聖地巡礼(TS小説の表紙画像)

聖地巡礼
今日から女子大生になりなさい

【内容紹介】志望の大学に合格した主人公は同級生の祐奈のアパートに誘われて「君の名は」のビデオを見る。二人の間に愛情が芽生え一緒に飛騨古川への聖地巡礼に出かける。2泊3日の短い旅行は二人の人生に衝撃的な変化をもたらす。男子が女子大生になることを強いられるTS小説。

第一章 出会い

 第一志望の大学から合格通知が届いた。まだクラスの半分は国立大学の入試に向けて必死の形相で頑張っているが、僕の受験戦争は終結し、久々に取り戻した緊張感のない日常の中で静かに手足を伸ばしていた。そんな二月中旬のある日のことだった。

 その日は短縮授業で二時半ごろ学校を出た。校門を出たところで菊川きくかわ祐奈ゆうなから声をかけられた。

花坂はなさか君、『君の名は』を一緒に見ない?」

 祐奈とは三年間同じクラスだったが殆ど言葉を交わしたことがなく異性として意識したことはなかった。そんな女子から突然誘いの言葉をかけられたので戸惑った。

「え? まだ『君の名は』を上映している映画館があるの?」

「映画館じゃなくて、私の家で上映するのよ」

――これ、ナンパされてるんだろうか?

 ほとんど話したことがない女子の家に行っていきなり二人でDVDを見るというシチュエーションには抵抗があった。

「『君の名は』は去年映画館に行って見たんだけどなあ……」
 取りあえず口に出しつつ、僕は頭の中で断りの口上を探していた。

「やっぱり、私みたいなブスとは付き合いたくないわよね」

「と、とんでもない! 菊川さんは男子の間では結構人気があるんだよ」

 それは完全な出まかせだった。祐奈は決してブスではないが、女子の人気ランキングの上位に入っているわけではない。特に可愛くも美人でもないが、女子としては平均より背が高い方だし、どちらかと言うと整った顔つきだ。

「合格祝いに『君の名は』のブルーレイディスクをもらったのよ。六十五インチのテレビの前に座ってブルーレイの画像を見ると迫力があるわよ」

「六十五インチにブルーレイか! それは確かに豪華だね」

「ピザも用意してるわよ。花坂君は国立大学は受験しないんでしょう? もう受験は終わったんだからいいじゃない。それとも、他に何か私と付き合えない理由でもあるの?」

「無いよ、そんなの」

 祐奈の巧妙で強引な誘導によって、断れない状況に追い込まれた。

「じゃあ行きましょう。私の家はあっちの方向よ」

 お腹も空いていたし、ピザを食べさせてくれると聞いて「ま、いいか」と観念した。祐奈の家に一度だけ行って映画を見ても僕が祐奈の彼氏になったということにはならない。もし友達に知られたら、六十五インチとブルーレイに魅かれて見に行ったと言えば分かってもらえるだろう。

 それより、気がかりなのは祐奈の家で親に会うことだ。地味な祐奈のことだから、男子を家に連れて帰ったことはないのではないだろうか? 祐奈の親に「彼氏」と認識されたら、後々面倒だなと心配だった。

「ここよ」

 五分ほどで到着したのは五階建ての集合住宅だった。六十五インチのテレビがある家と聞いて、もっと大きな家を想像していたので意外な気がした。

 祐奈は階段を三階まで上がって、左奥のつきあたりの部屋の鍵を開けた。

「さあ、入って」

 そこはワンルームのアパートだった。

 女子のアパートの部屋に入るのは生まれて初めてだった。カーテンや寝具の色は暖色系で統一されていて、部屋の中はきちんと整頓されている。白のハンガーラックに色とりどりのスカートやワンピースがかかっているのを見て「今まさに僕は女子のアパートにいるのだ」と緊張した。

「菊川さんが一人でアパート暮らしをしているとは知らなかったよ」

「去年の春までは家族と一緒だったんだけどパパが福岡に転勤になったの。私は東京の大学に行くつもりだったからアパートを借りて一人で住むことになったのよ」

「食事とか、色々大変だね」

「慣れればどうってことないわ。親に干渉されずに好きなことができるから快適よ」

「僕も念願がかなって四月から親元を離れて生活することになったんだ」

「L大学なら一時間で通えるのに、よくお父さんやお母さんが許してくれたわね」

「僕がL大学に行くということをどうして知っているの?」

「花坂君のことなら大抵のことは知ってるわよ」

――やっぱり、僕はナンパされたんだ……。

 祐奈が「花坂君が好きだから」と申し添えるのではないかと身構えた。気まずい沈黙を破ろうとして僕は学生寮に入ることになった経緯について話した。

「アパートを借りることは却下されたけど、寮に住むということで許してくれたんだ。L大学の寮は半分が外国人だから、寮に住めば英語が上達すると言ったら許してくれた」

「国際寮に入れるの? すごい! 私が行くV大学にも国際寮があるけど、料金表を見たら自分でアパートを借りて住むよりも高そうだったわ。花坂君の家ってお金持ちなのね」

「全然。父は普通のサラリーマンだけど、僕の進学費用は計算に入れてくれていたみたい。ひとつ下の妹が優秀で家から通える国立大学の医学部に確実に入れそうだと分かってから、僕に対して甘くなったんだよ。えへへ」

「妹さんが優秀でよかったわね」

「まあ、よくないことの方が多かった気がするけど、今回は助かった」

「花坂君が入るのは男子寮なの?」

「その寮は男女共用だよ」

「じゃあ、私も遊びに行けるわね」
 祐奈が面倒なことを言い出したのでドギマギした。

「いや、外部の人は入れない規則なんだ。受付をすればラウンジまでは入れるけど、居住棟には入寮者しか入れない。『異性は家族でも理由の如何を問わず入室を禁じる』と書いてあった」

 僕は寮が厳しい規則を定めてくれたことを感謝した。

 祐奈は冷蔵庫からピザの入った紙箱を取り出し、ナイフで八枚のスライスに切り分けてそのうちの四枚をオーブントースターに入れた。ポットでお湯を沸してミルクティーを用意した。手際がいいので、さすが一人暮らしをしているだけのことはあるなと思った。祐奈は小さなテーブルにピザ用の皿とミルクティーを並べた。

「先に食べようね。その椅子に座って」

 祐奈は一つしかない椅子に僕を座らせ、自分は部屋の隅から丸椅子を持って来て座った。二人でピザを食べ始めた。

「食卓に椅子が一つしかないのを見て、私に友達がいないってことが分かったでしょう」

「時々お母さんが様子を見に来たりはしないの?」

「母は自分のことで忙しいし、父は私が好きじゃないから東京に出張しても私に会いに来ることはないわ」

「世の中のお父さんは誰でも娘のことが大好きだと聞いていたけど」

「そうとは限らないわ。私は父が嫌いだから、その気持ちが伝わって父も私とは会いたくないのよ」

「そうかなあ……。まあ、人それぞれ事情はあるかもしれないけど」

「花坂君は家族にいっぱい愛されて育ったタイプだものね。だから私は花坂君が好きなんだ」

 ついに言われてしまった。「好きだ」という言葉を。自分の顔が火照って赤くなってきたのが分かった。僕の様子を見て祐奈も意識し始めたのか、ピザを食べ終えるまで会話が途絶えた。

「そろそろ上映開始よ」

 六十五インチのテレビはベッドと反対側の壁ぎわにあるローボードの上に置かれていた。ベッドとテレビとの間は一メートル余りしか離れていない。ベッドの縁に腰かけて見るのだろうか……。

「ベッドに座って、壁にもたれて見るのよ。制服がシワになるから着替えるわね。花坂君、あっちを向いていて」

 僕はベッドと反対の方向に椅子を向けて祐奈が着替えるのを待った。衣擦れの音が壁に反射して僕の耳たぶを撫でる。祐奈が異性であることを思い知らされた。

「いいわよ」

 祐奈の方に向いて座り直した。祐奈は足首まであるキルトのスカートにはき替えていて、制服をハンガーに吊るしているところだった。

「暖かそうだね」

「冬場の必需品。毎日家に帰ったら制服のスカートをハンガーに掛けて、このキルトのスカートに着替えるの」

「へえ、そうなんだ」

「花坂君もこれにはき替えて。色違いだけど同じスカートよ」
 祐奈がはいているスカートを少し赤っぽくしたキルトのスカートを手渡された。

「冗談だろう?」

「外を歩いていたズボンのままで私のベッドに座られるのはイヤなのよ。さあ、早く」

「男がスカートをはくなんて……」

「これはスカートというよりは下半身用の防寒具なの。私があっち向いてる間に着替えて!」

 祐奈は僕をベッドの方へと押しやってから、玄関のドアのところに行って僕に背を向けた。着替えないと許してもらえそうになかったので、僕は仕方なくズボンを脱いで、キルトのスカートの中に足を突っ込んだ。ウェストにはゴムが通っていて、おへそより少し上まで引き上げるとスカートの裾が足首の辺りになった。意外なほど暖かく感じた。

「ズボンと上着をこのハンガーにかけなさい」
と言われて、その通りにした。

 祐奈はタンスから白地にパステルカラーのボーダー柄の毛糸のセーターを二着取り出し、ブルー系の方のセーターを差し出した。

「このセーターを着て」

 渋々、そのゆったりとしたセーターをカッターシャツの上に着た。

「やっぱり、丁度いい大きさね。花坂君は背の高さが私と同じだし身体つきも似ているから。この間、体育の時間に茜ちゃんから『花坂君の後姿を見て祐奈が男子の体操服を着ているのかと思った』と言われたのよ」

「冗談で言ったんだろう? 菊川さんと僕は髪の長さが全然違うから、後姿を見て間違えるはずがないよ」

「広瀬すずがテレビドラマのために髪をバッサリと切ったのを知ってるでしょう? 丁度その後だったから、茜ちゃんは花坂君の後姿を見て私が髪を切ったと思ったんだって。ほら、鏡の中を見て。私たち双子の姉妹みたいじゃない?」

 並んで姿見に映った祐奈と僕は全く似ていないわけではないが、双子というのは明らかに言い過ぎだった。同じような体格の二人が同じデザインで色違いの服を着ているから、似ているように見えるだけだ。

「全く似ていないことはないと思うけど……」

 祐奈の質問をやんわりと否定しながら、促されるままにベッドの奥の壁にもたれてベッドの上に足を延ばした。祐奈は天井の蛍光灯のスイッチを切ってから僕の右側に座り、二人の首の高さまで掛布団で被った。

 祐奈がリモコンを操作すると六十五インチ画面がパッと明るくなって、他の映画の予告編が流れ始めた。身体を少し動かすと肩が触れ合うほどの距離だった。祐奈の横顔にチラリと目を遣った時に丁度祐奈も僕の方に視線を向けて微笑んだ。僕は急に恥ずかしさがこみ上げてきて視線をテレビの方へと戻した。

 今日学校を出るまではほとんど話したこともなかった女子のアパートで二人きりになって、暗い部屋のベッドにお揃いの女子の服を着て並んで座っている……。今すぐ逃げ出したいのに金縛りにあったように身体が動かず、顔が火照って心臓が音を立てている。

 映画が始まると、少しほっとした気持ちになって映画の中の世界に没入した。

 昨年の夏休みの終わりごろに映画館で『君の名は』を見た。男子高校生の立花たきが目が覚めると宮水三葉みつはの身体になっていて、胸を揉んで真偽を確かめる。それを見て、他の観客と一緒にクスクスと笑った。今日は周囲から笑い声は聞こえない。可笑しいという気持ちが湧くどころか、思わず自分の胸を手で触ってセーターの下に膨らみが無いことを確かめてしまった。

 筋は分かっていても一つ一つのエピソードが映画館で見た時よりも鮮烈だった。前回見た時には僕は立花瀧に感情移入して、三葉みつはの身体に乗り移った自分を体験したという記憶がある。今日は瀧に乗り移っていない状態の三葉自身にも同じように感情移入できた。特に妹の四葉よつはと一緒に巫女を務めている時の三葉は自分自身のような気がした。

 隕石が落ちる日の黄昏時カタワレドキに二人がお互いの手に名前を書こうとした時、祐奈が左手を僕の右の掌に重ねてきた。指を交互に絡ませられて、僕はしっかりと握り返した。

 最後のシーンが終わった時、僕の目から熱い涙があふれた。気がつくと祐奈の顔が目の前にあった。祐奈の唇が僕の唇に重ねられ、僕は目を閉じてキスを受け入れた。ベッドに座って半身はんみでお互いを抱き寄せ合ったまま、長い時間が過ぎた。

 祐奈が唇を離し、僕の目を見つめて聞いた。

「君の名は?」

 僕は茶目っ気を出して「私は三葉みつは」と答え、祐奈に「君の名は?」と聞いた。

「僕の名は花坂歩夢」
と祐奈が僕の名前を名乗ったので僕は微笑んだ。

「そして、君の名は菊川祐奈。僕たちは入れ替わったんだ」
と祐奈が暖かくて深い声で言って僕を強く抱きしめた。

 その瞬間、僕は祐奈と恋に落ちた。

 僕たちはベッドの上で服を着たまま胸を合わせてお互いの身体の感触を確かめ合った。

 しばらくすると祐奈が「あ、もうこんな時間だ」と言って体を起こし、セーターを脱いでベッドから降りた。

 祐奈がベッドの横に立ってスカートを脱ぎ始めたので僕は焦った。初デートで初エッチとは……。

 驚いたことに祐奈はハンガーにかかっていた僕のズボンをはいて、僕の制服の上着に袖を通した。

「遅くなると親が心配するから、今日はもう帰るよ」

 それは僕自身が考え始めていたことだった。母に連絡せずに夕ご飯に遅れるのはまずい。もうそんなに長くは祐奈との入れ替わりごっこに付き合えない。

 冗談だと思って見ていたら、祐奈が僕のカバンを持って玄関に行ったので、僕は慌ててベッドを下りて祐奈を追った。祐奈は僕の靴を履いてドアノブに手を掛けたところだった。

「じゃあ明日学校で会おうね、祐奈」
と祐奈は僕に成りきったまま部屋から出て行ってしまった。

 ドアがカチャリと閉って、僕は思わずため息をついた。肩まである長い髪で男子の制服を着て出歩いたら、不審な目で見られる。僕に迷惑が及ぶわけではないが、アパートの近所には祐奈の顔を知っている人が多いはずだ。女子高生が、変人と思われるリスクを冒してまで入れ替わりごっこをするなんて祐奈の気が知れなかった。

 どうせすぐに帰って来るだろうと待っていたが、五分、十分と過ぎても戻る気配がないので心配になった。探しに行こうかと思ったが、この恰好で外に出て、もし知っている人に会ったら、それこそ大変だ。

――どうしよう……。

 三十分経っても祐奈は戻ってこなかった。そうだ! 体操服があるはずだ。女子の体操服はえんじ色だが、男子が着ても不自然ではない。走って帰ればいいんだ。いや、僕の家ではもうすぐ夕飯が始まる時間だ。母に連絡を入れておかないと面倒な質問を浴びせられるかもしれない。でも、スマホはカバンの中で、祐奈が持って行ってしまった。僕は祐奈のカバンを開けてスマホを取り出した。家の電話番号をダイヤルすると母が出てきた。

「あ、母さん。今、菊川君の家に来ていて、少し遅くなるけど心配しないで」
と早口で言って、母の質問が聞こえないふりをして一方的に電話を切った。祐奈のことを菊川さんと言わずに菊川君と言っただけであり、基本的にウソは言っていない。

 タンスを開けて祐奈の体操服を探した。一段目と二段目の引き出しには下着が詰まっていた。さっき胸を寄せて抱いた時に感じたのだが、祐奈は貧乳の部類だ。引き出しにはかなり大きそうなカップのブラジャーも入っていて、丸いパッドが幾つか重ねて置かれていたので思わずニヤリとしてしまった。

 タンスとハンガーラックをくまなく探したが体操服は見つからなかった。一見スカートのような赤い短パンとか、ロングドレスのようなズボンはあったが、男子がはいても女装とは思われないようなズボンはひつともなかった。

――困った……。僕は絶望のため息をついた。

 その時、玄関のドアが開いて祐奈が帰って来た。

「お邪魔します」
と言って祐奈は靴を脱いだ。

「ひどいよ、菊川さん!」

「違うだろう。僕は花坂歩夢。君が菊川さんだ」

「もう入れ替わりごっこはやめようよ。早く帰らないと親に怪しまれるから、制服を返して」

「『入れ替わりごっこ』じゃなくて、僕たちはもう入れ替わったんだ。制服は返すんじゃなくて、貸してあげてもいいけど」

「分かったよ。じゃあ、花坂君が着ている制服を貸して」
 僕は祐奈を平気で花坂君と呼ぶ自分の神経に呆れた。しかし、今は服を取り返すことが何よりも大事だった。

「うーん。条件がある。まず、菊川さんも自分の制服を着て、僕たちが入れ替わったということをお互いにちゃんと確認したい。そうしたら僕の服を貸してやってもいいよ」

「僕に女子の制服を着ろというの?」

「菊川さんは女子だから当然だろう? もし嫌なら、僕の制服は貸してやらないよ」

「うーん……分かったよ」

 メチャクチャな要求だったが応じることにした。僕はもうキルトのスカートをはいてしまっているのだから、制服のスカートにはき替えたところで罪が重くなりはしないだろう。

 僕は祐奈の制服のスカートをハンガーから外して足を突っ込んだ。左のホックを留めて、上着に袖を通した。

「ほら、リボンタイも着けろよ。ブラウスじゃなくて男物のカッターシャツを着ているけど、まあ許してやるよ」

 女子の制服を着て男子の制服姿の祐奈と向き合うのはとてもバツが悪かった。祐奈は僕の肩に腕を回して姿見の前に立ち、僕のスマホで姿見の中の二人を撮った。続いて何枚もツーショットの自撮りをした。祐奈はしばらくスマホを操作してから僕のカバンの中にスマホを戻した。

「祐奈は僕が花坂歩夢で自分が菊川祐奈だということを認めるんだな?」
と真面目な顔をして祐奈から聞かれた。

「うん、認めるわよ、花坂君」
と僕はウィンクしながら女言葉で答えた。

「じゃあ約束通り僕の制服を貸してやろう」
と言って服を脱ぎ始めた。

 僕は祐奈から視線を逸らさずにリボンタイを外して上着とスカートを脱ぎ、祐奈の気が変わらないうちに祐奈が脱いだ僕の制服を着てカバンを引っつかんだ。

「じゃあ帰るね。今日は楽しかった」
 玄関で靴を履きながら言うと祐奈に間違いを正された。

「『帰るね』じゃなくて『行ってくるね』だろう? まあ、いいけど。とにかく忘れないでくれ。もう僕たちは入れ替わったんだ。当分の間、君は花坂歩夢のフリをして僕の家で暮らし、僕は菊川祐奈のフリをして君のアパートで暮らすということだ」

「当分の間って、いつまで?」

「祐奈が僕のフリをするのが面倒なら今すぐストップしてもいいけど」

「面倒じゃないから、当分続けよう。じゃあ明日学校でね!」
と言って逃げるようにドアを閉め、祐奈のアパートを出て家まで走って帰った。

 父の帰宅が普段より遅かったお陰で僕は夕飯に間に合い、母から色々詮索されることも無かった。夕食の時に妹の啓子が僕の顔をジロジロ見ながら聞いた。

「お兄ちゃん、今日何かあったの?」

「な、なにも無いけど……。どうして?」

「いや、何かちょっと雰囲気が違うんだよね」

 僕は啓子の指摘にドキリとした。一歳年下の妹は勉強が出来るだけでなく、頭がよくて勘が鋭い。「お兄ちゃん」と呼んではくれるが、中学一年の春に僕の身長を追い越してからは、頭が上がらない存在だった。

 祐奈と初めて「デート」して、女子の恰好でベッドに座って、キスして、入れ替わって……。幾つもの初体験があったのだから僕の雰囲気が変わらないはずがない。もしかしたらスカートをはいたことを含めて啓子に見透かされたのではないかと不安を覚えた。

「受験が終わって気持ちに余裕が出たからそう見えるんじゃないかな」
と言ってごまかした。

「ふうん、そうかなあ」
 啓子は薄ら笑いを浮かべて僕の目をのぞきこんだ。

 逃げるように自分の部屋に行ってドアを閉めた。

 恋とは不思議なものだ。僕は祐奈のアパートに行くまで、祐奈を好きだとはこれっぽっちも思っていなかった。それなのに、祐奈に「僕たちは入れ替わった」と宣言されて抱きしめられた時、祐奈が世界でただ一人の恋人だという錯覚に陥った。祐奈の服を着て一緒に映画を見たり、隕石が落ちる日の黄昏時のシーンで手を絡ませ合ったり、最後のシーンの後で泣いて抱き合ったり、色んな伏線が重なった結果、あんな気持ちになったのだ……。

 祐奈の顔を頭に浮かべると胸が熱くなった。

 それにしても「入れ替わりごっこ」についての祐奈の真剣モードは度が過ぎている。僕の制服でアパートから出て行って半時間も外を歩き回るなんて、勇気があるというか、女子の冗談としては行きすぎだ。

 それに、もう少しで祐奈に弱みを握られるところだった。二人がお互いの制服を着た姿を写真に撮られたからだ。あの写真を人に見せると言って脅されたら一大事だ。幸い、祐奈は僕のスマホで写真を撮って、そのまま僕のカバンにスマホを突っ込んだ。もし祐奈のスマホで写真を撮られていたら、と思うとぞっとする。

――何かの間違いで人に見られないうちにスマホから写真を削除しておこう。

 そう思ってスマホを開いたら、祐奈からメールが入っていた。

「祐奈、
 写真を送ってくれてありがとう。
 今日は楽しかったよ。
 歩夢」

――まさか! 

 送信履歴をチェックしたところ、祐奈が撮影したツーショットの写真を全部その場で祐奈あてに送ったことが分かった。もし祐奈が僕の女子高生姿の写真を誰かに見せたらと思うと冷汗が出た。

 このことだけは祐奈に念を押さなければ。僕は深呼吸してから返信を書いた。
「菊川祐奈様
 今日はピザをご馳走になったり、大画面で映画を見せてもらったり、本当にありがとう。今日の僕の写真は他の人に見られないようにくれぐれもよろしくお願いします。
 花坂歩夢」

 数分後に祐奈から返信があった。

「祐奈、
 そんな心配はせずに僕を信じてついてきてくれ。僕が自分の彼女を困らせることをするはずがない。
 それから、君と僕の間では、お互いを本当の名前で呼ぶようにしてほしい。今後はメールを書く時も含めて、僕の事は花坂君または歩夢さんと呼んでくれ。
 歩夢」

 裏を返すと、もし逆らえば僕を困らせることをするかもしれないという脅しのように読み取れた。祐奈が写真を持っている限り、僕は言われた通りにするしかない。

 そのメールのすぐ後で祐奈が僕を友達に追加したというLINEのメッセージが入り、僕も仕方なく祐奈を友達に加えた。

「分かりました。歩夢さんを信じてついていきますのでよろしくお願いします。おやすみなさい。祐奈」

 祐奈を歩夢さんと呼び、自分が祐奈としてLINEのトークを書き、エンター・キーをクリックすると、悪いことをしているような気持になった。

 明日学校で祐奈と会ったら、どんな顔で接したらいいのだろう? もし祐奈から、他の友達がいる場所で「祐奈」と呼ばれて、僕がシカトしたら仕返しに写真をバラまかれるのではないだろうか? 僕は祐奈を「花坂君」と呼ばなければならないのだろうか? 祐奈は入れ替わりごっこをいつまで続けるつもりなのだろう……。そんな不安が繰り返し僕の心に押し寄せた。

第二章 聖地めぐり

 翌朝、校門を入ったところで背中をポンと叩かれた。

「おはよう、祐奈」
 振り返ると祐奈だった。幸い周囲には誰も居なかった。

 僕は「おはよう」と小声で言ってから、「花坂君」と声を出さずに口を動かした。

 祐奈は満足した表情で僕を追い越して行った。

 教室に行くと僕が怖れていたような事は起きなかった。僕は祐奈と顔を合わせないように注意していたし、祐奈がわざわざ僕の所にちょっかいを出しに来ることはなく、普段通りの一日を送ることが出来た。

 クラスは受験モードの真っ只中だった。僕や祐奈のように志望校への進学切符を入手済みの人たちも、友達を気遣って浮ついた態度を示さないように自重していた。そんな状況は今の僕にとって幸いだった。

 学校の帰りに祐奈から声をかけられることもなかった。

 その日からの祐奈と僕とのやりとりは専らLINEを通じて行われた。毎日LINEのトークが届くわけではなく、忘れていた頃に突然祐奈からのメッセージがスマホの画面にポップアップする。

「祐奈、今何をしているの?」

「お風呂を出たところ」

「何を着ているの?」

「パジャマだよ」

「祐奈は女の子だから、『だよ』は無いだろう」

「パジャマよ」

「よろしい。僕はパジャマの上に防寒用のスカートを重ね着してベッドに転がったところだよ」

「花坂君は男子なのにスカートをはいてるの?」

「寒い時にはあれに限る。でも、もう菊川祐奈のフリをして暮らすのにも飽きてきた。そろそろ花坂歩夢に戻りたいな」

「そんなことは言わないでガマン、ガマン。私はもう少し花坂歩夢のフリをしていたいから」

「いつ入れ替わってくれるつもりなの?」

「そうねえ、卒業式が終わってから相談しましょう」

「オヤスミ、祐奈、愛してるよ」

「私も花坂君を愛してるわ、おやすみなさい」

 そんなたわいのない無害なやりとりをしていると「君の名は」の映画の中で三葉に転移した立花瀧のような気分が味わえて、結構楽しかった。もしLINEを家族に覗き見されたらオカマになったのかとバカにされるだろうが、スマホには指紋ロックがかかっているから大丈夫だ。

 三月六日は僕の十八歳の誕生日だ。国立大学の前期日程の試験が始まる日でもあり、国立大学の試験を受けない生徒は午前中だけ出てくればよいことになっていた。

 前日の夜、祐奈からLINEが入った。

「明日は僕の誕生パーティーをするから学校の帰りに寄ってくれる?」

「誕生日なの? 知らなかったわ。花坂君も十八歳になるのね!」

「自分の彼氏の誕生日ぐらい覚えておけよ」

「ゴメンナサイ。じゃあ、明日はケーキを買ってから花坂君のアパートに行くね」

 三月六日の火曜日、僕は十二時に一人で学校を出てヤマザキデイリーに立ち寄り、僕の好きなシュークリームとモンブランを買った。もし祐奈がイチゴの入ったケーキが好きだと言い出したら「好みが変わったの? 花坂君の好物はシュークリームとモンブランよ」と反論しようと思って、一人でニヤニヤしながら祐奈のアパートに向かった。

 ドアホンのボタンを押すとすぐに祐奈がドアを開けてくれた。

「お邪魔します」
と言って入ると
「本来、ここは祐奈の家だから、『ただいま』と言うべきだよ。僕が君のアパートに住ませてもらってるんだもの」

「ハイハイ、仰る通りよ。とにかく花坂君、お誕生日おめでとう!」
と、僕は祐奈の入れ替わりごっこに付き合って返事をした。

「その格好で女言葉で話しかけられると気持ち悪いんだよなあ。早く自分の服に着替えろよ」
と、祐奈の制服が掛かっているハンガーを指さされた。

「でも……」

「恥ずかしがることはないだろう。もし言う通りにしないんだったら……」

「わ、わかったわよ。花坂君の言う通りにする」

 僕は制服を脱いで祐奈に渡し、ハンガーにかかっていた祐奈の制服に着替えた。祐奈も防寒スカートを脱いで僕のズボンにはきかえ、僕の制服のジャケットを着た。

「ああ、やっと自分の服が着られてほっとした。祐奈もその方が落ち着くだろう」

「え、ええ、まあ……」

 僕はケーキを紙袋から出して食卓に置いた。

「オッ、僕がモンブランを好きだということを覚えていてくれたんだね」

「勿論よ。だって私の彼氏だもの」

「祐奈は相変わらずシュークリームが好物なんだね」

 祐奈が紅茶を作ってくれて、お芝居を続けながら僕はシュークリームを食べた。

「高校生活もあと三日で終わりだな」

「そうね。卒業式は金曜日だから、その日を入れても三日しかないのね。クラスの皆ともついにお別れか……」

「卒業旅行の計画を立てよう」

「え、どこに行くの?」

「聖地巡礼に行きたいんだ」

「セイチ・ジュンレイ?」

「僕と祐奈が入れ替わったフリをしているのは、『君の名は』がそもそものきっかけだから、祐奈と一緒に映画の舞台になった場所を訪れたいんだ」

「ああ、その聖地ね。確か映画に四ツ谷駅が出てきたわよね」

「東京都内の聖地にはいつでも行けるから、大学に進学してからブラブラ行けばいい。僕は立花瀧に感情移入して映画を見ていたから、三葉の身体で目が覚めた時の思い出の場所を確かめたいんだ。ネットで調べたら、飛騨古川周辺に聖地が点在しているそうだ」

「飛騨古川ということは、岐阜県?」

「高山祭りで有名な飛騨高山の近くだよ。映画に出て来る湖は諏訪湖がモデルらしいと書いてあったし、三葉と四葉が巫女として舞を踊って口噛み酒を造る儀式をした神楽殿は佐久市の新海三社神社がモデルという説もあるようだ。でも、何ケ所も回ると日数と費用が膨らむから、今回は飛騨古川と飛騨高山に行きたいと思う」

「飛騨高山はテレビで見て一度行って見たいと思っていたから楽しみだなぁ。でも、お金がかかりそうね」

「昨日、色々調べたんだけど、バスタ新宿から出ている高山行きの高速バスを使えば安く上がりそうなんだ。ホテルも一番安い所で二泊しよう。お金については、悪いけど、祐奈のゆうちょ口座に二十万円ほどあるから、それを使わせてもらってもいいかな?」

「えっ、菊川さんの貯金で連れて行ってくれるの?」

「菊川さん? 祐奈の貯金や実家からの仕送りが入る口座は僕が勝手に使わせてもらっているけど、本来は祐奈のものだからね。旅行の費用は二人で七、八万円ってところかな」

「ありがとう、助かる」

「それは僕が言うべきセリフなんだけど」

 祐奈が「フリをする」ことにそこまでこだわるのが微笑ましかった。僕としては父や母に旅行に行きたいからお金を出してくれと頼まなくても済むので気持ちが軽かった。

「じゃあ、私の貯金を使わせてあげる」
と僕は答えて、二人でスマホで調べながら計画を立てた。

 金曜日と土曜日の夜を外せばホテル代が安くなることが分かった。また三月の終盤はバスやホテルの予約が取りにくくなるので、三月十八日の日曜日の朝に出発して二十日の火曜日の夜に帰って来るという計画を立てた。祐奈は一人暮らしでの必要上、親からクレジットカードを持たせてもらっていた。祐奈のクレジットカードを使ってバスとホテルの予約を入れた。

 祐奈が旅行計画をスマホに清書してメールで送ってくれた。


三月十八日(日)
 一一時〇五分 バスタ新宿発高速バス
 十六時三五分 高山バスセンター着
 十七時一五分 高山駅発、特急ひだ
 十七時三一分 飛騨古川駅着、ホテルへ


三月十九日(月)
 気多若宮神社
 跨線橋
 飛騨市図書館
 組みひも体験
 飛騨古川市内散策


三月二十日(火)
 飛騨古川駅からJRで飛騨高山駅へ
 日枝神社
 市内観光
 一五時〇〇分 高山バスセンター発(高速バス)
 二〇時三〇分 バスタ新宿着、解散


「よし、できたぞ! 楽しい旅行になりそうだな」

「そうね、ワクワクするわね。でも、花坂君が転送してくれたホテルの予約メールだけど、間違ってるみたい」

「え? どこが間違ってるんだ?」

「予約者が菊川祐奈(女)、同伴者が花坂歩夢(女)となってるわよ。花坂歩夢は男だと訂正してもらわなきゃ」

「卒業式が終わっても、ホテルの人から見ると僕たちが高校生だということは一目瞭然だよ。高校生の男女を同じ部屋に泊めてくれるかな? かといって一人一室にするとすごく高くつく。二人とも女子ということで、僕は我慢するよ。まあ、チェックインの時にはクレジットカードを出してサインする必要があるから僕が菊川祐奈として一人で手続きをすることになる。僕がチェックインをしている間、祐奈は外で待っていて、僕が部屋に入ってから電話で部屋番号を知らせるから、祐奈は素知らぬ顔でエレベーターに乗って部屋まで来ればいいのさ。チェックアウトの時はルームキーを返すだけだから、男女どちらでも無関係だよ」

「なるほど、じゃあ大丈夫そうね」

 祐奈のことだから、僕に女子の恰好をさせてホテルにチェックインしようと思っているのではないかと不安を感じて質問したのだが、そうでないことが分かってほっとした。

「どの場所に聖地巡礼に行くのか、もう一度映画を見て確かめようよ」
と祐奈が提案した。

「う、うん。いいけど……」
 前回と同じように防寒スカートに履き替えてベッドの上で並んで見るのだと思って胸がドキドキした。きっとまたラストシーンでは泣いて抱き合うことになるだろう。今日は服を着たまま抱き合うだけでは終わらないような予感がした。

「今日は腰かけて見ることにしよう」

 祐奈はベッドの縁に腰かけ、僕も隣に座った。

「制服のままでいいの?」

「スカートがシワになるのが心配なのか? いいよ、もしシワになったら僕がアイロンをかけておいてやるから。それともあの防寒スカートが気に入ったのか?」

「いえ、そんなわけじゃないけど」
 僕は赤面して答えた。

 祐奈は毛布を取り出し、二人の腰から下に掛けた。

「女子はお尻が冷えるのはよくないからね。これで寒くないだろう?」

 祐奈は左手を僕の背中に回し、右手でリモコンのスイッチを入れた。

「うわぁ、大きい!」
 改めて六十五インチ画面の大きさに感動した。

「首を左右に振らないと端から端までは見えないわね」

「映画館で真ん中より前の席に座った場合と、角度的にはそんなに変わらないんじゃないかな」

「本当ね。映画館に行ったみたいね」
 まるで女子が好きな男子と二人きりで居るかのように、上ずったはしゃぎ声が僕の口から聞こえた。これは自分の言葉ではないと思った。

 僕の肩を包んだ祐奈の掌から静電気が流れてくる。

「寒くない?」
 祐奈の手が僕の肩から肘までをゆっくりと二往復した。肩から右の太ももまでしびれが波打った。思わず両膝を引き寄せた。

 映画が始まり、僕は隣に祐奈が座っていることは忘れて「君の名は」の世界に入り込もうと必死になった。でも、祐奈の左手は僕の左肩にじっとしていてくれず、気まぐれに上腕を走ったり、ふいに腰に回されたりして、その度に僕は隣に座っている祐奈が自分の大好きな人であることを思い知らされた。

 立花瀧が三葉の身体で目が覚め、自分のオッパイを揉むシーンになった時、祐奈は突然右手で僕の胸をつかんだ。

「イヤッ!」
と思わず声を上げると、祐奈は「アハハハ」と笑ってリモコンのポーズボタンを押して映画を一時停止した。

「ゴメンゴメン、僕が祐奈の身体に乗り移ったみたいな、変な気分になって、つい祐奈の胸を揉んでしまった」

――もうとっくに乗り移られているのに……。いや、そうじゃなくて、僕は……この身体の僕は花坂歩夢で、胸にお乳があるのは祐奈の身体なのに……。

 映画の中と、自分の世界がごっちゃになって、頭の中が極度に混乱していた。頭に血が上ったが、何も言えなかった。

「祐奈って女子なのに、どうして胸が小さいの?」
 本気で不思議だと思っているかのような口ぶりで祐奈が僕に聞いた。表情に意地悪さは感じられなかった。祐奈は半分僕の方を向いて、毛布の下で右手を動かし、僕のスカートの中の太ももに手を置いた。

「やめて、花坂君!」

 祐奈は僕の上半身をベッドに押し倒し、キスしながら右手で太ももの付け根を探った。パンツの上から僕のモノを触られて、ウウッと声が出た。

「なんだ、やっぱり女の子じゃないか」

 予期しなかったことを言われてあっけにとられ、返す言葉を失った。

 祐奈は僕に唇を重ねた。スカートから抜いた右手を僕の背中に回して僕を引き寄せた。僕はどうしたらいいのか分からず、祐奈の愛撫を受け入れた。

 僕は祐奈に翻弄され続けている。でも、祐奈が好きだという気持ちは抑えられなかった。

 祐奈は唇を数センチ離して、
「そろそろ映画を再開してもいいだろう?」
と僕に聞いた。

「うん、いいわよ」
と反射的に答えて上半身を起こし、スカートの乱れを直した。

 まるで僕がいつまでもキスを続けたがったかのように言われて割り切れない気もしたが、つまらないことを言って祐奈の不興を買うことは避けたかった。祐奈がリモコンの再生ボタンを押して「君の名は」が再開した。

 瀧たちが三葉に会いに「特急ワイドビューひだ」で古川駅に降り立つと、祐奈は何度もポーズボタンを押して解説してくれた。

「瀧たちは名古屋から飛騨古川まで『特急ワイドビューひだ』で行ったわけだけど、僕たちは高速バスで高山まで行ってから『特急ワードビューひだ』に十六分間乗って飛騨古川まで行くんだよ。古川駅に到着した時の雰囲気を味わうためにそんな旅程にしたんだ」

「このシーンは実物を写真で撮ったみたいにそっくりらしいよ」

「ほら、この跨線橋から見た光景をよく覚えておけよ」

「この図書館に行ったらたくさん写真を撮って、また帰ってから映画の中のシーンと見比べよう」

「この神社がどこをモデルにしているのか諸説があるんだけど、飛騨古川にあるのは気多若宮神社だけだから、それ以外の神社はまたいつか一緒に行こう」

「僕たちもこの店に行って五平餅を食べるんだぞ」
と、祐奈は子供のように目を輝かせながら言った。そんな無邪気な祐奈がとても愛しく感じられた。

 祐奈に肩を抱き寄せられ、僕も右手を祐奈の背中に回し、身体を寄せ合って映画を見た。

 瀧と三葉が時空を超えて手を合わせるシーンでは、前回に劣らないほどの感動の嵐に襲われ、僕は三葉に成りきって身体を震わせた。

 ラストシーンが流れると祐奈は僕の方に身体を向けて目を覗き込んで真剣な顔で聞いた。

「君の名は?」

 涙がどっと溢れて来た。
「菊川祐奈」
と答えてから、泣きながら
「君の名は?」
と聞いた。

 祐奈は奥行きのあるしっかりとした声で「花坂歩夢」と答え、僕を胸に引き寄せて強く抱きしめた。

「祐奈、好きだよ」

「私も花坂君が大好き」

 キスを交わしながら、自分は菊川祐奈という女子高校生で、目の前の花坂君が自分の彼氏なのだと心の底から思った。


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