の間で見聞きしたことは親にも友達にも話さない。例え警察で拷問を受けたとしても秘密は守るから」

「心配はしていないわ。本条君は信じられそうな人だから誘ったのよ」
と明美が言った。由梨が僕を選んでくれたのは明美のお陰だという事になる。

「仲間になったんだから本条君のことを詳しく知りたいわ」
と慶子が言い出した。
「まず身長と体重から」

「身長は恥ずかしいから……」

「私たちは三人とも百六十三センチよ。本条君も同じぐらいじゃない?」

「白状するよ。僕も百六十三だけど、誰にも言わないでね」

 続けて体重を明かした。女の子だから自分の体重は言わないだろうと思っていたが、由梨が「私とピッタリ同じ」と言い、慶子は「一キロ負けた」、明美は「一キロ勝った」と即座に言った。明美が一番痩せて見えるから、一キロ勝ったというのは一キロ軽いという意味なのだろう。それにしても一キロの差は誤差範囲だから僕たち四人は体格的に非常によく似ていると言える。

 血液型、家族構成、親の職業、兄弟姉妹の性格、趣味、自分の性格、中高校時代の恋愛経験、等々、三人は思いつく質問を次から次へと浴びせかけて、僕は隠し立てなく答えた。僕が答えるたびに三人は「私はこうよ」と自分のことを僕に教えてくれた。

 三人の間ではお互いのことは隅から隅まで知っており、何かひとこと言えば全部聞かなくてもお互いの気持ちが分かるようだ。男どうしだと興味があることやその時の会話に必要なこと以外は質問しないし、知りたいとも思わないので、こんな関係を経験するのは初めてだ。さきほど由梨から女子の世界の掟という言葉を聞いた時には違和感を覚えたが、その言葉の意味が分かった気がする。

 あっという間に時間が過ぎて昼休みが終わりに近づいた。僕は午後の講義を休んででも会話を続けたい気持ちだった。

「じゃあ、続きは夕方ね」
と由梨が言うと、僕が「うん」と答えるのと同時に慶子と明美も「うん、夕方ね」と答えた。

「えっ、二人も来るの?」

「あ、本条君は自分だけが由梨の家に呼ばれたと思ってたんだ!」
 明美に言われて赤面した。

「ごめんね、本条君。食楽だと誰に聞かれているか分からないから肝心なことを話せなくて。私たち四人にとって大切なことだから、私の家で詳しく話したいの。いいでしょう?」

「勿論、大歓迎だよ。じゃあ五時に篠原さんの家で」
と答えて別れた。

「私たち四人にとって大切な事」とは何だろうか。由梨は一時間前に会ったばかりと言ってもいいほどの関係なのに、同じ高校から来た親友である慶子・明美と僕を同列の仲間として扱ってくれている。由梨と彼氏と彼女の関係になることとは別の問題だが、信じられないほどの幸運が訪れたのだった。

第二章 頼まれて

 午後の二時限目の講義が終わると幕張駅まで歩き、JRで津田沼に行った。本当はアパートに帰って着替えたいところだが、約束の時間に遅れたくないので直接行くことにした。津田沼駅構内のケーキ屋で苺のショートケーキを四つ買って、由梨からLINEで届いたグーグルマップのリンクをクリックしてスマホを見ながら由梨の家まで歩いた。

 由梨の家は津田沼駅の南西の新興住宅街にある一戸建てだった。緊張して玄関のドアホンの前に立ち、ボタンを押すと女性が「はい」と応答した。

「由梨さんとお約束しているのですが。わたくし、本条と申します」
とドアホンのレンズを見ながら言った。

 ほどなく由梨がドアが開けに来た。

「こんにちは、お邪魔します」
と言って玄関に入り、ケーキの箱を由梨に渡した。

「えーっ、手ぶらでいいのに……。でも、このお店のケーキは大好きよ」
と僕に言ってから

「お母さーん、本条君からお土産をもらっちゃった」
と廊下の奥に向かって叫んだ。

 上品な感じの四十代の女性が出てきた。由梨と似ていてひと目で母親と分かる美しい女性だ。

「いらっしゃい。あなたが本条さんなのね。由梨のために大変なことを引き受けてくれてどうもありがとう」

「え、大変なこと?」

「ママ、詳しいことはこれから話すのよ」

「まだ説明していないの?」

「余計なことは言わないで。本条君は快く引き受けてくれて、慶子、明美、私と本条君の四人は親友になったんだから、ねえ、本条君」

「うん。篠原さんのためならたとえ火の中水の中……」

「慶子と明美が私の部屋で待ってるわ。行きましょう」

 階段を上って二階に行った。突き当りのドアを開けると慶子と明美が床にペタンと座っていた。大きな窓と勉強机のある広い部屋だが、ベッドは見当たらなかった。

 由梨は僕の考えていることを見透かしたかのように
「寝室は別なのよ。一人っ子だから二部屋もらっているの」
と説明した。

 由梨は慶子と明美と同じ恰好でペタンと床に座った。僕は三人と同じ座り方をするわけにはいかないので、正座した。

「恥ずかしがらないで、本条君もお尻をつけて座って」

「まさか、女の子座りは……」

「今日から仲間になったんだから、本条君も私たちと同じにしようよ」

「えーっ、けど誰にも言っちゃダメだよ……」
 僕は正座を崩して足の間にお尻を下ろしてはみたが、太ももの筋肉が引きつりそうだった。

「痛いよ、やっぱり男には女の子座りは無理だよ。男と女では骨盤の形が違うから」
と言って正座に戻した。

「ダメよ。今ちゃんとM字に座れていたじゃない。慣れればなんでもないわよ。本条君も女の子座りしなさい」

 由梨から言われると断れなかった。僕は両足を外転させてお尻を床につけた。痛いが我慢するしかない。

「じゃあ、本題に入るわね。まず、本条君が私の無理なお願いを聞いて引き受けてくれたことにもう一度心からお礼を言いたい。本条君、本当にありがとう。助かったわ」

「まるで演説みたいな言い方だね。いいから、詳しいことを話して。僕は何をすればいいの?」

「冬休みのバイトの助っ人をお願いしたいの。実は、私と慶子・明美の三人組で十二月二十五日から一月五日まで軽井沢のホテルで働くことになっているの。住み込みなんだけど日給一万二千円ももらえる割のいいバイトよ。ところが、パパの仕事の関係で、十二月二十五日から家族三人でパリに行けるチャンスが到来したの。パパが勤めている医薬関係の会社で国際マーケティング会議をパリで開催することになって、ママと私も一緒に行く権利があるんだって。会議といってもリゾートホテルでの家族同伴の懇親会を兼ねたものなのよ。もし本条君が軽井沢往復を含めて十二月二十三日から一月六日まで私の代わりにバイトに行ってくれたら、私は家族三人でパリに行けるんだけど……」

 由梨ではなく明美がパリ旅行に出かけて、僕と由梨と慶子の三人でバイトをするのなら最高だが、まあ由梨に恩を売っておけば、バイトの後も三人と親しい関係を保つことができる。

「冬休みは実家に帰って高校の友達と会う予定だったんだけど、篠原さんがパリに行きたい気持ちはよくわかるから協力するよ」

「本当?! 本条君ありがとう、大好き!」

 思わず頬が赤らんだ。由梨に大好きと言ってもらえるなら、バイト料ゼロで無償奉仕してもいいぐらいだ。

「困ったときはお互いさまだから」

「ママに言ってくるからちょっと待っててね」
と言って由梨は部屋を出たが、一分もしないうちに戻ってきた。

「よかった。従業員の配偶者の旅行費用は会社負担なんだけど、私の分は個人負担で安いフライトを予約していて、今日が支払期限だったのよ。本条君が引き受けてくれたから母がスマホで決済してるわ。本条君のお陰で私もあこがれのパリに行ける!」

「そんなに大げさに感謝してくれなくてもいいって。僕も割のいいバイトに行けることになって助かるよ。三人と友達になれたのもうれしいし」

「じゃあ、十二月二十三日の授業が終わったら三人で私の家に集合して、着替えてから八重洲口の長野行きバス乗り場に行くということでいいわね。帰りのバスは一月六日の午後一時に池袋に着くから、本条君は私の家に来て、着替えてから自分のアパートに帰ればいいわ」

「僕は勿論それでいいけど、池袋にバスが着いたら直接自分のアパートに帰った方がいいんじゃないかな。だって、篠原さんもパリから帰ったばかりで忙しいだろう」

「本当にそれでもいいの? 女の子の恰好でアパートを出入りするのを見られたらまずいんじゃないかと思って……」

「女の子の恰好? どういう意味?」

「私の代役で住み込みでバイトをするのよ」

「それ、冗談で言ってるんだよね?」

「三人のチームとして雇われたのよ」

「ウェイトレスが二人とウェイターが一人の合計三人でやればいいじゃないか」

「メンバー向けのリゾート施設で、私たちが担当するレストランの給仕は女性と決まっているのよ。しかもウェイトレスの制服も決まっていて、身長百六十二、三センチで十八歳からニ十歳の女性を募集していたの。三人の身長体重を含めて登録済みだから、もし今になってドタキャンしたら大変なことになるの」

「篠原さんの代わりに僕が行ったら絶対にバレるよ」

「身長、体重が同じだし、本条君ならメイクでごまかせるわよ」

「じゃあ寝泊りはどうするの? まさか女子宿舎で寝起きしろと言うんじゃないよね? 万一男だとバレたら警察に突き出されるよ」

「それは大丈夫。バストイレ付きの三人部屋だからバレないように私たちが守ってあげる」

「桐生さんと大屋敷さんと僕の三人が一つの部屋で寝泊まりするっていうの?!」

「私たちじゃ不足だと言いたいの?」

「まさか。不足どころか美しすぎる女性だから困るんだよ」
と慌てて言い訳をした。

「女装して働くのは絶対に嫌だし、痴漢行為で逮捕されるリスクを冒すなんて、僕には考えられないよ!」

 由梨は泣き出して部屋から出て行った。

「どういうつもりなの? いったん引き受けておいてから断るなんて、人間として最低よ!」
と明美が僕を責めた。

「特殊事情があるのなら先に言うべきだよ。昼休みに会った時には頼みごとがあるというだけで、バイトのことも女装のこともひとことも知らされずに、篠原さんの家に来て僕が代役をOKした後で実は女装が条件だと言い出すのはだまし討ちみたいなものだ」

「だまし討ちですって!」

 明美が怒りを露わにして僕に食って掛かる。一瞬、そのまま席を立って帰ろうかとも思った。

 そこに由梨が戻ってきた。お母さんも一緒だった。

「航空運賃を払ってしまったから、キャンセルはできないんだって」
と由梨が泣きじゃくりながら言った。

「本条君、話の中で行き違いがあったようだけど、もう一度考え直してくれる余地はないかしら? さっき由梨が本条君が引き受けてくれたと言いに来たから、すぐにネットで支払いを済ませたのよ」

「金額は幾らぐらいなんでしょうか?」
 女装をするぐらいなら僕が他でバイトをして支払う方がいいと思った。

「十七万円よ。クリスマス前後は高いから」

「冬休み中ずっと土方どかたでもすれば稼げない金額ではないですが……」

 由梨が僕の足元に崩れ落ちて、両手で僕の膝に抱き着いた。
「お願い、本条君、考え直して!」

 憧れだった由梨に泣きながら懇願されて僕の心は揺らいだ。お母さんと桐生慶子と大屋敷明美の批判的な視線に晒されるのも辛かった。

「でも、万一僕が男だとバレて警察に突き出されたらどうなるんですか?」

「私たちはすぐにパリから長野の警察に電話をして説明をするし、帰国したら警察に出頭して重ねて説明をするわ」

「私と慶子は絶対にバレることがないように本条君を守ることを約束する」

「そこまで言われたらむげにはできませんけど……」

 由梨は立ち上がり、正面から僕に抱き着いて頬を摺り寄せた。
「本条君、ありがとう! 大、大、大好きよ!」

 由梨と抱き合って頬と頬を擦り合わせる日が来るとは信じられなかった。女の子の頬とはこんなにふわふわだったのか……。頬を濡らす涙が僕の口角に入ってしょっぱかった。これほどのご褒美をもらったからには快く引き受けるしかないと覚悟した。

「僕も男だ。篠原さんのために一肌脱ごうじゃないか!」

 こうして僕は極めて危険で重大な役目を引き受けてしまったのだった。


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