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異性装の果実

【内容紹介】男性サラリーマンがOLの制服を着て一般職として働く立場に追いやられるTS小説。主人公の30歳の男性社員は社長から「取締役にならないか」と声を掛けられる。但し「女性取締役になる」という条件付き。名目上は女性ということになるが服装は男性のままでいいとのことだった。

第一章 青天の霹靂

 一月下旬の火曜日の朝、僕は眠い目をこすりながら出社した。昨夜のサッカー中継の興奮がまだ頭の中で渦巻いていた。あの時、南野が立ち上がらずに審判にPKをアピールしていたら、試合の結果は全く違ったものになっていたかもしれない。また、前半のイランのシュートがキーパーの足に当たらなかったら、その勢いで日本はきっと負けていた。試合が終わってテレビのスイッチをオフにしてベッドに入ったのは午前一時過ぎだったが、頭の中でゴール・シーンが繰り返しリプレイされて明け方まで眠れなかったのだ。

 幸い会社の仕事は普段以上に平穏だった。営業部の仕事には波があり、運の悪い日には顧客からのクレームが立て続けに勃発したり、手間のかかる調査依頼が何件も届いたり、社内の管理部門から無意味としか思えない資料作成の要請が来たりするものだが、その日は不思議に何も起きなかった。

 睡眠不足の日でも忙しければ意識しないうちに夕方が来るものだが、暇だったので昼食後に眠くなった。パソコンの画面に向かい合っていると瞼が重くなり、頭がカクンと落ちそうになってハッと目が覚める。そんなことが二、三度あって課長から「二階堂、しっかりしろよ」と声がかかった。

「営業マンなら客先回りに行くとか、資料の整理をするとか、いくらでも仕事はあるだろう」

「いえ、暇なわけじゃなくて……ちょっと風邪気味なので薬を飲んだら眠くなったんです」
と出まかせを言った。

「おいおい、インフルをうつすなよ」
と課長は自分の口にハンカチをあてて椅子を十センチほど後退させた。露骨というよりは幼稚な反応だなと思った。

「咳は全く出ていないし、インフルの症状じゃないんです。身体がだるいので風邪かなと思って薬を飲んだら眠くなりました」

 自分で言いながら、かなり苦しい言い訳をしていると思った。課長からの疑いの視線を感じる。

「どちらでもいいから今日は早退しろ」

 ヤッターと思ったが、
「早退するほどでは無いんですけど……」
と呟いてみた。

「有休は残ってるんだろう? 今日はゆっくり休んで、明日の朝起きてインフルにかかっていないようなら出社しろ。インフルの疑いがあれば会社には来ずに病院に行くんだぞ」

 バイキンのように扱われることには抵抗を感じたが、休養を取るにはいい機会なので「じゃあお言葉に甘えて早退します」と席を立った。午後三時半だから有給休暇を二時間消化することになる。一日八時間労働として四分の一日だ。有休を二十五日間取るよりも、二時間の早退を百回することを許可されれば、ほぼ一日おきに午後三時半に帰れることになる。偶数の日は早退で奇数の日だけ定時まで働く。長期の休暇など取れなくてもいい。そんな生活が出来ればどんなにいいだろう……。

 会社は京葉線の海浜幕張駅から見てメッセ側のオフィスビルにある。僕は総武線の船橋に住んでいるので、総武線の幕張駅まで約二十五分かけて歩いている。会社の規定では総武線沿線に家がある場合は幕張本郷駅までバスを使うか、武蔵野線で西船橋まで行ってよいことになっている。せこい話だが幕張駅まで徒歩で行くことにより月間約八千円の節約になるのだ。

 歩くのはわずかな小遣い稼ぎのためではない。片道二十五分間せっせと歩くことは運動不足になりがちなサラリーマンにとっての健康法だ。インフルエンザ対策として冬場は満員のバスに乗るのは避けたい。朝夕の総武線は空いているから問題ない。毎朝船橋駅で総武線に乗る人のうち圧倒的多数が中野・三鷹方面行きに乗って東京を目指す。船橋から千葉行きに乗るのは少数派なのだ。

 二年ほど前から徒歩経路の途中にあるフィットネスクラブの会員になっていて、交通費の節約分を上回る会費を払っている。そのクラブはジムやプールだけでなく入浴施設が充実しており、露天風呂もあるので温泉気分でくつろぐことができる。

 風邪で早退して会社から徒歩十分のフィットネスクラブに行くのは何となく気が引けたが、今日の僕が身体を回復させるためにはこれ以上の場所は無い。ロッカーで着替えるとジムのランニングマシーンで軽く走っただけで露天風呂に行った。

 露天風呂と言っても温泉のような岩風呂ではなく、普通のスーパー銭湯を小さくしたような長方形の浴槽があるだけだ。四方に壁はあるが天井が開いている半露天風呂だ。

 午後四時過ぎの露天風呂は明るかった。夏場の会社帰りにフィットネスクラブに立ち寄って夕暮れ時の露天風呂に浸かったことがあったが、昼間に来るのは初めてだった。

 誰も居ない広々とした風呂の中央部分の縁に首を乗せて手足を広げた。股間のものが湯船の中でゆらゆらと揺れる。午後四時過ぎの空は真っ青だ。ああ、気持ちがいい……。目を閉じて完全弛緩状態になる。大きく息を吸い込むとおなかの部分に浮力がかかって身体が水中で漂っている感じになる。そして息をすっかり吐き出すと身体全体がすーっと沈むが、着地したお尻にはわずかな重みしか感じない。大きく吸ってしばらく息をとめて遊泳状態を味わってからゆっくりと息を吐いて着地する。その動作を繰り返すと、股間の小さな浮遊物が頼りなげに漂う感覚が面白い。

「君のは小さいね」

 突然声を掛けられて広げていた手足を閉じ、身体をすくめた。縁に首をかけていたのがずり落ちて、口の中に水が入ってしまった。咳をしながら手で顔をぬぐった。

「申し訳ない。驚かすつもりは無かったんだ」
 このフィットネスクラブで何度か見かけたことがある顔だった。五十歳前後のサラリーマン風の男性だ。

「僕の方こそすみません。あまりにも気持ちが良かったので他の人が入ってこられたことに気付かずに足を広げていました」

「いや、この風呂は十分広いから君が邪魔だったわけではない。若々しい身体を開けっ広げに見せつけられることは滅多にないから、思わず感想を声に出してしまったんだ」

「決して大きくないことは自覚していましたが、面と向かって君のは小さいと言われるとちょっと……」

「アハハハ、思ったままのことを言ってしまったが、君のは相当小さいよ。そのサイズを身長を分母にしてパーセント表示すれば君のは百人中で五十番目ぐらいになるはずだ」

「なあんだ。真ん中ぐらいということですか。それなら小さいとは言えませんよね」

「アハハハ、引っかかったな。私が言ったのは全人口中で真ん中に位置するという意味だ。男女合計百人で五十番目だよ、アハハハ」

「女性はサイズがゼロですから僕は男性の最下位ということですか? いくら何でも見ず知らずの他人に対して失礼過ぎません?」

「男女が同数と考えている点が甘いな。出生比率の現状は男性百五人に対して女性百人だ。すなわち男女百人の五十番目だと、男性百人中で下位三パーセント付近に位置することになる。その推測が失礼極まると、君は言い切れるのかね?」

「ぐぐっ……。下位三パーセントと言われると否定できないかも。失礼過ぎると言ってしまいましたが、こちらこそ失礼しました。ひとまずお詫びさせてください」

「もうひとつすっきりしない言い方だな。君は自分が下位三パーセントということを心から納得していない。反駁できる根拠が無いから取り敢えず謝っておこうという態度には君らしい爽やかさが感じられない」

「今のは本来の僕が爽やかであるという前提でのお言葉ですね。ひとまずありがとうございます」

「どうも話がかみ合わないな。君は私に対してもう一つ失礼な発言をしたことに気付いていない。さっき『見ず知らずの他人に対して』と言ったね。私は君をよく知っているし、君も私を知っている。私たちは決して見ず知らずの他人どうしではない」

「確かにお顔は覚えています。このフィットネスクラブで何度かお見かけしたのは事実です。袖すり合うも多少の縁と言いますし、見ず知らずは言い過ぎでした。その点はお詫びします。でもやはり、初めての会話で『君のは小さい』はストレート過ぎませんか?」

「その口ぶりだと君は多分『袖すり合うも多生の縁』の意味を分かっていない。『たしょう』は多い少ないの多少だと思っているだろう? 『多生の縁』とは前世からの因縁という意味なのだよ」

「へーっ、そうなんですか?! おじさんは物知りなんですね!」

「三十歳にもなっておじさんはないだろう……」

「すごい! 僕の年齢をピタリと言い当てた! 僕は九十九パーセント、実年齢よりも若く見られるんですけど」

「言い当てたのではなくて覚えているんだよ、二階堂秀美君」

「え、えーっ! 僕の名前がどうして分かったんですか? 何か薄気味悪いというか……。分かった。このクラブのスタッフの方なんですね」

「これほど近くで顔を突き合わせているのに、私が誰だか分からないのか!」

「さあ……。フィットネスクラブ以外でお会いしたことは無いと思いますけど……。その顔は強いて言えばうちの会社の社長に似ていなくはないですが、それ以外の人物は思い当たりません」

「よかった。少しでも頭に浮かべてくれてほっとしたよ」

「はあ?」

「私は聖澤ひじりざわ幸太郎こうたろうだ。君が勤めている会社の社長だよ」

「ご、ご、ご、ご冗談を! 社長だったら平日の昼日中ひるひなかにフィットネスクラブの露天風呂でぶらぶらしているはずがない!」

「それは私が言いたいことだ。どうしてうちの社員がこんな時間にさぼっているんだ?」

「誤解です。さぼってるんじゃなくて、早退したんです。昨夜サッカーの中継を見て頭に血が上ったままベッドに入ったら朝まで眠れなかったんです。眠くて仕事にならないので早退しました」

「正直でよろしい。実のところ私もそうなんだよ。ちょうど来客も会議も無い日だったから秘書をうまく言いくるめて会社を抜け出した。それにしても南野の出来は素晴らしかったな」

「話が本当っぽいから却って真実味がないんですよね……」

「まだ私が社長だと信じていないのか? 君の入社以来の経歴を言ってやろう」

 その男は僕の出身大学と所属部署を正確に言い当てた。彼が社長である可能性が極めて高くなった。

「でも、社長が社員全員の出身大学と所属部署を覚えてるはずがないですよね……」

「アハハハ。それはもっともな質問だ。実は、ある重要プロジェクトのために社内の人材を極秘裏にスクリーニングした。人事部に七項目の条件を提示した結果、合致した人材が六名ピックアップされた。私はその六名のプロフィールを見て即座に四名を除外したんだが残りの二名のうちの一人が二階堂君だったんだよ」

「それで部下に僕を見張らせたところフィットネスクラブに入ったので追いかけて来て会話の機会を作ったということでしたか……」

「テレビの見過ぎじゃないの? 私は社長だよ。そんなことをしなくても、電話一本で君を社長室に呼び寄せられる」

「確かに」

「君とここで会ったのは百パーセント偶然だったんだよ。お陰で素のままの君を知ることができた。君のものが極端に小さいことが分かったのも有意義だった、アハハハ」

「あそこの大きさがスクリーニング条件に入っていたとでも仰るんですか。あなた、本当に社長なんですか?」

「あそこが小さいことを八番目の条件としてスクリーニングをやり直せば君は間違いなくダントツになっただろうな。明朝九時半に社長室に来なさい。そうすれば嘘か本当かが分かる」

「でも、もし嘘だったら、僕は本物の社長の前ですごく気まずい思いをすることになるんですけど……」

「それもそうだな。じゃあ、明朝人事部から君に会議招集通知を出させることにしよう。そうすれば上司にも怪しまれないだろう」

「分かりました。もし本当だったら、今日色々失礼なことを申し上げたことをお詫びします」

「私こそ、本当のこととはいえ思ったことをストレートに言って失礼した」

「それ、お詫びになってないと思うんですけど」

 アハハハと高らかに笑いながら、社長かもしれない男は立ち去った。

 

 水曜日に出社すると既に人事部から会議招集通知が入っていた。これで昨日フィットネスクラブで会った人物が聖澤社長本人だったことが確実になった。課長にも通知のコピーが入っていたが、幸い忙しかったようで特に何も聞かれなかった。

 始業のチャイムが鳴ってすぐ、内線の僕の番号に着信があった。

「はい、二階堂です」

「聖澤だ。会議招集通知は人事部の第二会議室となっているが、社長室まで来てくれ」

「は、はい、承知いたしました」
 改めて緊張が高まった。昨日はもう少しマシな受け答えをしておけばよかったと悔やまれる。

 それにしても全社員の中からのスクリーニングで僕がピックアップされたとは、一体どんな条件だったのだろうか? 僕はどんな重要プロジェクトの候補者になったのだろう? 今の部署はまあまあ気に入っている。上司は尊敬できるとは言い難いが、悪い人ではない。課員も皆いい人たちだし、ブラックな職場ではない。同じ会社でも休みがとりにくかったり残業続きだったりする部署もある。同期にもパワハラ上司の下で悩んでいるやつがいる。

 もし僕が全社的な重要プロジェクトの担当になれば今よりは確実に忙しくなるし、パワハラ上司や変人のウヨウヨ居る部署に異動させられたら最悪だ。できれば異動はお断りしたいと思いながらエレベーターで七階に行った。

 七階が役員フロアーになっており、社長室、役員室、役員会議室と役員応接室があることは知っていた。僕が担当しているドイツの顧客企業の会長が来訪した際に、たまたま部長と課長が出張中だったので、役員応接室での常務との面談に同席する羽目になったことがあるが、役員フロアーに来るのはその時以来だった。

 社長室のドアをノックして入った。

「おはよう、二階堂君。私が本物の社長だ。まあそこにかけなさい」

 僕は頭を掻きながらソファーに浅く腰を下ろした。社長が僕の正面に座って足を組んだ。

「二階堂君も足を組んだらどうだ。もし足を組むのが失礼だと思うのなら膝をそろえて座ってくれないかな。そうやって足を広げて座られると、昨日見たものが頭に浮かんでしまう」

 昨日ならイヤミの一つも返したところだが、本物の社長を前に滅多な発言はできない。僕は開いていた足を閉じて膝をきっちりと合わせた。

「いいね、二階堂君はそんな座り方をすると女性に見える」

 自分でそうさせておいてその言い方は無いだろうと思ったが勿論反論はしなかった。

 美人秘書が入ってきてコーヒーを出してくれた。僕の座り方を見てニヤッとしたのが分かった。オカマっぽい座り方だと思われたに違いない。思わず頬が熱くなった。

「さっそく本題に入ろう。二階堂君は当社の株主総会がいつ開催されるかを知っているか?」

「十二月決算ですから、二月末ぐらいですか?」

「三月六日に開催される。取締役の改選が実施されるわけだが、新取締役として君を推挙することにした」

「と、と、と、と、取締役!?」

 頭にカーッと血が上った。これはドッキリか、何かの悪い冗談に違いない。僕はそんな夢のようなことを言われて舞い上がる人間ではなかった。

「ご冗談でしょう? 僕はまだ課長代理どころか主任にもなっていない平社員ですよ」

「冗談でこんな話をすると思うか? 昨日も言ったように全社員を七項目の条件によってスクリーニングした結果ピックアップされた六名の中から君を選んだんだ」

「二名選ばれたうちの一人だとお聞きしましたが」

「昨日フィットネスクラブで君と会った結果、私は君に決めたんだ。慎重に慎重を期すため、あれから会社に戻って君の人事情報を十分に把握したうえで最終的に白羽の矢を立てた。君は役員になりたくないのか?」

「勿論なりたいですよ。しかし、どう考えても話がうますぎます。何かあるんじゃないですか?」

「中々鋭いね。実は一つ条件があるんだ」

「ご遠慮なく仰ってください。本当に役員にしていただけるのなら、どんな条件でもお受けする覚悟です」

「よく言ってくれた。君は私が見込んだ通りの人材だ。実は、当社の経営陣は全員が男性だ。創業以来、女性が取締役あるいは監査役になったことは一度もない。私の母は当社の株式の二十三パーセントを保有する筆頭株主だが、その母にさえ取締役就任は辞退してもらっている。しかし、時代の潮流として、不都合な事が起きるようになった。例えば、当社はアルマナックというアメリカのIT企業を買収すべく交渉をして、仮契約を締結したが、当社の女性役員比率がゼロであることが先方の従業員に伝わったとたん買収拒否でストライキ騒ぎになった。そんな状況を打開するためには女性役員を作らざるを得ないと判断したのだ」

「当社の取締役が全員男性かどうか特に意識はしていませんでしたが、欧米企業から見れば確かに不自然でしょうね。多少無理をしてでも女性を取締役に登用することには意義があると思います」

「しかし女性が役員会に入ると何かにつけて不便で、取締役会の運営が面倒になる。女性は概して真面目だから男だとナアナアで済むところもいちいち細かい説明をする必要が出てくる。女性が役員になったら、女子社員全体の地位向上だとか、育児休業がどうのこうのとか、セクハラ・マタハラとか、ややこしいことを次から次へと言い出すのが目に見えているし、もし私が反対意見を言えば感情的に反発したりする。それだけでなく、役員会でやわらかい話題を持ち出せなくなる。だから私は女性を役員にすることだけは避けたかったんだよ」

「分かりました。その、今度新役員になる女性に私がうまく話をして、社長のご意向に反する発言をしたり、女性社員の労働環境などを持ち出さないように、懐柔すればいいわけですね。私は女性の扱いには自信がありますので、私にピタリの役回り、いや、私にしかできない役目です。責任を持ってお引き受けします」

「いや、的は外れていないんだが、方法論においてちょっと違うんだな。私が決断したのはもっと単純明快で確実な方法だ。君自身を女性役員にすれば全てが確実に解決する。君なら細かいことをグジャグジャ言ったり、女性社員の福利厚生ばかりを問題にしたり、下ネタを拒否したりしないだろう」

「仰ることの意味が掴めないのですが……。私は男性ですから女性役員にはなれません」

「だから女性になれと言ってるんだ」

「そんな無茶な!」

「どんな条件でも引き受ける覚悟だと言ったのは嘘だったのか?」

「でもそこまでは……。ちょっとお待ちください。自分の気持ちから一歩離れて客観的に考えるとして、仮に女性になろうとしたところで株主総会までに性転換するのは絶対に不可能です。何かの小説で読んだのですが、性転換手術を実施するためにはガイドラインが存在しているので、確か思い立ってから手術までに二年以上かかるし、手術後に戸籍の変更手続きをするのにもかなりの時間を要するそうです」

「その点について弁護士と産業医に相談した結果、私が辿り着いた結論を教えよう。まず、女性役員比率の算定に際して、必ずしも戸籍上の性別が女性であることは必須ではない。役員会で君を女性と認定すればいいんだ。まあ、上場企業だとそうはいかないだろうがね」

「しかし、取締役の名前は登記簿にも掲載されますから、名簿を見れば全員が男性であることが分かります。秀美と言う名前は女性にも使えますが、二階堂秀美が男性であることは社員に知られています」

「女性役員比率をあたりかまわず公表するわけではない。今回の買収案件の付属資料とか、どうしても記入が必要な書類にだけ記入する。君の在任中、役員以外には隠し通せるはずだ」

「いくら限定的にしか開示しないと言っても、私を根拠なしに女性とみなして算定した女性役員比率を伝えることは、その相手先に対して虚偽の情報を提供したことになりませんか?」

「そうなんだよ。君を女性とみなすための根拠について複数の弁護士と議論した結果、最低限満たしているべき条件がいくつかある。

1.本人が自分の性別を女性と認識していること。
 これは非常に簡単だ。君が『私は女です』と断言すればいい。

2.複数の精神科医が君が性同一性障害だと診断すること。
 これも至極簡単だ。うちの産業医は精神科の専門医だし、もう一人の精神科医は先生の友人をすぐにでも手配可能だ。

3.性別を変更するための手続きに着手していること。
 この点がポイントなんだが、まだ開始したばかりでも大丈夫だと言うのが弁護士見解だ。そして、迅速に手続きを進める必要もない」

「しかし、最低限、女装をして会社に来ないとダメですよね。いくら役員にしていただけるといっても、会社に女装して来るのが条件だと言われるとお引き受けいたしかねます」

「アハハハ、君がそう言うと思ったよ。その点については弁護士と協議済みだ。君はスカートをはく必要もなければ、化粧をする必要もない。従来通り男物の背広にネクタイで出社し、役員会にも男性の服装で出席すればいいんだ」

「本当ですか?!」

「女性になるプロセスに十年かけても大丈夫だそうだ」

「ということは、私が取締役で居られる期間はせいぜい十年ということになるわけですね」

「そうとは言えない。数年かけて二人目の女性役員になるべき人材を育て上げればいいんだ。女性特有の欠点が無い優秀な若手女性をね。その女性が役員に就任した時点で、君は女性になることを途中で断念すればいいのだよ」

「お話を伺って安心しました。従来通りの服装で男性として勤務することを認めていただけるなら文句はありません。是非、私を女性役員に登用してください」

「君がそう言ってくれると確信していた。二階堂君、新役員としての活躍を期待しているよ」

 社長に両手を握って祝福された。僕が「女性役員」という位置づけで取締役になることを知っているのは取締役会メンバーを含む一部の人だけということだ。限られた人たちの間で、名目上「性別を変更するための手続きに着手している」ことにしておけば「女性役員」とみなすことが出来るというのが弁護士見解であり、女装をする必要も無い。要するに、事実上何もかも従来通り出社すれば、最年少取締役になれるという訳だ。今の何倍の給料をもらえるのだろうか? 話がうますぎる気もしたが、こんなチャンスは滅多にあるものではない。僕は天にも昇る気持ちだった。


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